2014/4/27        ()       晴れ



今朝は、久しぶりにEテレで短歌の番組を視た。
この番組を視始めたのは、もうずい分以前からのこと。
最近はあまり視ることもなくなっていた。

何故かと言うと、
若い人対象の短歌教室に内容が変更されて、急に興味が半減したから。

その後に俳句の番組が続くのだが、こちらも同様。

両番組の間に(テレビ体操)が放送される。

「どうでもいいんだけれど・・・」と思いながら、
インストラクターの号令が始まると動かずにはいられないというこの体質。
特にラジオ体操第一の曲が始まると、じっとしていられない。
子供のころ身についた習慣、恐るべし!
内心で苦笑いしながら、しっかり朝の体操をさせられてしまった。

そのまた後番組が園芸や畑作りと続くのだが、こちらも若い人向けの内容になっている。

ま、仕方ないよね、世代交代は世の常だもの。

つい最近、あるテレビ番組で、
「高齢者向けの放送限定のチャンネルがあっても良いんじゃないですか」
と発言した若い人がいた。

けだし至言。
本当にそうだと思った。

2014/4/25       (金)       晴れ



自分が認知症になるのではないかという懼(おそ)れが日に日に強まる。
自分のことを自分で認識できなくなることが、とても怖い。

母は、晩年には私のことが誰なのか分からなかった。
長姉は、早くからアルツハイマーを患った。
兄は、脳梗塞の後遺症から認知機能が衰えていった。

母や長姉や兄が病を得てコミュニケーションができなくなる前は、
私が日常に追われて交流が途絶えていた。

今頃になって、もっと会話しておけば良かったと思うこともある。
が、それも、時すでに遅く、この世の生を全うした人々は、私の記憶の中に辛うじて存在するのみ。

待てよ。。。
記憶の中に存在する。。。

そうか、話しかけられないと思い込んで寂しがることはないのだ。
私の記憶の中で生き続ける人々と、日々豊かに語り合えば良いではないか。
老いて新しい記憶が積み重ならなくなっても、嘆くことはないかもしれない。

いろいろさまざま取り越し苦労をしてみるが、
最後に行きつく答えはいつも、
「なるようになる、なるようにしかならない」

2014/4/24      (木)       晴れ



晴れた。
ようやく初夏の陽射し。

都心は、バラク・オバマ米大統領滞在中でピリピリしているだろう。
都心に用事の無い人間には、関係ないこと。

「木の芽時」と言って、この時季に精神的不調が出やすいと昔から言われている。
年度が改まり、何が何だか掴めぬままに忙(せわ)しく動いて、少しホッと息つく頃。
いつの間にか蓄積していた心身の疲れに、自らがハタと気づくのかもしれない。

「ああ、私は疲れていたんだ・・・」と。

そこに急激な天候の変化が加わる。

生身をなだめながら生きている動物は、
天候の激変に対して、そうは容易(たやす)く順応できるはずがない。
慣れるまでは低調で推移する期間が必要だ。
まして、繊細な精神活動を強いられる人間という生きものには、さまざまな変調が発生する。

とかなんとか屁理屈言いながら、終日ダラダラとしている。
やはり疲れていたんだな・・・わたし。

2014/4/22     (火)       晴れ  のち  曇り  のち  雨



やれやれ、今日も一日終わった。

日々、いろいろ考えさせられることは多いが、昔ほどムキになることはなくなった。
「あれはこうすればこうなる」「これはああすれば、あの辺りに落ち着く」などと、
行き着く先が想定の範囲内ということが多くなったせいか。

行き着く先は想定できるのだが、必ずしもそこに行き着かないのが現実。
関わる人間が昔とは違う社会常識で生きているからだろう。

そんな人間関係の中を犬かきで泳ぎ渡りながら、
それでも、
「ああすればこうなるんだよ」
と思っているところが、私も立派な老境ということ。

まあまあ、あまり渦中に巻き込まれないように、
できる限り、
波穏やかなところでプカプカと浮かんでいたいというのが、
最近の私の本音。

人間って、
可笑しくて、不思議で、厄介な生きものだ。

2014/4/21      (月)     雨  ときどき  曇り



有り難いことに、私はめったに体調崩してダウンすることがない。
たまーに「風邪かな?」という症状が出ても、休日に発症して出勤日には回復している。

先週もそうだった。

金曜日から鼻水が止まらず、ティッシュペーパーで拭いても拭いても。。。追いつかない。
他に症状は無いのだが、唯一、鼻水だけ。
アレルギーか?と思ったが、どうやら風邪だったようだ。
この症状は日曜日まで続いた。
そして今日、何の支障もなく出勤して仕事を終えた。

丈夫な体に恵まれたことには大いに感謝したい。
これからもこのコンディションを保っていけるように、せいぜい気を付けよう。

2014/4/19     ()     晴れ



そろそろテレビ番組では、近づく大型連休のお出かけ情報が紹介され始めている。

人出が集中する時期には出かけないことにしている。
これは最近始まったことではなく、小さいころからの私の性格傾向。
とにかく、群れの中に混じって同じような行動をすることに抵抗を感じる傾向がある。

