2002/06/30 (日) 雨のち曇りときどき晴れ 曇り、霧の中(富士山)
8:20 新宿発、中央道にて富士吉田市に向かう。
前回の入笠山の時と同じく、石川PAを過ぎる辺りから晴れ間がのぞく。
富士スバルラインで五合目に到着するとまあまあの観光客。
富士山は外国人が多く見られる山。彼らは団体で登ることはない。
途中で立ち寄った浅間神社では、明日の「山開き」の準備をしていた。
12:30に五合目を出発して16:30に八合目の山小屋「白雲荘」に到着。
しばらくして夕食。メニューはカレー。
深夜0:30に小屋を出発という予定なので、20:00ごろに床に就く。
それから間もなく、小屋の屋根を打つ雨音とあちらこちらに方向を変えながら吹く突風の唸りで目が覚める。
添乗員さんとガイドさんの判断で、頂上登山は断念することに決定。
再び寝ようとするが、頭痛とむくみに悩まされる。
かつて経験したことの無い高山病の症状が今回は出た模様。
2002/06/29 (土) 曇りのち小雨
朝、知人の急な誘いで午後からの演芸を観に、近くの文化会館へ。
出演者はどうやらシルバー世代の芸人集団らしい。
演芸会の主催はJA。定期総会の後の慰安会のような趣旨らしい。
紙きり・マジックショーが終わり、次に舞台は漫談。これが秀逸。場内は終始笑いの渦。
この漫談が面白いからとは知人の誘いの弁。
会場の中高年をネタに、こき下ろしながら笑いを誘う話法は毒蝮三太夫を思い出させる。
プログラムを見なかったので名前は定かではないが(アヤノコウジ キミマロ)とか(キンマロ)とか・・・
30年の下積みを経て、最近やっと漫談で食べていけるようになった、とは本人の弁。
風刺を交えながらの中高年の描写と揶揄で観客を笑わせるまでの芸は、一朝一夕で完成したものではない筈。
夜は【韓国×トルコ】のW杯3位決定戦。
トルコの勝利で韓国は4位に決定。
試合後の両国選手と会場との和やかな交流にホッとする。
トルコと韓国は歴史的な接点もかつてあったと聞くが、
この場合、もし対戦国が日本だったら、
最後にあのように自然に肩が組めただろうか?観客はどのように反応しただろうか?
などと考えるのは穿ちすぎ。
きっと同じように、お互いの健闘を労わりあっただろうと信じよう。
2002/06/28 (金) 曇りのち晴れ
午後からまぶしいほどの晴れになって、いっきに暑くなる。
このところ曇りまたは雨の日は、二の腕を出しているとヒンヤリする梅雨寒の日が続く。
忙しい。
何をバタバタしているんだ、と自問しながらも余裕のない生活をしている。
だからと言って、何かが仕上がって形になっているわけでもない。
ただただ時間に追われているだけ。
ポイントは「気持ちのゆとり」
不要と思われるものやことを思い切って切り捨てること。
とは分かっていても、いざ実行となると何を切り捨てるかの選択に迷ってしまう。
結果、全てが手元に山積してしまう。
最近テレビで「片付けられない女性」について報道しているのを何度か目にした。
信じられない散らかしように唖然。
これを片付けるのに(便利屋)を頼むのだという。
物の片付けは他人の手を借りられるけれど、頭の中の整理整頓はそうはいかない。
ここはひとつ、思い切って頭の大掃除をしなくては。
2002/06/27 (木) 雨
今回のW杯で、韓国チームの試合における審判の判定があちこちで話題になっていることを知った。
う〜ん、いろいろな意見はあるかもしれない。
それはそうであっても、うがち過ぎることが必ずしも良い結果を生むとは言えないこともある。
単純に一喜一憂しておくこともひとつのあり方、とも言えなくはない。
難しい問題は、世界に山積している。
2002/06/26 (水) 曇り一時雨
このところしばらくチューインガムにはまっている。
例の虫歯を予防するというガム。
今回のW杯サッカーの中継でも、幾人もの選手や監督が口を動かしている場面を画面で見た。
一昔前の日本では、人前でガムを噛むなんてお行儀が悪いと批判されそうだ。
そのしつけ(?)が身にしみ込んでいる者としては、人前で噛み続けることはないが
一人の時間には口を動かしている。
自分でガムを噛んでみて意外な効用があるのではないかと思っている。
そのひとつは、消化の助けになるような気がすること。
もうひとつは、口を動かし顎を動かすことで脳が活性化されるような気がすること。
「鰯の頭も信心から」というから、効用があると信じればそうなるかも、ということで・・・
今日もまたガムを一粒口に放り込む。
2002/06/25 (火) 雨一時曇り
サッカーW杯、アジアの期待を背負った韓国チームがドイツに(0−1)で敗れた。
次々に見ごたえある試合展開をしてきた韓国。
それにしてもドイツの強さよ・・・
29日は3位決定戦。30日は決勝戦。
最後まで成り行きから目が離せない。
2002/06/24 (月) 曇り一時晴れ
アメリカで大規模な森林火災が発生しているらしい。
国土が広いと自然災害も規模が桁違い。
治山治水は国土保全の基礎。
今、我が国ではだれがそのことに真剣に取り組んでいるのだろう?
