2002/04/30 (火) 曇り 強風
文房具売り場は楽しい。
昔はよく足を運んだ。洋服を見るより、文房具売り場を見て歩くほうが楽しかった。
それも、最近はとんとご無沙汰。
パソコンを使うようになって、紙と筆記用具は殆ど不要になってしまった。
手紙はメールになり、文章を書くにしてもキーボードを叩けば事足りる。
最近久しぶりにデパートの文房具売り場を覗いてみた。
やっぱり楽しかった。この楽しさはなんだろう?
便箋と封筒を買った。
昔と同じように・・・
2002/04/29 (月) 晴れ みどりの日
「愛の讃歌」は、実は悲しい歌であると知ってから、この歌に込める気持ちが変わった。
越路吹雪のCD「ドラマティック・リサイタル/エディット・ピアフの生涯」を聴きながら
最後に謳いあげられる「愛の讃歌」に胸詰まる想い。
ゆったりと過ごした三日間、しぼみかけた心の風船に、少しは空気を吹き込めたような・・・
2002/04/28 (日) 晴れ
最近はラジオで小耳にはさむニュースが多くなった。
テレビは面白くないし、新聞を隈なく読むには時間が足りない。
そんなラジオの番組から得た話で、今、外国語を学ぶとしたら何語を選ぶかという話が興味深かった。
昔はとにかく英語だったけれど、近頃では中国語・東南アジア各地の言語が増えてきているのだそうだ。
スペイン語などのラテン系の言葉も人気があるらしい。
これらの傾向は、世界の経済の成り行きから納得するところはあるが、
何故かフィンランド語が高い人気なのだそうだ。
今ごろムーミンが爆発的な人気で・・・という訳でもなさそうだけれど・・・
連休の二日目もボンヤリと過ごして終わる。
2002/04/27 (土) 晴れ
ゴールデンウィーク初日、気持ちよく晴れた。
布団を干し洗濯を済ませて、のんびりニュースを検索して読んでいたらこんな記事があった。
☆☆☆☆☆
愛知県の中学生がテレビの番組を真似て給食を早食いし、パンを喉に詰まらせて死亡。
事件は今年の一月に発生。その後、重態が続いていた男子生徒は、中3に進級したばかりの今月亡くなった。
当日の献立は、焼きそば・サラダ・ミニパンロール・牛乳。
生徒は、他の生徒数人と競争してパンを一口で呑み込みサラダを口に入れ牛乳を飲んだところで廊下の手洗い場にとんで行き倒れたという。
4/27 asahi.comより
☆☆☆☆☆
『食』は『命』に直結することを忘れてはならないと、このニュースに教えられる。
栄養摂取はもちろんだけれど、
なぜ噛むのか、なぜ細い食道を通過させるのか、なぜ胃から腸へと順番に食物を送っていくのか
そんなことを、じっくりしっかりと子供たちに覚えてほしい。
間違っても、おいしく楽しい筈の食事で、命を落としてはいけないと思う。
2002/04/26 (金) 曇り 気温低め やや肌寒い
なかなか「想い」というのは伝わらない。
のっそり歩いている猫を見ながら
「お前はいいよね、気ままで・・・」
とうらやましくなることもある。
犬型人間、猫型人間、どっちかというと私は犬か・・・
2002/04/25 (木) 曇り
一昨日、知人が「ユキノシタいりませんか?」と話しかけてきた。
「えーっ、ユキノシタって、花がこんな形してる、アレでしょう?」
と下の二枚の花弁がツ〜ンと尖って伸びている様子をジェスチャーしてみせる。
「そうです、そうです」と頷く知人。
実は、実家に生えていたユキノシタは、まさに雑草の如く、日陰のハランの下に群生していた。
そこにはドクダミもあった。
ユキノシタと聞くと、私の記憶では(ハラン)(ドクダミ)(ユキノシタ)が細い用水路脇の軒下の光景とセットになっている。
「マンションのベランダでも育つかなぁ?」
「育ちます、育ちます」
「じゃあ、ちょうだい」
という会話があって、近日中に私のベランダ花壇にユキノシタが加わる予定。
「ノイチゴもいりませんか?」と知人が続ける。
