2003/04/29 (火) 晴れ 午後 風ふく みどりの日
しばらく国内のニュースにご無沙汰していたら、けっこういろいろなことが起きている様子。
何か、妙なことが多過ぎるような気がする。
細かく報道されるようになったから、妙なことも数多く見聞するのか?
妙なことが多く発生するから、ニュースもそんな話題でもちきりになるのか?
昔から常識や良識として、広く共通理解されていたことが、
今では通用しなくなってきている。
四文字熟語だって、ちょっと前までは話題に出しても通用したものが、
今ではおじさん用語と呼ばれて、からかいのネタにされることもある。
誰でもが知っていた故事ことわざも、
今では、説明をしなくてはわかってもらえない。
まして、礼儀作法となると・・・とてもとても言い出せる空気ではない。
その一方で、何かにすがろうとして「まやかし」の論理にた易く入れ込んでしまう人間も多い。
労力を必要としない、簡単で理解しやすいことが好しとされる時代には、
人間の思考は鍛えられないような気がする。
体も精神も頭脳も、もっと汗を流して鍛えた方が良さそうなのだけれど・・・
2003/04/28 (月) 晴れ
御茶ノ水を通るたびに立ち寄る店がある。
千代田線・新御茶ノ水駅を上がったところにある「SHOP IN」と、
地上に出て、「丸善」書店に立ち寄るのが楽しみのひとつ。
「丸善」書店は、昔から洋書の扱いが多い。
そのことが、私が若い頃からこの書店を好きな理由。
もうひとつの「SHOP IN」には、若い女性を対象にした小物雑貨が品揃えされている。
ぶらりと店内を見て歩くだけでも、十分に楽しめる。
昨日、四ツ谷まで出かけた時も、ちょっと寄り道をしてきた。
あるある、カラフルににぎやかに、小物や衣類や雑貨が並んでいる。
ちょっと前(と言っても10年前)と違うのは、文房具関係が少なくなっていることかもしれない。
それだけ、遊び心で紙に文字を書く若者が少なくなったことのような気がする。
まあ、御茶ノ水には、丸善書店の隣に文房具専門店があるので、そちらへ行けば時流に沿った文房具は手に入る。
「SHOP IN」で、以前から欲しいと思っていた物を買った。
それは、ナース・ウォッチ。
看護婦さんの胸に揺れる、あのブローチタイプの時計。
ウォーキングするにも山歩きするにも、汗ばむ行動には腕時計はうっとおしい。
そんなわけで、前々からナース・ウォッチはいいな、と思っていた。
(時計は値段が高い)という観念から抜け出せない私の目に、
そのナース・ウォッチの¥1980は、魅力的だった。
いろいろなカラーの中から、メタリックの淡いサーモン・ピンクを選んだ。
シンプルなデザインと文字盤が、大いに気に入っている。
脈拍も測れるようだけれど、こちらは私の使用目的には入っていない。
帰宅してさっそく、ナースのように胸につけてみて、あることに気がついた。
老眼が進行中の目には、胸の位置では近すぎて文字盤が読みづらいということ。
というわけで、くだんのナース・ウォッチは、私のウェストちょっと上のあたりで落ち着いている。
2003/04/27 (日) 薄曇り のち 晴れ
久しぶりに「東京・生と死を考える会」の集まりに出席。
デーケン先生が、3月に上智大学を定年退職なさって、
しばらくドイツにお帰りになるということで、その前にお会いしたいという想いが、私に足を運ばせた。
先生の今日の講演のテーマは「ゆうゆうユーモア人生のすすめ」。
私が、デーケン先生から学んだことの中で一番大きな人生のテーマが『ユーモア』について。
人を傷つけることもある軽口やジョークではなく、人への愛と思いやりの発露としてのユーモア。
それは、たとえ自分自身が苦しみや悩みの只中に放り出されていようとも、忘れてはならないものだと知った。
このことを常に心に留めるようになって、私は、自分自身が変われたように思う。
もう10年近く前になる、デーケン先生との出会い。
一番最初に、私の心をとらえたこの言葉を、今日この日、改めて心に深く刻んだ。
デーケン先生の講演のレジュメの中から、記憶に留めておきたい一節を記しておきたい。
★ 希望への祈り〜神よ、私に変えられないことは、そのまま受け入れる平静さと、
変えられることは、すぐにそれを行う勇気と、
