2002/03/31  (日)  晴れ  宵の口に雷





意志のある人の眼には力がある。
それは、どう隠しようもなく表れる。

口先では勢いのあることを口走ろうとも、
胸のうちに怯みを抱くと、眼は正直に力を失う。

「眼は口ほどにものを言う」と言い習わされて来た所以。

怯みのある人は、自分より弱い者に向かって牙をむく。

今、この国に真に必要なことは『思慮ある勇気』かも知れない。

2002/03/30  (土)  晴れ





ひっそりと静かな春の一日。

この静けさはどこから来るのだろう、と考えてみた。

思い当たることの一つに、子供が減ってきたことがある。
休日に、其処此処の公園で元気に遊ぶ子供の数がめっきり少なくなっている。

この現実には、さまざまなことを考えさせられる。

2002/03/29  (金)  雨





川の流れも雲の行方も、常に変化するものであり、百に一つも同じということはない。
人の心もまた同じ。

変わらぬと思うのは錯覚であり、自らの心でさえ恒久ということはあり得ない。

そのことを認識しているといないとでは、日々の暮らしでの落ち着きが違ってくるように思う。

およそ、人の世の移り変わりを左右する判断基準は
「正と悪」「清と邪」ではなく「好と嫌」「損と得」であることが殆どのような気がする。

そこが、神仏の世界と生身の人間世界を隔てる所以なのだろう。

人生すべからく「ああ、無常」と思い知るべし。

2002/03/26  (火)  曇り  のち  雨





一年前のちょうど今ごろ、大好きだった友人はガンを告げられて、こころ穏やかならぬ日々を過ごしていた。
時々送られてくるメールと、遠慮がちにかけて来る電話に応えることくらいしか、彼女の力になれなかった私。

もうじき亡夫の祥月命日も訪れる。

桜の季節によみがえる記憶は、少し重い。

2002/03/24  (日)  晴れ





ずっと心に温めていた農業への思いが、
偶然目にした市の広報誌の「農業ボランティア募集」の記事から実現することになった。
今日はその説明会に行ってきた。

一年目は(座学・実習)、二年目は(実習・研修)、三年目から(農業ボランティアとして人材登録)

農業従事者が高齢化して、人手が足りなくなってきた。
こんな都市近郊の農業も、成り立っていくには困難を抱えている。
まして、地方の農業は・・・と思うと、この国の食糧自給の脆弱さが一目瞭然。

まだまだ家族事業としての意識が強い農業だが、
そろそろ企業化も視野に入れたほうが良いのかもしれない。

2002/03/23  (土)  曇り  ときどき  陽射し  のち  晴れ





咲いたばかりの桜が、このところの風で散り急いでいる。

今、目の前の公園の桜が、少しばかりの風に煽られて、
まるで小雪が舞うように舞っている。

昨日今日の小雨で濡れた黒っぽい地面に、桜の花びらが散り敷いて
まるで、着物の柄のように小粋な様子を見せている。

「憂きことの多かりし日を過ごしつつも  桜(はな)見る吾の 頬ほころびぬ」  露草

2002/03/21  (木)  晴れ  強風         春分の日





よく晴れて、祝日だし、お花見に行こうと思えば桜も咲いているし・・・

ところが一日中大変な強風。

各地で山火事が起き、学校の校庭で少年野球の練習をしていた子供たちが
風で倒れた野球ネットの下敷きになって怪我をしたりしている。

もう、ずっと前になるが、高い所にある陸橋を通過中の電車が、
横からの突風にあおられて橋から落ちた事故があった。

強風、突風は予測がつかない動きをするし、あたり構わず引っ掻き回して行く。

風の吹く日は、ほんとうに気持ちが落ち着かない。

2002/03/18  (月)  晴れ  風ふく





ちょっと風がきつめ。地上は暖かく上空に寒気が入ったせいだと天気予報で言っている。

気象現象は不思議だなぁ、と時々思う。
天気予報で解説を聞き、実際に肌身で感じながら
「ああ、この風は今上空にある低気圧からふいて来ているんだ」とか、
「あの雲の様子は、前線のようだ」とか考えると面白い。

自然はいいな。憂いがなくて。

2002/03/17  (日)  晴れ





午後からきつい風。

咲き始めた桜と明るい陽射しに誘われて、けっこう遠出の散歩をした。
まさに春爛漫、あちらこちらに花、花、花。

(レンギョウ)(ユキヤナギ)(ツバキ)(紅白のジンチョウゲ)(ナノハナ)

久しぶりのウォーキングで、心身ともに快調。

2002/03/16  (土)  曇り  のち  晴れ





(涙)に対する小泉首相の感想

→真紀子さん・・・「女の涙には勝てないでしょう」with薄笑い
→宗男さん・・・・・「苦渋の涙だと思います」with真剣な表情

この違いは?

