2002/09/30 (月) 雨 ときどき 曇り
土曜日の夜、NHK教育TVでティオ・コルボーン博士がアメリカの子どもたちを前に授業をしていた。
彼女は、五大湖周辺の鳥の繁殖異常から環境ホルモンが生体に及ぼす影響について警鐘を鳴らした人。
なぜ『鳥』なのか?
鳥の異変が目だって増えてきたことに気付いたことから話は始まる。
奇形・繁殖異常・行動異常・・・
孵化しない卵の増加・奇形・生殖をしない成鳥。
オスどうしメスどうしで群れる成鳥。
五大湖には周辺の都市から出る生活排水・企業排水が流れ込む。
その中に溶け込んだ有害物質がプランクトンに蓄えられる。
そのプランクトンが魚の体内に蓄積される。
その魚を鳥が食べる。
こうした食物連鎖の頂点に立つ鳥に多量の有害物質が蓄えられ、
それが異常を引き起こしているのではないか、という話である。
連鎖の途中に魚があるということは、それを食べる可能性のある人間にも鳥と同じ影響が当然考えられる。
そして話は五大湖周辺の人間の子どもたちの異常行動に発展して行く。
これだけのことがわかっていながら、ではなぜ問題解決に向かって事態が動いていかないのか?
コルボーン博士は言う
「この研究はお金を生み出さないから研究費用を提供する支援が得られないのです」と。
そして続けて「目先の利益を取りますか、それとも人類の明日を選びますか?」と問い掛けている。
2002/09/29 (日) 晴れ 夕方 小雨パラつく
千葉を経由して湾岸道路を走り、お台場を望む有明方面にドライブをして来た。
たまには車でひた走るのも気持ちが良い。
昨日は雨模様だったけれど、今日の天気は上々。
気分スッキリと、心楽しく一日を終えた。
色々なことがありながら、それでも人生は廻りめぐって行く。
さあ、明日はどんな日になるだろう。
2002/09/28 (土) 曇り ときどき 雨
朝から雨が降ったり止んだり。
秋雨・・・
春雨には濡れても構わない、などと言うセリフもあるけれど
秋雨となるとそうもいかなさそう。
濡れると寒くて風邪を引いてしまう、そんな感じ。
セイタカアワダチソウの蕾をつけた茎が、ズラーッと並んで開花を待っていた。
この花の花粉も、誰かの鼻をムズムズさせるのかな?
すっかりあちこちで秋の顔になってしまった外来種。
2002/09/26 (木) 晴れ
ある新聞のコラムの内容が別の新聞社の記事内容の盗用であった事が判明したらしい。
書いた人物は社外のライターという。
近年、国民の作文力が低下していると言われる。
有名な全国紙の記事内容を読んでも、それは感じる。
一昔前には、読後に「う〜ん」と読者を納得させ唸らせるような名文に、ちょくちょくお目にかかった。
それらは模範的な文章として教科書や入試問題にも引用されてきた。
インターネットの発達と読書人口の減少で、出版される本の売れ行きに影響が出ているらしい。
とは言いながら、書籍広告には次々に新しいタイトルが並んでいるのだが・・・
読みたい人より書きたい人が多い時代なのだそうだ。
私もご多分にもれず、公に訴えたいことがあって新聞社系の文章講座を受講したことがある。
もう14−5年も前のこと。
それまで自分勝手な文章を書き綴っていたのだが、
新聞記者のOBである講師の添削を受けて、それまでの文章作法の間違いに気付かされると同時に
人生への向き合い方まで学習させてもらったと感謝している。
頭の中で思い巡らすだけでなく、鉛筆を持って紙に書いていくという作業は心の整理に有効であることを知った。
キーボードを叩けば、ど忘れした漢字も知らなかった漢字も変換してくれるパソコンは確かに便利な道具ではある。
が、手書きには手書きの良さがある。
ページをめくりながらの読書も、モニターを読むのとは違う楽しみを提供してくれる。
アナログな発想も忘れてはいけないし、捨て去ってはいけないと思う。
今回の記事盗用の件には、文章を書くことに関心のある者の一人として、残念と共に一抹の寂しさを感じた。
2002/09/24 (火) 晴れ
久々の平日休み。
普段できない用事を片付けようと、柏の市街に出かけた。
秋晴れの光の中をテクテク、テクテク、30分くらい歩いて行った。
キンモクセイのほのかな香りが、何処からともなく漂ってくる。
好い季節だ。
おりしも駅前の某デパートでは(西武ライオンズ優勝記念セール)中。
もうじき巨人軍の優勝が決まれば(ジャイアンツ優勝記念セール)も、このデパートでは催すだろう。
この店が巨人軍を応援しているのは知っていたけれど、西部ライオンズとの関係はいつ頃からなのだろう?
