2016年5月19日(木)仏滅 晴れ
先週、職場の若い者が無断で私の仕事道具を持ち出して使っていたので声を厳しくして叱った。
どんな職場でも、共同使用する物と個人使用の物はあるだろう。
誰でも使って構わない備品の場合は次に使う人の為の配慮(元の場所に戻す、綺麗にして戻すetc.)が必要となるし、
特定の個人が専用で使用している道具に関しては無断使用は原則不可である。
そんなことは職業人として、いや、人間としての常識だと思っていた。
ところが、いつの頃からかそんなことが共通認識ではなくなっていることに気付き、愕然とすることが増えた。
職場の物置や室内が取り散らかっている時、足の踏み場に困らないよう、たまに整理整頓をしておくのだが、
しばらくすると私が片づけて作った空間に物が無造作に投げ込まれている。
使った備品を元の場所に戻さずに、手近な所に放り込んでしまうらしい。
「場所や物を綺麗にしておけば誰も汚さないでしょう」という性善説は通用しない時代。
自分が使いたい物が目の前にあれば「ラッキー!」で使ってしまうし、
遠くまで運んで片づけるのが面倒なら、近くのスペースに押し込んで片づけたことにしてしまう。
一言借用の断りを言うとか、自分以外の人の為にひと手間を惜しまないとか、
社会生活を営む上での必要最低限の配慮もできない人間が増えたような気がする。
言い換えれば、みんな子供感覚で勝手気ままに振る舞うようになった。
【大人】とはどういう資質を備えた人間かということに関して、
他者のことに想いを致し、他者の為に行動したりできるようになって初めて一人前の大人と呼べるのではないかと私は思う。
そういう意味で言えば、最近は、成人を迎えようが30代40代50代60代と年齢を重ねようが、
【子供】意識から抜け出ていない人間が増えている。
【子供】とは、誰かの助けを借りることが当たり前であり、
誰の為に何もしなくても何かを与えられて当然とする感覚でいる人間である。
やれ結婚しない者が増えただの少子化だのと言われるけれど、
幾つになっても【子供】感覚の【坊ちゃんじいちゃん・嬢ちゃんばあちゃん】では、
我が身をある程度犠牲にせざるを得ない結婚や出産・育児は無理な話だろう。
2016年5月1日(日)先負 晴れ
いよいよ5月。
街は大型連休の人混み。
それでも、観光地に出かけている人たちが街にいないことを考えると、まだ少ない人出と言えるだろう。
日本全体で人口の偏りが顕著になっていると聞くが、
人口の多い地域に住むことが幸せと言えるかどうか、わからない。
運命の導くままにこの地に定住した私には、他に選択肢はなかったと言える。
今日も穏やかに一日が終わった。
これを幸せと言わずして何を幸せと言うべきか。