2005/07/31 (日) 曇り
ルルル、ルルル・・・
日曜日の午前7:40という珍しい時間に電話の呼び出し音が響く。
私:「もしもし」
相手:「あっ、間違った」 ガチャン!
私:「・・・・・」
「間違えました、ごめんなさい」というひと言が、どうして言えないのか!
近ごろ、決まりきった日本語すら咄嗟に口を突いて出てこない人が増えた。
(ありがとうございます)(ごめんなさい)は、
日本で生活するなら基本中の基本の日本語でしょうが!!
こんな基本の母国語も身につけていないのに、
やれバイリンガルの早期教育だの幼児から国際化だの、
臍が茶を沸かすとはこのことだい!
煮えたぎる『臍の茶』もとっくに全て蒸発してしまい、
残るは空の薬缶のみ
(空虚、空虚)
2005/07/28 (木) 晴れ 土用の丑
「土用の丑の日」と言えば鰻。
ご多分に漏れず、我が家の今晩の食卓はうな丼。
うな丼とうな重の違いは何?
器だけの違いか、はたまた、鰻の量の違いか?
今年は日本固有のウナギの稚魚が少なくて、外国産の異種鰻が出回ったそうな。
キッチリと日本の伝統行事を受け継いでいる私ではないが、
鰻大好物の故に、「土用の丑の日」だけは欠かさない。
鰻と言えば、以前、成田山新勝寺にお参りした時、
その近辺の店先で鰻をさばいているお店が多く見受けられた。
成田山の名物は鰻に羊羹。
なぜなんだろう?
鰻にまつわるあれこれを思い浮かべつつ、
今年も「土用の鰻」を美味しくいただきました。
ごちそうさま、幸せです。
2005/07/27 (水) 晴れ
台風7号が去った後の晴天、一日中、強烈な暑さに見舞われた。
近隣では35−36℃の気温だったと、夜の天気ニュースで伝えていた。
ほぼ体温と同程度の暑さだったわけだ。
毎年、初夏から7月の下旬ころまでは体調不良に見舞われる。
ようやく暑さにも慣れて活動がスムーズになってくるのは、そろそろ8月に入ろうとするこの時期。
今朝の体調からすると、今年も何とか夏を乗り切れそうかな。
アメリカではスペースシャトルが、一回目の発射を見送った後の二回目のチャレンジで打ち上げ成功している。
中国では、北朝鮮の核をめぐって六ヶ国協議が久々に再開されている。
イギリスとエジプトでは、テロリストの仕業と思われる爆弾により多数の犠牲者が出ている。
日本は・・・日本は・・・あえて注目するのは止めにしておこう。
なにごともボチボチと、ゆっくり少しづつ、
歩を進められる方向は“前”しかない。
2005/07/20 (水) 晴れ
ご夫婦と小さな男の子の家族が、某国から来日して働いていました。
日本人が経営する小さな工場でした。
その外国人を仮にAさんとよびましょうか。
Aさんは真面目にコツコツと働きました。
しかし、その工場の経営者は、Aさんが日本の事情や言葉に疎い事をよいことにして、
働くだけ働かせた挙句に賃金の支払いをしなくなったのです。
困ったAさんは何度も賃金支払いの要求をしに雇用主にかけあったのですが、
その都度うまく言い逃れられてしまって、とうとうAさんは仕事を辞めることにしました。
行く当てのないAさんは、同国人のつてを頼りに隣県に引っ越す事にしました。
引っ越しを決めたもののお金がありません。
そこでAさんは、日ごろ何かと親切に声をかけてくれていた日本人のBさんから
お金を少々借りる事にしたのです。
Bさんは、
「向こうで暮らしが落ち着いたら、幾らでも構わないからこの封筒に入れて返してください」
と、自分の住所氏名を記入した現金封筒をお金といっしょにAさんに渡しました。
Aさんの義理堅くて誇り高い性格を知っているBさんとしては、
たとえ小額とは言え「あげる」のではなく「貸す」という形式をとろうと思いました。
Aさんは、
「ありがとう。きっと返しますから。私を信じてください」
と、何度も何度も繰り返しました。
それから約三ヶ月の月日が経ちました。
Bさんが、Aさんにお金を貸したことを忘れている日が多くなったある日、一通の現金封筒が届きました。
中には、きっちり貸しただけのお金が同封してありました。
Aさんは日本語が書けないので手紙はありませんでしたが、
同封された数枚のお札が、しっかり、Aさんの “こころ” と “人柄” を伝えてくれていました。
近ごろは、どこへ行ってもギスギスと音をたてるような人間関係ばかりのこの国。
だましたり、傷つけたり、裏切ったり、そんな行為が日常茶飯事になってしまったこの国。
届いた現金封筒を手に、梅雨明けした青空を見上げたBさんの顔は晴れやかに微笑んでいました。
(この話は、設定を少々変えてありますが、実話です)
2005/07/12 (火) 曇り
幸せの形とはどんな形だろう。
尺度は?色は?触感は?