そしてそれらを見分けるための智恵を、
どうぞ、お与えください。
2003/04/26 (土) 薄曇り 晴れ 気温高め
来週からゴールデン・ウィークに入る。
今年の休日は土日と重なり、あまり期待できそうにない。
作詞家であり作家である(なかにし礼)さんが、小学生に授業をされるという番組を観た。
「ようこそ先輩:課外授業」というこの番組は、ときどき観ている。
たいていの場合は偶然チャンネルを合わせることが多い。
今日の場合も、そうだった。
言葉を綴るという仕事柄、なかにしさんの授業は、6年生に作文を書かせることだった。
テーマは「言えなかった言葉」
別室で子どもたちの作文の仕上がりを待つなかにしさんの所に、
ポツリポツリと子どもたちが原稿用紙を持ってやってくる。
言えなかった言葉としては、「ごめんなさい」と「ありがとう」が圧倒的に多い。
それも、言おうとした対象は家族か友だちが多い。
社会活動の範囲の狭い子どもたちなら、それは至極当然のこと。
一回目の作文を、なかにしさんに鋭く指摘されて書き直す子どもたちの『考える表情』が印象的。
なかにしさんは最初に「文章を書くことは自分と向かい合うことです」と語り、子どもたちは作文を書き始めたのだった。
「自分と向かい合う」・・・この言葉の意味するところが理解できず、通りいっぺんの言葉並べをしてくる子どもたち。
なかにしさんの指摘は鋭い。そして、指摘を受けて涙ぐむ子どもも・・・
その涙は、作文を批判したなかにしさんに対するものではなく、
なかにしさんの問いかけが、子どもの心の奥深くにしまい込んだ感情に働きかけたからのように思えた。
そして、書き直した作文の幾つかを本人がみんなの前で読む。
最初に書いた文と書き直した文の違いがハッキリとわかる。
聞きながら、こちらも涙が出そうになってくる。
子どもたちが、できれば避けたいと思ってきた「もうひとりの自分」と真剣に向き合ったことが伝わってきた。
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拙いながらも文章を綴る私は、なかにしさんの「自分と向き合う作業」という言葉に納得する。
他人から誉められようとか、仕方がないから無難な言葉で切り抜けようとか、読者を喜ばせようという追従や世辞、
そんな書かれ方をした文章ではなく、
自分を見つめながら、どこに心の真実があるのか、それをどのように表現するのか、
考え考え原稿用紙を埋めていく作業は、まさに辛い。
辛いけれども、書き終えたあとの清々しさは書いた者にしかわからないと思う。
作文とは、心を文字に変換していく作業に他ならない。
そして同時に、作文することはセルフ・カウンセリングの効果をも生み出す。
2003/04/25 (金) 曇り
今年も、咲き終わったタンポポが、茎の先にまあるい綿毛をつけている。
まるで、赤ちゃんのケープの紐についているポンポンのような白い綿毛の球は、
原っぱのあちらこちらで、飛び立つ日を待ちわびている。
そっと折りとって、ふっと息をふきつけると、フワ〜リフワリとこぼれていく。
小さなタネをたった一つくっつけて、タンポポコプターはどこへ飛んでいくのだろう。
タネを手のひらにのせて、不思議だなあとつくづく眺める。
こんなに小さくて硬くて乾いた種が土に落ちると、
やがて芽が出て茎が伸び、花が咲く。
人間も、全ての人が一人一人、数知れないタネを持って生まれてきたのだろう。
それぞれが違った場所に誕生し、異なった成長をするうちに、
どのタネが、どの時期に、芽吹いて花を咲かせ実を結ぶのか・・・
一つだけのタネではないのだから、どのタネかは、人生最期まで芽吹きの可能性がある。
希望のタネはいつも、自分の中にある。
そう信じている。
2003/04/24 (木) 曇り
近所の大手スーパーがリニューアルオープンしたというチラシが入っていた。
目玉商品が並ぶ中に、いつものあのインスタントコーヒーが298円になっている。
どんなに安くても398円。それもめったにお目にかからない。
普通なら598円から698円、定価だと800円くらいだろうか。
しかも、今日だけのサービス価格。
「すごーい!絶対にお買い得よ、これ!」
今日の買い物は、あのスーパーに決まり!
