2002/10/31 (木)  晴れ  のち  曇り





なんだかんだ言いながら(正確に言えば「言えないながら」)10月も最終日。

夕食の献立に行き詰まると、カレー。
ふっと、ある日突然食べたくなって、カレー。
カレーライスかライスカレーか、
どちらがどうなっているのか知らないけれど、
カレーは便利なメニュー。
ベーコンを別に炒めてご飯に載せて、
野菜カレーをかけていただく。

おいしかった、ごちそうさま。
小さな満足。

2002/10/30 (水)  晴れ 冷たい風





おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきそうじゃないか 
どこまでゆくんだ  ずっと磐城平の方までゆくんか
 

これは山村暮鳥の「おうい雲よ」という詩。

私は流れる雲を眺めていると、いつもこの詩を口ずさみたくなる。
青空にゆったりと浮かぶ雲には、何の屈託もないように見える。
さまざまに姿かたちを変えながら、ちぎれたりまとまったり・・・

ま、色々なことがある。
胃がキリキリと痛む日は、そっと心を雲に預けよう。

2002/10/29 (火)  晴れ





今日、空を見上げると視界に雲が全く見当たらない青空を見た。
建物の陰になっている部分には雲があったのかもしれないが、
少なくとも私の見える範囲は青一色だった。

夏の青空とは違う清々しい印象。

ここ二週間ばかり、感情が鈍くなり何をするにも億劫な日が続いていた。

昔は「結核」今では「うつ病」が日本の国民病だという人もいるらしい。
それは裏返せば日本人が情感豊かな国民性だと言えなくもない。

この不安定な現状に多くの人が疲れ始めている。

豊かさに慣れてしまうと、失うことを極端に恐れるようになるのかも知れない。
いつまでも末広がりに豊かになって行く筈はないことを
頭の中では理解していても、現実として受け入れるには抵抗がある。

まるで夏の日差しのように、多くの人が熱くなったバブル期が終わり、いま社会は冬の時代。
冷え冷えとする空気の中に、何とか春の兆しを感じたいと思うこのごろ。

全ての人の頭上には、平等に青い空があることを忘れないでいたい。
心を解き放って、囚われないで、
何があっても青空に向かって深呼吸をして出直せばいい。

2002/10/27 (日)  晴れ





このところの報道は拉致問題を取り上げない日はない。
今朝の報道番組でも、拉致被害者の今後について議論が展開された。

この一連の流れを見ていて、思い出す話がある。
フィクションかノンフィクションかは知らないが、大岡越前の裁きについて。

二人の母親の間で一人の子どもを取り合いになった話。
大岡越前は、真中に子どもを置きその両腕をそれぞれの母親に引っ張らせた。
引き勝った方を子どもの母親とする、とそれぞれの母親に申し渡した上で。

二人は互いに力の限り子どもの腕を引っ張り始めたが、子どもは痛さに耐え兼ねて泣き出した。
すると、一方の母親が手を離し、もう一方の母親が「ほれごらん、この子は私の子だよ」と勝ち誇る。
ところが大岡越前の裁きは、手を離した女を本当の母親とする、というもの。

拉致被害者が拉致された自分の状況を甘んじて受け入れ、
向こうの国で暮らしてきた24年間は、確かに存在する時の流れである。

また、24年間の年月、片時も忘れることなく家族の帰国を望んできた国内の家族の
24年間止まったままの時間も確かに存在する。

双方の間に生じた大きなずれは、再会の感激の後でジワジワと、否応もなく当事者たちを苦しめるだろう。

そのことを考えた時、一国の政治目的の為の拉致という強硬手段で人生を中断変更され、
今再び、国家間の政治交渉の場に身の対応をのせられて、
個人の人生の中断変更を迫られている人たちの切ない戸惑いに思いを致さないわけには行かない。

慎重かつ血の通った外交交渉が為されることを祈っている。

2002/10/26 (土)  雨  のち  曇り





毎日、世界のどこかで凶悪な事件が起きている。
ロシアの劇場占拠人質事件もその一つ。

先日のバリ島のディスコ爆破、アメリカの狙撃事件・・・

たかだか半世紀を生きただけでは、歴史的な観点からの発言は何もできそうにない。
歴史は繰り返すとは言いながら、全く同じ状況のもとに同じ事件が発生することはない。
先の見えない不安は限りない暗闇となって人の心に広がっていく。