ま、何かにつけてセールの口実になるのだろうけれど・・・
それにしても豊富な品物。
これだけの品物が、いまだに消費されているのだろうか?
不思議の国、ニッポン。
人々は今、何によって満たされているのだろう?
などと、あれこれ考えながら、のんびりバスに乗って帰って来た。
2002/09/23 (月) 曇り 一時 晴れ (秋分の日)
私はとっても面倒くさがり。
できれば終日ボーっとして過ごしたい。
難しいことやややこしいことは、できれば避けて生きていきたい。
そんな人間に限って、厄介なこと細かいことが次々に降りかかってくる。
面倒くさがるから問題が増える、とも言える。
いつの頃からか、気が付いた。
面倒くさいことが嫌なら、サッサと片付けてしまうことが一番だ、と。
まずは、目先のことから小さな事から・・・
そう考えるようになって、多少なりとも実行しているうちに、
状況が明るく変化していくのがわかった。
そうだ!嫌だから逃げるのではなく、嫌なことだから早く片付けてしまえばいいんだ!
そんな当たり前のことさえ、身をもってわかるまでには何十年の年月がかかっていた。
でもいいんだぁ、この世で遣り残している事があるうちに気が付いたんだから。
まだまだ、人生はこれから。
色んなことが見えてきて、収穫の季節は始まったばかり。
2002/09/22 (日) 曇り ときどき 小雨
大相撲千秋楽。
一年半ぶりに東西横綱が揃っての場所。
今回の場所は、久しぶりに成り行きに注目した。
それにしても、これほど位の差がハッキリ見えるスポーツも他に無いかもしれない。
素人目にも力士の心身の充実振りが読み取れるというのも、裸のスポーツならでは、か。
横綱というのは辛いものなのだろうなぁ。
強すぎても憎まれ、弱いとあからさまに非難され、土俵を下りてもあれこれ言われ・・・
そんなマイナスのプレッシャーに打ち克つ精神力も実力のうちなのだろう。
今日の両横綱の取り組み終了後のインタビューで印象に残る言葉。
武蔵丸「弱い者に勝ってもしょうがない。(貴乃花の復活を)待っていた」
貴乃花(これで復活ですね、との問いに)「それは優勝してから言うことでしょう」
両者とも立派!
自分を鍛えぬき、その鍛えぬいた心身をもって土俵上では真正面からぶつかる。
相撲はやっぱり面白い。
2002/09/21 (土) 晴れ 十五夜
ある新聞に毎日掲載されるコラムに、こんなことが書いてあった。
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この国には『神』と呼べる存在がないのではないだろうか。
八百万の神々はいるけれど、いずれも目先のご利益頼みの神々であって、
畏敬の念をもって受け止められる『神』は不在のような気がする。
ずるい行為も人の目につかなければ、それで良しとできるのは
即ち、神の視線を意識せずに済むからであろう。
願わくばこの国に、神の降臨を。
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概ね、このような内容。
(人が見ていなければ、気が付かなければ)という行為は嫌いだ!
