2002/07/31 (水)  晴れ





夜、NHK教育TVで、ETV2002「祖母・幸田文への旅」を観た。
幸田露伴が自宅を「蝸牛庵」と名付けていたことを知り、思い出したことがある。

蝸牛とはカタツムリのこと。

*********************************************

「世の中は蝸牛角上の争闘・・・私は東京に居る頃には、つくづくそれが厭になったですよ。人の弱点を利用したり、朋党をつくって人を陥れたり、一歩でも人の先に出よう出ようとのみ齷齪して居る。実に浅ましく感じたですよ。世の中は好いが好いじゃない。
悪いが悪いじゃない、幸福が幸福じゃない。

何んな人でも矢張人間は人間で、それ相応の安慰と幸福とはある。それに価値もある。何も名誉を逐って一生を齷齪暮らすには当らない。それよりも、人間としての理想のライフを送る方が何れほど人間として豪いか知れない。何んなに零落して死んでもその方が意味がありますからなァ」

「名誉を逐って、都会の塵に塗(まみ)れたって、仕方がありませんな・・・何んなに得意になったって、死が一度来れば、人々から一滴の涙をそゝがれるばかりぢゃありませんか。死んでからいくら涙をそゝがれたって仕方がない!」

                                                                     ・・・・成願寺の僧の言葉より


かれも旅人、われも同じく他郷の人!かう思ふと、涙がホロホロと頬を伝って落ちた。

表面に顕はれたことだけで世の中は簡単に解釈されて行く。打明けて心の底を語らなければ、・・・いや心の底を詳しく語っても、他人は其真相を容易に解さない。親しい友達でもさうである。かれは痛切に孤独を感じた。誰も知って呉れるもののない心の寂しさをひしと覚えた。

**********************************************

これは田山花袋の「田舎教師」の一節です。

高校生の頃、胸に響くものを感じたのでしょうか、ノートに書き写しておいたものです。

この中の『蝸牛角上の争闘』という部分を、昨夜のテレビの「蝸牛庵」から思い出したのです。

所詮この世の人の営みは、のろのろ動くカタツムリの角の上で自分の居場所を確保する為に蹴落としあいをしているようなもの・・・
というほどの意味でしょうか。

妙に忘れられない一節なのです。

2002/07/30 (火)  晴れ





「何をやってもつまづく」と思う時がある。
そういう時はたいてい(自分の尻尾を追いかける子犬)状態になっている。
同じ考えが繰り返し繰り返し頭の中に浮かんでくる。

マイナス方向の考えだと、考えれば考えるほど相乗作用で気持ちがドツボに嵌って行く。

(自分の尻尾を追いかける子犬)も、注意を逸らす何かがあると尻尾を追いかけるのを止めるだろう。

時には諦めも肝心。
凝視せずに視線を逸らすことも必要かな?
と思いつつ・・・

2002/07/29 (月) 曇り





暑い暑いと言いながら、既に7月の最終週。

あと少し、もう少しだけ辛抱すれば涼しくなるのかな?

2002/07/28 (日)  曇りやや涼しい





(柏まつり)二日目。
昨日と違い、空いっぱいに雲が広がり、やや凌ぎやすかった。
まつりも25年目だそうで、多くの人出で賑わっていた。

夜はNHK教育テレビで映画を観る。
1979年イギリス・フランス合作映画 「テス」
ロマン・ポランスキー監督  ナスターシャ・キンスキー主演

映画館にかかっていた当時、観に行きたくて行けなかった映画。
2時間半、しっかり最後まで観た。

2002/07/27 (土)  晴れ





(柏まつり)一日目。
夕方、ちょっと早めに市内に出かけてみる。
特設ステージでは、太鼓の集団が演技中。
踊りにはまだ早い時間で、見て楽しいほどのものはほとんどなく、ただ蒸し暑いばかり。
夏祭りは夜になって出かけるのが良いようだ。

