2002/02/28  (木)  小雨  のち  曇り





ほぼ一年ぶりに、夜の徘徊(ウォーキング)をした。
5kmほどを約一時間で歩いてくるお決まりのコース。

家を出発するまでが難儀で、ついつい「今日は止めておこうか」になってしまう。
ところが、最近足腰の筋肉の衰えを切実に感じるようになった。

そこで再び発奮!!となれば良いのだけれど、
どれだけ継続できるか、まだまだ不安が残っている。

2002/02/27  (水)  曇り  のち  晴れ  のち  曇り





買い物に立ち寄ったスーパーの駐車場で、車のドアを開けると、かすかな香りが鼻をくすぐる。
沈丁花の香り。
(そう言えば「シクラメンのかほり」という歌があったけれど、シクラメンに香りがあったかなぁ・・・)

花を買う気分というのは好い。
花屋さんの店先でお花を選んでいる人の顔は、みんな良い顔してるんだろうな、と、ふとそう思った夕暮れ時。
小さなお仏壇に供えるために、小さな花束を買った。

2002/02/26  (火)  曇り   のち  晴れ 





少々寒さを感じた一日。
どうやら今週は曇りがちな一週間になりそう。

パンジーの花が次々に開いている。
そんな中でも、黄色の花が一番目立つ。

黄色はいいな、目が覚めるよう・・・

レンギョウ、菜の花、クロッカス・・・

2002/02/25  (月)  晴れ





日本は今、経済の状態が非常に悪いことが、素人にも肌身で感じられる。

今朝のラジオでは
「政府は取りやすいところからお金を徴収することばかり考えている」
と批判する財界人の意見を聞いた。

夕方のラジオでは
「円安が進んでいる。現在の政治家は(経済音痴)のような気がする。
目先、小手先の経済対策ばかり講じているが【不良債権】をどうするかに真剣に取り組まなくては」
という解説者の話を聞いた。

内政にも外交にも経済にも教育にも、全てに、素人と同じレベルの政治家が牛耳る国に、私たちは暮らしているのだろうか?

2002/02/24  (日)  晴れ  うす曇り





捨てようと思いながら捨て切れないものばかり。
そろそろ身の回りをスッキリと片付けていきたいと、もう何ヶ月も思っている。
暮らしもこころも、軽やかにこだわりなく生きていきたい。

もう迷わないで、片付けなくては・・・

2002/02/23  (土)  晴れ  のち  曇り





午後遅くなって空には雲が広がった。昨日までの暖かさを思うと、今日は少し風が冷たい。

この国がどうして現在の状態になったのか、今さらながら憂える中高年が増えてきた。
しかし、この現状は最近になって始まったものなのだろうか?

一昔前までは、その辺に普通に暮らす人々が、それぞれに自分の足場から意見を発言していた。

今、芯のある発言ができる人は、年代を問わず、どれだけいるのだろう?
私なりの意見だが、明治以前に生まれた人々が消えていくにしたがって、
耳を傾けるに足る発言が少なくなってきたような気がする。


先日、駅のホームで些細な言いがかりからサラリーマンを殴り殺した少年たちの裁きがあった。
その判決文を読み上げた後で裁判長が、歌手さだまさしの「償い」という曲を引用するという異例の訓示をしたという。

