2006/10/28 ()   晴れ

「物言わぬは・・・」

このホームページの名前を「露草つれづれ」にしたのは、もちろん、あの吉田兼好の「徒然草」にあやかってのことです。

開設の動機は、当時参加していた中高年対象のサイトで繰り広げられるやり取りに疑問を抱きはしたものの、他人の管理するサイトでは、なかなか思うように発言できないし誤解も多いことに嫌気がさしていたことにあります。

自分のホームページを持とうなどと、自らは決して発想しないであろう私が、こうしてホームページを持ち、放っておけば私個人の考えで消滅してしまうはずの“よしなしごと”を書き連ねることができているのは、我が子の援助なくしては不可能であることは確かです。まさに「負うた子に教えられ」であり「負うた子に助けられ」ていると言えましょう。

さて、兼好法師は「思(おぼ)しきこと言はぬは腹膨るるわざ」として「日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを」書いたわけですが、日暮らし硯に向かって居ることのできた法師の暮らしを羨ましく思いつつ、私の現実は法師のようなわけには参りません。一日のほとんどは宮仕えの労働で費やされております。そこでは、なかなか自由な発言もままならず、さりとて黙っていられる性分でもなく、しばしば「物言い過ぎて」後悔しきりの日々を性懲りもなく繰り返している馬鹿者が私です。

多くの人がそうであったように、私も年齢が進むにつれて、上司と呼ぶ人が年下という現実に直面しています。そうなると、上司の姿勢に対して一言も二言も言いたいことが生じてきます。一個の人間としてはこちら側に「一日の長」があるとしても、役職権限としては向こう側優位は自明の理です。そこがなかなか難しいところだと、最近つくづく感じています。

「物言わぬは腹ふくるる」ので、つい発言してしまう自分の性分や言ってしまったことで当座の居心地が悪くなることは自分で引き受けることにしているのですが、辛くないと言えば嘘になります。自分の意見を言うのは自由であり、何も恥じたり後悔したりすることはないと胸を張って達観するほど私は人間ができてはいません。悩ましい勤め人稼業ではあります。

それもあと数年。やがて来る“真の自由人”生活を楽しみにしつつ、不器用に生きているこの頃です。

2006/10/24 (火)  雨  強風

「サンデープロジェクト・フォーラム」



東京・有楽町マリオンにて開催されたサンデープロジェクト・フォーラム「ニッポンの活路 新リーダーの挑戦」〜この国の決断に迫る〜を聴講してきました。

パネラーは池田守男さん(資生堂相談役)、中西輝政さん(京都大学教授)、手嶋龍一さん(外交ジャーナリスト)、星 浩さん(朝日新聞政治担当編集委員)。司会はおなじみ田原総一朗さんです。

毎週日曜日の午前10時からテレビ朝日で放映されるサンデープロジェクトでは聞けない、突っ込んだ話題も聞くことができました。

安倍晋三さんの首相就任は5年早過ぎたのでは・・・という中西輝政さんの意見がありました。私も9月時点のこの日記に、首相選の流れに対する危惧を「奔流」になぞらえて書いたのですが、識者の中にもそのような考えを抱かれている方がいらっしゃるようです。今日のフォーラムで印象に残った発言でした。

全体的には、現在進行形のアジア情勢と国政の話が多かったのですが、教育問題に関して、あれほど歴代の首相が手がけながら教育の改革が達成されないのはなぜかという問題に、司会の田原さんが「審議会や評論家、教育問題に関して発言する識者は皆、それ相当の学校を順調に進んで来た人たちだから、現在の教育が抱える問題が見えにくいのかもしれないなあ」という意味の発言をされたのは「さすが!」だと感心しました。