2002/07/26 (金)  晴れ





「びょういん」と「びよういん」は一字違いが大違い。
けれど、この二つには個人的に大いにこだわりを持っている。
要するに【相性】の問題。

建物が洒落ていても技術が確かだとは限らないのは、この二つに共通して言えること。

最近は、ディスカウントショップが増えてきたように、
美容院も安く仕上げてくれるお店が出てきた。
サービスを最低限に押さえて、客の求めることだけを満たしてくれる。
仕上がりもほどほど。
何事もシンプルが好みの私には、嬉しい。

病院には殆ど縁がない。
たまーに調子が悪いと、どこの医者にかかろうかと悩む。
ホームドクターを決めてお付き合いするほど病気にならないので、
結局は近くの中堅程度の総合病院にかかることになる。

医療関係で一番こだわるのが歯医者。

今日は年に一度の歯の健診に行って来た。

予約日の今朝、歯の補修をしてあったものが歯磨きの時にはずれた。
何というグッドタイミング!

かかりつけの歯医者は、柏市に住み始めて以来20年のお付き合い。
全幅の信頼をおいている。

しっかしセンセ、口を大きく開けている時に返事の必要な質問はしないで下さいな。

「どれか気になる歯はありますか?」とか
「どういうふうに気になりますか?」とか・・・

センセの手で私の口は大きくこじ開けられているんだから、詳しく説明できるわけないでしょ!

幸いにも虫歯なし、歯周病なし。

この歯医者のイスに座ると、目の前が全面窓になっていて外の景色が見える。
向こうの国道や駅前のロータリーを行き交う人や車、そして、発着する電車とホームの人々。
他の人の治療が長引いても、外の景色を眺めていれば飽きない。

2002/07/25 (木)  雨ときどき晴れ





台風9号の影響か、雨が強く弱く降り、午後になって晴れ間が見えてきた。

何事も無し。
凡々たる一日。

こうしたことが何よりの幸せ。

2002/07/24 (水)  晴れ 雲多し 台風9号接近中





建設中の在モスクワ日本大使館が豪華すぎるのではないか、と内外の批判を浴びてサウナ設置を止めるのだという。
以前、東京都庁の建物が新築された時にも知事室が豪華すぎるのではないか、との批判を浴びた。
職務遂行の為の建造物でありながら、豪華な風呂やプールなどが完備されること自体、理解に苦しむ。
まして、それが一般の感覚からすれば“豪華”としか表現できないものであれば尚更。

『特権階級』・・・嫌な言葉だ。
昨日まで同じ意識レベルで生活していた人間が、ある地位に就くことによって処遇が変わり
あたかも本人が昔から“偉い”人物だったかのような錯覚を起こす。

身近な例で見聞きするのは、発展途上国に赴任した人々の暮らし振りと意識の変化。

人件費の安い国に赴任すると、プール付きの広い住まいと使用人がいる生活になることがあるらしい。
日本国内にいた時には狭い社宅や官舎住まいで、ご近所づきあいにもそれなりの気を使っていた人間が、
ひとたび、そうした国の赴任を終えて帰ってくると、外見も内面も様変わりして帰ってくる場合があって驚く。
わずか数年の隔たりなのに、人の頭上からものを言う態度を身に付けて帰ってくる人がいる。

各分野で、採用試験に人物評価を重視する動きがあるという。
しかし、その判定をする採用担当者の意識は信用できるのだろうか?

いい点数を取ったからいい学校に入れて、いい学校を出たから特権のある職に就けたのは当たり前で、
そうなるには努力(受験勉強や金銭的な負担)をしたのだから皆と違うのは当然、と公言してはばからない人もいる。

な〜んか違うんだよなぁ、その感覚が・・・

外務省の改革を進めるのだという。
できるのかな?

