2016年12月31日()友引       晴れ



穏やかに快晴の大晦日。
ここ数日、ベランダから見る富士山の姿に癒されつつ過ごしている。


今年は年末年始にかけての特別な大掃除や料理はしないと決めた。
そう決めたのだが、排水管工事で洗面所がきれいになった勢いでアレコレ他の片づけもできた。


年越しそばくらいは作ろうと、昼過ぎにえび天を買いに出かけたらスーパーの近所で犬の散歩中の知人にバッタリ。
そこで立ち話を小一時間。

彼女の連れていた柴犬のゆめちゃん、可愛かったなあ。
大人しくて人懐っこくて・・・
あんな犬なら飼ってみたいけれど、集合住宅の規約ゆえに無理。
もう生涯、犬を飼うことはないだろう。

小学生のころ、雑種犬を飼ったことがあるけれど、犬の飼い方も知らなくて可哀想な扱いをしてしまったことがある。
そのことが未だに私の記憶の傷になっている。
「こんど犬を飼うなら、あの犬の分まで可愛がろう」と思ったことはあるが、それも実現不可能な夢に終わりそうだ。


兎にも角にも、今日いまここに在ることに感謝しつつ一年を終える。

2016年12月30日(金)先勝        晴れ



今年もあと一日。
テレビでは、各局が一年の総括をしている。


年頭に、「申年は荒れる」と言われていた通り、世界的に大きな価値観の変革を迫られるような年だった。
その変革が好ましい方向なら言うことなしなのだけれど、どうやらそうでもなさそう。

来年は、世界中の誰もが相当な覚悟を持って暮さねばならない年になりそうな予感。

★★★

個人的には、肩に背負った荷が少し軽くなるような「事態の好転」があり、良い年であったと言える。

65歳到達で、いよいよ本格的な高齢者の仲間入りをした私の体には、確実に老いへの変化が生じている。
老いは足から始まるということをしみじみ思い知る日々。
人一倍歩いているはずなのだけれど、足の筋肉はどんどん細る一方。
しっかり歩いているつもりでもつま先がしっかり上がっていないのか、
先日、不覚にも足元にあった小さなカゴを跨ぎ損ねて前方につんのめった目先にあったのはコンクリート階段の尖った角。
思わず冷や汗だった。
幸いにも「オットットー!」と体勢を立て直して踏みとどまることができたので助かったけれど、
あのままあの勢いでコンクリートの角に額を突っ込んでいたら・・・・・
今頃は、あの世に逝っているか脳に重大な損傷を負い入院沙汰だったかもしれない。

これまで体の動きについて何ら不安は感じていなかったけれど、
すでに油断できない年齢になったのだと気付かされた。

静かに穏やかにささやかに、私の2016年(平成28年)が終わろうとしている。

2016年12月22日(木)仏滅      曇り  ときどき  小雨   夜になって風雨



新潟県糸魚川市で大規模火災が発生。
一軒の飲食店からの出火が飛び火と強風で広範囲に燃え広がった模様。

「泥棒は一かるい(背負うこと)、火事は根こそぎ」と親から注意を受け続けて育ったせいか、
私は火事には慎重すぎるほど慎重になった。

泥棒に入られても持ち去られるものは泥棒が運搬できる量に限られるが、
火事は家ごと丸々全てが失われるし、焼失した物は灰と化し元通りの姿に戻ることはない。
火が恋しくなる季節、しかも乾燥がきついこれからの季節、火の用心は十二分に心がけたい。

★★★

今年は、師走になって忙しいことが相次いだ。

排水管の取り換え工事は、なんとか無難に終了。
壊した壁と壁紙の復旧もきれいに終わって安心している。

もう一件の気がかりだったガス警報器の誤作動も、
今日、新品と交換してもらって解決した(はず)。

何が原因かわからないまま、赤ランプが頻繁に点滅を繰り返していたガス警報器。
管理室の警報管理設備と連動しているため、取り外すわけにもいかず、過大な精神的ストレスは日に日に増していた。

我が家のガス警報器は、取り替えても取り替えても誤作動を繰り返す。
2012年に取り付けたものが不調で交換した回数3回は多すぎないか?
ガス漏れ検査をしてもその都度ガスは漏れていないのに赤ランプの点滅を繰り返すという症状。

今回はガス会社への連絡以外に警報器製造会社にまで電話した。

★★★

昨年、いつも利用している近所のスーパーのレシートでクリスマスケーキが当たったのだけれど、
今年も同じスーパーのクリスマスケーキプレゼント企画に応募した。
そして、ラッキーなことに当選!
これでクリスマスのケーキの心配はしなくても良しとなった。

2016年12月17日()大安      晴れ



昨日、無事に我が家の排水管取り換え工事は終了した。
洗面所の天井の張り替えが残っているが、これは大したことではない。
これからまだ隣戸の工事が始まるので、大音量の工事音はしばらく続く。