先は見えないが過ぎて来たことはある程度見直し検証できる。
ということで、人は歴史をひもとき、その中から何かを学びとり今に生かそうとしてきた。
それでもなお、争いのタネはつきない。

人間の欲望・嫉妬・怨恨は、一人一人の心に発生しながらも
寄せ集まるととんでもない修羅場を招く。

まずは、一人一人の段階でネガティブな発想を押さえる方法はないものだろうか。

2002/10/25 (金)  晴れ





季節的な寒さを感じたりする一方で、突然汗の噴出すような暑さを覚えたりしている。
まさしく更年期症状。

身体的な自覚症状の変化もさることながら精神的な影響もかなり実生活にひびいて来る。

自分自身が当該年齢ではなかった頃、40・50代の女性とのコミュニケーションの難しさを感じていたことがある。
「この年代の女性は、なぜいつも不機嫌そうなのだろう」とか
「どうして意地悪な対応をしてくるのだろう」などという疑問を抱かせる人が多かった。

若かった私は「君子危うきに近寄らず」で、なるべく彼女たちには当らず触らずの距離をとっていた。
いま自分がその年齢になってみて、本人の意思とは関係の無いところで表れるさまざまな現象のあることを知った。
誰もが通過する人生の節目にしては周囲の理解が不足し過ぎていたように思う。

最近になって、この問題に関して公に言及する人が増え、日常会話の話題にすることにも抵抗が減ってきている。
とは言っても、対応はまだまだだと思う。

とかく他人の内面的な不調は、本人が言い出さない限り周囲にはわからない。
わかったところで、どう対応したらいいのかと切り捨てられるのが落ちというのが現状のような気がする。
そういう精神的な面での理解はなかなか行き渡り難い。

ただ、ひとつだけ「これだけは」と言えることがある。
どんな人に対しても、どんな場面でも、敬意と真情をもって接する心構えでいれば、たいていの場合は礼を失することはない。

2002/10/24 (木)  曇り  ときどき  小雨





帰宅しようと駐車場に行くと猫が歩いて来た。
春先から夏にかけて、よく見かけていた野良猫。

しばらくぶりだね、と声をかけて近づいてみると前足二本にセロテープを巻いたような痕がついている。
光らないのでセロテープではないらしい。
それにしても、これほどクッキリと痕が残るなんて、それも両前足同じ位置に。

ふっと、猫の虐待をネット中継していたという事件を思い出す。

「お前、どこかで縛られていたの?」と訊いてみるのも虚しい。
「ニャニャ」と語りかければ「ニャニャ」と返してくるが、所詮は猫の言葉。
猫も、過ぎた辛さや苦しさを思い出して語ることはあるのだろうか?

見るとすっかり痩せこけている。
一時の感情で餌を与えることは簡単だけれど、それはこちらの自己満足に過ぎない。
終生面倒を見切れるものでないのなら、通りすがりの人間でいるしかない。

野良よ、自分の甲斐性で生きていくんだよ。
人間だって今は厳しいんだから。
お互い様だよね。

と、去って行く猫の後姿を見送った。

2002/10/23 (水)  晴れ





雨の降る日が続き、このところぐっと気温が下がってきた。
周囲には風邪引きが目立つようになっている。

そういう自分も、何となく喉が痛かったり体に力が入らなかったりするのだけれど、
これは風邪なのか更年期なのか、いまひとつハッキリしない。

さまざま要因が重なって、気持ちも下降線をたどっている。
こういう時が危ないんだと自ら言い聞かせては見るものの、
考えは、だんだん迷路にさまよい込んで行く。

ええい、ままよ!
できない時にはできないんだから、のんびり構えるしかないか!
どこかで聞いたセリフだけれど「明日があるさ!」と、
早めに切り替えられるようになったのも年取った功徳。

2002/10/22 (火)  晴れ





人間の心とは、何とまあ傲慢なものかと思う。

弱っている時にはさまざまな世間のずるさや理不尽が見えるのに、
ひとたび順調の波に乗ると、
途端にそうしたつじつまの合わないことには焦点をぼかしてしまう。
そしてひたすら、つかの間の驕りに浮かれてしまう。
いつかまた、心弱くなる日の来ることも忘れて・・・

