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2004/08/31 (火) 強風 のち 晴れ 二百十日
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昼過ぎまで、台風16号の影響で強風が吹き荒れた。
今日は、ある方にお誘いを受けてお食事会&ミニ・ハワイアン・コンサート。
各テーブルごとに用意されたアミダくじに大当たり。
梨を一箱いただいて来た。
集まった人たちは、それぞれが社会的な活躍をされている人たちばかり。
私などは及ぶべくも無い立場ながら、話の輪に参加させて頂いた。
楽しいひとときだった。
帰り道で夜空を仰ぐと、チョイ欠けの月が煌々と輝いていた。
八月の最終日、良き人々と時間を共にできたことが嬉しい。
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2004/08/28 (土) 曇り 台風16号接近中
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何気なく回した(これも古い言い回しになってしまった)テレビチャンネルで
漫画家の水木しげるさんへのインタビュー番組を放送していた。
水木しげるさんといえば、あの「ゲゲゲの鬼太郎」に代表されるような妖怪漫画で有名な方。
画面を見て初めて知ったのだけれど、彼の左腕は肩から無い。
ニューギニア戦線で爆弾にあたって失ったそうだ。
多くの日本兵が「玉砕」という不本意な死を遂げた場所から奇跡の生還をされた水木さんの人生観、
それは、「生か死か。それが一番大事なこと」という。
「近年、自殺者数が増えていますが、これを水木さんはどうお考えになりますか?」
というインタビュアーの問いかけに、
「死を選べる人はむしろ幸せなのです」
「あの戦争当時は、死にたくない大勢の人達が死ななくてはならなかったのですから」
飄々とインタビューに応じる水木しげるさんの表情や声、話の内容などを見聞きしながら、
ふっと肩の力が抜けるような安らぎを覚えた。
「『水木は怠け者』と他人は思うかもしれない、しかし、怠け者と見えて実は大変な努力をしているのですよ」
というご本人の言葉にも、ちっとも嫌味を感じない。
死線を乗り越えて得られる境地がある。
その落ち着きは、真に死線を乗り越えなくては到達できないだろう。
「今が辛い」と思うとき、その過酷さは人それぞれだけれども、
どんな状況であってもその人にとっては「死線」であるかも知れない。
生きて死線を乗り越えること。
そうすれば今日の水木さんのように、
いつかは穏やかに、乗り越えた山川を語れる日が訪れるのだろう。
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2004/08/21 (土) 晴れ やや爽やか
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素敵な言葉に出会いました。
ある新聞の週末特別版に、日野原重明さんのエッセイが毎週掲載されます。
素敵な言葉は、そのエッセイの中に紹介されていました。
その日のエッセイは、癌医療の現場で使われる、
配慮に欠けると思われる言葉を取り上げていました。
例えば「末期癌」「終末医療」です。
いくら治療の手立ての無い状態であっても、
あからさまに「末期」だ「終末」だと言うのは如何なものか、と。
「終末医療」は、英語の terminal care を日本語に訳したものです。
terminal を辞書で引くと、「末期の」「終わりの」「終着駅」などとあります。
ところがある日、
日野原先生は、外国で飛行機の乗り換えを待っている間にハッと気づいたのだそうです。
terminal には「乗り換え」の意味もあることに。
確かに、「総合乗換駅」という訳が辞書にも載っています。
たとえ余命の宣告を受けたとしても、命の灯が消えるかもしれなくても、
それを「末期」とか「終末」と名づけるのではなく、
新たな世界への「乗り換え」なのだと考えれば・・・
後半の内容に、私の心をとらえた言葉がありました。
アメリカの病院では、考えられるあらゆる治療や処置を施し尽くした患者の看護日誌の最後に、
看護師は TLC と記入するのだそうです。
TLC (Tender Loving Care)=やさしい愛のケアを
なんと心打つ言葉でしょうか。
「打つ手は無い」ことはないのです。
この世からあの世への乗り換えの terminal で、
Tender Loving Care の見送りを受けた人は、
幸せな旅立ちができるに違いありません。
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2004/08/19 (木) 晴れ 強風 相変わらずの猛暑
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ごくたまーに水遣りをするだけ。
ただそれだけ。
肥料もやらない、植え替えもしない。
数個の花がついて安売りしていた小さな鉢。
去年の秋、フラリと立ち寄ったガーデニング・ショップで買い求めた花。
買った当時に咲いていた花はやがて落ち、
それでも茎は緑を保ち、生きていた。
花が咲いた。
この一〜二週間の間に茎がのび蕾がつき、
そして、
花が咲いた。
花は、
誰かを喜ばそうとか誉められようとして咲くのではない。
でも、
この花が咲いたことで、
私はささやかに幸せを取り戻している。
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2004/08/18 (水) 晴れ
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人は時々疲れます。
疲れは何も肉体だけとは限りません。
知らぬ間に、心にも疲労が蓄積されます。
そしてある日、心はパタリと動かなくなるのです。
あんなに瑞々しく感動したり、
ささやかな希望に燃えたりできていた私の心だったのに・・・
そう思い返せば返すほど、ますます心は疲れてしまうのです。
いいのです。
疲れた時には無理はできないのです。
「いつもどんな時にも笑顔で元気でいましょう」なんて、
無理な話です。
体の疲れがいずれ回復するように、
心の疲れもやがては回復するでしょう。
疲れた心に、“時”はかけがえのない友人です。
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2004/08/10 (火) 晴れ
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某有名製菓会社が(暴君 ハバネロ)というスナック菓子を売り出している。
隣町のホームセンターの中にあるイタリアン・レストランでは(ハバネロ・ペッパーソース)を売っている。
このハバネロ、世界一辛い唐辛子らしい。
インターネットで検索していると、件の製菓会社が苗を売っているという情報を得て注文。
その苗が今日届いた。
↓それがこれ。
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2004/08/09 (月) 晴れ
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雲ひとつ無い空に太陽がギラギラ輝いている日に洗濯物を干す時には要注意。
洗濯物を物干しに掛けようとすれば顔は上を向く。
当然のごとく目も洗濯物を追って天を見上げる。
途端に瞳に飛び込む太陽の容赦ない光。
これはもう、瞳の受容能力をはるかに超える。
いきなりの目くらまし。
誰がどんなに偉そぶっても、太陽には敵わない。
ここで、
私は洗濯物を干すんだからと頑張って太陽を見据えてはいけない。
そんな時には、
そおーっと薄く目を開けて、ちょっと顔を斜交いにして、
控えめに控えめに用心しながら干し終える。
強い日差しには閉口するけれど、
そんな日差しを頼りに洗濯物を干しているのだから、
文句を言える筋合いは無い。
真っ向から勝負する必要のないこともある。
むしろ、そんなことの方が多い。
仏の像がなぜ半眼なのか?
