2005/08/29 (月)  晴れ





おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな   芭蕉

これは岐阜を訪れた際に詠んだ芭蕉の一句である。

「おもしろうて やがて悲しき」の後には、さまざまな言葉が当てはめられそうだ。
たとえば「花火」、または「祭り」、はたまた「人の一生」までも。
そして現代では「インターネット」もしかりかと・・・

(おもしろうて やがて悲しき ネットかな)
インターネットは、予想外の楽しみを経験させてくれる媒体であるが、
同時に、思いもよらぬ不安や戸惑いを呼び込んでしまうこともある。
軸足をしっかり現実という土壌に踏みとどめておかないと、
やがては悲しい結末をみる可能性なきにしもあらず。

おもしろうて やがて悲しき
やがて悲しき
悲しきかな 梨を食む

2005/08/26 (金)  曇り  のち  晴れ





しばーらく読書から遠ざかっていた。
そんな私が、最近、強い共感を覚えながら読んだのは時実新子さんの随筆。

ネット上に書物を引用するのは、なるべくなら避けたいところだけれど、
どうしても控えておきたい一節があったので、あえて、ここに残しておこうと思う。

「身の上相談」

(前略)

Q. ともだちを選ぶコツは?

A. 人の悪口、家人の悪口、自分の悪口を言う人を選びなさい。
なぜって?あなたをよほど信用してないと人は悪口など言わないでしょ。
悪口はカタルシス。イイ子ぶりっこのつきあいなんて何のメリットもない。
退屈で疲れるだけ。おもしろくも何ともない。
安心して悪口たたき合って生ビールでも飲めばスカッとするわ。
悪口イコール本音だからね。それを満たしてくれる人がともだち。

(後略)

「人間ぎらい 人恋し」  時実新子  (角川書店)より


人のことをとやかく言うことを極端に批判する人がいる。
とやかく言うからには、その人にある程度の関心を寄せているということ。
つまりは、気になるから言いたくなるのであって、無関心であれば何も言うことはない。

要するに、人の“悪口”を言う人の人恋しさは人一倍と言えなくも無い。

まあ、上記の時実さんの一文で、私が一番重点を置きたいのは、
「・・・生ビールでも飲めば・・・」の個所。
上戸と下戸が会話すると思わぬところで視点がズレて来るのは何故なんだろう?
と、常々私は疑問に感じている。

時実さんは飲める人だな。

2005/08/19 (金)   晴れ





相も変らぬ厳しい残暑の中にも、セミの鳴き声に、心なしか落ち着きを感じるこのごろ。

世間では、流行(はやり)の言葉で言えば「勝ち組」と言えなくもない勢力が姦しい昨今、
持たざる者は発言する気力さえ奪われ、ただひたすら嵐過ぎ去る時を待っております。

力弱きもの、抵抗しないまたは抵抗できないものからは取れるだけ取り上げ、
旨味が無くなれば、サッサと切り捨てて次の獲物に食らいつく。
そんなやり方を、表現の巧者が「狩猟型」と表わしていました。
その反対は「農耕型」だと。

狩猟には殺傷がつきもの。
このごろ妙に辺りが血なまぐさいと感じるのもむべなるかな。

強きものの勢いに惹かれ、
ウカウカと言いなりに付き従ったとしても、
ある日突然切り捨てられるおそれ無きにしもあらず。

心は呆然と闇の中に立ち尽くし、
さてもさても・・・と呟くしか手立て無きありさまです。

今この時にも、ポロポロとこぼれ落ちてゆく命が・・・

小さきもの弱きものよ、踏みとどまって下さい。
溢れる光の中で命輝かすことのできる日の訪れを念じて。

「歴史は繰り返す」とや。
古人(いにしえびと)の語りけむ。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ  

(「平家物語」)

2005/08/18  (木)  晴れ





熱帯夜が続き、熟睡できない日々の果てに体調は最悪状態。
何が苦しいといって、寝覚めの「むくみ」ほど一日のやる気を削ぐものはない。
なぜ浮腫むのかと不思議に思っていたら、今夕のテレビで、
「湿気が多いと汗が蒸発し切れないので不快な状態が続くでしょう」と言っていた。

