2016年6月26日()友引     晴れ



しばらく曇天が続き、小雨が降りはしたものの、まとまった雨が降らない関東地方。
渇水の予報が連日テレビニュースで報じられる。

一方、西日本は豪雨で、各地の被害が伝えられている。

耳になじみのある郷里の地名が河川氾濫とのニュースを聞けば、
その近くに住む、家の裏が崖になっている姉の身の上が案じられ、電話で注意を促したりしている。

★★★

昨日は、この地に住み始めて直後からの知り合いから呼び出し電話があり、
夕方、自宅近くの路上でしばし立ち話。
家を訪問しないのは互いの家族への遠慮からで、
そうした気遣いに、近頃とみに少なくなった日本人の細やかな優しさを感じて嬉しい。

今風に言えば「ママ友」の彼女には、これまでずい分お世話になった。

アタフタと時を過ごしてきた私が彼女の役に立てたことはない。
にも拘わらず、30年の時を経て、過ぎた空白を感じさせない会話ができることに縁の不思議を思う。

★★★

米国ではトランプという暴言を多発する異色の大統領候補が勢いを得ていたり、
英国は国民投票の結果EU離脱が決まるなど、
過去には考えられなかった動きが次々に表面化してきて、世界はますます混沌としてきた。


改めて、過去でも未来でもなく、いま現在を大切に生きなければと心に言い聞かせる。
明日は予測の外。

2016年6月18日()赤口     晴れ



暑い!!

梅雨なのに少雨の日が続き、「関東地方に深刻な水不足のニュース」が気になる。

5月末から6月中旬まで、
体と精神の不調で、生きていることを投げ出したくなるような辛い日々を送った。
やはり「気象病」由来の不調だろうと、自分なりの予測はできても、
実生活の行動の立ち上がりは自らの気持ちに大きく左右されるものである以上、そこが駄目なら鬱々としながら過ごすしかない。
人間は、どうあがいても自然の作用からの影響を完全に脱することはできないのだ。

そんな時、自分も自然界の一生命体に過ぎないことを思い知る。


というわけで、6月も半ばを過ぎたが、ここに2016年の6月の記載を少し残しておかねばと思う。

とにかくここ二・三週間は、舛添東京都知事に関連する報道への世間の注目が集まった日々であった。

6月21日付で辞任ということになり、報道の過熱もひとまず落ち着きを得たように見えるが、
次なる参議院選と都知事選への観測報道が始まっている。

このところ「出たい人より出したい人を」という言葉がチラホラ聞こえてくるが、
参議院選にしても、都知事選にしても、聞こえてくるのは耳になじみの名前ばかり。
そういう人物の多くは、私としてはとても「出したい人」とは言い難いのだけれど、
報道の質問に答えて「出したい人」というフレーズを使う人にとっての「出したい人」になるのだろうと思っている。

選挙のたびに思うのだけれど、
毎回看板に貼り出される候補者の顔ぶれは同じで、ほぼ選択の幅は無いということ。
それでも、投票の権利・義務を実行する為には、投票用紙に何らかの記入をせねばならず、
いつも無難に毎回同じような記入を繰り返すことになっている。
たとえ彼らに幻滅を抱いているとしても、だ。


**その国の政治レベルは国民の現状の反映である**
と言った学者がいるが、否定できない言葉だと思う。


今回、世論やメディアの集中攻撃を受けて辞任に追い込まれた舛添要一さんを見ていると、
子供の頃に学校で見ていた「常に成績上位を維持しようとする優等生」を思い出す。

常に危険水域からは距離を保ち、ライバルの成績や学習状況を気にはするが、
全体のまとまりや他者の悲哀には情を示さなかった彼ら。
親や教師や地域の人々から一目置かれてチヤホヤされることが常態化して、
いつしか本人もその勘違いを定着させて行くというその過程。

いつしか私は、学校の成績が上位であったというレッテルに接すると、その人物に対しては警戒心を抱くようになっている。



はあ・・・ッ、何とかならないものか、あまりにも軽くて浅薄なこの時代の空気は。