2006/1/25 (水)  晴れ

「核家族」

今では殆ど目にすることも耳にすることもなくなった言葉だけれど、「核家族」という言葉がある。戦後の出生ブームで生まれた世代が成人して家庭を持つ頃に言い広められた言葉だと思う。

ホワイトカラーと呼ばれた「より小奇麗な仕事」への志向が強く、若い者がみな都会へ都会へと集まった時期があり、そうなると当然、子は親と離れた場所で経済生活を営み、そして家庭を持ち、その経済生活の基盤のある土地に定着した。

親と離れた場所に子が家庭を築くということは、その家庭は、若い夫婦と子どもだけという家族構成になる。一時期、そんな家族形態が多数を占めていた。

つまり、その事実は、いわゆる団塊世代の変遷に重なる。

「核家族」は、親が若いうちはその体力や経済力に伴って自由に(ある意味気ままに)ものごとを決定し行動できた。家族内の年配者の批判やお小言で予定や計画を断念せざるを得ないという残念も少なかったことと思う。

最近の混乱する世相を考えていて、ふと、その「核家族」のもたらした功罪に考えが及んだ。あの「核家族」化が現在の社会状況に関わる部分というのは少なくないなというのが私の感想である。

昔、一家の中に複数の世代が同居していたころにはごく自然に行われていた伝統の継承や世代交代も、核家族という形態が一般化することによって失われたり困難になったりしたのではなかろうか。

国家を超大家族と考えるなら、それを構成する各個人の家庭の有り様(よう)が国の有り様に影響を与えない筈がない。守りたいものの筆頭が家庭であり家族であるという認識は、軽視できないものだと思う。

その視点に立って、異世代が共に暮らす家庭の意義を考え直してみたい。


2006/1/23 (月)  晴れ

「祭りの後」

(祭り上げる)とは(無理やりに高い地位につかせる)こと。その器でもない者をおだて上げるとどうなるか。事は思わぬ方向に展開して行きかねない。祭り上げられた当人がその気になってしまうと、後は、祭り上げに一役買った者たちが何を言おうと(後の祭り)。

大勢の人間がもてはやせば、あたかもその人や物や事に理があるかのように思えてくる。そんな空気の中で、あえて、自己の信念を明確に保持しながらものごとを直視し続けることは容易ではない。人には易きにつきたい衝動がある。そんな風潮の中にあっても「何か胡散臭いぞ」「どこかしっくり来ないぞ」という嗅覚は失ってはいけないと思う。

「笛に浮かれて逆立ちすれば」とは、かの美空ひばりの「越後獅子の唄」の歌い出し文句。笛を吹かれて踊ったは良いが、美味しいところは全て親方さんへ・・・ではあまりにも哀しすぎる。踊る価値のあるものか否か、笛の音色はしっかりと聴きわけたい。

農業・工業・商業などの生産的、経済的な事業を実業と呼ぶ。それに対する言葉として虚業がある。今、この二つの言葉を並べて、じっくりと考えてみたくなる。

今日ひとつの祭りが終わった。今年はいくつの祭りが終わることになるのだろう。

2006/1/17 (火)  晴れ

「雑感」

あの日、テレビに映し出された光景は衝撃だった。今日は阪神・淡路大震災発生から11年目。

「天災は忘れた頃にやって来る」とは言いながら、その後、立て続けに自然災害が発生している。

今年はかつてない大寒波。雪の被害が各地で相次いでいる。

震災の被害者は、雪害の被害者は、水害の被害者は、いまごろどのように暮らしておられるのだろうか。

何が真に大切なのかを忘れてしまうと、それを思い起こさせるかのように「見えぬ力」は牙をむくのだろうか。

大自然の力の前には為す術を持たない人間。その弱さを自覚し、見えぬ力への畏れを忘れないようにしなければと、改めて自戒する。

2006/1/12 (木)  晴れ

「あゝ、日常」

年明けて気分も新たにスタートしたと思ったら、既に二桁の日数(ひかず)が過ぎ去っている。仕事が始まれば始まったで、相も変らぬあれこれが目まぐるしく展開して行く。

このところ年頭に考えることは決まっている。「あと何年勤められるのか」ということ。定年までの年数が一桁になった時からの習慣。十年ひと昔と言うけれど、過ぎてきた年月を思い巡らせば、これからの数年などあっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。