私は、「天知る、地知る、人が知る、人知らずとも己知る」と思う。
ずる賢く立ち回っても、道に外れた行為を最低限自分だけは知っている。
いくら「誰にも知られずラッキーだった」と思っても、
その薄汚い行為の穢れは顔や全身ににじみ出てくる。
それを、「人は知らない」として安堵しているのは大きな間違い。
それでも目先の欲を追い求めたいなら、何をかいわんやである。
2002/09/20 (金) 晴れ
さわやかな秋晴れ。
一時期「ハッピー・リタイアメント」という言葉が使われた時期があった。
バブル全盛のころのこと。
タレントの大橋巨泉などは、この考え方で早々と仕事を止めてカナダで悠々自適の生活を始めた人だと聞いている。
ところが、あっという間に経済は暗転し、中高年はリタイアするどころか、今やリストラと減給で老後の暮らしも覚束ない。
今や、幾つになっても働けるうちは働け、と政府が奨励する時代になった。
働けるうちは働くことに依存は無い。
ただ、一方で必死になって手立てを考える為政者の姿勢が汲み取れるなら、の話であろう。
組織が大きいから、世話になったその筋だから、と言った基準で国から救われるのであれば個人は浮かばれない。
納得できるところに手厚い手当てが為されてこそ、国民は我慢もするし協力を惜しまないのではないだろうか?
フーテンの寅さんが、つくづく羨ましくなるこのご時世。
2002/09/18 (水) 曇り のち 晴れ
数日振りに晴れた。
気が付くと、うるさいほど鳴いていたセミの声がパタリと止んでいる。
どこかでヒグラシが「カナカナカナカナ」と鳴いている。
見上げれば、空はグーンと高くなり雲が穏やかに流れていく。
今年の夏の突き刺すような日差しもやっと落ち着き、
空の青さは明るい空色に色変わりしている。
退勤間際に、開け放った窓からオニヤンマが一匹飛び込んできた。
さあ、これから一年間でもっとも落ち着く季節。
食べるも良し、学ぶも良し、もの思いにふけるも良し、
何をやっても「充実」すること間違い無し!
2002/09/17 (火) 雨 のち 曇り
小泉首相訪朝。
長年放置されてきた観の有る北朝鮮との関わりに着手した、ということだろうか?
これが端緒となって、以後、継続的に外交が行われるなら意義の有る行動となるだろう。
難しいからと何もしないより何らかの行動を起こして前進したほうが良いに決まっている。
その点では、とりあえず歴史的意義はあった、としたい。
絶対的な存在を頂く国との付き合いは、容易ではない。
2002/09/16 (月) 曇り 時々 雨
新聞の番組紹介で絶賛していたドラマ「タスク・フォース」を見た。
こんなに丁寧に、しかも、内容も充実していて見応えのあるテレビドラマを見たのは久しぶりのような気がする。
言っては申し訳ないけれど、
テレビドラマの内容が薄っぺらな学芸会もどきに感じられるようになって、見なくなった。
放送時間を埋める為に、サササッと制作されて放送されているように感じる番組が多い。
この状況なら、放送に値する番組または放送したい番組だけ電波に載せて
放送のない時間帯があっても良いような気がしないでもない。
テレビが放送を休む時間があれば、みんなは昔のように
活字を読んだり、ラジオを聴いたり、趣味に没頭したり
それぞれ自発的な楽しみの発見をするだろうか?
2002/09/15 (日) 曇り
福岡で、義母と9歳の姪を人質にした立てこもり事件が起きた。
「別れた妻と1歳の子どもに会わせろ」という要求。
別れた女性を追い掛け回して、悲惨な結果を引き起こす事件を頻繁に聞くようになった。
離れて行った心は力づくでは取り戻せないのだということは、
そんな事件を起こす人間に言ったって無駄だろうなぁ・・・
こんな事件は今に始まったことではないだろうが、
最近、数が多すぎるし、あまりにも簡単に事が起きているように感じる。
なんで逃げた人を追っかけ回すのかなぁ?
そんなに大事な人だったら、傍にいる時に大切にしなければダメじゃん!
それに、「自分を捨てるような奴には未練はない!」くらいのプライドを持たなきゃ次の出会いは望み薄だよ。
「離婚するには大変なエネルギーが要るのよ」と語ってくれた知人がいた。
その上、死別と違って相手がどこかに暮らしているということは、再び会う可能性もあるということ。
お互いの幸せを祈りつつ円満に右左、という話はあまり聞かない。
こんな事件がこれからも増え続けるとしたら、結婚をためらう女性も増えるかもしれない。
なんだかやり切れない。
2002/09/14 (土) 曇り 一時 小雨
だから、危ないんだってば!
