2004/02/29 (日) 曇り
15年前、脳に先天的な機能障碍を持った男の子と多少の関わりを持ったことがある。
その当時6歳のその子は、
言葉を発することは無く社会的なルールなども覚えることは覚束ないだろうと思われた。
知り合ってから数年間の関わりの間に目を見張るような発達はなかった。
その子を最近またときどき見かけるようになった。
今日、電車に乗るために駅へと急ぐ途中で三輪の自転車に乗る青年を見かけたので、
「もしかしたら」と近づいてみると彼だった。
「○○ちゃん、どこへ行くの?」
「家に帰る」
「私のこと覚えてる?」
「ぜ〜んぜん知らない」
「そう・・・じゃあ、気をつけてお帰りなさいね」
そんな会話を交わした。
10年前には、彼が自転車に乗り一人で安全に出かけられるようになるとか、
交通ルールを守り信号を読めるようになるとかいうことには不安を感じていた。
その彼が、一人で電車に乗降し赤信号ではちゃんと停まる。
その上、会話するまでに成長している。
人は一律に成長するわけではない。
一人一人が独自の発達時計を持って生まれて来る。
速く進む時計が良いとは言えないし、遅すぎるからと諦めてはいけない。
彼の成長ぶりを見て、そんなことを考えた。
2004/02/27 (金) 晴れ
ごく普通に見える人が、とんでもなく冷淡だったり非情だったりする。
今朝、歩道の手前で一時停止していると右手から二台の自転車がやって来た。
一台は30歳前後に見える青年、もう一台は50代らしい年配の男性。
二人とも、停止している私の車の目前で、歩道から車道へと針路変更を考えたらしい。
先を走ってきたのは年配の男性。
見ていると、後ろから走ってきた青年の自転車が、
年配男性の自転車の左側から、いきなり前へ追い越しをかけた。
その途端にフイを付かれた年配の方がよろけた。
どうやら接触したらしい。
危ういところで、その年配の男性は足を地面についたので転倒はまぬがれたが、
見ていた私も一瞬ヒヤリとした。
青年は?と見ると・・・
彼は停まることもなく、振り向くこともなく、
何事もなかったかのように前方に走り去って行った。
まさに
「しんじられな〜い!」
と叫びたくなるような光景だった。
なぜひとこと
「大丈夫ですか?」なり「すみません」なり言えないのか?
言おうとしないのか?
あの青年とどこかで出会うことがあったなら、
こんな光景を目撃していなければ、
私は彼を優秀な会社員と思い、好青年と見たかもしれない。
ごく普通の、むしろ恵まれた感じを受ける若者だった。
ごく普通に見える人が、とんでもなく冷淡だったり非情だったりする。
じつは、そのことがもっともおそろしいことだと思う。
2004/02/24 (火) 晴れ
「指輪物語=ロード・オブ・ザ・リング」という映画が人気を博している。
嗜好の違いか世代の差か、私自身はこの映画にさほどの興味がない。
それより、『指輪物語』というタイトルだけから思い浮かぶのは、
ロシアの小説「森は生きている」
小学校時分に図書館の本を借りて読んだ。
「困った時にはこの指輪を投げてこの言葉を唱えなさい」
と言って4月の精が娘に指輪をくれる。
4月の精から教えられた言葉は、
「ころがれころがれ指輪よ
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋のたかどのへ
そして冬のじゅうたんの上を
新しい年の焚き火をさして」
というもの。
この「ころがれころがれ指輪よ」のところが印象深い。
あゝ、私も欲しいなあ(願いを叶える指輪)・・・と思ったが、
一つだけ願いが叶ってもそれで終わるわけもなし。
たぶん、指輪は幾つあっても足りないことだろう。
2004/02/23 (月) 晴れ 強風
日本人と結婚している韓国人の女性と、
アメリカから来日している青年と簡単な話をした。
女性は、母国で第二外国語として日本語を学んだ人なので会話は日本語で通じる。
アメリカ人の青年も日本語が通じるのだけれど、
英語の練習にと、あえて英語を交えて会話する許しを得た。
この時期、米・韓・日で話をするというのも何やら意味深な感じがする。
と言うことで、話題は慎重に吟味しなければならない。
昔、海外文通をしていた頃、何を書いたら良いのやら話題に事欠いた覚えがある。
外国人と交流するには多少の気を遣う。
今回は、
アメリカ人の青年とは日本独自の元号の話とアカデミー賞にノミネートされた「ラスト・サムライ」の話。
韓国人の女性とは韓国のドラマ「冬のソナタ」の話。
やはり、文化や芸術の話が無難なところか。
2004/02/21 (土) 晴れ のち うす曇り
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだ〜れ?」
と、鏡に向かって問い掛けたのは白雪姫の継母。
「鏡よ鏡、世界で一番幸せなのはだ〜れ?」
と訊いたら、鏡は何と答えるだろうか?
幸せは瞬間の感情。
全ての人は、一生を不安と共に生きている。
何が不安の種か?