まさか放置されてはいないと思うけれど・・・
森林作業がカルチャーになる現代。
何だか心配なこの頃。
2002/06/23 (日) 曇り
日曜日18:55から日本テレビで放送している「ザ!鉄腕!DASH!!」は、好い。
今日は生中継。夏至を2日過ぎたばかりで、放送開始間際は、まだ外は明るい。
トラクターを操るメンバーあり、庭で熟れたサクランボを紹介するメンバーあり。
妊娠中だったヤギに二匹の子ヤギが生まれていた。
今日は、合鴨の卵が孵化する様子に時間が割かれていた。
気候の急変で抱卵を放棄した親鳥に代わって、室内で孵化をさせる様子は興味深い。
卵から雛が孵るとき、中から子供が殻を割り、外からは親鳥が殻をつついて雛の誕生を助ける。
これを「そったく」と言い、禅宗では(機を得て両者相応ずること)を意味する言葉として使っている。
教育関連では、ときどき使われる言葉。
今回のダッシュ村の孵化では親鳥がいないのでどうするかと見守っていると、
なんと、先に生まれた雛が突付いてやっているではないか!
鳥の世界でさえ、先を生きるものは後からくるものに手を差し伸べ支えようとするのに(それも生まれてまもなくの雛が)
人間の世界は・・・(などとは言わずにおこう。そういう意図の番組ではないし、そういう捉え方をしたくはないので)
他にも、種籾から苗を育て、水田を準備し、手植えで苗を植える場面など。
この時期の農作業を昔ながらに再現して見せてくれる。
思い出の中の農村風景はたぶんに美化され、つらい部分が忘れ去られていることは重々承知の上で、
あの風景の中に入って行きたい私。
2002/06/22 (土) 早朝雷雨のち曇り
今年4月、高校入学式の日の未明に
千葉県内で、ある若者が数人の中学校の先輩に暴行を受けた。
彼はそのまま入学式に出ることもできず、合格した高校に通うこともなく
病院のベッドで生死の境をさまよっていた。
その彼の死が新聞に報じられていた。
加害者の少年たちは中等少年院送致の処分が家裁で下されており
改めて殺人事件としての刑事的な処分は受けないという。
つい最近起きた夜間高校生の死亡事件にしても、この高校生の事件にしても
深夜・未明に人気の少ない場所に被害者を呼び出し
集団で暴行を加えて深刻な傷害を与えるという若者の行動が増えているように思う。
なぜ被害者がその呼び出しに応じて一人現場に出向くのか?
なぜ集団の若者は、さしたる理由も面識も少ない人間を呼び出し暴行を加えるのか?
被害者の子供たちが、付きまとわれ脅迫された時に相談を持ちかけ、駆け込める場所はなかったのか?
息子二人を育ててみて、そういう場所が無いことを始めて知った。
今、日本の思春期の子供たちが置かれている危うい状況を、一体どれほどの人が深刻な事態として認識しているだろうか?
子供や若者が安易な感情の捌け口として陰湿な暴力に走らないことを、祈るような思いでいる。
彼らの信頼に足る大人社会の欠落を痛感している。
2002/06/21 (金) 晴れ 夏至
近所の緑地帯には、時季になるとネジバナがたくさん咲く。
その前に必ず芝刈りが行われる。
芝刈りが早過ぎると伸びてきた芝にネジバナが隠れてしまうし
遅すぎるとネジバナまで刈り取ってしまう。
絶妙のタイミングで芝が刈りそろえられ、サッパリとした緑の絨毯にネジバナがポツポツ咲いている。
これを見るのが毎年の楽しみ。
それにしてもなんで、ゴミの投げ捨てをするのだろう?