自分勝手な道路の通行は・・・(ふーっ)
今日は二回も「危ない!!」という思いをした。
一度目は、直進の私の車の眼前を急に右折していった車。
二度目は、坂道のカーブから猛スピードで、私の車の真正面に突っ込んで来た自転車。
最初の時は、私が徐行していたから難を逃れた。
私の目の前を横切りながら運転席と助手席から挨拶していたけれど、
そんなことで許されるやり方じゃあないのよね、ったくもぉ〜!
もう少しでぶつかるところだったんだから。
もう一件の自転車は、気がふれているのかと思ってしまった。
上り坂をアクセル踏みながら進行中、カーブに差し掛かった時
ハッと気が付くと猛スピードで自転車が下ってくるのに気がついた。
しかも、しっ、しかも、私の車の真正面めがけて突っ込む勢い。
こちらもスピードは出していなかったので、即座にブレーキを踏む。
相手はハンドルを切ってすり抜けるだろうと瞬間に考えたのに、
案に相違して、そのまま突っ込んで来た。
「危ない!!でも、私はこうして止まっているしか手が打てない。どうしよう!」
「あっ、あ〜!もうぶつかる!転んだらどんな怪我になるだろう・・・」
等と考えていると、バタンと右側のバックミラーにぶつかって、あっという間に下り去ってしまった。
ぶつかったのだから相手は止まって何か会話があるだろうと思った私の考えは甘かった。
車から下りて、走り去る彼の後姿を呆然と見送るしかなかった。
後続の車が一台待っていたこともあり、そのまま発進して帰宅したけれど、冷や汗ものだった。
あれは何だったのだろう?
どう考えても常識で理解できる状況ではない。
ひょっとして、悪いことをして追われていた、とか?
まったくぅ〜、これだから休日のハンドルは握りたくないのよね!
最近は、道路を利用する人間の行動が読めないことが多い。
2002/09/13 (金) 曇り
最近ハッと気がつくと頬の筋肉が下がっている。
目じりも下がり、口元もへの字になっている。
「あ、いけない、いけない」と慌てて顔に喝を入れる。
どんな表情を顔に刻んでいくかは、自分の心がけ次第。
生きている状況のせいにしてはならない、と思っている。
笑顔は自然に浮かぶものではなく自分の意志で浮かべるものだと気がついてから
眼前の出来事のとらえ方が変わってきたように感じる。
放っておけば年とともにたるんで行く心身に、意識して、快い緊張を保っていきたい。
2002/09/12 (木) 晴れ 暑かった
昔の日記を読み返したいと思える人は、きっと豊かで恵まれた人生を送ってきたのだろう。
もしそうでないとしたら、楽しいことや嬉しいことのみ書き綴った日記なのか。
片付け物をしていて、古い日記が出てきた。
その中で「恋愛」に関する考え方を書いている日があった。
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「好き」と言わなくても良い。むしろ、言わない方が良い。
「好きだよ」と言われなくても良い。むしろ、言われない方が良い。
感じる心があれば、言葉は必要ない。
中途半端な文句で表現してしまえば、全ての恋心は安っぽい感傷になってしまう。
高い精神へと昇華してゆく為には、
人を恋うる感情を胸の奥深く沈めて、
静かに水面を見つめているような穏やかさでいなければならない。
別れはいずれ訪れる。
それでもなお「出会えて良かった」と言える為には。
**********************
こんなことを書いているようでは、現実の恋愛成就は推して知るべし。
今となっては「恋愛とは」などというテーマで考え事をすることもない。
良いのか悪いのか・・・
2002/09/11 (水) 晴れ 暑かった
N.Yテロ事件から一年。
各地で追悼のセレモニーが行われていると報道されている。
あのショッキングな出来事以降、精神の不調を感じている人は多いことだろう。
「気の持ちよう」だけでは片付かない精神的な危機の救済が、
ごく当たり前のこととして日常的に行われる社会の実現を望んでいる。
50歳前後の女性には「更年期」がある。
この時期、本人の意思に関わりなく気持ちの落ち込みにおそわれたり、イライラしたり、