イチゴ系は、兎に角はびこるという印象が強い。
「ノイチゴって、はびこるでしょう?」
「増えますよ〜、すごく!でも、これがおいしんです!」
という会話が続いて、結局、ノイチゴの苗も我が家にやってくることになっている。
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人生に虚しくなると、無性にシャンソンが聴きたくなる。
そんな中でも、越路吹雪の「セ・ラ・ヴィ」
(セ・ラ・ヴィ)とはフランス語で(そんなもんだろう)くらいの意味。
要するに「人生って、そんなもんだろ」ということ。
この歌の中の「セ・ラ・ヴィ、セ・ラ・ヴィ、人生に逃げ場はない」
という歌詞を、私は繰り返し口ずさむ。
ま、どうあがいたって、人生って『そんなもんだろう』
とまあ、こんな気持ちのこの頃・・・(独り苦笑い)
2002/04/24 (水) 曇り
カーラジオで「エルニーニョ現象」のことを話していた。
以前は珍しいことだったこの現象が、ここ数年繰り返し発生しているのだという。
エルニーニョ現象が起きると、梅雨が長引き冷夏になる。そして暖冬と続くのだそうだ。
いわゆる異常気象。
たまに起きるから異常気象なのであって、こうしょっちゅうだと環境変化としか言いようがなくなる。
氷河が大量に融け始めている、とも言われる。
広い宇宙の小さな星、地球。
またその上の、わずか20−30cm四方の地面に立って考えていては分からないことが多そうだ。
2002/04/23 (火) 曇り 一時 晴れ
人の噂を信じて目の前の人間を判断する人たちがいる。
別に自分はその人から噂どおりの仕打ちを受けてもいないのに。
愚かなことだと思う。
噂を聞いて、ある人間に予断を持つのは仕方のないことだけれど、
真実は自分の目と耳で確かめ、自分の判断を信用したいものだと思う。
噂とは、幾人もの口を経ていくにつれて、面白おかしく大げさに真実を捻じ曲げて伝わっていくものだから。
いわれのない「いじめ」は、そんなことからも発生する。
2002/04/22 (月) 曇り 一時 雨
余裕のある朝は、職場まで歩いて出勤する。
途中、小さな竹やぶの横を通る。
春まだ浅い頃には下手くそだった鶯の鳴き声がだんだん上手くなってくるのが分かる。
「ホ〜ホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ホ〜〜〜ケキョ」
まるで自分の鳴き声に聞き惚れるように鳴いてくれる。
その竹やぶの傍を通る度に鳴き声を耳にするということは、そこを棲家にしている鶯がいるのだろう。
あんなに人家が密集した場所なのにと思うと、何だかその鶯に親しみを感じる。
先日は、ほんの1メートル先の枝で鳴いていたが、姿は見えなかった。
明日の朝も歩いてみようかな・・・
一段と磨きのかかった囀りが聞けるかもしれない。
2002/04/21 (日) 雨 のち 曇り
天気が悪いとそれだけで意気消沈する日もある。
まあ、原因はそれだけとは限らないのだけれど、
こんな日はじっとして過ごすに限る。
夕方は、例によってテレビ番組「鉄腕ダッシュ」を、
「いいな、いいな、ど田舎生活」と指をくわえて見ていた。
憧れるなぁ『晴耕雨読』の生活。
2002/04/20 (土) 晴れ のち 曇り
映画「サウンド オブ ミュージック」に(私のお気に入り)という歌がある。
あの歌のように私のお気に入りを挙げてみると、
小さな花、霧たちこめる森、フラメンコ、ハッピーエンドのラブストーリー、フランス映画そしてシャンソン。
シャンソンを流しながら部屋で過ごす時間は、とても好き。
シャンソンには、割り切れない(人の心)が歌いこまれている。
明るいばかりではないその歌詞の訴えるもの、そして、それを謳いあげる歌手の人生。
さまざまな空気が流れる曲から伝わってくる。