目障りでしょうがない。
そしてとうとう「ポイ捨て禁止」の看板の登場。
これがまた、目障りでしょうがない。
先日の山行の時、おしゃべりをしながら一緒に歩いていた人が
お菓子の小袋をポイと林道脇の草むらに捨てた。
それを見なければ、この人との語らいは楽しい思い出として記憶にとどめられただろうに、
その行為に気が付いたばかりに、この人物に対する記憶には傷が残った。
些細なことかもしれない、が、その些細なことが大きなことを失うきっかけになるかもしれない。
ネジバナにゴミは似合わない。
2002/06/20 (木) 曇りのち雨
19日の午後に逮捕された議員に関しての衆院議運委・秘密会のやりとりのなかに
わいろの金額の多寡が民主党の質問にあったとある。
***********************************************************
(以下、朝日新聞記事より引用)
民主 500万円をわいろと認定しているが、最近の事例では、参院議長の秘書が6千万、
元自民幹事長が約1億だ。500万で逮捕許諾というのはいかがか。
刑事局長 (過去に)大阪タクシー汚職事件では100万円でやっている。
***********************************************************
というもの。
この「大阪タクシー汚職事件」に関しては、先日読んだ「別所汪太郎・鬼検事覚書」に出て来た事件。
昭和42年のこと。
その当時取り調べに関わった検事の中に、今は職を辞してボランティア活動をされている堀田力さんの名前もある。
法律の運用に関しては、新しい見解で判決されると判例として後の捜査に影響を及ぼす。
今回のこの答弁もまさにその一例である。
偶然にも手にした「議員秘書」「別所汪太郎・鬼検事覚書」の二冊の本が、今回の事件への理解を助けてくれている。
知らなければそれなりに終わってしまうことも、知っていると深くなることを痛感したできごと。
うかうかとは生きていられない。
(しかし、うかうかと生きていられる世の中であって欲しい気持ちもある)
2002/06/19 (水) 晴れ
先般から世間を騒がせ非難を浴びながら議員の椅子に座り続けたあるコメディアン似の議員が逮捕された。
腹をくくれないその姿は、はなはだ見苦しい限り。
少し前に読んだ元検察庁特捜検事の回顧録を思い出す。
彼は汚職議員の捜査を何度かしたと言い、記憶に残る人物について述べている。
そんな被告のなかで、高知県の大物が罪を認めることに潔かった事に触れ
さすが「土佐のいごっそう」の土地柄か、と語っていた。
風土が育てるその土地土地に特徴のある人間性は、確かにあると思う。
最近は政治家が腹をくくらなくなった。
それなりの哲学と信念に基づいて行動したことなら、
世間からどのような批判、非難を浴びようと貫き通せばいいし
信念に基づいた自分の政策が支持されなくなったり訴追されたりした時には
潔く自分の行動の見直しをするか職務を辞するべきと思う。
しがみつけば腐るしかない実も、一旦幹を離れて地に落ちれば、再び新しい芽をふくチャンスもあるものを・・・
2002/06/18 (火) 雨
W杯決勝トーナメントで日本チームがトルコチームに(0:1)で敗退した。
【韓国×イタリア】戦は、激しい攻防の末に延長戦後半で韓国がゴールを決め
ベスト8に進出した。
今回のW杯サッカーを観戦しながら、多くのことを学んでいるように思う。
その最たることは「最後まで諦めてはいけない、投げ出してはいけない」ということ。
日本は、経済追求で置き去りにしてきたものの付けを払わされているのかもしれない。
お金に換算できないことが人の心を一つにし、大きく動かすことを再確認させられた一瞬。
今回の日本チーム代表選手のひたむきな努力と向上に倣って
我々も基本から出直すキッカケになればいいな。
次はドイツ。
その時までには、きっと・・・
2002/06/17 (月) 曇り
何で人間なんだろう、と漠然と思うことがある。
どうして「存在していることを意識する存在なのだろう」と考えてしまう。
人間は自分が意識する存在だから、
もしも宇宙に同じような生命体があるとすると、
彼らも我々と同じように意識すると考えるのかもしれない。
しかしこの「意識する」という行為は、果たして宇宙に普遍の事実なのだろうか?
