2003/08/31 ()  曇り





8月も終わりとなると、夏が終わったなあとの感慨が深い。
学校に通っていた頃の、
夏は夏休みの終了と共に終わるという感覚が抜けない。

暑さのない夏でも、夏は夏。
去り行くと思うと、一抹の寂しさが胸の中をよぎる。

9月の声を聞くと、そろそろ一年の締めくくりへと心が急いて来る。
明日からはどんな心持ちで暮らそうか。

季節でもないのに、歩道に桜の黄色い葉がハラハラと散っていた。

2003/08/30 ()  曇り





「働く為に休むのか、休む為に働くのか」
まるで「卵が先かニワトリが先か」のような問答。

仕事に重きを置く生き方を選ぶか、趣味に重きを置く生き方を優先するか、
そんな意味合いの問いかけが、かつてバブル景気と呼ばれる頃にはあった。
その頃は、仕事を面白いと感じて、働くことに明け暮れる人もいただろうし、
やむを得ず、本来は没頭したいと思っている趣味や休息を犠牲にした人もいた。

今では、多くの人が「趣味」や「生き甲斐」を求めているように感じる。

皮肉なものだ。
趣味や休息を保証する経済的なゆとりがある時期には時間が無く、
時間的な空白が多くできてしまった時には経済的なゆとりが無くなっている。

ただ、発想の転換次第では、
お金をかけなくても趣味や生き甲斐を見つけることができると思う。

たとえば絵を描くこと。
道具を揃えた本格的な絵ではなくとも、手慰み程度の絵を描くことも楽しい。

押入れの整理をしていたら、スケッチブックが出てきた。
その中の一枚。


2003/08/29 (金)  晴れ





「愚直」=ばかしょうじき (岩波国語辞典)

愚直なまでに人を信頼してみるのもいい。

ただ、裏切られたと感じる行為を受ける場合もある。
その場合、裏切られた内容は、
単に自分の信念や思惑と相手のそれとが一致しなかったということであり、
相手の、または、こちらの人格の優劣の問題ではない。
そういう場合は、お互いの間に適度な距離を置くしかない。

歩み寄りには相互の踏み出しが必要であり、
どちらか一方のみの働きかけでは、対等な関係の復活は難しい。

相手の人格を尊重することにやぶさかでなければ、
関係修復は可能であり、たとえ修復できなくても、
それぞれの落ち着く場所で穏やかに暮らしていけばいい。

一人一人の人間は、
大き過ぎもせず、小さ過ぎもしない。

まずは、
自分自身に「愚直」でありたい。

2003/08/28 (木)  曇り





ハレー彗星も見逃した。
流星群も見なかった。
多くの天文観測の機会を逃して、
今年こそは、と意気込んだ火星大接近なのに・・・
連日の曇り空。

それでも、次第に近付く火星の輝きは見ることができた。
最接近の27日は見ることができなかったけれど、
今後の晴れの日に期待しよう。

「星の数ほど・・・」などという表現もあるほど星の数は数え切れない。
地球も、その星のひとつに過ぎない。
そんなことを実感させてくれる宇宙の現象。

2003/08/27 (水)  曇り





ペアの映画鑑賞券プレゼントに応募したら当たり!
映画「ゲロッパ!」
ところがこの映画、上映館が限られている。

友人を誘って行くことにしたのだけれど、都内にするか県内にするかで少し迷った。
県内の上映館の一つが、ディズニーランド近くのイクスピアリというショッピング・レジャーエリア内の映画館。

