2016年11月30日(水)赤口      晴れ



このごろ私は文章にもおしゃべりにも「老い」を意識した言葉を並べるようになった。
積極的に老け込むことはないけれど、
さしあたって健康に動けていると無意識の老いに足元をすくわれそうな気がして、
あえて「老い」を意識しながら話したり動いたりしなければならないと自分に言い聞かせている。

にもかかわらず、
職場で(年寄りはあっち行ってろ)(あんたのような年寄りには関係ないんだよ)的な扱いを受けて、
落胆することが多くなった。

そんな中でも特に、現在の職場で、既に4年間一緒に仕事をしているNo.2の差別主義的な言動には嫌悪感でいっぱいだ。

地位・資格・学歴・経済力・性別・年齢・・・
あらゆることに彼なりの優劣をつけて人を見下す。
対象の持つ能力や人間力の価値ではなく、
“金に結びつく”または“自己の欲望にマッチする”ものやことを持っている人を無条件に優遇する男だ。

では彼自身はどうかというと・・・
見た目はパッとしない小太りでちっちゃなオッサン。
行動は下品極まりなく、社会的常識と生活能力は欠損し、感性や感情は貧しいことこの上ない。
暇さえあればお菓子や甘い飲み物を口に運んでいる(仕事中でも)。

どうしてこんな男が管理職の試験に合格したのか、試験管の「人を見る目」を疑う。

「あんたは私をゴミのように見下すけれど、ゴミにもそれなりの人生と感情があるのよ」
「バカにされた者が、それでも、あんたに媚びへつらってくるとでも思っているの?」
と、私は内心でつぶやく。

ま、こいつと一緒の場所で働くのもあと4ヶ月。
こいつの尻拭いをさせられるのも4ヶ月。
辛抱と我慢の4ヶ月になる。



素敵だと思える人に出会うことが極端に少なくなった。
それでも、そうした人が皆無というわけではない。
素敵な生き方をして来たのだろう、しているのだろうと伝わってくるような人を意識に置きながら暮らそうと思う。

2016年・平成28年11月も今日で終わり。
日々気持ちよくを念頭に過ごしている。

2016年11月23日()先負      曇り         勤労感謝の日



今日から65歳。
いよいよ前期高齢者とやらの仲間入り。
気力も体力も確実に衰えている。

感受性の衰えもあり、若いころほど喜怒哀楽の激しさはなくなっている。
それは、日常を暮らしやすくしているとも言えるが、
感情の潤いが減少して美意識の退行につながっているのかもしれない。

これからどれくらいの余生があるのか、日々考えない日は無い。
大切に大切に過ごしていきたい。

2016年11月12日()仏滅      晴れ



昨日、横浜に住む義兄から電話があった。

義兄が入院しなくてはならなくなったこと、義兄嫁に認知症状が見られることなどの報告。

義兄は85歳、義兄嫁は74〜75歳。
40代の息子が二人いて、ともに既に家庭を持って別々の場所に暮らしている。

30数年前に夫が亡くなって以来、
私は、郷里の義きょうだいとは疎遠だし、義長兄である横浜ともさほどの親密な往来は無い。
しかし、究極の事態と察知して、
義兄が入院中の義兄嫁に関する生活上の安全を考えると公的な支援機関に連絡した方が良いと判断し、
義兄の居住地の役所に電話して相談すべき機関の連絡先を調べ、義兄に伝えておいた。


これほど「高齢社会」だと言われてさまざまな情報が出回っているのに、
各々の心の準備や具体的な身辺整理に着手している高齢者は少ないように思われる。

(自分はまだまだ大丈夫)だと思っているのだろう。
しかし、その日は突然にやって来る。

「メメント モリ(死を考える)」、まさにそうなのである。

必ずその日は来ることを普段から常に頭の片隅に置き、
死に直面した時に思い遺しの無いような生き方を選択することが重要なのだ。


身内に高齢の親族がいると、いつどんな連絡がもたらされるかは予測がつかない。
つい最近、まるで(虫の知らせ)であったかのように、横浜の義兄宅の異変の際に自分はどうするかが脳裏をよぎったばかりだった。

今回の知らせを受けて、今後、私はできる範囲・求められる範囲で助力して行くつもり。

改めて、我が家の二人の息子にも、この母(私)に異変が生じた際にすべき事と受け止め方について自分の想いを伝えておいた。

2016年11月6日()仏滅       晴れ



昨日、今日と爽やかな晴天が続いた。

このところ在宅で一日を終えることが多くなり、体重と体脂肪の増加が顕著。
こまごま家事をしても、大した運動量にはならないらしい。
老化も進みつつあるようで、少しばかり歩いたところで若いころのように筋肉の復活は難しいようだ。
それもまた自然の成り行き。


テレビを見てもラジオを聴いても新聞・雑誌を読んでも、妙な日本語の使い方が気になるようになって久しい。
だが、もうそれらをいちいち論じる気にもならなくなった。
余りにも多すぎるからだ。

先日、ラジオで、ある講座を聴講していたら、
「開(あ)かずの扉」を「開(ひら)かずの扉」と読んでいた女性講師がいた。
大学の教授か講師だったと思う。

それで良いのだろうか?


今、世界中で価値観の大激動が始まっている。

アメリカでは、信じられないほどの低レベルな大統領選挙が進行しているし、
フィリピンのドゥテルテ大統領とやらも、暴言の吐き放題で人気を博しているし、
韓国の朴大統領は、怪しい宗教関係者の言いなりに国政を動かしていたのではないかとの疑惑で国民の大抗議を浴びている。
イギリスでは、EU離脱という国民投票の結果の後始末に苦慮しているらしい。


知識の習得や困難な思考の大部分をコンピューターに頼ることによって、
人間は次第に愚かになりつつあるのではないだろうか?

だが、たとえそうであろうとも、我々はその激しい流れに抗うことはできない。

毎日、ニュースを見ながら、ただただポカーンとするしかない。

最近は、科学の話題に触れることが一番ホッとする時間となっている。