2002/07/22 (月)  晴れ





ある女性タレントが人生の幕を自ら引いてしまった。

「幕を下ろす」と「幕を引く」という言い方がある。

今ではステージの幕は緞帳という豪華な代物で、引くには重過ぎる。
緞帳の場合は「下ろす」が適当。

昔、公民館の舞台の幕は茶色でペラペラの布だった。
たぶんあれは木綿だったのだろう。
色あせて朽ちかけたその布は、軽く幕引きできそうだった。

自分の人生の幕は、あの公民館の薄っぺらな幕と同じだろうと思う。
チョ〜ンチョンチョンチョンと拍子木の音に合わせて
トットコトットコ幕を引きたい誘惑に駆られるのは困ったものだ。

千秋楽までにはまだ間がある。

2002/07/20 (土)  晴れ  梅雨明け  海の日





忙しさに追われることに慣れてしまうと、ポッカリ空いた空白の時間に罪を感じる。
「何かしなければ」「何かし忘れていないか」と、妙に気ばかり焦るようになる。

『小人閑居して不善を為す』

少し意味合いがずれるかも知れないが、そんな言葉が浮かんでくる。

以前、思い立って本棚の整理をした。
ハンディな英和辞書も新しい物を買ったことだし
独身時代から使っている物を捨てようと決心して、捨てた。
今になって、使い勝手の良かったあの辞書を捨ててしまったことを悔やんで見ても始まらない。

閑居の時にしてしまった私の『不善』のひとつ。

2002/07/19 (金)  曇りのち晴れ 朝のうち一時小雨





映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で歌われた「マイ・フェイバリット・シング=私のお気に入り」という歌が好き。
次々に出てくるものは、そんなに驚くほどのものは何もない。
高価なものも、羨望の的になるようなものでもない。
でも、好きなものは好きだと謳いあげていく。

私もこれからの人生「マイ・フェイバリット・シング & ピープル」に囲まれて
穏やかに心豊かに暮らしていきたいなぁ・・・

そうだ!さっそく好きなシャンソンのCDを聴きましょう。
エディット・ピアフの「愛の讃歌」

2002/07/17 (水)  曇り一時雨





人は「出会い」のあり様でお互いの印象が好ましくもなり、その反対もあり。

受け入れようとする人と出会えば幸せ。
人を疑ってかかる人と出会えば、時に、自分がまるで悪者のように錯覚させられる。

無用心な昨今、構える気持ちはわかるけれど、
相手に警戒心を抱けば、それは自然に伝わってしまう。

初対面でも相手に心を見せるか見せないか
それは、器量の問題かもしれない。
置かれる環境によるかもしれない。


夕方、久しぶりのウォーキングに出た。
歩道を歩いていると、クラクションを鳴らす車がある。
見ると、昨年の3月までいた職場で一緒だった人がにこやかに手を振っている。
和やかに迎えられ、和やかに過ごし、和やかに去った職場だった。


そんなことがあって、人の「出会い」とその後について、ふと考えさせられた。
昨年の3月までと4月以降に思いを廻らしながら・・・

2002/07/16 (火)  曇りのち雨のち晴れ  台風7号通過





7月から購読新聞が変わった。
それまで長年読み慣れてきた新聞の記事内容との比較をしてみると面白い。
日本では、全国紙の記事はほぼ似通った内容だと言われている。
しかし、細かく読んでいくと多少の違いに気が付く。

今日の記事で気になったのは
「51歳にして思い立ち医学部入学そして卒業。医師国家試験に合格して、64歳の現在、臨床医として働く女性の話」
これは、シリーズで話を続けるもののようだ。
読んで見よう。

今度の新聞には人生相談もある。
今日の相談は
「近所から無視されて挨拶もしてもらえない40代の主婦の相談」
弁護士のアドバイスの中に『大人のいじめ』という言葉が出てくる。
読んでみると、ほぼ私の場合と同じような目に遭っている人がいるらしい。

じっくり新聞に目を通す時間もいい。

2002/07/14 (日)  晴れ 多少の風





人の心が荒び、理由不明の凶悪な事件が増えるにしたがって、私の胸に土へのこだわりが強くなっている。

人は、命を維持するために食物を摂る。
それは、必須であり娯楽にもなる。
食事が滞らない限り、最低限で命は保障される。

その食物生産を支える農業は重要な国の基本産業だと思う。

農業は一朝一夕には成り立たない。
作物を育てるための土作りから始まり、種まき、育成、収穫、そして翌年の生産に続けるための作業。
営々と切れ目なく持続する作業でありながら、毎年新たに始まる作業でもある。