日中だけとは言え、ドドドドドガンガンガンと室内に大音量が響くと、落ち着かないことこの上ない。
もう少しの辛抱だ。

★★★

ロシアのプーチン大統領来日の二日間が終わった。
北方領土の問題は、日本の期待に沿う進展が発表されることにはならなかった。
一度奪取された領土の返還を交渉することの難しさを目の当たりにする。
竹島は韓国が実効支配し、尖閣諸島は中国が虎視眈々と日本の隙を狙っている。

日本の周辺諸国はどの国も似たり寄ったりのしたたかさで日本を翻弄してくるようだ。
誠意・誠実は通じないし、信頼関係は一方的に裏切っても悪びれないというそのやり方には親しめない。

しかし、世界にはそういう政治で成り立っている国もあることを日本人は知るべきなのだろう。
「話せばわかる」は通用しないということを。


規模は大きく違えども、
日本の世界との付き合い方を見ていると、
自分もどこかで似たようなことをしているように感じる。
不思議なことだけれど、
縄文時代や弥生時代の昔から日本人のDNAに刻み込まれた何かがあるのかもしれない。

純粋と言えば体裁は良いが、ナイーブなお人好しとも言える部分がありそうだ。
要領が悪くて、冷徹・冷酷・狡猾に徹することができない。


とにかく、今年は世界の歴史が大きく動いたと言えるような出来事が多かった。
人間社会は永遠の固定状態を保つことはできないわけで、
願わくは世界情勢が穏やかな方向に変化する歴史に生きあわせたいものだけれど・・・

2016年12月15日(木)先負       晴れ



排水管取り換え工事が始まって3日目。
昨日・一昨日は風呂・洗面台・洗濯機・台所の排水ができなかった。

室内に鳴り響く工作機械音に耐えながらの在宅で、落ち着かないことこの上ない。

洗濯機と洗面台が取り外してあるので、
洗面は業者が仕事に取り掛かるまでに風呂場で済ませ、
洗濯は近所のコインランドリーを2日間利用している。

今週の金曜日が工事最終日なので、それまでの辛抱。

★★★

今日、山口県長門市の大谷山荘にロシアのプーチン大統領がやって来る。
安倍首相が自分の郷里に招待しての首脳会談。

テレビではさまざま解説が続いているが、室内に響くドリル音でテレビの音声はところどころ聞こえない。

第二次世界大戦終戦時に生じた問題の解決は長い年月を経ても決着が難しい。
いや、むしろ年月が過ぎればすぎるほど、
とりまく環境や状況の変化に左右されて、問題発生当時の事情が解決に反映されることは期待できなくなる。

さあて、到着が二時間半程度遅れるらしいけれど、その後の進展や如何に。

今回の会談の課題は二つ。
北方領土問題とロシア極東地域での経済協力問題。

2016年12月13日(火)先勝      晴れ  のち   曇り



このごろ頻繁に、夜間、決まった時間に9歳年上の姉と電話でおしゃべりする。
最近は、身辺整理の話題が多くなった姉。
姉もそろそろ終活を意識してきたらしい。

ある程度の高齢になると、自らの死を意識せざるを得ない時期が訪れる。
それは死を予感させるような身体の不調がキッカケであったり、
自分が誰かに遺したいものがある場合、その行先をハッキリさせておきたいとか、
可能な限り、自分の人生の片づけは自らの手で終えておきたいとか、
行動の発端はいろいろである。


子供にとっては親が死ぬ話など聞きたくもないかもしれない。
現に、目の前には、まだまだ大丈夫そうな親の姿がある場合など尚更。
しかし、
自分が年取ったから言えることかもしれないが、親が自分の「その時・その後」の話を始めたら、
子は、静かに耳を傾けておいた方が良い。

その後の混乱や困惑を最大限回避するためにも。

また、親は、折に触れ「その時・その後」についての自分の気持ちを語っておいてほうが良い。
それも構えて話すのではなく、さりげない雑談の端々に織り込むと良い。

そうした会話のできる親子関係を築いていることが基本ではあるが。


そう考えてみると、ますます「メメント・モリ(死を考える)」を念頭に生きることの重要性が思われる。

人は産声を上げた瞬間から死へ向かって歩み始める存在であり、
死は常に傍らに寄り添っているのである。
そのことを自覚しているかいないかで人生の充実度が違ってくるものだと、強く想う。

 