ところが、チラシには【お一人様一点】と書いてある。
少なくとも二本は欲しいところ。
さてさて、仕事を終えての帰り、急いでくだんのスーパーへ直行。
さすがに駐車場も店内も、いつもより多めの客足。
「え〜っと、コーヒー、コーヒーっと・・・」
あった、ありましたよ、見慣れたラベルのインスタントコーヒーのビンが。
ちょうどそこへ、リニューアルオープンの為の助っ人要員らしいお兄さんがやって来た。
「ねえねえ、これって一人一本なのよね」
「職場のコーヒーも買う予定なんだけど、別会計でもう一本いいかしら?」
そのお兄さんニッコリ笑顔で「お友達はご一緒ではありませんか?」
と訊きながらも、もう一本手渡してくれた。
その場を立ち去りがたくしていると、
「職場には他の方もいらっしゃるでしょうから」と、もう一本。
ヤッタネ!
残る心配はレジの通過。
「お客様、この品物はお一人一点になっております」
「他のお客様から苦情が出ますので、今回はよろしいですが次回からは一点にして下さいね」
と注意されながらも無事にレジを通過(ホッ)
自宅用に一本、職場用に二本のコーヒーを確保した。
その直後の車の中でラジオのDJが読み上げた読者の投稿ハガキの内容は・・・
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「ねえねえ、このティシュー178円だったのよ!安かったわぁ〜!」
と喜び勇んで亭主に自慢したら、亭主ボソリと、
「おれパチンコで10万円損した・・・」
結局、実家に生活費を借りに行きました。
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というもの。
1円10円に目の色変えてやりくりするこの気持ち、
議事堂の椅子でお昼寝するあの人たちに
「わっかるかなぁ〜、わっかんねぇだろうなぁ〜」
2003/04/23 (水) 曇り ときどき小雨 夕方一時陽射し
【今日の受け売り】
作家の塩田丸男さんのエッセイを読んでいたら、面白い記述に出会いました。
ある宴席で塩田さんが、歌舞伎の名優岩井半四郎さんのグラスにビールを注いだ時のことです。
テーブルに置かれた岩井さんのグラスに、
「置き注ぎで申し訳ありませんが」とビールを注ぐと、
それまで隣の人とお話し中だった岩井さんが振り向かれて、
「私どもの世界では、縮緬と申すのですよ」とおっしゃったそうです。
『置き注ぎ』を、なぜ『縮緬』というのか。
それは、
反物の寸法を測る時は、物指しと反物を合わせて宙に浮かし、
反物にしわやちぢみが出ないようにピンと伸ばして測ります。
ところが、縮緬だけは例外で、畳の上においたまま、生地を伸ばさずに物指しをあてがう。
そうしないと、縫い上がったものがつんつるてんになってしまうからです。
(置いたまま尺をとる)→(置き尺)→(置き酌)で、『置き注ぎ』のことを『縮緬』というのだそうです。
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こういう発想こそ、上質なユーモアと言えるのでしょうね。
2003/04/22 (火) 晴れ
姉から財布をもらった。
鹿革に漆で柄付けした“甲州印伝”の財布。
赤い地にベージュのトンボ柄。
新しいものに関心を失って暮らしていると、
何となく気分もマンネリして、
持ち物だけでなく自分までくたびれて来るのかもしれない。
たとえ小さな品物や出来事であっても、
絶えず新しいものに目を注ぎ、
これまでのものを見直しながら暮らして行かなければ、と思った。
ささやかな品物に呼び覚まされた大きな気づき。
(お姉さん、五円が入ってなかったよ〜〜!:笑)
2003/04/21 (月) 午前中 小雨 午後 晴れ&強風
アメリカハナミズキの花が満開!