もう長いこと、ディズニーランドにも行ってないし、その近くの空気を吸って来るのもいいかな、
と言うことで、舞浜まで出かけた。

結果は・・・上々!
たまにはあんな雰囲気も楽しいなぁ〜

アンバサダーホテルの中の階段。
王子様とお姫様が、左右の階段から今にも現れて来そうな雰囲気。
ここはほんとうに別世界。


2003/08/26 (火)  晴れ  のち  曇り  夕方一時雷雨





我が家では、このところ毎日、ナスが食卓に上る。

私が子供時分もそうだった。
季節の野菜が次々に収穫の時を迎えると、
しばらくは同じ素材が食卓に並ぶ。

「またこれ〜?(ウンザリ)」などと、
口には出さずとも(否、口に出したりもした)不満に思うこともあった。
飽き飽きしていても、それしか食べる物が無いとなると、否応なく食べざるを得なかった。
食は楽しみである前に命をつなぐ営み。
美食を求める欲望を優先すると、とんだ自然のしっぺ返しを食らい兼ねない。

夏には夏野菜、冬には冬の野菜。
夏野菜は体を冷やす効果があり、冬野菜には体を温める効果があると聞く。
自然の成り立ちはうまく出来ている。
そして、人間も自然の食物連鎖の中で生きている。

住まいの周辺で収穫した物を旬で頂くことの大切さを見直してみよう。
その年、その土地の自然環境の中で一番良く出来た物こそ、
活力溢れる物に違いないのだと思う。

無い物や珍しい物を探し回るより、まずは、有る物から。

2003/08/24 ()  晴れ





海の花火を見て来た。
砂浜に座って、海上に打ち上げられる花火に去り行く夏を惜しんで来た。

しかし、花火も進化したなあと思う。
第一、色が豊富になったし、形も変化に富んできた。

頭上に開く大輪の火の花。
パッと咲いてパッと散る。
その潔さは見事!

帰宅してみると、
自宅周辺でも、遅ればせの夏祭りを開催しているざわめきが届く。

なんだかんだと言いながら、夏は去って行く。

2003/08/22 (金)  晴れ





いやぁ〜、カッコいい話を聴きました。

仕事帰りの車の中で、いつも聴いているラジオ放送。
一組の男女の軽妙な会話で進行されるその番組。
毎日違ったテーマで、視聴者からの経験談を募集している。
今日は「もう一度会いたいあの人」がテーマ。

例えば、
コンビニのレジにいたあのコ。
「お待ちの方、こちらにどうぞ」と隣のレジから声をかけられても、
そちらに移動しないで、お目当てのコのレジに並んでました。
最近見かけなくなったあのコ、会いたいです。
などという話が続きます。

その中で、際立って耳をひきつけられた話がありました。
「トリビアの泉」風に言うと【85へぇ】くらいの感動ものでした。

ある若い男性が北海道を車で旅行中、車のトラブルが発生して立ち往生していたそうです。
そこに通りかかった長距離トラック一台。
降りてきた運転手は、年のころ30代半ばの女性。
手際よくトラブルを解決してくれたその女性に、投稿者の男性は一目ぼれ。

「あ、あの〜、せめてお名前を・・・」と訊ねる彼に、
「聞いてどうすんの、泣くのはあんただよ」と一言。

立ち去るトラックの横っ腹には『魚運び屋 流れ星お銀』風な文字が・・・

いや〜、その男性ならずとも、その女性に一度会ってみたくなりませんか?
粋な女性っているもんですね。

2003/08/21 (木)  晴れ  (10日ぶりの晴天)





葉もの野菜を摂るには、できれば熱を通した方が良い。
ビタミンが壊れるという問題もあるにはあるのだけれど、
衛生面からも摂取量の面からも、その方が良さそうに思える。

が、ときどき生野菜のサラダのシャキシャキとした歯ごたえを楽しみたい日もある。
サラダには、なんと言ってもレタスは欠かせない。
そのレタス、扱い難い野菜である。
ちぎろうとするとバラバラになる。
折れ目のついた部分は、すぐに赤く変色する。

最近見つけたロメインレタスは、従来の玉レタスと違って扱い易い。
歯ごたえも、玉レタスのように水っぽくない。
玉にならないので、一枚一枚をはがし易い。
丈夫な葉は、炒めても十分に耐えられそうだ。

このところ、生野菜のサラダにはこのロメインレタスを重宝している。

2003/08/20 (水)  曇り





夜遅く仕事から帰ってきた次男が、人づてに聞いたという交通事故の話をしてくれた。
詳しい状況はわからないけれど、悲惨な事故だったらしい。

大型トレーラーの後輪にまき込まれた子どもが亡くなった事故のようだ。
国道を直進するトレーラーの後輪に轢かれた状況はどんなことだったのだろう?