ミミズや微生物が活発に活動する豊かな土に実る滋養ある作物がある限り、人の命は支えられる。
土は作物を育てるだけではなく、人の心に落ち着きと安堵をもたらす。

この国の土壌が安全で地味豊かであることが、国全体の落ち着きにもつながるような気がする。
生活が土から遠ざかれば遠ざかるほど、心は荒れ、潤いを無くしていくように思えてならない。

2002/07/13 (土)  曇り





近所のスーパーの折込チラシの片隅に載る、土浦市の禅堂住職・形山睡峰さんのエッセーに書いてあったこと。

ある外国人が禅問答を評して「森で迷って、出口を訊ねたのに教えてもらえないような会話」と言ったという。
それに応えて禅の学者が「出口は無いとしたら如何?」と。
人生とは出口の無い森を彷徨うようなもの、と書かれてあった。

出口は無いことは無い。
だれにも平等に一ヶ所はあるはず。
ただ、その出口に到達した時には、人はもうそれ以上歩く必要がない。

外国では、丈の高い作物の間を切り開いて、広大な畑に迷路を作ることがあるという話を時々見かける。
青空のもと、緑の中をあちらに迷いこちらに戻り、不安に駆られ焦りながらも遊びと思えば楽しいだろう。

人生の迷路、急いで出口を探さなくても良いような気がしてくる話。

2002/07/12 (金)  晴れ





アスファルトのすき間からタチアオイが芽を出して成長している。
この時季にまだ30cm、花開くまで成長しつづけるだろうか。

一見弱々しく思える植物も意外にたくましい。
「こんな所から?」と驚くような場所に芽吹き、茂る植物もある。

20年くらい前、茨城県つくば市が研究都市として建設された直後のこと、
交通機関の整備が遅れ、そこは陸の孤島状態だった。
その時期に石岡市に住んでいたので、つくば市には何度か足を運んだ。
国が関与して作り上げた為に、田舎の中にぽっと出現した街ではあっても整備された景観だった。
その中心にある公園に子どもを連れて遊びに行ったのだった。

ただ、住人が少ないために街並みは次第に荒れてきていた。
その様子で印象的だったのが歩道。
敷き詰められたブロックを押し上げて植物が芽を出していた。
ブロックは浮き上がり歩道はガタガタになっている所もあった。
そういう状態が何年も続いて、やっと人が定着し始めるようになって、
街はもう一度整備し直されたようなことを伝え聞いた。

使うことによってそのいのちが輝き温もりがこもって来るものがある。
それは日常的な道具であっても都市設備であっても同じこと。

2002/07/11 (木)  晴れ





心に念じていれば実現することがある。

小学校6年生のころ、家にテレビが来た。
洒落たものや文化的な香りとはほど遠い田舎の生活に、テレビはいろいろなことを伝え刺激を与えてくれた。
それは、本を読んで知ることとは違う意味があった。
何しろ、絵が動き音が出てくるのだから。

大好きだったのは外国(主にアメリカ)のドラマやショー番組。
「新日本紀行」という番組もよく見ていた。あのテーマ曲は印象的だった。
「夢であいましょう」は深夜にもかかわらず欠かさないように見ていた。
中嶋弘子、黒柳徹子、渥美清、E・Hエリック、クレージーキャッツ・・・
N響アワーも良かった。

その頃アンディ・ウィリアムズ ショーが大好きで、これを会場で聴きたいものだと思っていた。
遠いアメリカのこと、到底実現不可能に思えると憧れはますます大きくなる。

それから20年近い時を経たある日、NHKホールにアンディ・ウィリアムズが来ることを知った。
初めてテレビで見た時、彼は何歳だったのだろう。
あれから20年、彼もそれなりの年配、じかに歌を聴けるのもこれが最後のチャンスかもとチケットを予約した。
NHKホールの3階席、ステージは遥か遠くだった。
それでも満足だった。
あのアンディが目の前にいる!というのは感動だった。