周囲の者にとっては、何とも不可解で迷惑な症状が発現する。
この更年期の精神的不安定は、本人にとっては大変つらいものなのだ。
そのことが社会の一般的な理解を得て、
少なくとも、その症状が出ていると思われる女性に対して、
不当な非難が向かわないようになるといいな。
何ごとも、人間同士の信頼関係の上に成り立つ。
2002/09/10 (火) 曇り
今日、印象に残ったことば。
インタビューに答えた、「永遠の若大将」加山雄三さんの話。
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「人生の3冠王って考え方があってね。
関心を持つ、感動する、感謝する、の三つなんだ。
50歳過ぎて、人から聞いたんだけど、これなら出来るぞ、って。
だから俺は相手が若い人だって、聞く耳持つし、感動するし、感謝するんだ」
******************
現在65歳の彼の若々しさは、決して見た目だけではなく、内面から湧き出てくる若さのようだ。
人は何歳になっても、学びは終わらない。
2002/09/09 (月) 曇り 時々 雨
昨日出かけた東京で、電車の車窓から見えるビルの谷間からたくさんの風船が舞い上がった。
白・ピンク・ブルー、淡い色合いの風船が一斉に同じ方向に流れながら空高く消えていった。
一瞬「?」
そして「!」
下では結婚式の真っ最中。
今年の二月に、あるホテルのロビーで見かけたウェディングも素敵だった。
そちらは一般の人が行き交うロビーで撮影会をしていた。
結婚式の光景は、いつ見かけても嬉しい。
必ず立ち止まって見とれてしまう。
風船で祝福されたカップルの幸せを願った一こま。
2002/09/08 (日) 雨 のち 晴れ
最寄りのJR駅前の横断歩道の信号には歩行者の為のボタンがある。
今日、東京に出向いた帰宅時に、その横断歩道を渡ろうと歩行者信号が青に変わるのを待っていた。
なかなか変わらない。
普段ここでは必ず誰かがボタンを押すので、歩行者信号は素早く青になることが多い。
「変だなぁ」と向かいの押しボタンの表示を確認すると点灯していない。
横断をしようと待っている人は、道路の両端に数人立っている。
きっと誰かが押したものとして、皆が「待ち」の態勢にあるのだろう。
これだけ人がいると「誰かが押したはず」という勘違いもあるのだろう。
さっそく、私がボタンを押すと、信号は即座に青に変わった。
さあ、横断と歩き出した私に、対面からこちらに歩みを運んできた女性が
私に微笑みかけながら会釈をして通り過ぎた。知らない人だ。
きっと彼女も、ボタンが押されていないことに気付いていて
私がボタンを押したのを見たのかもしれない。
そしてその会釈は軽い「ありがとう」だったのかも・・・
それは、ひょっとしたら深読みかもしれないが、どうせならそう思っておくことにしよう。
だって、そうだったら気分が良いのだもの。
2002/09/07 (土) 曇り 時々 小雨
暑い夏を避けて、今日は久しぶりの農業ボランティア講座。
午前中の机上講習を終え、食事を済ませて畑へ。
今日の実習は、それぞれの班ごとに畑を借りて秋野菜の植付け。
白菜、山東菜、キャベツ、ブロッコリー、大根の5種類。
11月16日の収穫を目指して小さな苗を植え付けた。
参加メンバーの農業経験はそれぞれ。
しかし、見たところでは殆どの人が慣れない作業のようだった。
私は「昔取った杵柄」。子供時分から親の手伝いをしておいて良かった、と思った。
やっぱり、農作業は私の性に合っている。
2002/09/06 (金) 雨
久しぶりに終日雨。
いつかまた見る日があるだろうと思うのが大間違い。
いつかまた着る日が来るだろうと思うのも大間違い。
そうやって家の中には使わないのに場所ばかり占める不用物がたまっていく。
というわけで、今週は片付け週間になってしまった。
とにかく紙類が多い。
これまでに受けたセミナーやシンポジウムの資料やパンフレットが出てきた。
これまで、手当たり次第に興味を覚えた講座に参加してきた。
今、振り返って面白かったと思う一番は「柳田国男生誕100年記念シンポジウム」。