2016年12月11日()大安     晴れ



どうしてこんなに忙しいのだろう。
毎日毎日追われるように暮らしている。

今年は、マンションの共有部分である排水管の取り換え工事が年末に行われることもあり、
師走の気ぜわしさが倍増している。

いよいよ来週は我が家の室内に業者が立ち入っての大々的な工事の予定。
つい4年前にリフォームを終えたばかりの我が家の浴室・洗面室の床と壁が剥がされる。

そんな大がかりな工事にもかかわらず、
前年度管理組合理事会は住民への詳しい説明や了解も無しに工事着工を決定。
事後承諾の形で、今年の5月の管理組合総会の議題に挙げられたので、もはや賛成も反対もできない事柄だった。

共有部分の修繕事項であり、いずれはやらざるを得ないメンテナンス工事ではあるが、
事前の広報の少なさには後味の悪さが残る理事会決定のやり方だ。



我が家の属するマンションもご多分に漏れず高齢化が進み、
一年交代の理事会を住民だけで維持して行くのが困難になった。
そこで、数年前から外部のアドバイザーを入れての理事会運営となっている。

住民理事は毎年顔ぶれが変わるのに、外部のアドバイザーは変わらずという状況は、
一つ間違えばこのマンションの重要決定事項に外部の意向が影響を及ぼしかねないという可能性をはらんでいる。
今回の排水管取り換え工事に住民の都合が十分に聞き取りされなかったことを考えると、
今後の管理組合運営が外部アドバイザーの言いなりになるのではないかとの危惧を一住民として抱かざるを得ない。


現在、世界に先駆けて超高齢社会に突入している日本において、
これまで通りの経済優先思考で動く一部の人間たちが、
判断力や行動力に遅滞のある大多数の人間たちを置き去りにしながら生き延びていく構図がおぼろげながら見えるようで空恐ろしい。

どうか、日本の将来が、弱者を食い物にすることに罪悪感を抱かない怪物たちの跋扈する社会となりませんように。

2016年12月日()仏滅     晴れ  のち  曇り



夜、テレビの番組で、便利屋さんの仕事に密着しているところを少しだけ視た。
亡くなったり施設に入居された老婦人の部屋を片付ける場面。

二件の依頼のどちらも家の中は物に溢れて、今で言うところの「汚部屋」状態。

業者が次々に片づけ始めると、出るわ出るわ「こんな物まで!」のオンパレード。
お菓子の袋、数えきれないほどの空き箱、包みに掛けられていたリボンや紐などが・・・
そんな空き箱の一つに、ティッシュにくるまれた宝石類が見つかった。
他の場所からも次々に見つかるティッシュにくるまれた宝石類や貴金属。
最終的に、買取価格で100万円くらいでしょうと業者が依頼主に告げていた。
買った時にはそれ以上の価格で買っているはずです、とも。

部屋に吊るされた洋服の数々や見つかった宝石類をチラッと見ただけでも、
亡くなった人がお洒落なご婦人だったのだろうと推察できる。


もう一件の家からは、昔のピン札紙幣が出てきた。
百円札や伊藤博文公の肖像時代の千円札など。


主を失った物たちが伝える在りし日の人の過ごし様。
高齢になると片づけることが難しくなることを教えてくれているようだ。

人が一人この世から消えて遺される膨大な量の物に驚かざるを得ない。
と同時に、如何にすればこの量を減らして自分は逝くことができるだろうか、とも考えさせられた。

やはり、「明日はやろう、明後日やろう」では駄目なのだと、改めて気を引き締めた。



今夜の印象深いテレビ番組としてもうひとつ、NHKスペシャル「戦艦武蔵の最期」。

近年、アメリカ人の探索グループがフィリピンの海底に沈む戦艦武蔵を発見した。
そういうニュースは知っていたが、今夜の番組は、発見時に撮影された多数の画像をもとに作成された番組。

戦争とは、なんと悲惨で虚しい所業であることか・・・
そこに駆り出されて落命した人々の無念を想うと、やりきれなかった。

2016年12月2日(金)友引      晴れ



マンションで同じ階段の3階に住む一人暮らしの老婦人Yさんとは出会う度に簡単な日常会話を交わす。

マンションは、玄関ドアを閉めれば隣近所何する人ぞの暮らしである。
したがって、近くに暮らしていても、何年も顔を見ないというご近所さんもいる。

老婦人Yさんとも滅多に会うことも無い。

昨日、たまたまエレベーターで一緒になり少しだけ言葉を交わしたが、
いつも挨拶の始まりは「お久しぶりねぇ、なかなか会わないわねぇ」となる。

彼女は既に80余歳だと思うが、元気そうだ。
受け答えもしっかりしている。
ご近所に妹さんがいらっしゃるようなので、姉妹の助け合いやお喋りで活性が保たれているのであろう。

昨日の束の間の会話で話題の中心は「歳とっても毎日何かしら忙しくてね」ということ。
彼女も私も、毎日する事があって何よりだと共感し合って別れた。


私は、昨日も外出し、今日も所用で外出した。

年寄りもなかなかボンヤリしていられないご時世。