2006/6/15 (木)  曇り のち 雨

「エレベーター」

「エレベーターは恐い」と、乗り込むたびにそう思ってきた。太いワイヤーで吊るしてあるのだからと言っても、いつ何時、急降下急上昇するか知れたものではないと、乗っている間じゅう構えている。構えていたって効果は薄いだろうとは予測しながら。

いつからエレベーターを信用しなくなったかと言うと、一度閉じ込められそうになったからだ。もう何年前だろう。自宅マンションのエレベーターに、上階の子ども二人と私の三人で乗り込み上昇した。子どもたちと同じ階で降りる私は開いたドアから子ども二人を先に行かせた。さあ自分も降りましょうとしたところ、いきなりドアが閉まりその階にエレベーターは停止した。先に降りた子どもたちが異常に気付き、彼らの母親が駆けつけてくれた。そうこうするうちにドアが開き、私は事なきを得たのだが、それ以来、私はエレベーターを信用しない。

そうは言っても、下りに階段を駆け下りるのは容易でも、上りとなるとどうしてもエレベーターを頼ってしまう。重い荷物を背負って帰宅する夕方、エレベーターはありがたい。

5階までの建物にはエレベーターの設置義務はないけれど、それ以上の高層の建物にはエレベーターを設置するのだと聞いたことがある。ビルの高層化が進む現代にあって、エレベーター無くしてはビル建設は話にならない。

エレベーターに足を踏み入れるたびに死を意識する私の悲壮な覚悟が笑い種ではないことを実証するような事件が発生し、いま事故原因が調査されていると連日のニュースになっている。

あれ以来、我がマンションのエレベーターで不具合を経験することはない。しかし、今回の事故を知ってますます、なるべくならエレベーターの利用は避けようと思っている。

2006/6/11 ()  雨

「クジャクサボテン」


ベランダのクジャクサボテンに花が咲いた。まめに手をかけているわけでもないのに、毎年、鮮やかな色の華麗な花を咲かせる。その都度、この花がいとおしくなる。そしてまた、一年間忘れる。

人間も、クジャクサボテンのような心持ちで暮らせば(くれない病)にはならないだろうな、きっと。

「私の事を見てくれない」「これだけ尽くしたのに報いてくれない」「ちっとも声をかけてくれない」「本当の私をわかってくれない」「愛してくれない」エトセトラ、エトセトラ

こんなにも豪奢な花が、わずか1−2日で惜しげもなく萎んでしまう。役割を果たして安堵したかのように。

それでいいんだ、そのほうがいいんだ。命は、もともと、自分のために使い切ってこそだもの。

2006/6/9 (金)  雨

「会わずとも」

ワールド・カップにちなむ特別番組をテレビで観ているところに一本の電話がかかってきた。

「露草さんのお宅でしょうか?」

「はい、そうですが・・・」

「突然お電話いたしまして申し訳ありません。実は、私は○○の娘です。この度、母が他界いたしまして、葬儀は本人の遺志により近親の者のみでとり行いました。ただ今、母の住所録を繰りながら、生前、母が懇意にして頂いていた皆さまへご連絡かたがた御礼の電話をかけさせていただいております」

「それは、それはご丁寧に、ご愁傷様でございましたねぇ・・・」


○○さんと知り合ったのは、かれこれ12−3年近く前になる。きっかけは、伴侶に先立たれた者どうしが集う会に会員登録したことだった。○○さんはその会合に何度か出席されたようだけれど、私はなかなか時間がとれなくて、一回きりの会合参加だった。その一回きりの参加の際に渡された名簿がきっかけだったように思うのだけれど、今となってははっきりとした記憶がない。

その後も彼女とは一度も会うことはなかったけれど、電話のやり取りは何度もあった。いずれの時も、どちらかが耐えがたく寂しい時や誰かに報告したいような楽しいことがある時だった。通話時間はいつも一時間近くになった。

いろいろな事をざっくばらんに語り合った。合言葉のように繰り返したのは「幸せに楽しく暮らそうね」だった。時には楽しげに話すこともあったけれど、互いの胸の奥に癒しがたい喪失感が常に潜んでいるのは否めなかった。

最初のうちは「いつか会おうね」とも言っていたのだが、いつの間にか『会う』ことにはそれほどこだわらない関係になっていた。会わないからこそ、赤裸々な胸のうちが打ち明けられることも互いに感じていたように思う。



「ご病気でしたか?」

「あぁ、ご存知ありませんでしたか。母はガンで亡くなりました」

「いつごろからお具合が悪かったのでしょうか?」

「二年くらい前からです」

彼女との電話が途絶えて二年の月日が経っていたのかと、改めて知ることになった。喪って知る取り返しつかない存在、それは何度も味わってきたことではないか!いまさら長年の無沙汰を後悔しても始まらない。

○○さん、今ごろは向こうの世界でご主人さまと再会なさっていますか?
私もいずれそちらに参ります。
その折にはぜひ、明日の仕事やあれこれの雑事を気にかけることなく語り合いましょうね。

一度も対面して会わずとも、親友と呼べる人だった。

心から冥福を祈りたい。

2006/6/3 ()  曇り

「映画 『嫌われ松子の一生』」

観て来ました。

人は、意識するしないにかかわらず、誰からも好かれたいという願望を持っている。仲間から嫌われるということは群れから外されることであり、すなわちそれは自分が生きる場所を失うことになり兼ねないということへの本能的な怖れなのかもしれない。

「仲間外れ」は何も人間に限ったことではなく、動植物全般に同族集団に混じりきれない個体は見られる。テレビの番組などで見る集団から外された動物の話に人間を重ね合わせたりすると、その外され動物が可哀想に思えてきたりする。

往々にして、嫌われる側には自分が何故嫌われるのか理解できていない場合が多い。だから、「こうすれば好かれるだろうか」「ああすれば声をかけてもらえるだろうか」とあがいてみたり、挙句は「どうせ自分は・・・」とやけ気味になってみたり。

と、
「嫌われ松子の一生」というタイトルを見て小難しく考えたのがアホらしくなるくらい、映画はカラフルにはじけていた。団塊世代には懐かしい場面や音楽がたっぷり採用されている。

松子の一生の悲惨さといったら、もう笑うしかないでしょうとでも言いたいかのような映画。

結末部分に関して、その表現はともあれ、松子の人生を肯定するメッセージを受け止められたような気がして、良かった。