好きな歌手は越路吹雪。
好きであることに理屈はない。
2002/04/19 (金) 晴れ
殆ど毎日買い物をするスーパーのチラシには、茨城県のお坊さんのショートエッセイが掲載される。
これが毎回楽しみの一つ。お坊さんの名前は、霞ヶ浦菩提禅堂々長: 形山睡峰さん。
エッセイのタイトルは『生活・・・いかされている(感謝)・いかしてあげる(報恩)・いきている(自覚)』
今日のテーマは「たのしみは・・・」
その中に、福井の橘曙覧(たちばなのあけみ・1812〜1862)の歌が紹介されていた。
忘れないように転記しておこうと思う。
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たのしみは妻子睦まじくうち集い 頭(かしら)ならべて物を食う時
たのしみは朝起きいでて昨日まで なかりし花の咲ける見る時
たのしみは常に見なれぬ鳥の来て 軒(のき)遠からぬ樹に鳴きし時
たのしみはあき米櫃(こめびつ)に米いでき 今一月はよしという時
たのしみはまれに魚煮て子等皆が うましうましと言いて食う時
たのしみは草のいおりの筵(むしろ)しき ひとり心を静めおる時
たのしみは心にうかぶはかなごと 思いつづけて煙草すう時
たのしみは三人の児どもすくすくと 大きくなれる姿みる時
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(しあわせ)や(よろこび)は、大きければ尊いものではないことを教えられる。
2002/04/18 (木) 曇り
次々に同じような問題が表面に出されて、追求しあう野党と与党。
間違ったことは正さなければならないのだけれど、お互いの追い落とし合戦ばかりで
着手しなくてはならない重要な国政・外交はどうなっているのか?
今回は千葉県選出の参議院議長:井上裕議員。
政治家の辞書には「潔癖」だとか「クリーン」という文字はないのだろうなぁ・・・
現在、読みかけている「代議士秘書」、
政治家の金集めの実態やそれにまつわる話が、とても13年前の昔話には思えない。
進歩のない、というより、表面化しないことを良いことに、
ますますエスカレートしていく利権獲得の為の行為の数々。
人間には「反省」とか「自制」とか「自戒」とか、自らの行為を考える能力がある筈なんだけれど・・・
2002/04/17 (水) 曇り ときどき 晴れ 強風
足元を危うくするほどの大風が一日中吹き荒れた。
ふと、ケヤキの大木を見上げると、枝も引きちぎられんばかりにざわめいている。
その様子を見ていると、何やら、こちらの心までザワザワと揺れて不安になってくる。
ところが、根元に目を落とすと、大木の幹はどっしりと大地に立ち微動だにしていない。
「枝葉末節」という言葉がある。大して重要ではない事柄を指す。
今日のケヤキの大木だって、この大風で枝の何本かは折られ、幾枚もの葉は吹きちぎられるかも知れない。
それでも、根元が腐らずにシッカと大地をとらえている限り、枝葉は再び繁らせることができる。
波乱の人生を背負っているように思い、他人の言動に翻弄されようとも、
自分自身を失わず、大地に足を踏ん張って生きていれば何とかなる日が来るかもしれない。
根幹を太く確かなものに育てる大切さを、ケヤキの木に教えられる。
2002/04/16 (火) 晴れ のち 曇り 一時 小雨パラつく
友人が捨てようとしていたみかん箱一杯の本を貰った。
今日、その中の一冊を読もうと手にとって見ると、偶然にも現在の社会問題に関連のある題材。
「代議士秘書」 神 一行(じん いっこう):著 1989年初版発行
13年も前に、既に代議士秘書の問題点に着目して書かれた本が存在する。
にもかかわらず、13年後のいま、問題が表面化して国会が騒いでいる。
永田町に自浄能力が無いことは、誰しも知っていることなのだが、