もう20数年前、武蔵小金井市にある官舎に住んでいた時のこと、
向かいの棟に住む子どもが交通事故で亡くなった。
横断歩道で信号待ちをしている子が、左折車の後輪にまき込まれた事故だった。

事故があったらしいと小耳に挟んだ夕方、ベランダの洗濯物を取り入れていると、
声をあげて泣きながら人に支えられて階段を上る人影を、向かいの棟に見た。
それが事故に遭った子どものお母さんだった。
それは、こちらの胸まで苦しくなるような光景だった。

いつどこで遭遇するかわからない事故。
事故に遭った本人の不幸は言うまでもなく、周囲の嘆きも尋常ではない。
事故回避の為には、常日頃から慎重の上に慎重な行動を心がけたい。

落ち着きを失っている世情だからこそ、強くそう思う。

*(この事故は、39歳の男性が歩道から車道に出た為に起きた事故だったようです 8/21日:追記)

2003/08/19 (火)  曇り  ときどき  小雨





ふと思い立って、食器棚の整理をした。
日常に使う食器は、何時の間にか決まってしまって、
使われないまま食器棚の奥に眠りつづけている器が多く、
それらが場所をふさいでいる。

捨てようかな・・・残そうかな・・・
物の整理・処分をする時には、大いに迷う。

あれはあの時に買った物。
これは、家族の誰々があの時に作った物。
この食器を使っていた時、自分はこんな気持ちだった。

次々に浮かんでくる思い出。

結局、捨てようと決心がついたのは、ほとんど使ったことのない物が数点。
たいした整理にもならなかった。

それにしても、マグカップの多さよ!

ハンカチとマグカップはいただき物が多い。
したがって、この二種類はどんどん溜まっていく。
どうしたものか・・・

贈り物は消えるものが良い。
買ったわけではないのに、使い切れずに家の中を占領していく物を見ながら、
ときどき私は、そう思う。

2003/08/17 ()  雨





テレビドラマを観ながら、
「まるで、子どもの学芸会みたい」
と思うことが多くなった。

ときどき、昔の映画やドラマを再放映しているけれど、
あの当時の役者と同年齢の現代の役者の顔や、セリフに込める感情に、幼さを感じてしまう。

何が違うのだろう?

ひとつには、生活実感の希薄さのような気がする。

同じように貧しさに耐える演技をしても、
身近に「貧しさ」があった時代に育った者と、
「貧しさ」を知らないで育った者では、
演技の奥行きが違ってくるのは当然だろう。

そこを表現してこその役者だけれど、
なかなか、そこまでの勉強をしているような手応えが感じられない。

映画やテレビや雑誌などが、人の生き方に及ぼす影響を軽く見てはいけないと思う。
そう思って観ていると、学芸会のような演技や内容が気になって仕方がない。

乳飲み子の頃から『喜怒哀楽』の感情と四つに取り組んで暮らす、
そんなことが不足しているのかなあ・・・

2003/08/16 ()  雨  低温





いやあ〜、ビックリしたなあ、もお〜(いまどき、こんなこと言う人いないな、たぶん)
ティラノザウルスのウン○は1tだって!!