それでも、学校の運動会におけるマスゲームなどのように、
その必要性を納得すれば参加することを拒むわけではない。

自分の自由意思や意見が反映できる事案において、
無思考に集団に組することができないだけ。

そんな生き方を、ずっと生きてきたんだなあ。。。と振り返ることもある。

2014/4/13    ()     晴れ



退職後の仕事だから「余裕のよっちゃん」と思っていたが、現実は違った。
近年メディアで報道されることの多い非正規雇用者の処遇を身をもって知る現在。

非正規雇用者の嘆きは
「同じ仕事をしているのに待遇が違うのはなぜ?」
「同じ職場で働いているのに仲間扱いされないのはなぜ?」
そういった声が多く、人間としての尊厳を傷つけられているらしい。

そしてまさに、今、私もそうした職場の空気の中で働いている。

私の場合は、再雇用ということもあり、長年同じ仕事をこなしてきたのだからというプライドが支えだった。
しかし、我が子以下の年齢の同僚が多くなった職場で、
そんなプライドなど何の評価も受けないことを思い知らされている。

年若い正規雇用者は、時短勤務の我々の仕事ぶりなど眼中にない。

どんなに無理を押してまで働こうと、評価されることはない。
それどころか、やればやるほど任される仕事は増えていく。

「余裕のよっちゃん」は、こんな時代に運よく正規雇用の座につけた者のための言葉だった。
たとえ成果を挙げられなくても、目立つ失敗さえしなければクビになる心配のない人たち。

私から言わせれば「心無い」という言葉が彼らにピッタリ当てはまる。

2014/4/12   ()    晴れ



生きていれば色々ある。
齢をとったからといって、常に心穏やかに暮らせるわけではない。

先週は、職場で怒りを表に出した。
今年に入って二度目。
対象は若い女性同僚たち。
彼女たちの目に余る失礼な振る舞いと
社会的無知から来る横車押しの攻撃に耐えかねた挙句の怒り。

彼女らの言い分に対する私の反撃ことばにキレがないのは、私の甘さ。
まあ、究極まで追い詰める攻撃はできない性分なので、
あれでこちらの理が通じないのなら仕方なし。

数人の娘たちが、事後に「ごめんなさい」と言ってきた。
言いたいことを言った後は忘れる性質なので、
後々まで恨み辛みを持ち越すことはない。
仕事上のことであればなおのことだ。
要は、こちらの話を理解しようとする姿勢を求めただけだから。

このごろの若い女たちのやたらな強気はどこから来るものなのだろう?
付き合いきれないよ、まったく。
強気を磨く前に、礼儀の弁えをお勉強しなさいね!

2014/4/8   (火)    晴れ



今日も目いっぱい働いた。
現役世代に負けないくらい動いている。
それに見合う報酬は望めないが、働く場所があるだけでも幸せと思わなければならない。
また、若い者に負けないくらい動ける体力を維持できていることを喜ぶべきか。

他人のせいにはできない自分自身の人生を背負って、
明日もがんばろう。

2014/4/6   ()   晴れ  のち  曇り



いつまでも暖かくならない今年の春。
気持ちまで沈み込んでしまいそう。

来週から相棒の男性の勤務が始まる。
でも、先日の顔合わせの印象では、あまり多くは期待できそうにない。
ひょっとしたら、途中で辞めてしまうかもしれない。
それはまあ、私の関知するところではない。

世界も日本も地域も、進むべき方向を模索して停滞状態。
そんな時、一個人としてどう暮らすのが良いか?
慎ましく、ヒッソリと息をひそめて、日々の暮らしを淡々とやり過ごすしか方策は見つからない。

こんな時代が来るとは、予想だにしなかったというのが本音。

2014/4/3  (木)   曇り  ときどき  雨



新年度が始まった。

新任トップが就任して今日で3日目。
彼とは、昔の職場で一緒した時期があり、意志疎通は良好にスタート。
私はいつも、人事異動の時期に新しくメンバーになる人たちの気持ちを和らげる気遣いを心がける。
それは、自分自身が、どこに転任しても冷ややかに扱われた嫌な経験が多かったから。
私だけでなく、新しい環境に入るということは、誰でも不安を伴うと思うから。

月を跨いだだけでも、この時期の職場には微妙な空気の変化が生じる。
今後の時間経過で、それがどのように定着するかは不明。

昨日、私の仕事の新しい相方と初対面。

私の仕事は(誰もが憧れて目指したくなるような)仕事ではない。
しかし、長く勤めてみると、その奥の深さ幅の広さが分かって面白くなってくる。
特に、年を取れば取るほど、その重要性や楽しさがわかってくる。

これまで一人で担当してきた仕事を、全くの初心者と二人で、しかも別々の日にやることの難しさ。
この仕事を、端から軽視してやって来る異業種定年退職男性との協働に苦労している。

なんで男は、女から教えてもらうことに反感抱くのだろう?
私が30年かけて、苦労に苦労を重ねて会得した仕事の奥義を教えてもらえることに感謝の姿勢こそあれ、
上から目線の「聞いてやる」的な態度をするようでは、この仕事は務まりませんよ。
一旦終了した社会的立場からの意識の切り替えができないんだな、きっと。

相手が男だからという理由だけで、
顔色窺いながら、機嫌をとりながら協働するなんて、御免蒙ります!

どうしてこんなに狭量な男が世間には多いのだろう。
人の話(特に同年輩の女性の話)に素直に耳を傾けられない年寄り男性って厄介だ。