2019年(令和元年)6月29日(土)先勝             曇り    ときどき小雨



いよいよ梅雨らしい天気が続くようになった。

マンションの植え込みに私がベランダの鉢植えを移植したクチナシに今年も蕾がついている。
マンション管理人をしている今なら、勝手に植栽に移植してはいけないことがわかるが、
引っ越してきたあの頃は、そんなことを気にもしなかった。
そんな経験すら、今の仕事をする上で活かせる知識となっている。

無駄な経験など無いものだと、このごろ痛感することが多い。

昨日今日と大阪でG20(ジー・トェンティ)が開催されている。
アメリカにトランプという規格外の大統領が誕生して、いま世界は引っ掻き回されている最中。
これまで水面下で進行したり交渉されたりしていた諸々の案件が、
彼の手法(大統領ツイッター)ではあからさまに表面化している。


事前協議ですり合わせをした後に首脳会談で合意・発表というこれまでの外交交渉をとらないトランプ大統領。
が、彼も終身の大統領でいられるわけではない。
一党独裁で、ほぼ終身に近いトップの座を占められる共産圏のトップたちとの交渉の行方が気になる。


今朝の「あの人に会いたい」というNHKの番組で観た堺屋太一の『平成三十年』という本を読んでみたくなった。

2019年(令和元年)6月26日(水)仏滅          晴れ



昨日と今日、梅雨の晴れ間で好天気。
やっと洗濯を済ませてダラダラと過ごしている。

出かけようかな・・・と思いつつも踏ん切りがつかない。
このままだとあっという間に一日が終わりそう。

せざるを得ない何かが無いとなると、こんなにも無為に陥ってしまうものか。

結婚してからの荒波を乗り越え乗り越えしてたどり着いた平穏の時と言えなくもないが、
波乱万丈に慣れきってしまった思考回路は、いま茫然自失の陥穽にはまってしまったのかもしれない。

振り返れば同じようなことは過去にもあった。
まだ先の人生が見通せず、かと言って何かを目標に日々を積み重ねる気もない未成年の頃。
今再び、昔返りをしている。
違うのは、今の自分には、この先に長い人生が待ち受けているわけではないということ。

だったら早く終わってしまえと思う気持ちも生じたり、
いやいや自然消滅の日まではこのまま行くかと思ったり・・・

高齢になるということは、こういう意識の変化もあるのかと実感する日々。

2019年(令和元年)6月12日(水)友引        曇り のち 晴れ



梅雨入りして、毎日ドンヨリした天候。
季節の変わり目に順応しきれていないせいだとは思うけれど、無気力な日々が続いている。
何かしなければ・・・と思いつつも体が動かない。
今は仕事が最優先。
その為には、日常生活のこまごました気付きには目をつむってしまおう。


ニュースは毎日欠かさずにチェックしているが、ますます気分が落ち込むような話ばかり。
処罰や制度をいじる前に、人間改革しなくては良い方向に舵を切れないような気がする。
やはり『哲学』だと、改めて確信する。
高尚な学問としての『哲学』ではなく、
それぞれの人生を大切に考えることの基本となる思考の土台としての『哲学』。
「お天道様は見て御座る」でもいい、「罰が当たる」でもいい、
古人が戒めとして口癖のように言っていた言葉を再評価して世の中に復活させたい。

また、
「老いては子に従え」という言葉を、否定的なとらえ方ではなく、
老いを受け止め自覚して、先逝く者として後に続く者たちの邪魔をしないようにフェードアウトできる年寄りでありたい。

そんなことばかり考えるこのごろ。