さまざまな人の生き方に接しながら、
「一体どんな状態が『人の幸せ』なのだろう」と考える。
この歳になって、うっすらとわかってきた事は、
万人に共通の一つだけの幸せはあり得ないということか。
言い換えれば、幸せ感の標準・基準は存在しないということ。
往々にして「幸せ」と「不幸せ」は表裏一体。
一つの出来事のどちらの面を見るかで、
人は有頂天にもなるし絶望もする。
どんなに精神的窮地に立たされようと、
そのことが自分にプラスに作用すると捉えられるような姿勢を保ちたい。
我とわが身を哀れむこころに「幸せ」は存在し得ない。
2005/07/02 (土) 晴れ
昨日、このホームページのカウント数が10万を超えました。
2001年3月20日に、ひょんなことから開設したホームページです。
パソコンを使い始めて半年目のことでした。
あれから4年の月日が経ちました。
色々な出来事がありました。
失ったものや人も多々ありますが、それ以上に、得たものが多いと振り返っています。
ホームページを運営していれば、
たくさんの人に訪れてもらってカウント数が伸びて行くことは楽しみの一つでしょう。
私も当初はそのように思っていました。
しかし、それが間違いのもとだということを、ホームページを開設して間もなく気付きました。
今、多くの人々がインターネット・コミュニケーションを利用するようになりました。
それに伴って、これまでに例の無い事件や困った問題が発生しています。
新しい道具や考え方が世に出ると、それに伴って発生する予測のつかないできごとへの対処は後手後手になります。
インターネット利用に関しても、今まさにその状態にあるように思います。
その予兆を、私が初めてインターネット・コミュニケーションに参加した4年前に、漠然とではありますが感じました。
景気も治安も次第に下降線を辿る社会にあって、
何か楽しいこと刺激的なことを求める雰囲気に危うさを感じたと表現すればよいのでしょうか。
いまや人々は変化の無い暮らしに耐えられなくなっているのかも知れません。
だからと言って、目ざましく有益な提案や発見は、そう た易くはできないのが現実です。
反対に破壊的な言動は、一歩を踏み出してしまえば実現してしまうのです。
そこにインターネットが介在すれば、その匿名性ゆえに一歩が踏み出し易くなってしまったのではないでしょうか。
忘れてはいけないのは、
インターネットが
文字だけのコミュニケーションであろうが、
ハンドル・ネームという匿名でアクセスする場所であろうが、
それを利用しているのは生身(なまみ)の人間であるということです。
そのことを肝に銘じていれば、
実社会で眼前に存在する人に対してできないことはネットでもできるわけがないのです。
ところが、
実社会人格とネット社会人格を使い分けているのではないか、と思われる例があることは悲しいことです。
それとも、ネット社会人格が実像で、実社会人格は「猫を被って」でもいるというのでしょうか?
だとすると、とても怖くて、この社会に暮らしているのが不安でたまらなくなりそうです。
子どもたちのインターネット利用が日常化してきた現在、
パソコンやインターネットの使い方を教える以前に、子どもたちの人格形成が急がれるのではないでしょうか。
あれこれと書いてしまいましたが、
私はこれからも、このホームページを私の生活の一部として続けて行きたいのです。
ちょうど
退屈で平凡な日常が一日でも長く続いて欲しいと願うのと同じように・・・