ふっと、そんなことまで考えてみる、ある日のベランダ。
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2004/08/08 (日) 晴れ
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晴天続きは、布団を干すにはもってこい。
表も裏もしっかり乾いてくれる。
ただ、取り込むのは太陽が傾いてからにするか、
または、取り込んでしばらくは広げておかないと就寝時に熱気で寝苦しくなること必至。
昔何かで目にした嫁姑の話にこんな内容のものがあった。
ふだん姑にうるさく小言を言われている嫁が日盛りに姑の布団を取り込んで畳んでおく。
すると、夜中に布団の熱気で姑が暑苦しい思いをして嫁に一矢報いられた事を知る、というもの。
しかし、今どき姑の布団を干して取り込んでくれるお嫁さんがいるだろうか?
それを考えると、このお嫁さんはできた人だと言えるかもしれない。
姑にしてみれば、布団の熱気くらいクーラーと扇風機で冷やせる時代だもの。
とはいうものの・・・
簡単には済まない問題なのだろうなぁ、嫁と姑って・・・
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2004/08/07 (土) 曇り 立秋
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気持ちの良い一日の締めくくりとなった。
サッカー全日本代表チームがアジアカップを制してアジアの頂点に立った。
誰からもどこからもクレームのつけようのない勝利。
もやもやとたまっていた胸のつかえがいっきにとれた。
せいせいした。
「ごちょごちょ言ってないで結果を出そうよ!」と、
背中をポンと押されたような気がする。
今日はほんとうに嬉しい。
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2004/08/05 (木) 晴れ
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30度を超す真夏日が、すでに31日間も連続しているのだそうだ。
とは言いながら、立秋間近になり吹く風にもわずかながらの“気配”が感じられる。
今年の初夏、お手伝いに行った農家の庭先に植わった夏みかんの木には、
鈴なりの実と花が同時に木に付いていた。
みかんは秋から冬にかけて収穫するものだと思い込んでいたので、
その光景は不思議だった。
今日、その理由が分かった。
部屋に飾ったカレンダーの8月のページにその説明があった。
夏みかんは、秋に実をつけ冬を越して半年くらいの間を木になったままで熟させ、
初夏の頃に収穫するものなのだそうだ。
「夏みかん」と言う名前もそこに由来するのだとか。
な〜るほど!
だから花と実が同時に木に付いている時季があるのだなぁ。
これぞまさしく「花も実もある」お話。
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2004/08/03 (火) 晴れ
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サッカー・アジアカップ準決勝、日本チームがバーレーンに勝った。
「四面楚歌」、この言葉を思い出させる状況の中でも結果を出せば勝てる。
サッカーの結果とはネットの中にボールを叩き込むこと。
この得点には誰も文句はつけられない。
逆境の中で力を出し切ったゲームの模様はまさに死闘と呼ぶにふさわしい。
久々に、心の底から快哉を叫べる出来事だった。

2004/08/01 (日) 晴れ
富士山に登るなら今ごろがちょうど良い季節だなぁ、
と思いながら家の中にくすぶっている。
地上はこんな猛暑でも富士山頂は寒いくらいだろう。
「頑張らなければ」と焦れば辛い。
しかし、何故、何のために頑張らなければならないのか、
しかるべきことを達成しなければならないのか、
それをじっくり考えてみると焦る必要などどこにも無いことがわかる。
特定の目標を定めれば、そこに到達した時点で一旦目標を失う。
そして次の目標を探して自分を追い立てる。
限りある人生、常なる焦りに追い立てられながら歩むのは寂しい。
傍から見れば「名も無き人生」ではあっても、
せめて「わたくし」だけは、
誰も気に留めることの無い「わたくし」の為に、
自ら「わたくし」の人生を慈しみたい。