私には、真紀子さんの涙は(言うべき事を言っているのに理解されない)苦渋(悔しさ)の涙、
反対に宗男さんの涙は(望まぬ事態を受け入れなければならない)ことによる感傷(未練)の涙に思えるのだが。

離党報告会見は、単なる(思い出話)に終始している。

せめて、

「私は信念に基づき、良かれと思うことを全力で行ってまいりました。
それが今、国民の皆様の期待に反するものであったとのご指摘を受け、
議員を辞することに致します。
この席は、後に続く若い力にお譲りします」

くらいのことを言って潔く席を立ってほしかったなぁ・・・

2002/03/15  (金)  小雨  のち  曇り





そろそろ春一番がニュースの話題になっている。
桜の花も、天気予報の開花宣言の前に咲き始めている。

「去年(こぞ)今年   花の匂いは変わらねど   うつろいゆくもの   こころなりけり」  露草

2002/03/14  (木)  晴れ





パキスタンのムシャラフ大統領が、アメリカに協力することを決断したいきさつを話していた。
今日、NHK「クローズアップ現代」という番組で紹介していた。

リーダーの英断が国の明暗を分けることを教えられる。

2002/03/13  (水)  晴れ  風ふく





さあ、洗濯物をたたもうかと思ってテレビをつけた。
洗濯物をたたむ時にはテレビを見ながらが習慣になっている。

新聞の番組表を見てNHK教育:人間講座「反骨のジャーナリスト 桐生悠々」を見ることにする。
第二次世界大戦開戦以前に信濃毎日新聞の論説で書いた彼の記事が紹介される。

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言いたい事と言わなければならない事は違う。
言いたい事を言うのは権利の行使であり、言わなければならない事を言うのは義務の履行である。
言いたい事を言うのは快楽であるが、言わなければならない事を言うのは苦痛を伴う。

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東京防空演習を批判する記事を書いたことで信濃毎日新聞社を退社したのが61歳。
それから、軍部の圧力のかかる中で「他山の石」という個人誌の発行を続け、ガンでこの世を去った人だという。

首都東京が爆撃される事態になれば、それは既に敗北しているということであり
空からやってくる敵に対する地上の演習を大まじめにやるのは不合理である、と指摘した彼の記事が軍部の怒りを買った。

いつの時代も、言わなければならない事を言う人間は存命中には陽の目を見ない。
昔も今も、権力とは(聞くべき言葉や見るべき事象)に対する耳目を失わせるもののようだ。

予見したことに基づいて発言するということは、よほどの覚悟と信念を持たなくてはできない。

今晩この番組を見たことは偶然であったが、生ぬるく緩みかけていた精神に喝を入れられた思いがする。

2002/03/12  (火)  晴れ  のち  曇り  午後 風





午後、鼻水と頭痛と寒気がしてきた。
今年は風邪から逃げ切れると思っていたが、とうとう来たか・・・
これから症状がひどくなるか、この程度で済むのか?

めったに頭痛や腹痛といった痛みが起きない人間がたまに痛むと、とんでもなくひどい病気にでもなったような気がする。

あ〜したげんきにな〜ぁれ!

2002/03/11  (月)  晴れ





さまざまな疑惑が浮上して、今日は鈴木宗男議員の衆議院証人喚問。

「反省しています」「忘れました」「おわびします」の言葉が多かったらしい。
そんな言葉でお茶を濁し、また、濁させる国会とは・・・

国の最高機関と呼ぶのが恥ずかしくなる。

2002/03/10  (日)  晴れ





昨日今日と暖かい晴れの日が続いた。
桜の蕾が「早く咲きたい、早く咲こう」と言っているように感じられる。

近所のディスカウントショップに行った。
先日テレビで紹介された店のひとつ。

私が住む街は、国道6号線と16号線が走り、常磐自動車道も通っているため
そのディスカウントショップには、東北から買出しに来る人もあるとテレビでは紹介していた。

確かに安い。

買い物をしていると近くで「ここはテレビでやってたのよねぇ」という声が聞こえた。
マスメディアの力は大きい。
(現に私も、テレビの情報につられて出かけたのだから)

