2015年10月24日(土) 友引 晴れ
インターネット上に文章を載せるようになって早や14年。
その時々に感じるままに文章を綴ってきた。
人間の感情は社会・環境・年齢による変化に呼応して移ろうのは避けられず、
自分の文章も全て的を射たことを書いてきたとは言い難い。
時には「思い込み」であったり、
時には「誤解による見解」であったりしただろう。
が、
そうした誤謬も含めて、
一人の人間の足跡とするしかない。
気が付けば10月も末。
日本のみならず、
世界の事象を伝える報道に目を向けても、
荒廃の一途を辿っているかに見える昨今。
一番の荒廃は人心だろう。
自然の猛威は、一生物としてのか弱き存在の人間には抗いがたい。
人間の価値観をもって、どのように嘆き憤ろうと、
自然の為すことに容赦はない。
それは、受け入れるしかない。
ただ、そこに救いは無いのかと言えば、救いはある。
それこそが、人の持つ感情を正の方向に働かせることである。
人は幸せでありたいと想いつつ生きている。
自覚しようとしまいと、それは基本である。
幸せの基準は人それぞれに違うが、
一言で言ってしまうなら、
「自分は、いまここで生きていることを自己否定しないでいることができる」
と思えることだろう。
ところが、
多くの場合、その最低の感情さえ掻き乱すのは、同種族の人間である。
また反対に、
存在を自己否定している人間を救うのも人間である。
驕るな人間。
たった一撃の自然の鉄槌で滅びる可能性を潜在させている偶然の生き物として、
もっと謙虚に存在しよう。
悲しみも哀しみも、互いにいたわり慰め合い、
他者の喜びを我が喜びとして共存し合えば、
もっと違う視界が広がるのではないだろうか。
などなど、
ついこんなことを呟きたくなるこのごろ。