2016年3月24日(木)大安     雨 のち 曇り



3月も末になっての寒の戻りはつらい。
桜もボチボチ開花を始めたというのに、窓に結露のこの寒さ。
気分も低空飛行してしまう。


A女の異動が決まり、どうやら管理職トップも異動する模様。
4月からの新メンバー次第の職場の空気は、まだ予測がつかない。
いずれにせよ、職場のあれこれにはある程度の距離を置いている私には関心が薄い出来事。


ま、明日天気になあーれ、といったところ。

2016年3月19日()赤口     雨



昨日、年度最終にして年間最重要行事が終わった。

ボチボチ人事の情報が漏れ伝わってくる時期になった。
来週には、ほぼ異動メンバー全ての名前が明らかになるだろう。

A女の異動は確実らしい。
そのせいか、彼女は以前にも増して何も仕事をしなくなった。
今回の重要行事に関しても、慌ただしく準備をする周囲に背を向けて、
専有部屋に一人、机に座って過ごしている。
以前なら、とりあえず遅ればせでもその場に姿を見せて「私、協力してますよ」アピールはしていたのに、
このところは、それさえもしない。

異動すると決まっても、尚、「イタチの最後っ屁」よろしく、さまざま悪意の吹聴をしているようだ。

まあいいさ、早く出て行ってくれ!



毎年、年度末に行われるこの重要行事では、現在籍従業員の名簿が作成される。
外部にも配布する物であり、過去に勤務したどこの職場でも、細心の注意を払って校正を行ってきた。
単純な語彙や個人名称の間違いはもちろんだが、一番気を遣わねばならないのが人名漏れである。

ところが今年の名簿には、昨年4月から復帰した女性の名前が無かった。
彼女は一年間同じ場所で働いていたにもかかわらず、誰もそのことを指摘せず、最終的にそれで完成として配布された。

私は、定年後の自分の立場を考えて、職場の書類とか企画などにあまり深入りしないことを決めているので、
昔なら目通しを頼まれたりした、そういう書類の作成にも無関心を決めている。


今回の書類の目通しは、勤務一年目のパート従業員が行っているのをチラッと目にしてはいた。
(今となっては、今回は、原稿段階でチラとでも見れば良かったと後悔している)

彼女に、その書類の重要チェック項目の選択ができるわけがなかったのだ。
それを知ってか知らずか、彼女に任せたのはNo.2かNo.3。
原稿のパソコン打ち込みはNo.3なので、名前の記載欠如は彼の責任である。

No.3は、病休復帰の女性の仕事の半分を埋めるために兼任という形で、昨年嫌々ながら現職場に異動してきた。

それから一年間、本人にだけ分かるような嫌がらせを受けてきたと、昨日初めて聞いた。
病休復帰の彼女が、名簿に自分の名前が無いことを私に見せてくれた時のこと。


No.3は、プライドが高くて意地悪な男。
私も、何度も馬鹿にされたり意地悪をされて、なるべく当たり障りのない付き合いを心がけている。
男でも、こんなあからさまな意地悪・嫌がらせをするんだぁ・・・と呆れるほどの言動。
それを、頭のてっぺんから出しているのかと言いたくなるような、おためごかし見え見えの柔らか風口調でやらかす。
(まったく、厭な奴)


トップが駄目だと分かっているから、
不自由な片足を引きずりながら、黙って耐える女性を案じながらも、私の力ではどうしようもできないことが心から悔しい。

人道という面から言えば、私にも発言できると思うが、端っから職業差別されている私の言葉など、誰も耳を傾けてはくれない。



これは、私の職場個別の問題のようであって、実は、現在の日本全体を覆う現象でもある。

「衣食足りて礼節を知る」と古人が言っている。
その言を借りれば、
現在の日本に礼節が欠けているのは、社会経済状況の悪化が影響していると言えなくもない。
それでも、
この不況下にあって、恵まれた職と報酬を手に入れている人間にしてこの人格劣化だ。
人間はおそらく「足るを知る」という選択をしたくない欲の深い生き物なのだろう。

日本人は変わった。
確実に悪い方向に変わった。

2016年3月12日()大安     曇り  ときどき  晴れ    寒い



昨日から、真冬でもこれほどは・・・と思うほど寒い。
同じ寒さでも、春先の寒さは、一段とこらえ難い。
もう冬ではないという思いが、ぶり返す寒さを一層耐え難いものに感じさせる。

低気圧や薄暗い曇天のせいか気持ちが沈みがち。
特定できる原因は無い。
大げさに言えば「生きている重苦しさ」。
ゴールは見えている、これからは何をするにも制約が多くなる。