テレ朝「たけしの!こんなはずでは!!」で恐竜の話をやっていた。
ン億年も生き長らえた恐竜が、なぜ絶滅したのか?
3つの仮説の中に「便秘説」というのがあるらしい。

それまで食べていた木の葉には油分があったので、恐竜は快便だった。
ところが、生態系の変化で油分を含まない、花の咲く木が増え始めた。
食の変化で、腸内のすべりを良くしていた油が摂れなくなり、恐竜は便秘するようになった。
毎日1tものウン○が出なくなったら、そりゃあ大変でしょう!

それにしても、
その当時、この地球上に何頭の恐竜がいたか知らないけれど、
それぞれが、毎日数tづつウン○をしていたなんて・・・
辺りはどんな光景になっていたのだろう、
と想像するだけでも楽しい。

今日は、ウン○の話にビックリするやら可笑しいやら・・・

2003/08/15 (金)  雨       終戦記念日





今日は、太平洋戦争が終結して58年目の8月15日。

今晩はNHKの特番で原爆を取り上げています。

私の夫は、34歳で急逝骨髄性白血病を発病しました。
原因不明のこの病気ですが、なぜ夫がこの病気だったのか?
そのことで、最近になって、広島に投下された原爆にかすかな疑いを抱き始めた私です。

それは、歳の離れた義兄の言葉からでした。
「弟が白血病だったことは、単なる偶然ではないような気がする」と・・・
終戦当時、夫の長兄は中学生でした。
その義兄が、最近になってふともらしたこの言葉で、
私の胸のうちにも、広島の原爆への疑いが頭をもたげたのです。

夫は昭和21年5月の生まれです。
さかのぼれば、ちょうど原爆投下の昭和20年の夏に、夫は母親の胎内に宿ったことになります。
生地は、山口県とはいえ広島に近い土地です。
核爆弾の汚染が、風向きや何かの影響で広い範囲に届いてもおかしくはなかったでしょう。
情報の少なかったあの当時、
近辺の住民は放射能から身を守る術など思いも及ばなかったはずです。
住民だけではないでしょう、
日本の学識者も、投下したアメリカでさえ、その威力・影響力は未知のものでした。
原爆の影響がどの範囲まで、どのような害を及ぼしたのか、
調べ尽くせるものではなかったと思います。

義兄のひとことから、広島の原爆は以前にも増して、
私にとって無関心ではいられない出来事になりました。
戦争の傷あとは、いまだに癒えていないと思わざるを得ません。

夫の命を奪った白血病は、広島の原爆と無関係かもしれません。
しかし、関係を疑わせてしまうような原爆投下という行為があったことは確かな事実です。

ここ数年、原爆記念日・終戦記念日が近付くたびに考えてしまいます。

2003/08/14 (木)  雨  気温低め





今年のお盆は雨模様。
ノースリーブで出かけると、少々寒い。

タマネギをたっぷり使ったハヤシライスを夕食に作ろうかなぁ・・・と考えていたら、
鰯の開きを買って来ていたことに「ハタ!」と気付き、急遽メニューを変更。
(鰯の南蛮風)をメインに、揚げ物ついでにナスを輪切りにして油で揚げる。

明日こそは、ハヤシライスにしようっと!
お休みが続くと、台所に立つのも苦にならない。

2003/08/13 (水)  曇り





【つくば市にある文部科学省の高エネルギー加速器研究機構の研究において未知の粒子を発見か?】
というニュースが興味深い。

調べても調べても、研究しても研究しても、
し尽くすということはないことを再確認できる、
ただそのことだけでも、このニュースに触れた意味がある。

これは、素粒子物理学という専門的な学問の世界のことだけではなく、
あらゆることに共通することだと思う。

「もうこれしか道はない」「これが基本定理で、これに外れるものは間違い」等々
などと決め付けてはいけないわけで・・・

確かに時代が積み重なって行けば、知識も積み重なっていく道理だけれど、
それでもまだ、と言うより、知らないことの方が多いのだと、
私たちに教えてくれる、こうした「新発見!」のニュースは嬉しい。

