2015年12月28日(月)仏滅      晴れ



2015年も残り数日になった。

今年は、身辺整理を兼ねて、大掃除ならぬ小掃除程度の片づけをしている。
これまでは毎年、年末掃除の必要性を自覚しながらも、
ついダラダラと年越しをしてきた。

ぼつぼつ真剣に身の回りの片づけをしなくてはならない年齢になっている。
スッキリして、いつか来る「その日」までの人生を、心置きなく楽しんで暮らしたい。

それにしても、
20年くらい前に、ちえちゃんが遊びで占ってくれた
「63歳で大病をする」
という予想が外れて、おめでとうな年末である。

遊びの占いとは言え、長い間、私の心に引っ掛かっていたもんなぁ・・・
まだまだ油断はできないけれど、とりあえずホッとひと安心。

静かに静かに暮れて行く2015年。

2015年12月11日(金)大安      雨  のち  晴れ&強風   日中の気温高め(ほぼ二ヶ月前程度)



朝は、強い風に雨粒が飛ばされ、気温は低めでスタートしたけれど、
正午前からは、陽射しが射すようになって、気温はグングン上昇。
天気予報通りに、この季節らしからぬ暖かさ。

例年通りにお歳暮が何件か届いている。

今日は、こちらからのお歳暮を発送する為に成田まで行くつもりでいる。

贈答の習慣は厄介だ。
一旦始めると止めるタイミングが難しい。

むかし、「♪送って行って 送られて そのまた帰りを送って行って ♪」という歌があった。
離れがたい恋人どうしの楽しい行動が表現されているのだが、
歳暮・中元・年賀状に関しても、反対の意味で同じような表現ができる。

どちらかが止めたいと表明しても、スンナリ受け入れられるとは限らない。
まして、事のけじめをハッキリさせない文化風習の日本においては、
「止めましょう」「はい、わかりました」は、なかなか通らない。

時季が来ると、毎年、私を悩ませる問題だ。

2015年12月4日(金)友引        晴れ



午後、外出しての帰り道、下校する小学生と多くすれ違う時間になった。

駅の連絡通路ですれ違った小学3−4年生くらいの男の子数人は、
ギャーギャーと騒ぎながら通り過ぎて行った。

最近の子どもは、とにかくうるさい。
意味もなくうるさい叫び声をあげる。

近年、メディアやネットで「子供の声は騒音ですか?」という論議があるようだが、
私は言いたい「はい、騒音としか言えないような叫び声が多くなりました」と。

ひとつには、親や祖父母、友達や教師、または近所の人々など、
子供を取りまく人たちとのまともな会話が交わされていないことが原因に挙げられるような気がする。

内容のあるコミュニケーションの取り方を身につけていれば、
あのような意味のない叫び声をところ構わず発することはないだろう。


駅を離れて自宅近くまで来たとき、
前方から5−6人の小学校低学年らしい女児たちが歩いてきた。

私とすれ違う直前に、3−4人の女児が「せーの!」の掛け声で意味不明の言葉を叫んだ。

そこは静かな宅地横の道路。

そのままやり過ごせなくて、注意してしまった。
「あのね、急にそんな大声を出したりしないで歩きなさいね」と。

彼女たちは、素直に理解した風ではなく、
「変なおばさん(おばあさんか・・・)」という顔つきで去って行った。

何かが壊れ始めているとしか思えない事象が増えた。
もう壊れているのかもしれない。

2015年12月3日(木)先勝    雨  のち  曇り  一時 晴れ



最近はこんな感想ばかりだけれど、
もう12月なんて、早いなあ・・・
ということ。

曇りや雨の日が多くて、そんな日は一日、気分も沈み込む。

職場の人間関係、気にしないと決めたのだけれど、
相手はそうはいかないようで、
何かとこちらの動向が監視されているような厭な空気を感じる。

彼女は病的な人格の問題を抱えているように思う。
一旦そんな人間の標的になると、逃げられない。

この職についてから30余年、
色々な人から根拠のない嫌がらせにずっと悩まされ続けてきた。

職種差別。
私という人間がどうこう言う前に、職種への差別感がある。
その差別感に沿うようなへまな人間を期待されていると感じる。

でも、私は私。
仕事は仕事。
給与に見合う仕事をするのみ。
仕事を離れてまで、いじわるな同僚の期待通りのへまな人間である必要はない。

そう頭ではわかっている。
わかっているが、休みの日まで引きずってしまう暗い感情。

与えられた仕事に邁進しない人間ほど他人の悪口や批判を繰り返すようだ。
それだけ暇をかこっているということ。

まったく・・・
日本がまともに回って行かなくなったのも、こんな人間が増加し過ぎた結果だと思ってしまう。