紅白を並べて植えてあることが多く、その色の対比が華やぎを感じさせてくれる。
ヤマブキの花も咲き始めている。
こうして、花の移り変わりに視線を休めなければ、
気持ちが荒んでいきそうな事件が多いこのごろ。
2003/04/20 (日) 雨 ときどき 曇り
年度替りの気ぜわしさが、やっと落ち着いてきたように感じる。
バタバタと毎日を送っているが、気がついてみると何も片付いてはいない。
それどころか、次から次へと新たな用事が山積みになって放置されていく。
家の中の整理整頓は言わずもがな、書類の整理に身辺雑事の簡素化など、
「行政改革」が必要なのは、何も国政レベルばかりではないようだ。
何が一番重要で何を切り捨てていけば良いのか、一度ゆっくり考える必要がありそうだ。
「あれもこれも」と欲張っても、限られた時間の中でのやりくりには限界がある。
時間だけではなく、経済的にも体力的にも、既に無理はできないことを自覚せざるを得ない。
シェークスピアの「ハムレット」の中でハムレットがオフィーリアに言うセリフ、
「尼寺へお行き。……行くんだ、尼寺に。それもすぐに。さようなら」
あ〜あっ、私も尼寺に行きたくなってしまう。
おっと、そんな逃げ腰なことを考えている場合ではなかった。
今度の連休は本気で身辺整理をしなくては・・・
2003/04/19 (土) 晴れ のち 曇り
ちょっと前(いや、だいぶ前だったか)、九州にお住まいの高齢の大学の先生が、
健康法として「天つき体操」をなさっているという話をテレビでやっていた。
「『天つき体操』だって、うふふ」と、思わず微笑を誘うような話だと思っていた。
ところが、これが意外に体に良いらしいことに、最近気づいた。
体を『火』の字のように開き、静かに沈めて天をつくように伸び上がる。
ただそれだけの運動だけれど、腰や背中が丸くなり体全体が縮こまりがちな時にこれをやると気持ちがいい。
傍から見ると、ちょっと間抜けな光景かも知れない。
また、二三日前に耳にした話は、
運動や行動をする時に、同時に声を出すと良いということ。
スポーツの選手が掛け声もろとも動いているのは、あながち勢いづけだけではなく、
そうすることで、より力が出せるのだそうだ。
大きな声を出すことは、それだけ大きな呼吸ができるということなのだろう。
ちょっとした時間に、エアロビクスのような色々な動きはできないけれど体をほぐしたいなら、
「ヨイショー、ヨイショー!!」と声を出しながら『天つき体操』をするのも良いかもしれない。
ただし、これをやる時には、だれからも見られない所で一人でやった方がいいかも・・・
自分で想像してみても笑える姿だもの。プッ (^0^)
2003/04/17 (木) 晴れ
桃の花だろうか、一本の木にピンクと白の花が咲く。
のどかな光の中で、遠目にもハッキリと確認できる。
そんな木がたくさん見られる新しい通勤路。
信号待ちをしていたら、車の横をツバメが飛んでいった。
人間の問題行動を進化論で読み解こうとする本を読んでいると、
当該行動以外のことにもあてはめて考えてしまう。
人類発生以来、気の遠くなるような時間が過ぎているのだけれど、
ヒトは進化しているのだろうか?
社会的な現象やルールの変遷はあるけれど、
案外、ヒトそのものの本質は、その昔と比べても、
さして変わりはないような気がする。
それとも、ヒトは退化しているのか?
退化を文明で補っている?
文明が退化を促進している?
おりしも(SARS)とやらの伝染病が世界を震撼させている。
コロナ型ウィルスとか・・・またまた耳慣れない病原菌が・・・
耳慣れないと感じるのは、単にヒトの知識として表出しなかっただけで、
その存在そのものは、太古の昔からあったのかもしれない。
もし、そのウィルスが昔からあったものではなく、突然に発生したか何らかの変異種であるなら、
ウィルスの進化と呼べるものかもしれない(ヒトや動物にとっては嬉しくはないが)
「かつ消え、かつ結びて・・・」
宇宙内存在の運命は、ウィルスであろうが恐竜であろうがヒトであろうが、
命をつなぎながら、あるいは、その命さえつなげぬままに消えていくことに変わりはない。
そんなことを考えていると、数千年も一所で命を永らえる樹木が、とてつもなく偉く見えてくる。
あれこれとクルクル考え込む日々。
2003/04/16 (水) 晴れ
図書館にリクエストしてあった『シンデレラがいじめられるほんとうの理由』が手に入った。
さっそく読み始めたのだけれど、連日の多忙でなかなか読み進めない。
読み進めない理由はもう一つあって、翻訳された文章がややこしくて一度に呑み込めないときている。
翻訳ものはこれだから厄介。
原語で読めれば良いのだけれど、それほどの語学力もなく原書が手に入るチャンスも少ない。
そうなると、全てを翻訳者という仲介を通しての内容理解に頼るしか方法はない。
フィクションの娯楽物であれば、前後関係からある程度の推測はできるのだけれど、
ノンフィクションや学術的な色合いの濃い内容になると、まずは、翻訳者の内容理解が前提になる。
読者の理解は、翻訳者の後の二次的な理解にとどまる。
**********
なぜ、シンデレラがいじめられるのか?