やはり失うことへの不安が最大のもののような気がする。
一番失いたくないはずの命を、あえて自ら放棄するのは不安の糸を断ち切るためか。
本人の不安は本人と共に消滅しても、不安は遺された者に引き継がれる。
心に空いた不安の穴を埋めようとしてか、人は多くのものを欲して右往左往する。
手に入れても手に入れてもなお、埋まらない不安の穴を見つめて、
人はしばしば呆然と立ち尽くす。
もともと無かったものと思えば、
今かりそめに手許にあるものに、さほど執着する必要もあるまい。
こだわらねばならぬものは何か?
こだわる必要のないものは何か?
それが見極められる思考を身に付けたい。
両の腕で必死に囲い込んだとしても、結局、あれもこれもこぼれ落ちて行く。
失ったものを振り返って惜しむより、
生じた空隙を新たな息吹きで埋めて行こう。
不安は、生涯立ち去らぬ道連れと心して。
2004/02/18 (水) 晴れ
昔、調査業者に身元調査を依頼するのは、
調査される人とは別人であることは当たり前の話だった。
ところが、最近自分の評判を調査依頼するケースがあるという新聞記事を読んで、
これこそ本当の「へぇ〜」の驚きだった。
依頼する人の理由はさまざま。
「就職活動をするにあたって自分がどう見られているのか知りたい」
「同僚に自分の評判を聞いてほしい」
ご近所づきあいの仲間入りができない主婦は、
「私のイメージが悪いのかも。悪いところがあれば直したい」
こうした意図で10万〜15万円くらいの料金を払って調査してもらうのだという。
自分が周囲の目にどう映っているのか?
殆どの人は気にしながら暮らしていると思う。
そして、できれば好感を持って受け入れられたいと望んでいるだろう。
しかし、人の価値観は人の数だけある。
誰の価値観に合わせても、合わない人は必ず出てくる。
それなら自分の価値観にこそ合わせるべきだと思う。
周囲の評判を気にして、それに自分を合わせようと無理をするより、
揺るぎない信念をもって、自分で自分を受け入れて暮らすことのほうが、
調査業者に高額の料金を払って一部の評判を聞きまわるより、
手っ取り早い不安解消だと思える。
自分のことすら自ら判断できないという「不安の時代」らしい。
2004/02/15 (日) 晴れ 風強し
晴れたけれど強い風が吹き荒れた。
ガーデニングの講習会に出かけてみた。
今日のテーマは「花壇デザインをしてみませんか」
昔からの日本の家庭の庭は、空いている空間に雑然と植物を植えていた。
隣近所の庭に変わった花があるとおすそ分けしてもらって植え、
こちらの花壇の花を求められればご近所の庭にお嫁入りさせるという、
そんな花の楽しみ方が主流だったのだという。
それが最近では、ヨーロッパ、それも主にイギリスのガーデニングの影響から、
計画的に花壇をデザインする傾向が広まってきたのだそうだ。
そう言われてみると、通りすがりに見かける家々の花壇や鉢植えなどに、
それを植えた人の感性や人柄などがしのばれることが多くなった。
熱心な人はしっかりと研究しながら花作りをしているのだなぁと、
感心しながら見せていただいている。
県立の広い公園の中にある植栽関係の施設は、今日初めて利用した。
家庭で楽しめるグリーンを紹介してある温室、建物内部のあちこちに飾られた植物。
その公園の花壇はボランティアの手によって管理運営されているらしい。
私の次なるボランティアの目標が視野に入って来た。
4月からは農業ボランティアの活動も再開されるだろう。
ま〜た忙しくなりそう・・・
2004/02/09 (月) 晴れ のち 曇り 寒い
そろそろ暖かくなるころかなぁ、と期待し始める頃の寒さが忍び難い。
猛烈な乾燥状態らしくて、少し気温が低めだとじきに手足が荒れる。
ハンドクリームをまめにすり込みながら、本格的な春を待つこのごろ。
「唾液の分泌量を自己診断するには、飴を5分間舐めて、その溶け具合で見ればいいそうよ」
と若い同僚が、昨夜観たテレビの情報を教えてくれた。
唾の量が減ったのではないか、という自覚症状は私もここ数年感じていた。
『ドライマウス』と言うらしい。
そこで、ちょうどそこにあった飴で試してみることになった。
年齢それぞれの5人が5分間、直径1cmちょっとの飴を口に入れて懸命に舐めた。
しばらくして比べ合ってみると、若い人のそれは小さくなり、
それなりの年齢の者の飴は、お世辞にも小さくなったねとは言い難い結果となった。
もちろん私はそれなりの年齢に属する。
「やっぱりぃ〜!これってドライマウスってことよね」
などと妙に納得するそれなりの年齢の二人。
唾液の分泌を促すには、スッパイ果物などを摂れば良いのだそうだ。
さあ〜、明日からレモンでもかじるとするか!
(なぁ〜んて、嘘ですよ、ふふふ)
レモンはかじりませんが、レモンを思い浮かべることにしようっと!