2003/08/10 ()  晴れ





早朝、ヒュンヒュンヒュンと鳴り響く車両の防犯ブザーの音が耳について目覚める。

最近、車両の盗難が増えているせいか、防犯ブザーを取り付ける車が増えた。
ところが、センサーの感度が良すぎるのか、わずかな変化を察知して鳴っていることが多い。
人目の多い駐車場で、昼日中から鳴っているのは、いったい、何を警戒しているのか?
鳴れば持ち主は駆けつけてくるのかというと、どうやらそうではないらしい。
車に手をかける不心得物への威嚇効果をねらっているのかもしれない。

「1,2,3,4・・・・・・・」
数えてみると、およそ30の数を数えるか数えないうちに、次の音が鳴り始める。
「あ〜っ、う・る・さ・い・・・」
と思いながらウトウトしていた。

早くに目を覚ましていた次男が、ベランダから様子を見ると、
どうやら付近の住民で警察に通報した人がいるらしく、
バイクで警察官が様子を見にやって来たと言っている。

「ああ、これで何とかしてくれる」と、思ったものの、
様子を見ていると、すぐにはどうしようもできなくて、
通報者と共に車の傍で対策を考えている。

私は、しばらく野次馬していたけれど、諦めて家のうちに引っ込んでいた。

しばらくすると、
「○○ナンバー・○○○○、車種○○の車の持ち主の方は、
防犯ブザーが鳴っています。車の所までお越しください」
と拡声器の声がする。

やっと何とかしてもらえそうだと、再びベランダに出てみると、
バイクの警察官一人では手におえなくて、パトカーの応援を要請した様子。
拡声器の呼びかけは、このパトカーらしい。

周辺を広報して廻ったパトカーが、現場にスーッと戻ってくると同時に、
駅方向へ向かう階段の下から若いお兄さんが現れた。
近所の独身者アパートの住人のよう。

ここまでに数時間、ブザーは鳴りっぱなしだったことになる。

お兄さんは、お巡りさん4人と付近の住人数人に囲まれて、
大慌てで、車のエンジンルームを開けて対処していた。

パトカーの警察官は、手にしっかり書類を持って降りてきた。

あ〜あっ、あのお兄さん、防犯ブザーが鳴ったばかりに、
車庫証明のことまで追及されそうだなぁ・・・

マンションの下の道路を駐車場代わりにしている車は、普段からとても邪魔で危険な存在。
何度警告されても、その数は、減るどころか増えてすらいる。

迷惑駐車した上に、騒音まで響かせてしまったオニイサン、
そう、あなた、
たとえ皆が停めているからって、同じようにして良いかどうか、
今回のことでわかっってくれたかなぁ〜?

今朝の小さな事件の顛末。

2003/08/09 ()  強風と雨  台風10号通過





台風の動きを、テレビニュースで追いながら日が暮れた。
各地で被害を引き起こしながら北上して行く台風10号。

何度も浸水の被害に遭っていると言う女性が、
「直してもダメなんですよ。どうせ、また浸かっちゃうんだから」
と、インタビュアーに語っている。

生きて行く厳しさもいろいろある。
こうした自然災害に、何度も見舞われる厳しさと折り合いながら暮らしている人もいる。

それにしても、後始末がさぞ大変だろうなあ・・・

2003/08/08 (金)  晴れ  のち  曇り  午後  ときどき  雨              立秋





「桃の切り方、知ってる?」

三時のおやつにと、りっぱな桃を持参してくれた同僚が言う。

「え、知らない〜い。どうやるの?教えて教えて」
「桃って、丸ごと皮をむいて切り分けようとすると、一切れが不揃いになるのよねぇ」
「それに、みっともないし・・・」

みんな苦労してたんだぁ〜

(桃の切り方)

1) 桃太郎のお話のおばあさんのように、真中から縦方向に、種にあたるくらいまで包丁を入れて、グルリと回す。
2) 深い切れ目が入ったところで、桃を両の手で掴み、両側を互い違いの方向にねじて、半分こにする。
3) 半分こになった桃の皮をむき、その後、小分けに切り揃える。
4) 種のくっついている片割れの方は、種をスプーンですくい取ってから切り分ける。