このタイトルを見た限りでは、多分に情緒的な内容しか予想できなかった。
美しくて、性格が良くて、薄幸な少女がいじめられる理由が述べてあるのかと・・・
ところが、これは進化論の立場から見た、義理の親子関係の話だった。
継親は、なぜ継子をいじめるのか?という話。
つがいを為した虫や鳥や動物が、育児中に伴侶をなくして新しい相手とペアになった場合、
新しく来た親は、前の親の子どもをどのように扱うか・・・
自然界において、親が子どもに与える保護や愛情は「資源」であり、
その「資源」を、虫や動物が、自分の遺伝子とは異なる子どもに与えるかどうか、というところから話は発展する。
まだ読書途中なので、これからどのような結論が導きだされるのか不明。
古今東西、継子いじめの話は数多くあるけれど、
こうした人間の問題をもダーウィン理論に照らし合わせて考察する、最新の進化論が展開されている。
**********
今日は、
「人間も自然の一部なのだ」という表現を、
(本から・ラジオの話題から・新聞記事から)
それぞれ別件ながら、読んだり聞いたりした日だった。
2003/04/15 (火) 雨
「まっすぐ」であることが批判されることもある。
あの手この手を使える柔軟な人を、うらやましいと思ったこともある。
が、人はそれぞれ、持って生まれた性格で生き長らえた年数が積み重なれば、
180度の転換は難しくなる。
「それでいい、そのままでいいんだよ」と自分に言い聞かせながら、
できる限り「まっすぐ」な道を歩いていこうとする自分を自ら労わっている。
面白くなくても、刺激的でなくても、
他人に「好し」とされる生き方ではなく、
自分が納得できる人生でありたい。
そう思う。
2003/04/14 (月) うす曇り
通勤距離が少し長くなったので、これまでに比べると、朝は20分早めに家を出ています。
その通勤経路も、これまでのような自宅付近の小道やわき道ではなく、
ほんの短距離ではありますが、国道も通らねばなりません。
一日の道路利用状況には、時間帯による特色が生じるのでしょう。
ちょうど、通勤電車で毎朝見る顔が決まって来るように、
道路の場合も、同じ時間に同じ車にすれ違う機会が多かったりすることがありそうです。
車の場合は、電車の場合と違い「顔見知り」になることは無く、
せいぜい「車見知り」ということで終わりますが。
ときどき道路わきに腰掛けて、手には計数器を持って調査をしている人がいます。
排気ガスを吸いながら、一日座っているのは大変だろうなぁと思うのですが、
一度やってみたいとも思ったりします。
一日を通して眺めていると、何か道路の物語が聞こえてきそうに思えるのです。
人々の生活や心が行き交う「道」というのは、不思議に魅力があります。
2003/04/13 (日) 晴れ
春らしい陽気に誘われて、気持ちよく選挙に出かけたは良いけれど、
誰に投票しようかと、立候補者の名前を見ながら考えた。
あの人に入れようか、この人にしようか、
どの人に投票しても変わりばえしないような顔ぶれに見えてしまうのが情けない。
ちょっとした贈答品を求めて、大手のデパートへ。
ちょうど「プリンセス・ダイアナ展」の最終日に二日前、立ち寄っていくことにする。
幼い頃からのゆかりの品々からプリンセスになってからのドレスや持ち物などが展示されていた。
圧巻は、ロイヤルウェディングの時にテレビで見たあのウェディングドレス。