8月に柏市にエドワード・サイデンステッカー氏が来て講演をする。
「能と狂言の鑑賞会」の特別講演。

ルース・ベネディクト、ドナルド・キーン、エドワード・サイデンステッカー
日本という国および日本文学を世界に紹介した人物として、この三者は忘れてはならない存在。
数年前にはドナルド・キーン氏の講演もあったが聴き逃していたので
今回のサイデンステッカー氏の講演は、ぜひとも聴きたいと思う。

それにしても昔に比べると「いつの日か、見たい・聴きたい・触れたい」と強く願望する対象が少なくなった。

2002/07/10 (水)  曇り時々雨  夜半 台風6号の影響による風雨





台風が近づいているということが一日の話題だった日。
猛烈に蒸し暑かった。

岐阜県大垣市では浸水した街の模様がテレビで報じられている。
どんな嵐がやってくるのか、と戦々恐々としながら床につく。

月下美人の蕾が3個、開花間近のもよう。

2002/07/09 (火)  晴れのち曇り夕方雨





昨日今日、耐え難いほどの暑さ。
モーローとした頭で一日終わる。

夜、久しぶりに二時間半のテレビドラマを観る。
原作は松本清張。配役は十朱幸代、古谷一行、斎藤慶子・・・
脚本、音楽、監督はそれぞれ別人でありながら【晴彦】と同じ名前の偶然。
そんなことが目に止まる。

台風6号接近中。
明日の夕方あたりに関東地方上陸かな?

2002/07/07 (日)  晴れ 猛暑 風





暑い一日だった。昨日に続き、風も吹いた。

農業ボランティアの講座に出席。
今日は、地元特産物のコカブの話。
午後、畑を見学。

2002/07/06 (土)  晴れ 雲多く強風





ちょっと前に、カラスが突付いていたオナガの巣では、何羽かの雛が無事に育ったようだ。
このところ親鳥以外の鳴き声が「ギャ、ギャ、ギャー」と聞こえてくる。
それにしても、オナガの鳴き声は今ひとつ風情に欠ける。

風の強い一日だった。

2002/07/05 (金)  曇り





金曜日を指折り数えて待つ時は、疲れている。

いつの頃からか、
ことさらにニコニコして耳障りの良いことを言う人に出会うと居心地悪く、
ついには嘔吐に似た症状をもよおすようになった。

一見、しごく愛想がよくてしきりに誰かを持ち上げる人間は
だいたい極端な裏表があることを何度も経験したから。

「巧言令色少なし仁」

口達者で満面に笑みをたたえて近づいてくる人間には注意せよ。
そういう人間には人格者は少ないものだよ。

と古くからの格言にも教えられている。

(剥がせぬ般若面(づら) 隠すえびす面(めん)かな・・・   露草)

♪ あ〜あああ やんなっちゃった あ〜ああああああ おどろいた ♪

そう言えば、漫談の牧伸二って今どうしてるんだろう?

2002/07/04 (木)  晴れ 蒸し暑い





自分はどうやら(仲間はずし)の対象となっているらしい。
今年異動して来た中年のパート事務女性に目の仇扱いされているようだ。
中年過ぎた女性の意地悪は陰湿で非情、原因はほとんどの場合、
取るに足りないつまらない事が多い。

れっきとした「いじめ」だと思うけれど、
これを不愉快に感じたり恨みがましく思って悶々とすれば、それは相手の思う壺。
悩み苦しみ寂しくしている姿を見て、彼女はきっと優越感に浸るはず。

以前同じような立場に立った時は深刻に悩み、職場を去ろうか、それとも死んでしまおうかとまで思いつめた。
ところが、こんな人のために死ぬのも馬鹿馬鹿しい、
私が死んだって痛くも痒くも感じない人だからこんなことができるんだろう、と考えた時
何だか壁を抜けたような気がした。

目の前にある状況だけに囚われると、全ての道が絶たれたように思ってしまう。
「囚われ」とは人が囲いの中に入っている。
ここはひとつ、囲いの外から自分の置かれた立場と状況を観察してみよう。