(それだけでも口の中には唾液がジワ〜っと)
「年をとると食パンが食べづらくなるなぁ」と言っていた父の言葉が思い出される。
まっ、これも仕方がない、か・・・
2004/02/07 (土) 晴れ のち 曇り
コンニャクの田楽が食べたいと、既に△に切ってあるコンニャクを買った。 田楽の決め手はやっぱり“甘味噌”よね! ということで、赤味噌に酒と、少々多めの砂糖を入れて柚子の皮の刻んだものを散らしてでき上がり。 コンニャクの量に比べて“甘味噌”を作り過ぎてしまって、 明日のおかずの一品は「ふろふき大根」になる予定。 「日本一めんどくさい さくらもち」なるネーミングの桜餅を売っていた。 その店先で女子高生二人が、 「ねえねえ、『めんどくさい』ってどういうこと?」 「でもかわいい色だよねぇ〜」 と会話している。 隣にいる私は、 (あのね、「めんどくさい」ほど手間を掛けてあるってことなのよ) と言いたい衝動をグッとこらえる。 最近の商品はネーミングで客の耳目を集める物が多くなった。 現に私も、その「めんどくさい」が気になって、その店の思う壺にはまった一人。 |
2004/02/03 (火) 曇り のち 小雨
待っていました、この日を。
心ひそかに期待してもいました、暖かさを。
それなのに、あゝ、それなのに・・・
節分の今日のこの寒さよ!
と、立春を明日に控えての寒さに嘆く私でありました。
火曜日は、行きつけのスーパーのレシートがピンクの用紙になる。
このピンクのレシートの合計金額1万円分で500円のクーポン券がもらえる。
また、マイバッグを持参するとスタンプが押してもらえて、
スタンプ20個で、環境配慮の日用消耗品やお買い物マイバッグなどと交換できる。
ささやかな節約のお楽しみ。
2004/02/02 (月) 曇り のち 雨
久しぶりの雨。
肌寒い一日だった。
夫が亡くなってから、わずか三ヶ月の間パート勤めをした会社で知り合った
一回り年下の知人から便りが届く。
今年は年賀を欠礼したので、届いた封筒には家族の写真が同封されていた。
知り合った当時はまだ未婚だった彼女も、
今では小4と小6の男の子のお母さん。
職場で知り合っただんな様と仲の良い家庭を築いている様子が、
毎年の賀状からうかがい知れる。
思えば、夫亡き後、幾つもの職場を経験したけれど、
行く先々で知り合った年下の女性たちとの交流は楽しかった。
人は、長く付き合えば親しくなるものとは限らない、
一瞬の交わりでも、お互いの心が響きあえば、
その存在は忘れがたいものとなって続いて行く。
改めて『一期一会』の大事さを思う。
「近々会いましょう」と書かれた文面を読みながら、
心の中で大きくうなずいた。
2004/02/01 (日) 晴れ のち 曇り
人間の子どもが次々と災難に遭っている。
思い出すのは、動物園に飼われた動物が育児放棄をするというニュース。
自然のままに育てば、群れの中で育児を学び、社会性をも身につけるはずの動物が、
群れから離されて幼い頃から檻の中で孤立して育つと
本能と思われていた行動もできなくなるという。
「母性」は本能だと表現されてきたけれど、
近年では、少なくとも人間に限って言えば、一概にそうとも言えなくなっている。
「母性」すらも、学ばなければ発揮できない能力となってしまったのか?
本来それだけの能力だったのか?
これだけ人が周囲に溢れていても一人一人の心は、
動物園の檻の中で、所在無げにウロウロと行ったり来たりする孤独な動物と同じなのか?
いつも楽しみにしてチャンネルを合わせるテレビ番組「ザ、鉄腕ダッシュ!」。
その番組で飼っているヤギが、ある夜、人知れず飼育小屋で子ヤギを出産した。
異変に気づいたスタッフが駆けつけた時には、子ヤギは半ば冷たくなっていた。
あわてて子ヤギを抱きかかえて囲炉裏の傍で温めるスタッフの向こうで、
母ヤギは心配そうにメェ〜メェ〜と鳴いていた。
ようやく元気を取り戻して母ヤギの乳に吸いつく子ヤギの姿は、
テレビを通して見る光景ではあっても、ホッとさせられるものを感じた。
ヤギの母親にできることが、人間の母親にできないとすれば危うい。
あえて“しない”とすれば、もっと危険な事態のように思う。
教育とは何なのか?
文明の発達とは何なのか?
おりしも世間では“学歴詐称”も話題になっている。
『愛情』とか『慈悲』とかいう感情は、書物を読んで身に付けるものではない。
自然界の生物としての本然に、静かに素直に耳を傾けることこそ
『愛情』や『慈悲』の発露につながると思う。
学歴や教育以前の問題なのである。
子どもを導く為の言葉や理論は立派でも、
言外の教え(背中で語る姿)が歪んできているのかも知れない。
背筋に冷たいものを感じるできごとが増えてきた。