2004/09/30 (木)  晴れ   風少々きつめ





♪ ゆうや〜けこやけ〜のあかと〜んぼ〜 ♪

しばらくぶりの夕焼けが雲を赤く染め上げていた。
心配されていた台風21号は、予想より早めの深夜のうちに通過していったようだ。
昼間吹いていた風で雲は吹き飛ばされ、夜になると、うっすらとではあるが星が瞬いている。

☆〜  今日も一日お疲れさま  〜☆ 

2004/09/29 (水)  雨   台風21号北上中





あぁ〜、忙しい一日だった。
バタバタバタと走り回って、無事に仕事をやり終えた。

このところしょっちゅうつまづく。
スタスタと歩いているつもりが、
突然グッとスリッパのつま先が床に突き立ちつんのめりそうになる。

あ〜あっ、私もいよいよそういう年齢か・・・と諦め気味だった。
でもちょっと待って、それほど覚束ない足取りでもないと思うんだけど・・・

よくよく考えてみると、つまづき始めたのは二・三ヶ月前にスリッパを新しくしてからだ。
ゴム製で少々重くてベタ底でボチボチのついた健康志向のサンダル。
つまづく要素は揃っているかも。

せっかく健康を意識して背筋を伸ばしサッサと格好良く歩こうとしても、
健康志向のサンダルのせいでつまづいて転んでしまったら、
いったい何の為の健康サンダルやら・・・トホホ

ま、何はともあれ、
つまづくようになったのはサンダルのせいだということにしておこう。

2004/09/28 (火)  曇り  一時  晴れ              十五夜





九州に台風接近中とかで危ぶまれていた観月。
深夜のベランダに出てみると、ちょうど雲間から十五夜の月が煌々と顔をのぞかせた。

昼間立ち寄った和菓子屋の店先には、
“絵に描いた餅”ならぬ“絵に描いたような月見団子”が売られていた。
真っ白なお団子を三宝の上に何段か重ね、ススキを添えてお飾りするというあの絵。
ススキの束もバケツに用意されていて、季節の雰囲気が溢れていた。
十五夜にケーキは似合わない。

「お月見のはなし」は↓ここ。

http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/tsukimi/newtukimi.html

折りも折り、母を失ったばかりの私は、野口雨情の「十五夜お月さん」など思い出したりして・・・



♪♪♪  「十五夜お月さん」   ♪♪♪

十五夜お月さん
ご機嫌(ごきげん)さん
婆や(ばあや)はお暇(おいとま)
とりました

十五夜お月さん
妹は
田舎(いなか)へ貰られて(もられて)
ゆきました

十五夜お月さん
母さん(かかさん)に
も一度(もいちど)わたしは
逢いたいな(あいたいな)

2004/09/27 (月)  雨





9月20日午後1時、母は本当に仏様になってしまった。

私が結婚して故郷を後にする時、
田舎に一人残す母とはもう会えないものと自分に言い聞かせた。
山口県と関東では物理的な距離の隔たりが大き過ぎた。
しかし、心の距離は常に近くに感じていた。

94歳の自然死、苦しまずに逝ったことがせめてもの救い。

生まれた人は必ず死ぬ。
それは、遅かれ早かれのこと。

母は、施設に入ってしばらくは私の手紙に返事を書いてくれていた。
そのうち私も忙しくなって手紙を書くこともなくなり母も手紙を書けなくなった。
施設から貰ったハガキの数枚を私は「これが形見になる品」と思い定めていた。

会いたい時に会えなかった寂しさも、いよいよこの世にいなくなった悲しみも、
全ては自然の成り行きと、哀しむことを封じ込めて帰省し、慌しく葬儀を済ませた。

今日、帰省した折のあれこれを整理しながら、
母がくれたハガキを取り出して、改めて読んでしまった。
いましばらくは読まないでいようと思ったのに・・・

胸の奥にこみ上げる塊が喉元まで届きそう・・・
この4−5日の慌しさの間には流さなかったものが目頭に滲みそうになる。
手放しで思いっきり声を出して母を呼びながら涙を流せたらどんなにいいだろう。
でもね、お母さん、私は、今泣いてなんかいられない。
私にはまだ、明日という日がやって来るから。

お母さん、今ごろはもう、お釈迦様に会えたころでしょうか?

2004/09/19 ()  晴れ





「好奇心と感動」、
この二つが「老い」を遠ざける源だとも言われる。

年々歳々、弾力を失ってゆく感情のゴム。
引っ張っても緩めても、
伸びたり縮んだりする手応えの無いただの紐。

天然のゴムが、やがては朽ちていくように、
感情のゴムも衰えていくことは避けられない。

できれば、その朽ち果ての時がずっと先になるように、
人生のある時期からは、
ささやかに喜んだり、そーっと驚いたり、静かに哀しむようにしよう。

熟した果実に、強い衝撃は禁物。

2004/09/12 ()  晴れ





美容院の椅子に座り、髪をカットしてもらいながら窓から景色を眺めた。
空を背景にした桜の枝が見える。
そろそろくたびれてきた緑の葉が、透明な空気の中で染まる時を窺っている。

例年の如くいつもの家の塀越しに萩の花がしなだれ咲いていた。
切り詰められぬままに株を大きくしてきたらしいこの萩は、
年を経るごとにますます見事に、深い色合いの花を咲かせるようになった。

美容院の鏡の中に、気がつくと、子どもの頃に見ていた母の顔がある。
あまりにも母に似てきて、自分の顔でありながら、ふっと鏡の中の母の顔に甘えたくなる。
幼い私には理解できなかった母の気持ちに、今やっと私の気持ちを重ねることができる。

春夏秋冬になぞらえながら人生のあれこれを、幾人の人が語ってきたことだろう。
多くの人々がどのように書き表そうと、所詮は他人の経験。
それぞれの命の春夏秋冬は、その命だけのものだと知る。
今はもう、秋。

2004/09/09 (木)  晴れ





日付の記入をしながら、ハッと思い当たった。
9月9日、9/9、きゅうきゅう、救急・・・?
ひょっとして、今日は「救急の日」?