これまでに哲学者や文学者の引用はされていたようだけれど、音楽それも歌謡曲を持ち出されるのは前代未聞だとニュースになった。

裁判長は、「自分は謝った」とする被告の少年に、本当の謝罪とはどんなことか
この曲から考えてほしい、と結んだそうだ。

最近、心の底から「悪かった」と謝る人が少なくなった。
(いいじゃないか、いいじゃないか。そんなことはどうでもいいじゃないか)のオンパレードのような気がする。


そんな風潮の中でなお、踏みとどまって「それでも、駄目なものは駄目だ」と言い通せるのは
もう、50歳前後の我々しか残されていない気がして、責任を感じる。

件(くだん)の裁判長はその責任を、前例にとらわれない自分の感性で、若い被告に伝えたのだろう。

2002/02/22  (金)  晴れ





昨日、今日、春らしい暖かさ。気持ちが和む。

知人から譲り受けたチケットで、夜、チャリティーディナーダンスパーティーへ。
それなりに華やかな会場。

ただ、日本人の社交のマナーについてはまだまだ洗練と言うには程遠い、と
こういった集まりに参加して、いつも感じること。

ひとつの発見。
「Shall we dance?」という映画が上映されて、一時期ダンスが流行った。
社交ダンスは男女がペアで踊る。
ところが、日本人の一般的な男性で、ダンスをしようという人は少ない。
そこで、ダンスパーティを催しても、女性はお相手探しに苦労する。

それを解決するためか、今日は大学生の男性が10人ばかり来ていた。
「う〜ん、なるほど納得!」

踊りのパートナーを探す女性にとっても、アルバイトを兼ねてダンスの上達の練習台にする大学生にとっても
これぞまさしく一挙両得。

コンパニオンの男性版か。

2002/02/20  (水)  晴れ





比較的穏やかで暖かい一日だった。

本当に行くのだろうかと半信半疑のまま、事は進展して、二男がオーストラリアに旅立った。

若い頃、海外に出ることを考えながら実現できなかった自分だった。
気持ちは持ちつづけるものだ。
こうして、子どもによって実現することもあるのだから。

安全に有意義な一年であることを祈っている。

2002/02/19  (火)  晴れ  強風





「またか!」と思う。
アメリカ大統領歓迎レセプションの招待状が、田中前外務大臣に出されたか否かの論議が起こっている。
歴代外務大臣が招待状を受け取り、レセプションに出席している中、直前の外務大臣が欠席している不自然。

記者団の質問に答える官房長官の、軽く鼻であしらうような、せせら笑いを浮かべながらの応答に胸がザワつく。

これではまるで、そこここに日常的な瑣末な「いじめ」と同じ次元。
いやしくも国政を預かる者ならば(基本のき)たる礼節からわきまえて欲しい。

国の大事に迫る政治には、まだまだ、道のりは遠いようだ。

2002/02/18  (月)  晴れ  のち  曇り(雪雲?)





神奈川の方では、午後、雪が舞ったらしい。
千葉は、それらしい雲が広がったけれど、雪にはならなかった。

オリンピックは、良きにつけ悪しきにつけ各国の国勢が反映される。

今、スピードスケートの判定で日本が抗議をしているが、どうやら取り上げては貰えない様子。
各競技を終えた選手の顔にも、生き生きとした表情が乏しい。

新聞の記事によると、選手へのインタビューで「特にありません」の感想しか述べない選手が多いという。
「自分」は何を目指し、何を考えているのか、自らの現在の行動を他に理解できるように語れない。

まるで、現在のこの国そのものの姿がそこに見られる。

2002/02/17  (日)  曇り





日曜日の朝は、決まった番組を順番に見る事にしている。

ここ最近は、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に教えられることが多い。
今日は(癌の新薬が日本国内で使えない)という問題に注目。

海外では承認されているが日本国内では、厚生省の認可がないために、
その薬を国内で手に入れる事はもちろん、試す事もできないでいる現状。

治療の可能性を国が阻んでいる。

誰も声をあげなければ、事態は何も変わらずにそのままに現状維持されていく。
そんな問題が、この国には多すぎないだろうか?

国全体が自閉的な傾向に向かっているかに思える日本では、諦めのムードが色濃い。

誰かが立ち上がらなければ・・・

幸い(使えない新薬)の問題に関しては、心ある患者さんが動き出しているとの番組の報告に、事態の好転していく事を祈らずにはいられない。

大方(おおかた)の人は、わが身に降りかかって初めて、ものを考える事が多いと思う。
ところが、それでは遅い事がままある。

「しょうがない」と思わずに、今自分が何を欲しているか、まずはそこから考えてみる事から一歩が始まる。
大きく思える『国』や『世界』に関わる出来事も、小さくて身近な第一歩から始まる。