意識しなければ、確かにそこに在る物でも無いに等しい。
「存在の自覚」は、人間の出発点のような気がする。
人間は不思議だ。
2002/06/16 (日) 曇り
W杯サッカーも決勝トーナメントとなると試合内容も激しい戦いが続く。
素人目にもその卓越したプレーには、さすが世界中から選ばれてきたチームだとわかる。
先日、新聞の人物紹介のコラムで(スポーツメンタル)を受け持つ人が紹介されていた。
その女性は、もともとは自身がスポーツ選手だったそうだ。
勝敗のかかる競技では、ギリギリの精神状況の中で選手に襲いかかるプレッシャーは計り知れないものなのだろう。
試合前の緊張、試合後の落胆、練習中のスランプなどなど、期待される選手ほど極限状態に置かれるはず。
そんなことも薬物依存の一因になりそうだ。
これまで(スポーツメンタル)が注目されなかった方が不思議かもしれない。
最長120分間も走り回るサッカーを見たあとで、そんなことを思った。
2002/06/15 (土) 早朝雷雨(柏市) 晴れのち曇り(入笠山)
家を出るときには雨。おまけに雷まで鳴っている。
まあ、集合場所の新宿まで行ってみよう、いざとなればレインコートでの山行も止む無し
と思ってズボンの裾を濡らしながら傘をさして出かける。
中央自動車道のトンネルを抜ける度に日差しが明るくなっていった。
上々の山歩きびよりになった。
「入笠山」1956m、途中までバスで上がりそこから徒歩。
山に行かなくては会えない花々との出会い。
日本スズランの群生、朱色のツツジ、キンポウゲの花に似た黄色い花。
久しぶりの山の空気と山歩きの連れたちとの温かいコミュニケーションに、すっかり心が和んでいた。
楽しかった。
2002/06/13 (木) 雨
結局、人間50年くらい生きたって何にも判らないのかもしれないなぁ、と思うこの頃。
もう少し生きてみないと、確かなことは見えてこないような気がしてきた。
何かが見えてきたころには、自分の人生の結末も見えたりして・・・
ブラックジョークだな、そうなると。
2002/06/11 (火) 今日も曇るかに見えて 晴れ 強風
どうやら暦どおりに今日、梅雨入りした模様。
それも、今後の天候次第では「まだでした」とか「実はあの時が梅雨入りだった模様です」と変更されるかもしれない。
予想が外れても、さほどの深刻な非難を浴びないのが天気予報。
今日の空を見上げると、猛スピードで雲が流れていた。
南の方に発生していた台風4号は、次第に弱まり消えたらしい。
今朝は部分日食が観測された地域もあったと聞く。
太陽にも陰りの日はある。
2002/06/10 (月) 朝のうち曇るかに見えたけれど結局 晴れ
昨日のW杯サッカー横浜スタジアムでの試合で日本は初勝利をあげた。
おそらく日本中の人が、久々の喜びを味わったことと思う。
スポーツの勝利、それも今回のサッカーの勝利に何故こうも気分が高揚するのか?
同じ国土に生まれ育った選手ということがその大きな要因であることは間違いない。
その上に、現在のわが国の低迷した空気に清新な前向きの風を送ってくれたこともある。
スポーツの世界大会はさまざまある中で、サッカーの勝利をこれほど喜べるのはどうしてだろうか?
それぞれの持ち味・個性を持つ選手が突出して活躍するのではなく
選手同士の絶妙な連携がなくては得点を稼げない。
その為にはチームメイトの動きや能力を考慮に入れながら一つのボールを受け渡しする判断力が要る。
たとえボールに絡んでいなくても、絶えず注意を怠らずに自分のポジションを守らなくてはならない。
待機支援をしながらもチャンスが回ってくれば、即攻撃に転じなくてはならない。
そして何より、わかりやすい。
まるで今のこの国に求められているような状況がピッチに繰り広げられる。
昨晩は歴代首相経験者と現首相小泉さんが観戦していた。
今回の勝利に至るプロセス、意識を国政に生かせないだろうか?