高名なデザイナーの手になる数々のドレスも、主を失った今は、ただひっそりと単なる衣服として静まり返っている。
旅行カバンも洋服も、使う人が使っていてこそ命を吹き込まれ生き生きとしてくるのだなぁと感じ入った。
イギリス貴族スペンサー家ならではの王冠とティアラも目を引いた。
美空ひばりの遺品の展示の時にも感じたことだけれど、
テレビや雑誌などでしかお目にかかったことの無い人の手に触れ、その身を飾った物を間近に見ると、
その品々を使っていた当時、主はどんな喜怒哀楽を生きていたのかと思いを馳せてしまう。
有名であろうと無かろうと、人の幸福感は変わらないもののような気がする。
2003/04/12 (土) 晴れ のち 雨
ボランティアでジャガイモの植え付けに行く。
3haばかりの畑に2−30人の人手。
ほとんどが、もう若いとは言えない年齢の者ばかり。
それなりの人生観や価値観を築いた人たちの集合。
始めのうちは、
「30cm間隔に植えてください」と言われた「30cm」にこだわる人、
体力の必要な溝堀りばかりを引き受けて、その距離の長さにくたびれる人、
それぞれの動きがうまくかみ合わず、仕事の進行状況に無駄があるように見受けられた。
昼食を済ませ、怪しくなった空模様に急かされるように午後の作業に入ってから、全体の動きが変わった。
自分の体力に合わせた仕事と役割の分担が自然に生まれ、作業の流れは順調で手早くなった。
本格的な降りになる前に何とか作業を終える。
「関心と意欲」をもって事にあたれば、
意外にも大きな仕事ができるものだと、ある種の感動を覚えながら帰って来た。
長い人生を、自分の足で歩いてきた人たちの経験は、あなどれないと思う。
体力勝負の農作業だけれど、無理さえしなければ一生できる。
ますます楽しくなりそうな予感。
おみやげに頂いた掘りたてのエシャロット、
良い香りで、しかも甘い。
お店で買うと辛味が強くて口の中がヒリヒリすることが多いのだけれど、
収穫したばかりのせいか、美味しかった。
土と親しみ、土からの贈り物に舌鼓を打つ幸せ。
2003/04/11 (金) 晴れ のち うす曇り
天候を気にしながら夜の宴会に出かける。
幸い、帰宅時にも雨は降らず、楽しい思いを胸に帰って来た。
イラクの政権が崩壊したと連日のニュースで伝えている。
統制するものの居ないバグダッドでは、盗みが横行している様子を画像が映し出す。
殆どの場合、戦争やクーデターや自然災害で無秩序化した都市では、こうした光景が繰り返されるのだそうだ。
そんな中での例外が、あの阪神淡路大震災の際の日本の状況だという。
治安の行き届かない状況にあっても、大きな不法行為もなく復興に向けて人々の心がつながった稀有な例だそうだ。
本来の日本人の持つ礼儀正しさや謙虚さ、道徳心などが証明されたようで嬉しい。
こうした特性をもつ日本人こそ、世界をつなぐ接着剤の役割を果たせるといいのに・・・と思う。
いまひとつ、自己アピールの上手くない国であり国民性であるようだ。
2003/04/10 (木) 晴れ
小動物の死骸を見つけた。
手足の爪の形からするとモグラらしい。
せっかくの春を喜んで這い出してきた途端に見舞われた「モグラの不運」か。
その近くに天使の羽(?)も落ちていた。
両翼をつなぐ骨が残る一対の羽は、まるで天使の背にくっついている羽のようだった。
骨の部分には、わずかに血痕が。
大きな鳥か肉食の動物に襲われたのだろうか?