この本を手にして、改めて、懲りない面々の面の皮の厚さを物差しで計ってみたい気がする。
13年前に出版されたこの本に、鈴木宗男氏の名前が既に指摘されている。
2002/04/15 (月) 晴れ
日中、夏と間違えるほどの暑さ。
友人が回してくれた本を読んでいる。
大平光代:著 「だから、あなたも生き抜いて」
この本を手にしてパラパラとページをめくりながら、(読むのはやめようかな)と、ふと思った。
多人数対ひとりでいじめられる、いや、それは「いじめ」などという言葉では表現できないほどの人格無視。
そんな感じが、並ぶ活字から刃のような空気となって、こちらの心に刺さってきたから・・・
何となくそのままにはできなくて、とうとう読み始めている。
読むほどに、著者が受けた仕打ちがひしひしと伝わってくる。
何の心当たりも無いのに、いつの間にか孤立無援となり、フィクションもどきの噂は噂を呼んで
心当たりの無い悪質な自分の姿が作られていく。
一人になった人間を集団になっていじめ、つつくのは、た易い。
弱い人間は、なるべく集団に組したがる。
孤立無援となって戸惑い、悩み、もがき、苦しむ者の立場に思いをかける人間は、そうそういない。
カバーに載せられた著者の近影、彼女の目には、本当の意味での(強さ)を感じる。
奈落の底を蹴って浮上した(強さ)だと思う。
(一人で在ること)を、もう怖れない(強さ)に違いない。
親しく感じる。
2002/04/14 (日) 晴れ
子供が小さい頃によく連れて行った隣の市にある公園に、久しぶりに行ってみた。
新しく、花の施設ができたばかりで、多くの種類の植物が植えられていた。
まだまだ根付くまでには時間のかかりそうな様子だったけれど、先が楽しみな場所になりそう。
ボタンの株が驚くほど多くて、これから咲きそうな蕾がたくさんついていた。
咲いている花も大きくて、見事な色と香りを楽しんだ。
金鎖(ゴールドチェーン)のトンネルが作られていて、花の頃を想像すると楽しい。
少し規模は小さめながら、イングリッシュ・ガーデンのバラも期待できそう。
2002/04/13 (土) 晴れ のち 曇り
現在住まいするマンションでは三ヶ月ごとに班長が交替する。
それは、部屋番号順に廻っていくことになっている。
私の役目が終わった時点で、私は次のAさんに申し送りの電話を入れた。
すると「私、都合が悪いんです。次の方にやってもらえませんかねぇ」という答え。
「じゃ、それはご自分で、次のBさんにお願いなさっては?」ということを告げて電話を切った。
すると、しばらくして再びAさんから電話がかかってきた。
「今、管理人さんに相談したら、あなたから次のBさんに電話して頼んでもらえばいい、と言われました」と言う。
次の三ヶ月の班長の仕事には、いつも、駐輪場の集金と夏祭りの世話役という仕事が加わる季節だった。
私は、Aさんの言い分に納得の行かないものを感じて、何度もやんわりとお断りを繰り返した。
しかし、彼女はこちらが「うん」というまで引き下がりそうにない。
マンションの自治活動を滞らせるわけにはいかない。
なぜ、私が関わらなければならない問題か、Aさんのずるい発言に憤りを感じながらも、
話しているうちに、この人に道理を説いても受け入れそうにない事を知り、電話を切った。
引継ぎには、紙袋ひとつ分の班長持ち回り品を渡さなくてはならない。
この調子だと、たとえ私がAさん宅に持って行ったとしても、彼女は受け取りを拒むだろう。
結局、私がBさんに事情を話して、順番の前後することを納得して頂き、班長の引継ぎを済ませた。
ご高齢で一人暮らしの女性も、一人前の自治会の持ち回りの役目を果たされている。
私は、この、まだ年若い(30代?)女性の【甘え】とも言えそうな身勝手に、腹が立つというより情けなくなってしまった。
駐車場に停まっている彼女の赤い車を見る度に、もう7−8年も前のこの出来事を、繰り返し思い出す。