謙虚・たしなみ・恥じらい・控えめ・遠慮・公徳心
こんな言葉がふさわしい場面に、久しく出会わない。

みんな、我欲の為に「前へ前へ、我こそ我こそ」と、
まるで
芥川龍之介の書いて見せた「蜘蛛の糸」のような世の中に思えることもある。

そのうちお釈迦さまにプッツリと糸を切られてしまうかもしれない。

2002/10/20 (日)  曇り  ときどき  雨





信州は私のこころの故郷になっている。

夫が入院中、同じ病気の夫を看病する長野県の女性と仲良くなった。
1歳違いの彼女とは、最初からなぜか気が合った。

私の夫が逝き、三ヶ月後には彼女の夫が亡くなった。
それからずっと支えあい訪ねあって生きてきた。

その彼女と二年前に新潟までドライブをした。
おもに地元の人が利用するという温泉に浸かり、近くの景色を眺めた帰り路、
千曲川の向こうに菜の花畑が広がり、何やら祭りの雰囲気がする。
急遽、寄り道をすることになった。
そこが木島平だった。

ネットにHPを公開して、私はここにもこころの居場所を得た。
そこで交流する人々の温もりに支えられて今を生きている。
たかがネット、ヴァーチャルな付き合いと切り捨てられないものを感じている。

しかし、文章だけでは心情を伝えることに限界があるのではないかと考えるようになり、
自分の写真を載せることにした。

どの写真にするか・・・私は迷わず、あの木島平の菜の花畑で写した一枚を選んだ。
心を許した友人が構えるカメラに向かい、何の気取りもなく立っている写真を。

今、「阿弥陀堂だより」という映画が公開されていることは知っていた。
いい映画のような気はするが、あえて行くつもりはなかった。

ところが、たまたま近況を聞く為に電話をかけた、近くに住む友人が、
「あなたが二年前に長野で訪ねた場所が撮影の舞台になっているようよ」
と教えてくれたことから、ぜひ、観に行こうと思うことになる。

今日その「阿弥陀堂だより」を観て来た。

新潟県に近い飯山・木島平の風景が画面に広がる。
ああ、あの橋も渡った、あの山々も眺めた。
そんな情景の中で、描かれるテーマは「よく死ぬことはよく生きることである」というもの。
まさに、自分が求めつづけ考えつづけていることに重なる。

北林谷栄さん扮するおうめ婆さんがいい。
役づくりとは言いながら、余分な感情を何もかも忘れさせてくれる、年寄りの持つ独特の雰囲気は
実際の年齢があってこそのものだと思う。

ガンを患いながら医療を拒んで自然な最期を迎える先生役の田村高廣もいい。
その傍らで、夫の意志を尊重しながら看病する香川京子の妻の姿は、泣き叫ぶことだけが哀しみではないことを教えてくれる。
喉の手術で言葉を失った若い女性・小百合を演じる小西真奈美は気持ちを柔らかくしてくれる。

寺尾聰と樋口加南子の夫婦は、
互いの心情に土足で踏み込まない、かと言って無関心でいるわけではなく、
淡々と寄り添う妻と夫を、ごく自然体で演じていた。

今日はまるで、スクリーンを通して信州に行って来たような気がしている。

過ぎ去った時は、こんな不思議な偶然の一致を用意して私を喜ばせてくれる。
今日は、私だけの充足感を味わってきた。

2002/10/19 (土)  曇り





北朝鮮に拉致されていた人たちが一時帰国した。
各メディアはいっせいにその感動的な場面を報道している。

確かに24年ぶりの家族の対面は涙を誘う感動的な映像ではある。

でも、何かが違う。スッキリしない何かがある。
そのことを忘れてはいけない。

今朝の日本テレビ「Wake up!」の中で、ぺマ・ギャルポさんが語っていたことに注目したい。
感動に流されて全てをメディアで明らかにしてはいけない、と。
報道電波で流されることは、相手の国に全て知られているということを忘れてはいけない。
国交正常化交渉はこれから始まるのであり、
5人の被害者が帰って来たということで、これまでの不信感を棚に上げたかのような喜びようは危険なのだ、と。

身近な生活の中で考えてさえ、同じようなことをされることはある。
巧みに相手の涙のつぼを刺激して善人ぶりをよそおい、
心許して話した内容をもとに相手をいいように操る策士は、どこにでもいる。
そのことで私は、何度も痛い目にあっている。
そういう意味では、私は典型的な「お人よし日本人」なのだとわかる。