さあてっと・・・これからどんな風に勤め人生活を締めくくっていこうか。定年後の人生はどうしようか。「第二の人生」などと洒落たことも言ってはいられないが、とりあえず、今の職を終えた後の心積もりだけはしておこう。

こんなに先の読めない時代に「老い」を迎えるとは考えてもみなかったことだけれど、それもまた人生。与えられた場所で与えられた時間を消費して行くことに専念することにしよう。

相も変らぬ日々というのは、実は、とてつもなく有り難いことなのだと、ときどき思い出しては日常を仕切りなおしている。

2006/1/8 ()  晴れ

「LOHAS(ロハス)」

「ロハス」という言葉を初めて耳にしたのは、いつも視聴しているFMラジオ番組からだった。かれこれ二ー三年前から「ロハス、ロハス」とDJが繰り返すのを「いったいどこの国の言葉だろう?」程度の関心で聞き流していたものだ。

私がそのFM放送を聴ける時間帯は決まっていて、その時間には、だいたいサッカーとカーレース関連の情報が多い。それはDJの関心の方向がそうさせるのであろう。

他に特徴的なのはブラジル関連の言葉や音楽が取り上げられる比率が高いように感じる。それで、てっきり「ロハス」もスペイン語かポルトガル語だと思っていた。

昨年、このロハスが新聞で特集されている記事を読んでロハスとは「Lifestyles of Health and Sustainability 」の頭文字をつなぎあわせたものと知ることができた。意味合いは「(健康と地球環境)意識の高いライフスタイル」ということだそうだ。

ファーストフードからスローフードへ、何でも早く早くと気持ちの急く生活から気持ちにゆとりを持ったスローライフへ。近年盛んに提唱されている「スロー」が、まさにロハスの精神らしい。

この時代の空気を考えると、ロハスの動きに賛同し、かつ自分もそうありたいと願う人が増えるであろうことは想像に難くない。たとえ、ロハスという言葉がなくても、時代の方向が向く先はそちら方面がよろしいのでは?と思いたくなる。

焦ることはない。ボチボチいこう。ロハスで生きよう。好いなぁ〜、こんなライフスタイルが。

(参考URL) http://www.lohasclub.org/index.html 「L・O・H・A・S  CLUB」

2006/1/7 ()  晴れ

「少なくなること、小さくなることは悪いことばかりか?」

歯医者の帰りに小さなパンやさんに立ち寄った。パン専門店は多い中で、この店はちょっとした工夫のあるパンが揃っていて、たまに買っている。

いつも通りカレーパンは外せないと入店してすぐに二個をトレイに載せた。その他のパンを物色していると、奥のほうから調理服を着た男性が出て来て、私のトレイからカレーパンを取り上げて奥に引っ込んでいった。ま、小さな店なので、その行動の意味はすぐにわかった。彼はそのパンを再び揚げなおしてくれようとしていたのだ。

さて、品物を選び終えてレジに行くと、女性店員がトレイの上の(いかすみめんたい)パンを持って奥へと消えた。出てきた彼女が言うには、(いかすみパン)のみを店頭に置き(めんたいこ)の方はお買い上げが決まってから詰めるようにしているのだそうだ。

こんなささやかな心配りが、良い品物を提供することに勝るとも劣らないプラスアルファの信頼を客に抱かせる。こじんまりとしたお店でのできごとというところがまた好い。

私の若い頃には「大きいことはいいことだ〜」というコマーシャルソングが象徴するように、大きい事・多い事・高い事・重い事などの価値観が優先していたように思う。

大型店舗の進出で店をたたんだ専門店も多かった。殆どが先祖から受け継いだ対面販売の地域に根ざした店だ。

人口減少が予測されるということは、将来、いまほどの物資の供給は必要なくなるということでもあろう。そうなれば、昔ながらの小さなお店が復活して、世間話をしながら地域で買物という風景が復活すればいいなと思ってみるのだが。