な〜るほど、そういうわけだったのか!
汗は蒸発しないのに水分を補給すれば、体に残った水分で浮腫みが生じるのは仕方のない現象だ。
そうとわかれば、少々の不調も凌げそうな気がする。

何事も、「理解できない、わからない」できごとというのは不安を煽る。


ここ数日間に二冊の本を読んだ。
「人間ぎらい 人恋し」  時実新子  (角川書店)
「大人になったら淋しくなった」  藤堂志津子  (PHP)

時実新子さんは川柳作家、藤堂志津子さんは小説家。
ともに文筆業のお二人のエッセイ。

共感する個所が多々あり、ここ数ヶ月の心の闇に光が射すような読後感。
この時期にこんな本にめぐり合う、これも何かの縁(えにし)かと・・・

2005/08/16 (火)  曇り  一時  雨  のち  晴れ





テレビ朝日系「ビートたけしの本当は怖い家庭の医学」という番組をよく見る。
今日取り上げられた病気のひとつが「慢性疲労症候群」
近年になって、時おりテレビや雑誌などで見かけるようになった病名だ。
喜ばしい事も好ましくない事も、生活の変化という点では『ストレス』になる。
そのストレスが過度に重なると、引き起こされるのが「慢性疲労症候群」

どうやら、耐え忍び頑張り過ぎるのは、この病にとっては良くないらしい。
ストレスを溜めないために、適度に怒り・泣き・愚痴りましょうとのアドバイス。

なあ〜んだ、愚痴も承認されてるじゃあないの。
いつも平らな態度を保ち愚痴なんて言わないなんて、がんばらなくっていいんだぁ!

とまあ、ふだんグチグチ言いっ放しの私は、見るもの聞くことのいいとこ取り。
それでいいのだ!

2005/08/14 ()   晴れ





このところずっと息苦しいのは暑さのせいばかりではないようだ。
国の命運を預けている人々の動きが作り出す波動に心臓が揺さぶられている。

今、この国には重苦しい空気が充満している。
先の見えない不安と閉塞感に喘ぐ人々には、
「殺されてもいい」などという勇ましいセリフが小気味よく響くのだろうか?

守りたいものや人を抱えていれば、人は決して「殺されてもいい」などとは口走らない。
なぜなら、殺されてしまっては守れないからだ。
そういう観点からすると、あのお方にとって我々国民は守るべき対象ではないということか。

衆議院が解散された途端に、あの方を持ち上げるかのような流れに傾いたマスコミのあり方も気になる。
その及ぼす影響が多大なだけに、日々の報道が作り出す雰囲気は結果を左右するだろう。

いずれにせよ、9月11日には結果が出る。

忘れてはならないのは、
今回の選挙で選ぶ人々に託すのは、決して一法案のみではないということ。
今国会で流れてしまった法案を始め、今後の国のあらゆる重要事項に関与する人々である。

私たち有権者は、難しい選択を迫られている。
その反面、今回ほど、投じる一票の価値の重さを感じる選挙はないとも言えそうだ。
投票まで約一ヶ月。
じっくり考えたい。


2005/08/04 (木)   晴れ





連日30℃を超す暑さが続く。
関東地方では既に9日間連続の真夏日だそうだ。
ほとんど体温に近い気温の中で、体も頭も停止状態。

停止状態と言えば、
国の政治も停止状態に近く、
東アジアの均衡を図る6ヶ国の会合も事実上の停止状態。
おまけに東アジア4ヶ国のサッカー試合も、わが国の男女チームの伸びは停止状態。

まあ、長い歴史のひとこまには、こんな停滞の日々もあろう、と・・・
汗を拭いつつ、じっと静観の毎日。

2005年の時は既に8月を刻み、
私の現世の手持ち時間も、確実に縮まりつつある。