しかし、第三者がいる時には呼びかけても返事をするのに、二人だけの時には返事をしない
簡単な用事をお願いしようとしても「私は忙しい!」とそっぽを向いて断られる、
休憩時にお菓子を分けて食べているところに入っていっても勧めもしない、などなど・・・
ふふふ、あまりにもあからさま過ぎて笑ってしまう。

今日、二人だけの時に仕事上の声をかけても返事が返ってこないので
「私、何かあなたの気に入らないことをしたかなぁ?」「意地張らないで普通にしようよ」
と言ってみたら、ものすごい剣幕で
「私が何意地を張ってるって言うの!」「意地なんか張ってないわよ!」
と睨み付けられてしまった。
(あっりゃ〜、言い方まずかったかなぁ・・・。でもまあいいや)
(それにしても、上司や同僚にゴマすりしている時の声色と随分違うこと!これがあなたの本性ね。)

クワバラ、クワバラ、
最後に「じゃあ、まあ、これからも仲良くしてやってください」と言って終わりにしておいたが、
あれはきっと、明日からもっとエスカレートするだろうなぁ・・・

【あのね、私はお茶菓子や雑談の仲間にして欲しいとはサラサラ望まないけど
(そんなの真っ平ご免なの)
仕事に支障をきたすことだけは、止めてよね!】

げにおそろしや、女のいじわる。

2002/07/03 (水)  曇りときどき晴れ





「個性重視」「人格尊重」「平等の権利」
人一人の大切さを訴える言葉が増えれば増えるほど、人はないがしろにされていくような気がする。
ないがしろにされていると感じることが多いからこそ言葉が生まれてくるのかも知れない。
それぞれの人が充実感を持てる社会であれば、そんな奨励の言葉など必要ではない。

言葉が通じないと感じることが多くなった。
決して外国語だからではない。
同じ日本語を話していながら、心が伝わらないのである。

なぜだろう。

2002/07/02 (火)  曇り





山行の後はいつもスッキリする。
山に憂いを託して来るような気がする。
平地の出来事など何でもないと、山が教えてくれる。

なぜ苦しい思いをしてまで山に登りたいのか。
それは、一旦登り始めると途中で投げ出せない状況があるからだと思う。

山登りを人の一生にたとえる人は多い。
確かに両者とも途中で投げ出してしまうことはできない。
足を止めてそこに止(とど)まれば、それは一巻の終わりを意味する。

登山開始は出生であり下山終了は終焉である。
山に登る行為は、人生の始まりから終わりまでの喜び悲しみを短時間で味わうに似る。

登ったからには自分の足で下って来るしかない。
荷が重かろうが疲れていようが、自分しか頼めない。

自分しか・・・


2002/07/01 (月)  雨のち曇りときどき晴れ間 強風(富士山)  曇り(東京)





5:30 山小屋出発。
小屋を出た時には突風と雨。しばらく歩くと小雨に変わり次第に高度が下がるにつれ霧となる。
吐き気までもよおしてきた高山病が耐え難く、集団を離れて一人先に下山道を駆け下りる。

人気(ひとけ)の無い五合目に7:30到着。
五合目には深い霧がかかり、強風が吹いていた。

到着するとすぐに、駐車場に止めてあった車から男性が近づいてくる。
山の様子を訊きたい登山者かと思いきや、山開きの富士山に取材に来た新聞記者だった。
他に誰もいないことから、私が格好の取材相手になった模様。
昨日も、小屋到着直前に他の新聞社の取材を受けたばかり。

いつもの「山開き」だと、五合目の「子御嶽神社(こみたけじんじゃ)」の前で御輿が担がれるのだそうだ。
今年はどうだろう?その時間になる前に五合目を出発。

添乗員さんの計らいで、頂上断念の代わりに(富士の奥庭)を散策。
樹海の中をトレッキングしながら三合目に下りる。

川口湖畔の、バス旅行がいつも利用する休憩所で食事と入浴。