個人レベルでは一人で防御するしかないこうした人間関係も、
国家間のレベルであれば、担当部署で叡智と策を練り、それなりの警戒と防衛を施して事に当らなければ危険だと思う。
納得のいく結果を得たいなら、相手をかいかぶることなく、慎重に見極めるまでは一定の距離を置くべきなのだろう。

5人のあまりにもすばやい一時帰国決定は、これまでを考えてみると不審な処置なのだ。

【誠意】の意味するところが異なる人もいれば、国もある。

2002/10/18 (金)  雨  曇り





いまだに時々思い出している。
ふとした気まぐれで捨ててしまった、30年使った英和辞書のことを。
あれは使い易かった。
気に入っていた。
でも、捨てた。
新しい辞書を買ったから、書棚に二冊の辞書はいらないから、
その時はそう思った。
思い切ったはずだった。
それなのに、
いまだに思い出している。

人や物が、いつまでも目の前にあると思えば、憎みもするし邪険な扱いもする。
しかし、いつの日かこちらか向こうが消えてしまうかも知れないと思い知れば、
目の前の数々がかけがえない存在として迫ってくる。

英和辞書と同時期に買った国語辞典は、
今なお私の相談相手。

大事に長い付き合いをしていこう。

2002/10/17 (木)  晴れ





またまたホームレスの男性が子どもたちに襲われた。
しかも、裸に熱湯をかけられるという何ともむごい仕打ちで。
他にも、公園のベンチで寝ていた男性は、ホームレスと間違えられ、顔面に熱湯をかけられている。

人の痛みに対する想像力の欠如。

子どもたちの言い分は「世直しの為にやった」だとか。

「バカタレ!!世直しだったら、お前たちのような考え無しで情け知らずの子どもの根性を叩きなおす事のほうが先だろうが!!」

社会的責任を大幅に猶予され保護されている自分の立場をわきまえることもできない子どもに
「世直し」などという言い草をシャアシャアと吐かせる情報を、彼らは一体どこから仕入れて来るのだろうか。

背筋に冷たいものが走る。

2002/10/16 (水)  晴れ





大きい団地の、ある棟の階段入り口に誰が植えたのか柿の木が一本実をつけている。
4−5歳の子どもが二人、折れんばかりに枝を引っ張って実をもぎ取ろうとしているところに行き合わせた。
親は?と見ると、少し離れた場所で立ち話に夢中の様子。

さほど大きくもないその木には数えるほどの実しかなっていない。
その階段のどの家の住人か、植えた人は密かに楽しみにしていたのかも知れない。

立ち話をしている母親は、とても子どもに注意などしそうにない。

その柿を持ち帰ったのなら多少の救いになるのだが、
再びそこを通りかかった時に見ると投げ捨てられていた。

ガックリ・・・!

このところ品性を疑うような行為に出会うことが多くなった。
人間関係しかり、運転マナーもまたしかり

いい年をした大人の品性や良識のレベルを考えると、
そうした大人に育てられる子どもに至っては、推して知るべし。

今日は、ちょっと悲観的。

2002/10/15 (火)  晴れ  深夜 雷雨





pm10:00からNHK教育TV「ETV2002 瀬戸内寂聴の人生相談」、
今晩は、「死を前にした時」がテーマ。

今、一見健康そうに暮らしているどれくらいの人が、
隣り合わせに在る死を意識しながら暮らしているだろう。

幼時の叔母の死に始まり、
小学生の頃には、死の直前までいって生還した父の結核を目の当たりにし、
20代になると直ぐ、父の老衰による死を母と看取り、
30代半ばで、夫を看取った。
それぞれの死には直前までの長い闘病と看護の日々があった。

死は常に私のそばに在り、私はそれを忘れて生きることは不可能だった。

時々、自分自身も死の手招きを受けることがある。
いかにも優しげに「おいで、おいで、楽になるよ」とでも言いたげに。

目を閉じて、自分が息を引き取るまさにその時の場面を脳裏に描いてみる。
「周囲の人を困惑させる死はいやだ」
「自分の人生を後悔しながら息を引き取るのはいやだ」
「できれば、周囲の人たちと穏やかな別れの言葉を交わして逝きたい」
考えたことを現実にする為には、今からどのように生きていけば良いのかと再び考える。
それを繰り返しながら今日まで生きてきた。