2006/1/6 (金)  晴れ  のち  曇り

「年月の流れ」

私がこの地に住んで間もなくから知っている和菓子やさんが廃業することを知った。かれこれ25年近く利用させてもらったお店だ。季節の和菓子や当地の銘菓などが並ぶ小さなお店は、いつも清潔で感じが良かった。

昨日偶然出合ったご主人が「お店をたたむことにしたんですよ」と言われた時には驚き、その理由を訊ねると「手指の故障で治療することになりましてね。治っても、元通りお菓子を作れるかどうかわからないので、このあたりで思い切ることにしました」とのこと。

和菓子職人が手指を使えないとなると仕事に差し障る事は想像出来る。また、そのお店は裏でお菓子をつくるご主人と表を預かるパートタイマーの女性が一人という形態だったので、ご主人が長期の療養となると成り立たないのかもしれない。

初めて利用させてもらったころ、ご主人は40代くらいだったように思う。あれから25年を加算すると、今では60代か。

自営業でものづくりの仕事となると、健康に支障ない限りはサラリーマンより長く現役でいられると思われるが、体が資本、特に、菓子を作る肝心の手指の故障は営業を続けるには致命的なことだったのだろう。

「長い間ご利用ありがとうございました」と丁重に挨拶してクルリと背を向けたご主人の目に涙を見たような気がした。去り行く後ろ姿に「どうぞお大事に」と声をかけるのが精一杯だった。

昨年暮れには、これまでたくさんの映画を見せてもらった映画館がひとつ廃館した。

慣れ親しんだ店がなくなることは慣れ親しんだ人と別れるのと同じくらい寂しい。付き合った年月が長ければ長いほど喪失感は深い。

今更のように、流れた時の重みを感じさせられた。

2006/1/5 (木)  晴れ

「雑感」

人口の減少傾向が加速しているという調査結果発表を受けて、メディアに「少子化」の文字が増えた。そんな報道を毎日見聞させられると、ちょっとでも街に人気(ひとけ)が少ないとみれば少子化のせいだと思ってしまう。はなはだ影響を受け易い自分だと苦笑いしつつも、笑えない日がいつか来るかもしれないと思うと一抹の寂しさを禁じえない。

地方の田舎に育った私は、人口密度の薄い暮らしぶりは多少想像できる。が、それは一方で、外出すれば誰かのどこかにぶつからずには帰宅できないほどの人口密集の都会の存在を意識しながらの暮らしだった。その都会にさえ人がまばらな暮らしとは、いったいどのような様相になるのだろうか。

おりしも、共同通信配信のヤフーニュースに野村証券金融経済研究所が出した日本の将来予測が発表されていた。

それによると「東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)や中京圏(愛知・静岡・岐阜・三重)への人口集中が進み、これら地域の消費や生産が拡大するだろう」とのこと。

また「雇用形態の流動化、若年層を中心に所得格差が進むことも人口移動の流れを加速させる」だろうともある。

さまざまな予測が発表されるけれど、予測はあくまで予測に過ぎず、そのことで悲観も楽観もするには及ばないが、たまには日本の将来像に思いを馳せてみることも悪くはないと思う。

2006/1/4 (水)  晴れ  ときどき  うす曇り

「恥じらい」

これでも私は、幼い頃から人見知りだった。

小学生と中学生の姉たちが、登校の途中で私を保育園に預けようとした時に「嫌だ嫌だ」と泣いててこずらせたこともある。長姉の嫁ぎ先に初めて一人でお泊りすることになった時は、昼間の元気はどこへやら、夜になると襖の陰でシクシクと泣き通し、迎えに来た兄のバイクで深夜に連れ帰ってもらったこともある。

人の前で何かをするのが苦手で、いつも緊張していた。

いつの頃からだろう、そんな緊張を感じることもなくなったのは?立つことを求められれば人前に立つことも苦にならなくなり、挙句の果てに冗談の一つや二つも言えるようになったのは?