日本チームの善戦は「やればできる」「諦めずにぶつかって行く」ことの大切さを再確認させてくれた。
(今日のもう一つのにっき)
無力だよなぁ、自分を語る自分の言葉・・・
結局それらは自分が認める自分でしかない。
その言葉を受け止める他人の中に組み立てられる私は、受け止められたいと願う自画像とは重ならない。
そんな落胆を何度も繰り返しながらも未だに懲りずに自分を語っている私。
しょうがない、しょうがないんだと自分に言い聞かせる。
今日も一日が終わった。
2002/06/09 (日) 晴れ 午前中強風
それにしても凄まじい爆音だった。
暴走族は決まって深夜に走る。
パソコンのスィッチを切って「さあ寝ましょうか」と床に就いてしばらくのことだった。
十数年前、夫を亡くして心がぼろきれのようにクタクタになっていた時に耳に届いた爆音は辛かった。
そのことを題材に新聞に投稿をした。
この辺りで彼らが走るのは、いつも大きな病院の近くの道。
沼の傍を一直線に走る道路。どうやら音はその方面から響いてくる。
山の無いこの土地では、市内中に轟きそう。
「何故、爆音とともに集団で深夜に?」と訊いても無駄なのだろう。
昔から、若い者は無鉄砲をするもの。
以前、ちょっと横道に逸れてしまった二十歳前の若者がいた。
彼のことは小学校のころを少しだけ知っていた。
中学校、高校と進むにつれて本線から外れていったように聞いていた。
ある日、彼がバイク事故で亡くなったという話を耳にした。
国道を東京方面に向かって集団暴走中の事故だった。
傷を負って瀕死で救急車に運ばれる彼の後を追って、友人たちは叫んでいたと言う。
「○○〜、死ぬなよー、死なないでくれよー!」と。
人は、身近な人のあっけない命の終わりを目の当たりにするまで気付けないものだろうか。
2002/06/08 (土) 晴れ 午後から風
午後、風が吹き始めた。
近所に高層のマンションが次々に建設されていく。
この土地に越してきた時には見晴らしの良い場所だったのに
何時の間にか展望をさえぎる建物が並ぶようになった。
それにつれて住む人の数も増えた。
当然と言えば当然だが。
そして、人との交わりは減った。
風が吹き始めた。
胸のうちに・・・
2002/06/07 (金) 晴れ
W杯が始まってその成り行きに注目している。
あるFM放送が各国のホテルに電話取材してその国のチームへの期待などをインタビューしているが、
欧米のホテルではあまり関心がないような印象。
日・韓という極東での開催のせいなのか、それとも、アメリカでサッカーが主流ではないせいなのか?
とかく世界の注目はアメリカが関わるところに集まるような気がする。
また、世界のニュースで大きいものには必ずアメリカが関わっている。
日本は今、サッカー開催で忙しくしているが
その間にも、地球上には、紛争の火種を抱えて緊迫した情勢の国々がある。
「世界はひとつ」とは耳に心地よいスローガンではあるが、その実現には程遠い現実。
「世界はそれぞれ」だけれども理解と譲歩と容認で共存共栄して行ける事を、一市民として願っているのだが・・・
2002/06/06 (木) 晴れ
一本の木の近くでオナガが鳴き騒いでいた。
パタパタと羽ばたきながら、その木の周囲から離れない。
ギュギュギャーギャーと、ただならぬ気配。
その木に目を向けると、一羽のカラスが葉の間に嘴を差し込んで何やらしている様子。
きっとオナガの巣があるのだろう。
卵があるのか雛がいるのか・・・
しばらく様子を見ていると、それまで周辺で騒いでいたオナガがガツンとカラスに一撃を加えた。
カラスは慌てて飛び去った。
その後すぐにオナガは巣に帰るのかなと思ったけれど、そうではないようだ。
巣があるとみられる木が見える付近の木の枝にしばらく止まって、巣に帰ろうとしない。
観察はそこまで、あとはどうなったのかわからない。
2002/06/05 (水) 晴れ
カンカンに晴れた。暑かった。
私は季節が暑くなると調子が良い性質らしい。
苦手なのはどんよりとした曇りの日。
少々の日差しには帽子も長袖もいらない。
日焼けなんか気にもならない。
と、威勢の良いことを言えるということは、今現在、私のコンディションは良いという証拠らしい。
「楚々とした」とか「なよなよした」とか「はかなげ」とかいう言葉とは無縁なんだなぁ、これが・・・
元気印で得をしているのか損をしているのか・・・
まあ、そんなことを考えるのも面倒なのでやめておこう。
2002/06/04 (火) 晴れ 午後にわか雨
サッカーワールドカップの【日本vsベルギー】戦を観る。
4年前にフランス大会で世界デビューをした時の様子に比べると
技術、精神力に格段のレベルアップがうかがえた。
選手みんな、引き締まった良い顔をしていた。
今日、新聞に「自己肯定度の低い日本の高校生」という記事があった。
比較されたアメリカやヨーロッパやアジアの他国の高校生に比べると
自分の能力への評価が低く、将来への展望に明るい見通しを持っていない子が多いという統計が出たのだという。
確かに最近、日本の若い世代は精神的に彷徨っていると感じる。
拠りどころのない不安感に怯え、その無気力は
その昔三無主義とか言われた世代のそれよりももっと不気味な捉えどころのない現象になっている。
そこかしこで見かける少年期、思春期、青年期の人たちの表情に、そうした変化が如実に表れているような気がするのは思い過ごしだろうか?