何が「さすが!」なのかというと、現在、名声を得て各界で活躍している人は、ある意味、成功者であり陽のあたる場所を歩いてきた人が多いと考えられる。そんな人たちに、学校の抱える陰の問題や勉強がわからないという困難を実感することは難しいのではないかと、実は私もずっと思ってきたからです。「己を知る」ということは大変難しいことなのですが、知識・実力ともに社会的認知を得た田原さんの言葉だけに、自らそう言える姿勢に「さすが!」と感じ入った次第です。本当に物事を考えている人は、自らを振り返ることもできるのでしょう。

自宅のテレビで見ているだけではなく、たまにはこうして生の声を聴きに行くのもいいものですね。

2006/10/17 (火)  晴れ

「雑 感」


先日、あるシンポジウムの聴講に東京国際フォーラムに行ってきました。

ちょうど平日の昼時で、フォーラム脇の広場に↑のようなケータリング車が数台並んでいました。そこには、昼食をもとめようとするスーツ姿の若い男女が列をつくっていて、広場のあちこちに腰掛けて食事している人々の姿がありました。

時代の移り変わりを実感した光景です。

その東京国際フォーラムのロビーに懐かしいお姿が・・・
はい、昔の東京都庁前に建っていた「太田道灌」の像です。
あら〜、こんな素敵な建物にお引越しなさっていたのですね、という驚きの再会でした。フォーラムには何度も行っているのですが、今回初めて意識に鮮明に訴えてきました。前々から気にはなっていたのです。都庁が新宿に引っ越してから、あの像はどこに移されたのだろうか、と。これでひとつ安心しました。でも、昔の場所で雨ざらしの中に建っていた頃のほうが風情があったように思います。


このたび聴講したシンポジウムは「ジャーナリズムのあり方」に関してのものでした。

インターネットが普及し、大多数の人々がインターネットから情報をスピーディに取り出せるこの時代、紙を媒体としたジャーナリズムはどうあるべきかをアメリカとフランスのジャーナリストを迎えて討論されました。新聞というメディアの深い苦悩を垣間見る思いでした。

今、世界も国内も、分析や解明が追いつかないほどのスピードで次々に事件や事故が発生しています。それはさながら、21世紀への変わり目に騒がれた(ノストラダムスの大予言)をもう一度思い起こさせるかのような有り様と言えなくもありません。

ノストラダムスは何故、この21世紀の混乱を予測できたのでしょう?彼は、神にも匹敵する偉大な存在だったのでしょうか?いえいえ、それは過大評価でしょう。何の事は無い、人間とは何百年を経ようとも、その意識や考え方の根本は変わらないという証明のような気がします。

かつて「2001年宇宙の旅」という映画がありました。2001年が、はるか先のことのように感じられた時代に作られた映画です。実際にその2001年が訪れてみると、何のことは無い、我々がいま生きているこの状態です。

それと同じように、ノストラダムスも、遥か先を意味して2000年を設定したのかもしれません。あの当時、彼が空想した“邪悪”な存在は、各時代に常に存在していたはずです。時代が積み重なるほどに“邪悪”の度合いは進んでいるようですが・・・

今回のシンポジウムで、ジャーナリズムは“何を”“どう伝えるか”を模索していました。

私は今、生活圏内の限られた情報以外は多くを知らなかった時代に抱いた「未知への憧れ」を懐かしく感じています。

2006/10/9 ()  晴れ      体育の日

「窮鼠猫を噛む」

 追いつめられたネズミは、相手が強いと知りながらもネコに噛み付いて反撃の行動に出る。

 「話せばわかる」という言葉に「問答無用」として国の要人を殺害し、クーデターを謀った話もある。

 力に訴えても世の中を意のままにできない事例は歴史を紐解くまでもない。

 軽挙妄動にはしる者は、所詮、小心者であり、行き着く先は破滅でしかない。

 ネズミとネコに対話は成立しないであろうが、人間には、交渉という事態解決への手段がある。にもかかわらず、手前勝手な愚挙を為す人間は時代ごとに出現して、多数の無辜の人々を巻き添えにして苦しめる。

 歴史は積み重なり文明が発達し人間は進化したというが、その精神までもが進歩するものではないようだ。