自ら命を絶つ人が年間3万人を超し、増加傾向だと報道されるのを聞くと切ない。

頭の中でなら何度自分を抹殺してもいいから、
死を決行するエネルギーを生きる方向に変えてほしかったと、ニュースを聞くたびに思う。

「解決できそうにない」かに見える困難も、それ自体が手を下して命を奪っていくことはない。
死という解決手段を選んでも、死後に続く困惑を遺しては解決したとは言えない。
困難は、生きて乗り越えて行くしか方法はない、と覚悟したい。

時は過ぎてゆくもの、細々と生きていればやがては自然にお迎えが来る。
それは、万人に必ず約束されているのだから。
必ず死ぬのだから急ぐことはない。
「必死」を忘れず、一瞬一瞬を生きていたい。

2002/10/14 (月)  晴れ   体育の日





「バリ島で爆弾テロ発生。多数の死傷者」

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ


こんなに大変なことが次々と起きている時に、
私には何もできない。

ただひたすらに、
「やめて、やめて、もうやめて」
と、心の中で叫ぶことしか
私にはできない。

晴れ渡った秋空のもと
生きていることが、ふと、辛くなる。

2002/10/12 (土)  晴れ





10月27日(日)には、千葉県選出参議院議員補欠選挙がある。
先般、汚職を問われて議員辞職した大物議員の穴を埋める為の選挙。

今回送付されてきた投票所入場整理券は、内容が表から見えないように改善されていた。
前回までは、一枚のハガキの裏に有権者の家族名が列記された物だった。
これでは集合住宅の郵便受けに配達された時、家族状況が誰に見られても不思議ではなく、
そのことに不安を訴える声があった。

住民の声を聞くシステムは、今ではどの自治体にも設けられている。
自治体の長に宛てた手紙によるもの、自治体主催の集会で意見を聞くことなどの方法による。
そうして集められた要望を、実際の行政に反映させる速度が速くなったように感じる。

政治は変えられる。
ただ、声を上げなければ届かない。
黙っていては誰も気付いてくれないし、何も変わらない。
「こうして欲しい」という声は、どこかで発言したほうが良さそうだ。

市から届いた一枚の投票所入場整理券を手にして、そう思った。

2002/10/11 (金)  晴れ





今回のノーベル賞受賞者に日本人が二人選ばれた。

小柴先生のニュートリノに関しては、
二・三年前に東大の理系キャンパスが近くに越してきた頃
「ニュートリノに関する講演会」のポスターを見たことがある。
ニュートリノって何だろう?難しそう・・・ということで、
普段から、めずらしい物やことに人一倍興味のある私も、
さすがにこればかりは最初から理解不能と、行かなかった覚えがある。
あの時点で、あの講演会を聴きに行った人たちはどんな人たちだったのだろう。

化学賞の田中さんの受賞は、
同じテーマの研究を実用化に導いたドイツの研究グループも選考対象として名前があがっていたという。
その結果、第一発見者としての田中さんの業績が認められての受賞。

地位や肩書きではなく、ある人の出した業績が純粋に評価されるのを見ることは、とても清々しい。

本当は、もっとたくさんの隠れた人材が埋もれているのだろうなあ、この国には。
そうした人たちを、同胞が気付かないでいるだけなのかもしれない。
つくづくもったいないことだと思う。
その反面、ご本人は静かにやりたい事ができるのだろうけれど・・・

2002/10/10 (木)  晴れ





北朝鮮に拉致された人たちの一時帰国が決まったらしい。

若くして無理やり知らぬ国に連れ去られて二十数年。
彼の地で結婚し子どもを育てて今日を迎えた人たち。

ある日いきなり「母国に帰って来ていいですよ」と告げられた時の彼らの戸惑いは、想像を超える。
おそらく、心の準備はできていなかったに違いない。

どんな事情にせよ、一つの土地に二桁の年数暮らせば、そこに何かしらのしがらみが生じる。
まして今回の帰国は、家族の一部を残してのこと。
後ろ髪は太い束になって彼の地に繋がれている事だろう。

二十数年の空白は長くて重い。

2002/10/08 (火)  曇り 時々 小雨





山道を登りながらこう考えた・・・

夏目漱石の「草枕」はこの文章で始まる。
確かに、山道を歩けばいろいろなことが頭の中を駆け巡る。
ただ救われるのは、自宅の一室で机に向かって考えていると行き詰まりそうなことでも
自然の空気の中では、そうはならないこと。