鳩の羽。
自然にあるものは常に、命の存続を脅かされながら生きている。
生まれたものは必ず死ぬ。
そんな当たり前のことを前もって知っているのは、生物の中でも人間だけだろう。
その代わり、人間は言い知れぬ不安と怖れに悩むことになった。
そこに宗教が求められる所以があるのだと思う。
2003/04/09 (水) 晴れ 風 時おり小雨
カサブランカという花は、艶(あで)やか。
スカシユリを大きくしたような花姿にも存在感がある。
強い香りを放つ。
新しい職場の玄関に、二十個ばかりの花をつけたカサブランカが飾ってあった。
始めは白っぽい色だったのが、次第にピンクの色味が強くなっている。
その近くを通りかかると良い香りが漂ってくる。
この時期はワスレナグサの花が咲き始めているだろう。
ワスレナグサは、特別な香りがあるわけではなく、
目を近づけて見ないと形が分からないほど花は小さい。
しかし、たくさんの花が集まって優しい雰囲気をかもし出す。
カサブランカとワスレナグサ
バラとカスミソウ
どの花も好ましい。
2003/04/08 (火) 雨 強風
満開の桜を吹き散らす「春の嵐」。
雨が降り、風がふいて荒れ模様の一日。
新しい職場で、何から手をつけたら良いのか迷いながらの日々。
こういう時期は、疲れも倍増する。
勤務時間には自覚しない「疲れ」も、帰宅すると一気に襲ってくる。
とは言え、懸命に働いた後の疲れは心地よいとも言える。
年齢がすすむと、新しい環境に慣れることに困難が生じるとは聞いていた。
事実、長年住み慣れた土地を離れ、子どもの家に同居するようになった老親が、
慣れない土地で急速に痴呆症状をきたした例を何件か知っている。
こうして新しい職場に変わるのも、これで何度目になるだろうか。
思うままには動かなくなる心身を感じる時もある。
時にはのんびり、ある時には自分を励ましてストレスをかけながら、
生活に緩急のリズムを保ちながらやっていくことが大切なのだなぁ、と感じている。
2003/04/06 (日) 晴れ 風強し
漫画文化も定着してきた。
漫画に親しんできた世代は、難なくその内容を追っている。
実のところ、私は漫画を読むと疲れる。
せいぜい新聞の4コマ漫画が関の山、一冊まるまるは読みきれない。
活字を読むことで、自分なりの想像力と理解を楽しむ世代と、
絵を読むことに慣れた世代との隔たりを感じる。
どちらがどうということではなく、そんな違いが興味深い。
リクエストしてあった本が戻ってきているからと図書館から連絡があり、受け取りに行く。
あれこれ用事を片付けて、午後遅くなって図書館に駆け込む。
そこで、ここ数年ご無沙汰していた知人数人に出会う。
お互いに笑顔で短く言葉を交わして別れた。
人の出会いの不思議さ・・・
人は、出会った全ての人と縁(えにし)を結べるわけではないのだなぁ・・・
一方、誰とも縁(えん)なく過ごすわけでもない、ということも真実。
知人のほほえみと言葉掛けに接して、帰途、桜がいっそう華やいで見えた。
2003/04/05 (土) 雨 風
まさに「花冷え」、終日、雨と風。
咲きそろったばかりの桜から、
散る時を待たずにこぼれ落ちた花びらやつぼみが、
濡れたアスファルトに小花模様を描く。
あ〜した天気にな〜れ。
2003/04/04 (金) 曇り
ちょうど桜が満開を迎え、今が見ごろ。
いつになく待たれた今年の桜。
誰に媚びるわけでもなく、ただひたすら花を咲かせるその姿を見ながら、
私の胸の氷も融けてゆく。
縮こまっていた『わたし』がゆっくりと手足を伸ばし、体中に気が満ちてくるのがわかる。
善き人との出会いは、時に人をよみがえらせる。
そういう場合、善き人は何をしてくれる訳でもないのだけれど、
ただ、そこに『善き人』として、居てくれるだけで救いになる。
できれば自分も、『善き人』として存在したい。
花は競わない。
私も競いたくない。
2003/04/02 (水) 雨
通勤経路が変わったことで、買い物できる場所を新たに探さなくてはならない。
仕事帰りに、なるべく時間の損失のない場所のスーパーに立ち寄りたい。
新鮮な品揃えで安価なら、なお良い。
近くに、衝動買いを誘うような店が隣接していなければ、なおなお結構。
こうした条件にほぼあてはまる店を見つけた。
つい1−2年前から営業を始めたスーパーで、
傍を通ることはあっても、自分が利用する日が来るとは思わなかった。
品物・・・新鮮 値段・・・まあまあ 場所・・・OK 周辺・・・その店だけ
生活者にとっては、日々の消耗品の買出しは重要問題。
さっそくクリアできたようだ。
2003/04/01 (火) 晴れ
あれこれで忙しくしていて、すっかり忘れていました。
はい、今日はエイプリル・フールの日だったのです。
戦争が終わったよ。
どうやら仲直りの方向で話し合いが始まるらしいよ。
世界中に花が咲きそうだよ。
ああ、そんな嘘がほんとうになるなら・・・