手際よい同僚の手許を見ながら、その場に居合わせた一同、
「ふ〜〜〜ん」
と、感心することしきり。

その後、きれいに切り分けられた桃を、みんなで美味しくいただきましたとさ  (おわり)

2003/08/07 (木)  晴れ





職場のコピー機のメンテナンスに、業者の人がやって来た。
ちょうど事務所には私が一人だけだった。

30歳前後かと思われる年齢のその男性は、
熱心に自分の「子育て観」を語ってくれた。
小学校2年生を頭に、幼稚園の年長さん、年中さんの三人の男の子のお父さんだと言う。

平日は仕事で子どもとのコミュニケーションの時間が取れないので、
休日は子どもと遊ぶ時間を持つように心がけている、と語る。

「田んぼに農薬の空中散布がされる前でないとザリガニは釣れないんですよ」
「ザリガニの餌に持っていったイカも、ほとんどは子どもが食べちゃうんですけどね、ハハハ」
「自宅周辺が田舎なもんで、カブトムシがいっぱいいますよ」
「毎朝、子どもがカブトムシを捕って来て、今では何十匹も飼っています」
「カブトムシの餌代も馬鹿にならないので、子どもの小遣いから出させるようにしています」
「自分が勉強嫌いだったもんで、子どもに無理やり勉強させるつもりはないんです」
「子どもは、しっかりご飯を食べて元気でいてくれれば、ね」
「でも、ときどき言うんです。ちょっとは勉強しろよ、なんてね。ハハ」

などなどなど・・・・・

う〜ん、今どき、なんというしっかりしたお父さんなんだろう。
この人の子どもたちは、きっと幸せに育つだろう。

今日は、いい人に出会ったなぁ(私も幸せ♪)

2003/08/06 (水)  晴れ  ときどき  曇り





じっとしていても汗がにじみ出てくる。
こんな暑さの時には、全ての思考はSTOP。
まあ、そんな時には何も考えずにボンヤリしていましょう。

というわけで、近頃な〜んにも考えていない私。

い〜んじゃあな〜い♪
楽しいじゃん!
ハハハハハ・・・

あのことも、このことも、フフフで一掃。

友人が教えてくれたおまじないの一言。
「ヴァッカみたい!」

というわけで、
ようやく汗をかける季節になって、体調の良い私のたわ言。

2003/08/05 (火)  晴れ  午後遅くから  雷





ジャガイモがたくさんある幸せ。
土壌検査の済んだ安全な土がついたままのジャガイモ。
そんなジャガイモは、皮ごと食べる。

そのまま茹でて軽く塩を振りかけただけでも、極上の美味さを味わえる。
肉じゃがはもちろんのこと、千切りにして炒め物にするも良し、ポテトサラダにするのも好い。

畑から食卓へ直行する野菜の美味しさを存分に味わう日々が続く。

農業は好い。
農業は大切。

生きるための糧と知恵は、
そのほとんどを、土が与えてくれるような気がする。

気取ることも、くさることもない。
ただ、自分の中の野生の声に導かれていれば、
そうそう間違うことはないように思っている。

2003/08/04 (月)  晴れ





市議会議員の選挙活動が始まった。
公示前の挨拶も数々受けたけれど、誰に投票するかは未定。

選挙カーの名前の連呼が、開け放した窓から無遠慮に飛び込んでくる。
「うるさい!!」

やっている本人と運動員にとっては、それこそ必死の覚悟で連帯しているのかもしれないが、
選挙そのものに参加しているわけではない者にとっては、
張り上げるスピーカーの声が大きければ大きいほど白けてしまう。

「私は○○を実現いたしました」
「当選のあかつきには、○○をいたします」
そんなことは選挙公報を読めばわかること、
通りすがりに公約を叫ばれても、印象には残りづらい。

選挙活動や議員としてのふだんの行動のどんなところに有権者が注目するか、
そこに気がつかなくては、本当の意味での市民の視点に立った議員活動はできないだろう。
議員のイスを確保・継続させるためのみに見せる「物分り良さそうな態度」には、市民はなびかない。

政治の貧困、有権者の政治離れ、それは一体どうしてそうなったのか?