2002/03/08  (金)  晴れ  北西の風





少々冷たい風が吹いた。
暖かい季節のはずだと思う気持ちが、風の冷たさを一層冷たく感じさせる。
何事もこれが当たり前と思い込んでいると、そうでなくなった時に戸惑ったり慌てたりする。

良い方向に変化したときは我を忘れて有頂天になり、悪い方向に変化したときには事実以上に悪く受け止めてしまう。
事実とは、それ以上ではなく、それ以下でもない。

常に、その時その時を一度っきりとして、ありのままに受け入れたい、と念じつつ月日は過ぎていく。

2002/03/07  (木)  晴れ  のち  曇り  





暖かくてよく晴れていると思ったのも午前中だけ、午後から雲が広がり、いきなりひんやりとしてきた。
春はまだ、行きつ戻りつためらいがち。

日暮れに富士山のシルエットが浮かんでいた。

2002/03/06  (水)  雨  のち  曇り





朝、小雨が降っていた。
「春雨じゃ、濡れて行こう」なんて言葉もあったっけ・・・
濡れても構わないようなささやかな雨だった。

あちこちで色とりどりにパンジーが咲いている。
毎日下を通る桜の木の蕾が、日に日に活気を帯びている。
開花予想は例年より一週間程度早めだとか。

2002/03/05  (火)  曇り





意地悪って嫌だな、と思う。
でも、意地悪をする人はいる。

どんな気持ちでするのだろうか?
何がそうさせるのだろうか?

「うまく立ち回る」人がいる。
しかし、小細工をつなぎ合わせて、結果として小さな満足感を得たとしても、綻びは出てくる。

愚直でも、大らかにのびのびと、いつ誰に知られても恥ずかしくない、
そんな生き方ができたら、いいな。

2002/03/04  (月)  晴れ





冬の置き土産(贅肉)で体が重い。
体が重いと動きがスローになって、結果、ますます肉は蓄積されることになる。
この悪循環をどこかで断ち切らねば、と思う。

体重管理で一番辛いのは会食。

もともと食べることが嫌いではないし、食べようと思えばいくらでも食べられるとあれば
ちょっと自分に甘くなると、人から勧められるままにどんどん食べてしまうし飲んでしまう。

やはり、体重管理の鍵は(意志の力)だと思うのだが、それを貫かせないのが人間関係。

意志を強くもって飲食を辞退すれば相手の感情を逆撫でして、その後の付き合いに差し障りを生じることもある。

人に食べ物を勧めるのも考えものの時代だと思う。
食事もある意味、侵してはならない(プライベート)だという風潮が広まってほしい。

2002/03/03  (日)  曇り  ときどき  晴れ  気温低し





予報どおり低目の気温に、融けかけていた心身がまた縮こまってしまった。

最近、新聞を読んでいて、前後の脈略がスッキリと頭に入ってくるような名文が少なくなったと感じる。
新聞記者の作文力も低下しているのだろうか。

日曜日の午前中は、一週間の出来事をおさらいしてくれるテレビ番組をあちこち見る。
今日は鈴木宗男議員の話が主たるニュース。

月刊誌「文藝春秋」創刊80周年記念号の中に、明治以来の歴代総理を採点するという記事がある。
なかなか興味深い。

つくづく考えるのだが、現代日本のリーダー達の品性や如何に?


2002/03/01  (金)  曇り  ときどき  晴れ





「社交」って何だろう?
特定の仲間を作って、その仲間同士で常に交流しあって仲良くすることを言うのだろうか?
はたまた、見ず知らずの集団に混じったときでも、たまたま隣り合った人と話を合わせて愉快に過ごせることを言うのだろうか?

日本人は本当に閉鎖的だと思う。
「何故だろう?」と、ずっと考えつづけている。

一つには、話題の狭さに原因があるかもしれない。
もともと寡黙を美徳とする傾向から、黙っていればボロは出ない、という意識が働くことは十分に考えられる。

しかし、大勢の人が集まる場所で黙っていては、いないと同然になってしまう。
それでは「社交」しているとは言えないだろう。

「社交界」とはヨーロッパ社会を連想させるが、この国日本にとっては、所詮、真似事の文化なのかもしれない。

そんなことが、このところ気になって仕方がない。