何時の頃からか「ほめて育てる」のが良いと言われるようになった。
そのころから日本の子供は叱られることが少なくなった。
頑固な大人の横車や叱責に対応する機会も失われた。
妙に物分りの良さそうな大人に囲まれて、子供たちはかえって、自信を失っていったように思う。
「艱難汝を玉にす」という言葉がある。
困難を克服しようとするから人は智恵を巡らし、物事を解決して自信をつけていく。
最初から困難を取り去った人生に進歩は無い。
ほめる事は大切だが、何も達成していないのにほめられても成長の糧にはならない。
幼いから若いからと侮ってはいけないような気がする。
彼らは、手応えのない大人の生き方を敏感に感じ取り、自分の暮らす社会に漠然とした不安を抱いているのではないだろうか。
今日の対ベルギー戦で見せた中田英寿選手の表情、
精悍で自信に満ち、ゆとりの微笑みさえ浮かべる余裕。
海外のチームに挑戦し飛躍した足跡を、その表情に読み取れる気がする。
これからを生きる子供たちに『切り拓く』気概を取り戻して欲しい。
ワールドカップサッカーを観戦しながら、そんなことを考えた。
2002/06/03 (月) 晴れ
暑い天気が続いて、風呂上りにベランダで涼むと気持ちがいい。
カーテン越しの明かりと夜の闇が溶け合うベランダの片隅に
先日、知人からもらった(ユキノシタ)が咲いている。
薄暗がりの中に白い花が、ちょうどカタカナの「ハ」の字に似て散らばっている。
空間に笑い声を文字にして浮かばせたように見えた。
薄闇に 白き「ハ」の字の笑いあり ユキノシタ花こころ愉しき (露草)
2002/06/02 (日) 晴れ
昨日今日とテレビでサッカー観戦。
これから一ヶ月間、その成り行きに目が離せない。
朝、新聞の番組表をチェックした時にNHKスペシャルで桂米朝が取り上げられることを知った。
落語、漫才、講談は幼い頃からラジオやテレビで親しんできた。
そんな中でも、上方落語と上方漫才はとても好きだった。
桂米朝には、そこはかとなく漂う品格を感じていた。
その弟子の桂枝雀にも米朝師匠とは違う話の面白みと冒険を楽しませてもらった。
客に浮世の憂さを忘れさせ噺の世界に引き込んで笑わせることの奥深さを
番組を見ながら考えていた。
桂枝雀の死は、悲しかったし残念だった。
番組の中で、その死に至る経緯に触れていたが、
あの飄々として暢気そうな芸の裏に、のたうつような苦悩があったのだと知ると切ない。
『笑い』とは常に身を削るような人生からじんわりとにじみ出てくるものらしい。
また、そうした『笑い』こそ人の心の琴線に触れるのだろう。
2002/06/01 (土) 晴れ ときどき 曇り
(アリウム・ギガンテウム)という花がある。
ネギ科の植物で、その花は全くネギ坊主。
ツーンと伸びた茎のてっぺんに紫色の大きな球形の花の集合体がある。
この時季の花材らしくて、今時分あちこちで見かける生け花に使われている。
この花は茎が長いので、殆どの場合、横から見ることが多い。
先日真上から覗いてみた。
これから咲こうとしている紡錘形の白い小さな蕾が見えた。
ここにも自然の造形の不思議があった。