私の現在の第一歩は、この国の精神的なケアの貧しさを何とかしたい、という一歩。

2002/02/16  (土)  晴れ





昨日の風は冷たかった。あんな風は嫌いだ!でも、2−3月には決まって吹く。

     ***

実生活でも疑問はあった。何だか生き辛いのはこのせいか、とも思っていた。
インターネットを始めて、文字だけの交流を通じて「やっぱりそうだった」と得心がいった。

中高年は、素直に自分の非を認めて誤ることができないようだ。
他人(相手が自分より若ければ尚更)に何かを指摘された時、
自らを省みて反省し、相手の意図を汲み取ろうと努力するより
相手を恫喝する事の方にはしる。
または、さっさとその場を逃げてしまう。

そんな行動を「事なかれ主義」と言うのだろうか?

もちろん、皆が皆そうではない。
それが救いではある。

良心や教養のかけらがつなぎ合わさって、この国が住みやすくなる事を望んでいる。

2002/02/14  (木)  晴れ





朝、出勤の支度をしながら小耳に挟んだニュース。
「千葉県下に、女性専門外来の設置を推進する方針」

「ナニナニ?」と耳をそばだてる。

団塊の世代が更年期を迎え、それに伴う症状が公の話題になり始めた。
これまでは、周囲をはばかって語っていた話題が日の目を見ている。

更年期は、女性にとっては大変辛い通過点。
周囲の無理解が辛さに拍車をかけてきた。

更年期の症状は各人それぞれに発症の様子が異なる。
大まかには代表的な症状を挙げられるが、どれが一番当人を苦しめるかは、個人差がある。

更年期の時期は、同時に大きな病気にかかりやすい時期とも重なる。
「年頃だから更年期よ」と高をくくっていると、病を見逃す事にもなりかねない。

女性専門外来の設置推進、これこそ女性知事を選んだ甲斐があった、と言える出来事だと思った。

2002/02/13  (水)  晴れ





昨日は旧暦の元旦。
日本に来ている中国や韓国の人たちが、大勢祖国に帰ってお正月を迎えているらしい。

(フクジュソウ)は、ちょうど今ごろから咲き始めるという。
黄色の花が、暖かさを求めて精一杯太陽に向かって開く。

小さくて目立たなくても、満遍なく降り注ぐ太陽の光を体一杯に受けようとする(フクジュソウ)は、可愛い。

2002/02/11  (月)  晴れ  時々  曇り   冷える  





建国記念の日

三連休は、何となくのんびりしているうちに終わってしまった。

いま少し、もう少しの寒さと思うけれど、風が冷たい。

近所の公園に13本の大きなヒマラヤ杉がある。
それは、それは大きい。
小さな公園に大きな13本のヒマラヤ杉。

その下を通り抜けるたびに「すごいなぁ」と思って見ている。

それだけの話。

2002/02/09  (土)  曇り  のち  晴れ  雲の多い一日  一時強風





アメリカ・ソルトレーク市で冬季オリンピックの開会式。

世界を牽引する国々の中では比較的歴史の浅いアメリカ合衆国。
その建国の歴史を、氷上のステージに繰り広げる。

昨年9月のWTC崩壊時の精神的な痛みが、まだ癒えていない様子が窺える。
それは、アメリカ合衆国民だけではなく、あの光景を映像で見た全世界の人々が同じ傷を負ったのだと思う。

その一方で、今、国の再建に向けてアフガニスタンの一歩が始まっている。

両国のことを同時に考えながら、オリンピックの開会式を見ていた。

2002/02/08  (金)  晴れ





昔「沈黙は金」という諺がよく使われた。
(余計な事をしゃべるとろくな事はない)というほどの意味か・・・

先日読んだ新聞のコラムに「これからは『沈黙は禁』ではないだろうか」と書いてあった。

昔の日本では「阿吽の呼吸」とか「腹芸」とか、とかく言葉以外で伝えたい事を伝えるのが好ましいように言われてきた。

ある程度の社会の共通理解が成立していたころにはそれでも何とか事は済んで来たのだろう。
しかし、共通理解に至るまで次世代に文化の継承をしてこなかった結果、
現代は、老若男女に「常識」「モラル」のずれが生じている。

そんな中で「沈黙は金」とばかりに(ダンマリ)を決め込むとどうなるだろう?