2002/04/12 (金) 雨 のち 曇り
インターネットを始めて、さまざまなHPを訪問するようになり気がついたことがある。
掲示板の書き込みをする際に、文章の上手下手を気にする人は中高年に多い。
しかし、インターネットでの即時性の高い発言に、名文は期待されているのだろうか。
少なくとも私は、文章や言葉遣いの巧拙より、何を語ろうとしているのか、
その中身にこそ興味を持って読んでいる。
究極、言いたいことが伝わればよし、だと思う。
インターネットならではの楽しみは、まず発信することから始まると思っている。
相性の良いサイトとの出会いを増やしていきたい。
2002/04/11 (木) 曇り のち 小雨
次第に泥沼化していくイスラエルとパレスチナの紛争。
とうとうベツレヘムの聖誕教会が破壊されたという。
先だってのアフガニスタンでは、世界中の制止を振り切って遺跡が破壊された。
何千年を経て保存されてきた重要な物でも、人間の作ったものは人間によって破壊される。
作り上げるには相当の年月と犠牲を払ったとしても、壊すのはあっという間。
それを言うなら、歴史は浅いけれども、昨年、テロによって崩壊したツインタワーも同じこと。
物は壊れるけれども、消え去ることなく受け継がれ語り継がれる憎悪。
パスカルが「考える葦」と表現した人間たちは今、考えるべきを考えているのだろうか?
2002/04/10 (水) 曇り
何とか心穏やかに落ち着いた気持ちで過ごしたい、と思いつつ・・・
忙しい3−4月の一連の用事が、やっと今週で一段落しそう。
ときどき、禁断症状のように本が読みたくなる。
これとても、心身の落ち着きがなくては、目が活字の上を泳ぎまわるだけで内容が頭に入ってこない。
「ウン!!」と腹の底に力を入れて・・・
「腹を据える」という言い方もむべなるかな。
2002/04/09 (火) 曇り のち 小雨・風
毎朝通る道のそばに、美しい緑地帯がある。
今、つつじが半分くらい咲いている。鳥瞰すれば、さぞや美しかろうという植え込み。
その芝の中で、今朝、カラスが5−6羽、餌を啄ばんでいた。
中に、カラスにしては首の長い鳥が一羽いる。
色は同じ黒なのだが、少々雰囲気が違う。
どうやら鵜のようだ。どこからやって来たのだろう。
通勤途上の車の中から外を眺めていると、面白い発見がある。
先日は、対向車の運転手(男性)の顔の中央になにやら白いものが・・・
「はて?」と一瞬いぶかしく思ったが、何の事は無い鼻の穴に突っ込んだティッシュがはみ出しているのである。
時まさに花粉の最盛期。
そういう場面に遭遇することもある。
2002/04/08 (月) 曇り のち 晴れ
今日はラジオと新聞で、教育に関する識者の意見に触れた。
いずれも「ゆとり教育は果たして是か?」との疑問を投げかけている。
欧米は、これから日本が実施しようとする(ゆとり教育)から、従来の日本型の(詰め込み教育)に変更してきたという。
それぞれにそれぞれの課題点が・・・
今、子供たちに何より欠けていて、身に付けて欲しいものは、生きることへの意欲かもしれない。
2002/04/07 (日) 晴れ
日曜日の夕方、日本テレビで「ザ・鉄腕ダッシュ」という番組をやっている。
その中で、若者のタレントグループが、自給自足のダッシュ村を建設するという企画がある。
時々見ているのだが、懐かしく楽しい。
今日は昨年の総集編として、午後と夜に長時間の放送があった。
一番興味を引かれるのは稲作、そして、かまどを使った炊飯。
萱葺きの民家の移築作業も、大いに楽しめた。
自分たちで育て収穫した稲を、脱穀、籾摺り、精米していく過程に、懐かしい農具が登場する。
土に根ざした生活のミニ体験。
どんな条件に置かれてもサバイバルできる生活力を、現代人は備えているだろうか?
また、その力を学べる機会があるだろうか?