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ・・・

夏目先生、たまにフラリと出てきませんか。
じっくりお話したいものです。

2002/10/05 (土)  晴れ





このところ連日のように新聞やテレビの報道のトップは一つの話題に集中している。
その問題は大変重要なことだと、私も関心を寄せている。

その一方で、他の問題はどうなっているのかも気になる。

住民基本台帳のネットワークシステムの件はどうなっているのだろう。
このシステムを不採用の自治体もあるようなのに、不完全なまま実施運用されるのだろうか?
ある日突然届いた11桁の数字が記載されたハガキを保管してはいるけれど、
取り扱いに困惑している。

メディアにのらないことや小さく報道されることが、意外に重要だったりする。
ところが、毎日詳しくチェックしている余裕は無いのが現実。

一見穏やかそうに過ぎる日々も、心底から安心して暮らしているわけではない。

何かが違う、何かが危うい。
第六感がしきりに訴える。

2002/10/04 (金)  晴れ





「帰って来た渡り鳥」ならぬ「帰って来た暑さ」。

先日受けた骨密度検査の結果報告書が届いた。
私には積極的に自慢しようと思えるものは何も無いけれど、
たった一つ、自慢できるのがこの骨密度。

平均値と比べてみると、男性の標準線よりも高い位置にある数値。
結果評価は、若年女性(20〜44才)の平均値に比べて6%多く、同年齢の女性に比べて9%多い。

身体的には丈夫だなぁ、という自覚はこの骨の丈夫さから来ているのではないかと日頃から感じている。
丈夫な体に産んでくれた親に、つくづく感謝。

体が丈夫なだけ、というのではもったいないので、せいぜい誰かのお役に立ちたいと思っている。
動けるうちにまめに動こう。

2002/10/03 (木)  晴れ  一時  曇り





生り物の季節。
あちらの庭こちらの畑で、収穫を待つ果物が美味しそうに実り始めた。

私が子供の頃は、柿の木やミカンの木があると勝手にもぎ取る人もいた。
田舎に行くと、庭先ではなく山の中の畑に植えてあったりして人目がなければ手を伸ばす人もあった。

ある日、街から来た数人の若い人の中の一人が、道の傍に植わった柿を楽しそうにもぎ取った光景を見て
「街の人には、生り物は自然に生えているように思えるのかなぁ・・・」と子ども心に疑問を感じたこともある。

山も、そこに植わった木にも持ち主がいる。
これは、田舎に育てば誰でもが了解していることだった。

一個や二個であれば、取り立てて目くじらを立てることでもなかったのだろう。

食べられる実のなる木に関して楽しみを感じていたころの話。

最近では、通りすがりのお宅の庭に植わっているミカンや柿が、
収穫されずに木に生りついたまま腐っているのを見かけることがある。

食べることが楽しみだったころには、実が、樹上で腐るまで放置されるなんて考えられなかった。


2002/10/02 (水)  晴れ





台風一過の晴天。
久しぶりに真夏の暑さ。
もういいよ・・・もう10月だから。

気になっていることがある。
【日本海】という地図上の表示を【東海】に改めた方がいい、とする隣国の主張。
あれは、どうなっているのだろう。

学校の社会科で地理を教わり始めたころから、
ユーラシア大陸と日本列島に挟まれた海は【日本海】だと教わってきた。
この国の名前を冠する海があることは、多少の誇りであり安心感でもあったような気がする。

それを、あえて今、名称変更を突きつけられることには、何とも納得がいかない。

つい先日、内閣改造が行われたけれど、
海外の評価は「にべもない」ものであったという論評をラジオで聴いた。
新しい内閣の顔ぶれに、海外は何の期待もしていないのだという。
それは何も海外の識者や投資家だけではなく、
この国の国民すら、期待も信用もしていないかも知れない。

日本は国土は狭いながらも、連なる列島で一国を為して独立してやって来た。
国境は海の中。
それ故に、海に干渉されることは国力に響く。

【日本海】という名称は失いたくない。
今、強く、そう思う。

2002/10/01 (火)  雨  夜半・台風通過





夜中の9時過ぎから猛烈な風が吹き始めた。
柏市上空を台風21号が通過して行った模様。
ブォー、ビュー、ブァー、ザワザワザワと、人の手の及ばない大気の大暴れ。

こんな時人間は、どこかの屋根の下になりを潜めて、
ただひたすら、嵐の過ぎ去るのを待つのみ。

ちっぽけで臆病な存在、つくづくそう思う。