2018年(平成30年)3月28日(水)先勝              晴れ



我がマンションの桜も満開、天気も上々。
家事も順調に片付いている。
そろそろ20℃超えの天気予報も安定してきたので、
急ぎ、軽装の衣服を収納から出しておいた。


☆ ☆ ☆

北東アジア情勢の雲行きが急速に動いている。

一方で国内情勢を見渡すと惨憺たる状況。

何がどうなる・・・専門家にも確実な予測は不能な模様。

歴史は常に流れ動くもの。
流れ行く方向の決定に何らの権限も持たず、、
ただ、奔流の一滴として流されるだけのその他大勢としては、
その流れの勢いに怖気づくことなく、水の色に染まることなく、
淡々と日常に勤(いそ)しみつつ耳目は常にとぎすましておくしかないと思っている。

しかし・・・
「いつか来た道」を思い重ねずにはいられないこの頃。

結局、
人間が歴史から学ぶことで、その後、後戻りしないで善き方向へのレールを歩むことは無理なんだと思う。

なぜなら、
その時々に権力を握る人間は、そっくり入れ替わっているのだから。
その権力者の人間性や思考の方向性で右往左往するのが、洋の東西を問わぬ人間社会というものなのだろう。

しょうがない・・・「人間だもの」
人間って欲深い生物なんだなあ・・・

2018年(平成30年)3月21日(水)赤口             雨              春分の日



今日も気温は一桁の5度にも達しない一日だった。
寒かった。

週に2日、火曜日と水曜日の休日には(あれもしよう、これもしよう)と思いながら、
結局、何もできないで終わってしまう。

若いころの休日とは確実に違うと感じる。

体力の無理がきかない。
脳内の思考と動きがスムーズにリンクしてくれない。

そのことを極度に落胆したり嘆くこともなく穏やかでいられるのは老いの僥倖。

2018年(平成30年)3月20日(火)大安              雨



桜の開花がニュースになったばかりなのに、今日は冷え込んでいる。
今日降っている雨も2-3日続きそうな天気予報。
春先の冷え込みは、
目前に「暖かさ」というニンジンがぶら下がっている時季だけに、
ガッカリ度は大きい。


☆ ☆ ☆

それにしても・・・
世の中の低劣化とそれに伴う荒廃は加速の一途。

何が原因なのだろうと考える。

【奥深い教養】や【清廉な人格】や【慈悲深い情愛】の欠如。
これらはAIと呼ばれるデジタル頭脳には付加できない、生物に特有の感情機能。

【より便利】に【より速く】【より広範】にを追及することにどんな未来が待っているのか、
もっと現実的に、我が身のこととして考えた方が良い。


つい先日、NHKスペシャルの「人体」のテーマが(生命誕生の神秘)だった。
受精卵が細胞分裂を始めてヒトの体になっていく様子がつぶさに映像としてとらえられていた。

生物が形になって行く過程は、おそらく、地球に生命が発生した頃からほとんど変化・進化はないのではないか。

私は自身の脳内でいつも叫んでいる、
「野性を失うなかれ、ヒトも生身の生き物であることを忘るるなかれ」と。

指先だけチョチョイと動かして、人生を世界を分かった気になってはいけない

2018年(平成30年)3月6日(火)先勝         曇り    のち   晴れ            啓蟄



沈丁花の香りが漂う季節になった。
寒暖を繰り返しながら、それでも季節は確実に移り変わっている。
今季の冬は、とにかく寒かった。

☆☆☆

2日の夕方、郷里の婚家先を継いでいる義兄から亡夫の姉逝去の知らせがあった。
香典の立替を依頼し弔電を打っておいた。

婚家先の人々は、私が結婚して親戚になった当時から、何かにつけて冷ややか。
私に落ち度があるのかと、できる限りの心を尽くしたつもり。
しかし、尽くせば尽くすほど、それが当たり前になってしまったような気がする。


私だけの問題か・・・?
そう思っていたが、ネットのブログを読んだり、身近な人に話を聞いたりしてみると、
これは、日本社会に延々と引き継がれる「嫁」問題のような気がしてきた。


「嫁」は、婚家先の召使じゃないよ!
「嫁」だからって、夫の親やきょうだいより下等と決めつけて扱って良いものじゃあないよ!


私が夫と死別の後に郷里に居を移さなかったのは、
そうした田舎の空気を避けたかったというのが大きな理由。

なんだかなぁ・・・・・

誰かの葬式の時だけ知らせが来るという状況の中で、
知らせを受ける度に、これまでの親戚の仕打ちのアレコレが甦るだけ。

実質10年の結婚生活で、その半分は乳幼児2人を抱えながら夫の看病に一人で奮闘した。
その後も、あがいたりもがいたりしながら一人でここまでやってきた。

形だけの親戚なんて、もう縁切りしたいというのが本音。