歳月が人を変える不思議さ。今では恥じらいに顔を染めることも無いに等しい。ま、半世紀も人生の荒波に揉まれた女が、そうしょっちゅうポッと顔を染めるのも如何なものかとも言える。

幼い頃のあの恥じらいはいったい、何に対する恥ずかしさだったのだろう?今となっては、顔が赤らむようなあの当時の感情が懐かしくもある。

社会経験の未熟なころの恥じらいは、その未熟さゆえに他人の目を意識する怖れだったような気がする。では、歳月経た現在、私が恥らうとしたらどんな場面であろう。

いま私が怖れと共に意識しているのは己を見る己の視線に他ならない。

この後、もしも私が恥らうことがあるとすれば、己が心に背くことある時のような気がする。その時にはもう、子どもの頃のようにワンワンと泣いて駄々をこねるわけにもいかず、誰かが迎えにやって来て優しくしてくれるわけもない。

とまれ、必要のない「恥じらい」で身動きできなかったころのことを考えると、年をとるのも悪くないと思うこのごろである。

2006/1/3 (火)  晴れ

「礼拝(らいはい)」

暗く冷たい御堂(みどう)の奥に
仏はひそりとおはします

雪振る野辺の道端に
地蔵はぽつりと立ち居ます

四方の山を突き抜けて
富士はすくりとそびえます

朝(あした)は東(ひむがし) 夕(ゆう)は西
お天道(てんと)さまは出(い)で沈む

ひごろは忘れているけれど
正月元旦みなこぞり
願いの合掌いたします

2006/1/2 (月)  雨 ときどき 曇り  振替休日

「初夢」

元日の夜から二日の明け方にかけて見る夢を初夢というらしい。

前夜に夢を見たか見ないかさえ思い出せない日が何年も続いていたが、今年の元旦は夢を見たことを覚えていた。「あゝ珍しい、夢を見ている」と思いながら、成り行きを追っていた。

父が、母が、きょうだいが現れた。話の統一性など無関係に場面は展開した。そんな夢の中で印象的だった坂道は、なぜかいつも私の夢の中に出てくる道だ。人生半ばに達した現在の意識のまま、私は懐かしい人たちに囲まれて子ども時分の空気に安堵しきっていた。

肉親といえども長い年月の間にはさまざまな誤解や曲解やすれ違いがある。やむを得ず疎遠に暮らす時期もある。

そうした日々を水に流して折り合い許しあえるのが肉親の情だよと、今年の夢は教えてくれたのだろうか?寝覚めは穏やかに訪れた。

俗に「一富士、二鷹、三茄子」が縁起の良い初夢とされる。

富士山は出てこない、鷹も飛ばない、茄子がゴロゴロしている夢でもない。それでも、今年の初夢は私にとって吉兆だと思える。

と、前向きにとらえておこう。

2006/1/1 ()   曇り 一時 雨  元日

「年の初めに」

晴れ着無し さしたる馳走無けれども 心にぞ掛ける松飾りかな  露草

(まあ、♪ぼろは着てても心は錦〜♪といったところです。)

大晦日から元日にかけて体調を崩してしまった。単なる風邪か、はたまたインフルエンザかと思ったけれど、病状の経過と過去二ー三日を振り返ってみて食中りではないかとの結論に思い至った。どうも牡蠣があやしい。

それは頂き物の牡蠣だった。御礼の電話をかけた際に、先様から「くれぐれも加熱調理してお食べください。お店のほうからもそのように注意を受けていますので」との忠告を受けていたのに・・・

不注意だった。

最初の日に調理したベーコン巻きは大丈夫だったのに、翌日の一品「牡蠣の卵とじ」が加熱不十分だったと反省している。

それにしても、大事にならなくて良かった。

さあ!これで年の初めに厄落としができたとして、一年間、あとは健康に過ごせることを祈るのみ。

去年のお正月に「凶」のおみくじを引き当ててしまった弁天様のおみくじも、今年は「吉」とでた。きっと何か良いことがあるだろう。

楽観は苦境乗り切る秘策なり  露草