やはりそうだった。
救急活動に理解を求めるために、9月9日を「救急の日」と定めたそうだ。

今年は、猛暑から来る熱中症で倒れる人が多くて、
救急車も走り回ったことだろう。

その後の災害の数々。
その度に救急車の出動が要請されたはずだ。

∴∴∴∴∴∴

ルルルルル
「ハイ、こちら○○消防署です。火事ですか救急ですか?」
「救急車!お願いします!」
「ご住所、お名前を教えて下さい」
「△△です」
「どうなさいましたか?」
「〜が〜で〜しています」
「お宅の近所で目印になりそうな建物や交差点などを教えて下さい」

∴∴∴∴∴∴

緊急の時には慌てるので、
電話をかける時には落ち着いて要点を伝えなくてはならない。

一分一秒が生死を分かつことがある。
救急活動の大変さと重要さを、改めて考えた。

2004/09/06 (月)  曇り  のち  晴れ  





何かが変。
とても不可解。

本能的に危険を回避しようとする行動が見られない人が増えたような気がする。

対面で近づいても、体をかわして避けようともせずに真っ直ぐに歩いて来る人。
車道に、左右の確認もせず猛スピードで突っ込んで横断して行く自転車。
深夜の街にたむろする子どもたち。
後ろ手でお尻を押えながらも制服のスカートを超ミニ丈にする女子高生。

強気に見えるのに、肝心な場面では後ろ向き。

もっと丁寧に生きようよ、と言いたくなる衝動を辛うじて抑えることが多い。

2004/09/05 (  曇り  





最近知った言葉で気になっている言葉に「浮き足」というのがある。
重心が踵方向に下がってしまって、つま先がしっかり地面を掴めなくなった状態をいうらしい。
近ごろの子どもに、この「浮き足」が増えているのだとテレビで言っていた。

近ごろの子どもばかりではない。
実は自分もこのごろ、ある体の変化を意識していて、
それがこの「浮き足」症状ではないか、と思うようになっている。

若い頃は何ら意識をしなかったことでも、年齢が進むと気になり始めることがある。
その一つに「歩き方」がある。

つい先ごろまで、エアロビクスやウォーキングに励んでいた時は調子が良かった。
土踏まずもちゃんと確認できたし、体の平衡も保てていた。

ところが、最近運動らしい運動もせずにいたところ、筋肉がめっきり衰えて体重も増えてきた。
と同時に、歩行の際に足裏の感覚が以前と違ってきたことに気がついた。

俗に「ベタ足」と呼ばれる、土踏まずが無い足の歩き方がこうなるのかと思われるような歩き方になって来た。
直立したつもりなのに、どこかに無理をして体を真っ直ぐにしようとしている。
頭のてっぺんから糸で鉛だまを吊るしたような鉛直線の感覚が消えた。
脂肪の堆積したお腹を引っ込めようとすると腰に負担がかかる。

ときどき思い出したように直立してみると、確かにつま先が浮いている。

こうした肉体的な変化と思考力減退とを兼ね合わせて考えてみると、
どうやら二つは相関関係にあるような気がする。

物事を深く、バランス良く考える為の持久力とは、
脳の問題だけではなく、体全体の筋力にも支えられていることを、
このごろつくづく思い知らされている。

2004/09/04 ()  曇り  ときどき  小雨    夕方 雷雨





ときどき襲って来る、故知らぬ不安。

子どもの頃には、大人になれば消えるものだと思っていた。
大人は皆、子どもの私から見れば、はるか先を歩いている人たちで、
そこまで歩いていけば、私にも何らかの自信のようなものが自然に備わるのだと、
勝手に思っていた。

今、自らが、はるかに歩いて来て、
私が子ども心に思い込んでいたことが間違いだったことが分かる。

子どもも不安、大人も不安。
先の見えない『生』を生き、先を思い煩う『心』を持つ者は全て、
不安の中にしか生きられないような気がする。

が、しかし、
「不安は誰にも付きもの」「不安は終生解決されることはない」と自覚したならば、
モンスターの如くに時おり頭をもたげる『不安』をも、
なだめ、飼いならして行けそうな気がすることもある。

つまり、
こういう風に理屈で自分を納得させようと、
あれこれ考える為のネタが増えていくというところが、
大人と子どもの違いだったのかな?

2004/09/02 (木)  晴れ  ときどき  曇り





野菜をたくさん食べると優しい気持ちになれるような気がする。
なぜなんだろう?

野菜は地面に根を下ろすと、場所を移動することはない。
たとえ誰かに摘まれようと抜かれようと、歯向かってくることはない。
短い命のサイクルに不満を漏らすこともない。

野菜の遺伝子にはきっと優しさが組み込まれているに違いない。
「やさしいやさい」
野菜のように生きたいな。


2004/09/01 (水)  晴れ





今日から9月。
指折り数えれば、今年も残り4ヶ月。

人的な社会情勢も自然現象も、激動が続いている。

今日は「防災の日」。
そんな日に浅間山の噴火があり、各地で地震が観測されたりしている。
テレビの防災特別番組を見ながら、
今一度、災害への心構えを見直した一日の締めくくり。