誤解は誤解を生み、不自然な沈黙は周囲に不快感と疑心を抱かせるのみではなかろうか?

今こそ、こんな時代だからこそ、思うままに公で語り尽くさなくては、と思う。

日光東照宮に(見ざる・言わざる・聞かざる)という三猿の彫り物がある。
私はこれが好きではない。(関わらざるが勝ち)というエゴの象徴のような気がするからだ。

今こそ(確かな目・聞き分ける耳・臆せず発言する口)が必要な時ではないだろうか?

全ての人に・・・

2002/02/07  (木)  晴れ  雲多し





最近の若い人や子どもを見ていて思う事がある。
この人たちは、教えられるべき事を教えられていないのではないか、という事。

「教えられるべき事」とは・・・
生きる上で必要な最低限の「知恵」

「知識」は与えられても「知恵」は伝えられなかったのが、最近の若い世代の悲劇のような気がする。

右肩上がりの社会の風潮の中で(より高く、より多く、より強く)といそしんで来た世代を親に持つ人たちが、また親になっている。
そんな空気の中で、伝えなくてはならない事を伝えないで来た責任を感じる。

今、50歳を境に、自然に根ざした日本文化の継承が途切れてゆきそうな危惧を感じている。
(伝えなければ。今、伝えておかなくては・・・)という焦りにも近い気持ちがある。

心ある50歳前後の大人が、それぞれの経験を語り伝えれば子ども達に伝わらない筈はない。

「世界がもし100人の村だったら」の終わりは(まだ間にあいます)と結ばれている。

私もそう思う。
「まだ間に合う。でも、今こそ、と言うより、今すぐにでも50歳以上の人は若い人たちに多くのことを話しておかなくてはならない」

2002/02/03  (日)  氷雨   節分





冷たい雨の降るなか、生け花を見に行く。
テーマは「梅」。
梅の木は古木が喜ばれる。
どの生花も、苔をつけた木が使われていた。

寒くて寒くて、おまけに雨が降っていて外出した事を後悔しながら歩いた。

千葉県に住みながら、初めて行った幕張。
整備された街は、イベント開催時には混みあうのだろうけれど、今日は閑散としていた。

2002/02/02  (土)  晴れ





穏やかな一日。

夕方、東京に出かける。
楽しい時間を過ごして、久しぶりに深夜の帰宅となる。


2002/02/01  (金)  晴れ





何かに背中を押されるような気がしている。
「これではいけない、このままではいけない」と。

新聞の書籍広告で、大江健三郎さんの著作の紹介に目が止まった。

≪言い難き嘆きもて≫
「これをいま書いておかなければ、そのような経験や思考があったことすらすぐに忘れてしまう、
つまりこのいまは生きなかったと同じになるだろう、という思いがあるのです」

≪鎖国してはならない≫
「私がこれを人に語りたいと望む主題は、いまや一行にまとめることも可能です。
つまり、日本人は『鎖国してはならない』という一行の日本文に」

この二冊の本も、近々目を通したい本の中に加わった。

大江健三郎さんと言えば、先日新潟のある高校の講演を断られたいきさつがある。
高校生に何か話して欲しいと依頼された大江さんは、ご自身のゆかりの地でもあったことからお引き受けになった。
ところが、その高校の校長先生から「政治的なことに触れないで欲しい」旨の手紙が届き、大江さんは講演を断られたという。

この人になら、と見込んで依頼したのなら、その講演者の見識を信頼できなかったのだろうか?
単に著名人だから、という付加価値のみで講演を依頼したのなら、はなはだ失礼な話ではないだろうか?

大江さんの用意された講演内容は政治とは関わりのない話だったとか。