これから学校が週5日になるということで、二日間の児童生徒の過ごし方が取り沙汰されている。
「ダッシュ村」の試みから何か得るものはないだろうか?
2002/04/06 (土) 晴れ
義兄夫婦とお墓参りの一日。
風のない穏やかな日で助かった。
いつも食事をして別れることになっている。
いつものように「社会・国家」を大いに論じる。
山口県人が寄れば、かならず(談論風発)、話は発展し議論は大いに盛り上がる。
話す内容は「社会・国家」のことが多く、議論は議論として決して喧嘩にはならない。
議論は「精神のスポーツ」、大いに論じた後はスッキリする。
最近、そんなことが少なくなってきた。
2002/04/05 (金) 晴れ 風ふく
先日テレビのニュース番組で、国立大卒もとエリートサラリーマンがホームレス生活をしている姿を取材していた。
人が職を失い、帰る場所を失い、野天で生活するようになるきっかけは、個々に様々な事情があると思われる。
それは、国立大学を卒業していようが、大企業に勤めていようが、由緒ある家に生まれていようが関係ない。
(国立大卒・エリートサラリーマン)という言葉と(ホームレス者)を対比的に並べて人目を引くやり方は、
裏返せば、(ホームレス者)になっても仕方が無い人間の条件でもありそうな誤解を生むと思う。
何の疑いも無くこのようなタイトルが付けられ、何の疑いも無く読んで納得してしまうことは
今の社会の価値観、人間観、を垣間見させる。
確かに大学にランクがあり就職に影響していた時代があった。
家柄が良ければ、どんなに無能でも世間からチヤホヤされる現実も未だにある。
しかし、そういう価値観がどんな弊害を生み出すか、今まさに、人々は毎日見せ付けられているのではないのか?
人事権限を握る人物が、そうした安易な価値観で人を選別し引き立てていく悪循環が
この国の現在の混迷を招いた一因と言えなくもない。
2002/04/04 (木) 晴れ 強風(北風)
このところ体調絶不調。原因不明。
10歳違いの姉に電話でそのことを告げると「更年期ね」と言う。
更年期は一般的に48−55歳くらいに症状が出るようだ。
個人差が大きいとも書かれていた。
幸いこれまでは、姉たちから聞いていたほどの症状を感じていなかったので、多少楽観していた。
しかし、ご多分には漏れなかったようで、現在のこの不調は、その年齢によるものだと思う。
この辛さは、多くの女性が通過してきたものだと思われるが、
公に語られるようになったのは、つい最近のこと。
それだけに周囲の理解を得るのは、まだまだ難しそうだ。
私の年代くらいまでは先輩女性からの耳学問があって助けになっているのだけれど、
人間関係が希薄で、かつ、姉妹の少なくなっている現在の若い女性が更年期を迎える時期に
支えとなれるような情報がどれほど伝達できるのだろうか、と考える。
ここにも「思いやりの人間関係」の必要を感じている。
2002/04/02 (火) 晴れ
心と体は切り離せない深い繋がりにある。
心が高揚すると、少々の体の無理は通してしまう。
そんな時は疲れも軽いし快い。
反対に、心が低迷していると、何の無理もしていないのに
体は、まるで鉛を抱え込んでいるように重苦しく、だるい。
切り替えはほんの些細なことにあるのだけれど、
一旦それを見失うと、なかなか入手困難に陥る。
結果、だらだらと無駄に時を過ごして自己嫌悪が増すばかり。
疲れているのか、な?
今日は亡夫の祥月命日。
実の姉のように心通う義姉からの便りが届く。
お墓参りは義兄夫婦と6日に予定している。
今日は、仕事を休めない私に代わって、長男がお墓参りをしてくれた。
2002/04/01 (月) 晴れ
何と言ったらいいのだろう・・・言葉を失ってしまう。
果てしなく続く憎しみの連鎖。
その歳月の長さに、
たかだか半世紀ばかりを生きたくらいでは口出しできない、
彫り刻まれた心情を思うばかり・・・
パレスチナとイスラエル