民俗学者・柳田国男の功績を偲びながら民俗学的見地から社会の移り変わりを考えてみようというもの。
その中で最も興味を惹かれ、いまだに面白いと思っているのは「路上観察学会」なるもの。
イラストレーターの南伸坊さんらが勝手にそう名付けているという、いたって自由な発想の試み。
路上で見かける面白そうな物をカメラでとらえて
皆で「ああでもない、こうでもない」と面白がるという集まり。
例えばマンホールの蓋、はたまた何気ない路地裏の家の軒下に置かれた古テレビの中に入った鉢物、
かと思えば何を意味するのか考え込んでしまうような立て札、などなど・・・
一昨日本屋で、この「路上観察学会」編集の本を見つけた。
平積みで置いてあったところをみると、最近出たばかりらしい。
よほど買おうかと迷ったけれど、現在片付け中の室内の光景が頭に浮かんで、買うのをやめた。
今度いつか図書館でリクエストしてみよう。
置ける場所が限りなくあれば、買って手元に置いておきたい本は数知れず。
衣類にしても同じこと。
こうして片付けながらわかったことは、人の一生は決して長くはないのだということ。
目先のことを先延ばししていたら、きっと死ぬまで手はつけられないだろう。
季節も良くなることだし、物の整理をする気になったついでに
拡大するばかりだった興味関心を、ここいらで統合整理して縮小することにしようと考えているところ。
2002/09/05 (木) 曇り のち 晴れ
高校を卒業して就職を希望する若者に対する求人が減っているという。
求職者に対して求人数が下回っているらしい。
深刻なことだと思う。
一方、中高年にはリストラや企業倒産などの困難な状況がある。
一時話題になっていたワークシェアリングはどうなっているのだろう。
企業間競争は資本主義の常とはいえ、それすらも危うくなっている現状かもしれない。
冷え冷えとしたものを感じる。
どこかで目にした記事の見出しに
「素人が国の政治をしている現状」と書かれていた。
キッパリと否定できないことが寂しい。
2002/09/04 (水) 晴れ
何をするにも突然。
そして、昨日から突然、部屋の片づけを始めている。
収めてあった棚やタンスから、物を出すだけ出したはいいけれど始末に困っている。
今、部屋の中は収拾がつかない状態。
よくもまあ、こんなに物があることよ!!
とても一人で使いきれる量ではない。
昨今「捨てる技術」とやらの本が売れているらしいのだが、
本を読んだからといって部屋が片付くわけではない。
散らかった物を眺めて、ひとりでため息をついている。
とりあえず寝る場所は確保したから、
後はボチボチ片付けることにしよう。
2002/09/03 (火) 晴れ
「雲ひとつない空」と言えば好ましい表現の場合が多いのだけれど、
このところの暑さでは、そうも言っていられない。
見上げれば全くの青空。
雲なんてチラホラ。
少し太陽を隠してくれると暑さも和らぐのに、なんて思ってしまう。
秋の気配があるだけに、こらえ性もなくなる。
とは言いながら、ずいぶん空が高くなった。
「天高く・・・」その後は考えたくない。
2002/09/01 (日) 晴れ 防災の日
とうとう9月。
近ごろ「道の駅」という施設があちこちにある。
初めてこの存在を知ったのは、長野県の友人を訪ねた時。
彼女と新潟に抜ける道を走っていた時、立ち寄ったのが最初。
その「道の駅」が、柏市近辺にもあることがわかったのはつい最近のこと。
今日はそのひとつ、八千代市の「道の駅」に行ってみた。
周辺の農家の産物が並んでいる。
白井町や八千代市は梨の産地。
今が旬とあって、りっぱな梨が箱詰めされていた。
家庭用にはナイロン袋に入れられて陳列してある。
値段は、スーパーよりも少し高めだけれど、実の大きさと新鮮さを考えるとそのくらいかな?
生産者の名前をタグに表示してあるのが印象的。
他の農産物も含めて、出品している人々の顔写真も壁に貼られていた。
製造者責任ではないけれど、作った人の顔や名前がわかるということは良いものだ。
形は不揃いの野菜たちだけれど、何となく手が出る。
また行ってみよう。