あまりにも多々あり過ぎた過去ゆえ、細かい記憶は頭に残っていない。
過去の記憶が消えてしまっている分、先のことだけ考えればいいやと、お気楽を決め込むことができる。
過ぎてしまった昔を懐かしもうと、悔やもうと、全ては終わってしまったこと。
私以外の人間にとってみれば、私の過去など何の価値も無い。
そんなものに執着する必要がどこにあろうか。

幸せだったのか、はたまた、そうでなかったのかなんて関係ない。

兎にも角にも、その時々を、如何に生きるかに懸命だったことは確かなこと。

それで良いじゃないかと自分に言い聞かせる。

宮沢賢治の詩「永訣の朝」で、
賢治の妹・とし子は「こんど生まれる時には、こんなに自分の事だけで苦しまないように生まれてくる」と言っている。

私の場合は、とし子と違って、丈夫な体に恵まれて、周囲の人間の為に奔走し身を削ることばかりが重なった。
一時は、そんな運命を恨めしく思うこともあったが、
今になってみると、人は、誰かの為に動けることこそ幸せであり、生きている実感を得られるものだと確信できる。

私の人生、まあまあじゃないかと、自己評価しているこのごろ。

2016年3月5日()先負    雲の多い晴れ           啓蟄



もう3月か・・・年を追うごとに、時間を意識することが増えた。
生きて、健康に暮らせる残り時間はどれくらいだろう、と。

★★★

このところずっと続く職場の話題。

やはり、管理職に能力と人格が備わっているか否かが、職場の空気に大きく影響することを痛感する。
最近は、苦労人の管理職が少なくて、媚びへつらいは喜んで受容するが、
そうした対応をしない者に関してあからさまに冷淡な処遇をする傾向が増えた。

自らが生活体験を積み重ねることによって得られる、感情の動物としての人間感覚が乏しい人が増えた。
コンピューターの普及が、その傾向を加速させている。

パソコンを開いてさえいれば仕事をしているポーズがとれる。
人間相手の仕事の場合、パソコンの中には解は見つからないことが多い。
生身の人間同士が、感情をぶつけ合い、傷つき悩むことでしか得られない解答がなおざりにされている。


先週、ある事件が起きた。

脳腫瘍の手術で病休をとり昨年4月に復帰した同僚がいる。
残念ながら片足に麻痺が残り、思うように体が動かせない。
今年度一年間、本格的な職務から外れ、他の職員の補助的な役割を果たしてきた。

真面目な人物で、自分の不自由さが周囲に負担になっているのではないかと、常に遠慮気味に働いていた。

昨年末、人事異動希望調査が始まると、彼女は体力を必要としない職場への異動を出した。

管理職が適切な状況判断ができて実行力のある人であれば、年末から年明けにかけてさまざまな異動の交渉をしてくれる。
が、管理職がダメだと、職員の異動は希望のかけらも実現されない。

この体の不自由な職員の出した希望は、どこにも交渉されることなく人事異動の配置は、ほぼ終了した。
結果を説明されないことに日々不安を募らせた彼女は、とうとう職場に出て来ることができない精神状態に追い込まれ2日欠勤した。
3日目に出勤して来た彼女は、管理職に自ら人事異動の結果を確かめるべく、一人で管理職の部屋に入って行った。

しばらくして、部屋の外に漏れるほどの泣き声と抗議の声が聞こえてきた。
私はその時、たまたま近くで仕事をしており、事情を理解できたので、
定年退職後に臨時で働いている年配の女性にサポートしてもらうべく呼びに行き、同席してもらうことにした。

年配の女性が同席してからは、話は冷静に進んだ。

その結果分かったことは、管理職は、体の不自由を抱える彼女の為に、配慮も奔走もしなかったということ。

結局、彼女は現在の職場に留まる気持ちを固めたようだが、管理職への不信感は以前にも増して残ったようだ。

30数年も働いていると、職場を共有する畑違いの職種内容にも、ある程度詳しくなる。
私も過去いろいろ見てきたが、今回ほどひどいケースは稀である。


管理職とは如何にあるべきかを理解していない人物が、まんまと管理職の座を手に入れているという現実。
その下で働かざるを得ない者にとっては悲劇であるし、
人材が適切に活かされない結果を招いて、全体として大きな損失を生むことになる。


管理職が、部下一人一人の把握をせず、全体の人事・労働状況を把握しなければ職場の機能は停止してしまう。
一日中、座してパソコンとにらめっこしているようでは務まらない立場なのである。