選挙が始まるたびに「おともだち」から届く立候補者推薦の手紙や電話または訪問を受けながら、
「何かが違うよなあ・・・」と心が冷え冷えと凍えていくのを自覚する。

政治を志そうとすれば、まずは、人間探求から始めた方が良いと思いますよ>センセイがた
それも、ご自分の身の回りの人々から、特にご自分から始められることをお勧めします。

現実的な政策を黙々と実行している人は、決して声高でも派手でもないように思うのですが。

2003/08/03 ()  晴れ





急にやってきた暑さに戸惑いを隠せないセミの鳴き声が遠慮がちに響く。
室内から眺める景色の中で風に揺れる木々の葉も、何やら気だるそうな午後。

週末のテレビ番組で知る世情も、これといった芳しいニュースは無い。

こんな低調な雰囲気の中、グイッと足を踏ん張る人もいるのに、
ほとんどの場合、そうした個人の踏みこたえはアッサリ崩されてしまいがち。

「自分が、自分が」「仲間だけ、仲間だけが」と固まる狭量な了見は、
大事な人や物や事を見失わせてしまうような気がする。

肝心なのは『判断力』。
何をもって良しとするかは人それぞれだけれども、
自分を高みに上げるために、
対岸にある(と思い込んでいる)何かを、誰かを、
貶めるようなことは慎みたいものだと思う。

『達成の栄冠』は一つだけではない。
およそ人間の着手することには、それぞれに『達成の栄冠』は用意されている。
他人が目指す栄冠をうらやんで、それを横取りしよう邪魔しようと画策する必要はない。
そんなことをしている間に、自分に用意された『金の冠』は、どんどん磨り減っていく。

いま自分にできることにまい進し、他人の努力に刺激を受けて、我が身を磨く糧としたい。

2003/08/02 ()  晴れ





やっと梅雨が明けたのか、暑い一日だった。

そんな暑さの中、午前9時から三時間を農作業。
日陰のない畑で動き続けると、さすがに午後からはグッタリ疲れていた。

今日は、手賀沼花火大会。
午後7時ちょうど、ドーンパチパチパチと花火の打ち上げが始まる。
昼間の農作業の疲れで、今年は会場まで歩いて行く元気がない。
ベランダから花火見物。

年々工夫が凝らされていく打ち上げ花火。
色もとりどり、形もさまざまに変化に富むようになった。

「あ〜、きれい!わ〜、すごい!」と単純に喜んでいられた時代はよかった。
「一発○○万円なんだよねぇ・・・それが一瞬にしてはじけるんだねぇ」
なんて余計なことを考えるようになってしまった自分。

花火は威勢良く潔いところが好い。
パチパチとはじけて天空に一瞬の絵を描く花火を観ながら、
涼しい風に吹かれていた。


2003/08/01 (金)  晴れ  のち  曇り





梅雨が明けぬままに、もう八月になってしまった。

異常気象、異常気象と言い立てるけれど、
毎年規則正しく同じように訪れる季節は、ない。
あくまで自然の現象であるからには、そこに不変のルールは成り立たない。
長引く梅雨にいくら文句をつけようと、それは人間の力の及ばないこと。

時間の流れの中にゆったりと身を任せ、
自然の織りなす現象の不思議さに驚いて生きていたい。

何かを自分の望む方向にねじ向けようとすることの無理を、
つくづく思い知るこのごろ。

「そのまま」に放置しておけば「なるようになる」、こともある。