2002/01/31  (木)  晴れ





数年前にオランダで安楽死を選択した日本人女性がいたことは、当時の新聞記事だったか何かで読んで知っていた。

昨年、新聞紙面下段の書籍紹介欄で、(あと10分で逝きます)という言葉を読んだ。
書籍のタイトルは「美しいままで」
なぜか、この本を読みたいと思った。

今、友人が送ってくれたその本を読んでいる。

ネーダーコールン・靖子さん、彼女はオランダでガンを患い、安楽死の選択をした。
52歳だった。

2002/01/30  (水)  晴れ





朝のラジオで「ダイヤモンド富士」のことを言っていた。
今日は、夕日が富士山の真上に沈むそうで、山頂に太陽がかかった時に「ダイヤモンド富士」が見られるという。
時間は、16:45ごろから数十分の間らしい。

ということで、楽しみにして帰ってきたけれど、残念ながら今日に限って富士山の周りが雲に覆われていて見えなかった。
このところ夕焼けにシルエットがくっきりと見える日が多かったので期待していたのだけれど・・・残念。
似たような風景は、明日も見られないかなぁ?

2002/01/29  (火)  晴れ





冷え込みが厳しくなってきた。
暖かい春を待つまでの(胸突き八丁)

こういう時期には、ひたすらじっとして行動をスローダウンするのがいい。

毎年この季節、こんなことを胸のうちでつぶやきながら過ごす。

季節だけではない、政治も経済も社会も、厳寒。

2002/01/28  (月)  晴れ  冷たい北風





確定申告の用紙を貰う為に、先週と今週の二度、税務署に行った。

一度目は若い男性署員が対応してくれた。
「どういった申告ですか」と訊くので「これこれです」と言うと、黙って用紙を手渡された。

二度目は中年の女性署員が受け付けてくれた。
「先日、私の説明不足で間違った用紙を頂いたようなので、再度参りました」と言うと、
「こちらになりますね」と用紙を手渡しながら「源泉徴収票はお持ちですか?」と訊ねてくる。

「どういうことでしょうか?」と私。

「申告がタッチパネルで簡単にできるんです。用紙にお名前を記入されてあの機械の前に行き、
数字を打ち込まれると機械が計算をして用紙に記入してくれますから」とのこと。

「そうなんですか?知りませんでした。それは、助かりますね」と私。

一度目に対応してくれた男性署員と二度目の女性署員の違いは?

2002/01/27  (日)  曇り  一時 晴れ のち 曇り





時々立ち寄る店は、車の往来の頻繁な道路に面している。
その駐車場の出入り口には、常時警備員が立っている。

ちょっと前までは年配の男性だったが、最近は私と年齢の近そうな女性警備員。

ある日、買い物を済ませて車に乗り込み、どちら方面に出たいのかを身振りで意思表示した時にニッコリと彼女に笑いかけた。

昨日ウォーキングの途中、そこを通りかかると、彼女が満面の笑みを浮かべて
「こんにちは、寒いですね」と声をかけてくれた。
「雪になるって予報らしいですね」と私が答えると「雪は降って欲しくないのよね」と笑いながら返事が返ってきた。

どうも、私の顔を覚えていてくれたようだった。
わずか一度の笑顔の挨拶でも、こうして人と人との交流が始まる。

2002/01/26  (土)  曇り  冷え込む





いつも利用しているスーパーの片隅にパン屋さんがある。
久しぶりにおいしいパンでも買って帰ろうと物色していると、レジの方から「シールはお集めですか?」と言う声が聞こえた。
そのしばらく後で、私の傍を通り過ぎた年配のご婦人が「あなた、これ集めてますか?」と3枚のシールを差し出した。
私はシールを集めている。規定の枚数集めるとお皿や台所用品と交換できる。

集めて何かと交換できる、という類のものを多くの女性が好む。
そんなに得になるわけでもないのに、何故か集めてしまう。
私も、引き換えてもらう景品が、差し迫って欲しいわけでもないのがわかっていても、シールは捨て難い。

件のご婦人の問いかけに、「はい」と答えると、その方は手に持ったシールを私に握らせて立ち去った。
何の事は無いこのできごと、それでも何とはなしに嬉しく感じた。

シールが貰えたからではない。
見知らぬ私に声をかけてもらったこと、そして、他人の得になるとわかりながらシールを差し出すその行為が嬉しかった。

まだまだ昔の人情を身につけて実行している人がいることを知った喜びだった。

2002/01/25  (金)  晴れ





瀬戸内寂聴さんの言葉や人柄に惹かれる人は多い。
もちろん、私もそのうちの一人。
インターネットを始めて一年経つが、去年は寂聴さんのホームページを探して、とうとう見つけられなかった。

ところが、無いものと諦めていたホームページが在ることを知り、やっとたどり着けた。

寂庵さんの掲示板には、悩みの言葉が多く置かれている。
そして、優しく真摯に回答する人たちの言葉も、そっと置かれている。

私もそこにある悩みや苦しみと同じようなことを幾つも経験してきた。
ひとつひとつの書き込みを読みながら「辛いでしょう、やるせないでしょう」と声をかけたくなる。

料理に(箸休め)というのがある。
主役の献立ではないが、味のバラエティの為に少しだけ添える小品である。

それぞれに重いテーマを含む書き込みの中に、ちょっと気分を変えて読めるものを置いてみたいと思った。
あの掲示板の(お目休め)になればいいなぁ、との願いがある。
(お目障り)にならないように参加していきたいと思っている。

2002/01/24  (木)  晴れ





暦によると今日は初地蔵。

母は、4のつく日はお地蔵さまの日だと言い、
孫達の健やかな成長を願い、山口県岩国市にあるお地蔵さまにお参りをしてくれていた。
バスやJRを乗り継いで、片道二時間以上はかかる道のりである。

「今日はお地蔵さまにお参りしておいたからね」と言う母からの電話に
「あ、そう。ありがとうね」と、事も無げに返事をしていた私。

子育ても終わった今ごろになって、母の地蔵尊参りの「こころ」がしみじみ伝わってくる。

『祈り』とは尊いものだ。

2002/01/23  (水)  晴れ





我が子が幼い頃(チョロQ)というミニカーが発売された。
丸っこい形の可愛いミニカーで、床に押し付けながら後ろに引き、手を離すと一気に走り出す。

こんど、その(チョロQ)の乗用電気自動車がタカラから発売予定だという。
写真をみたら、これがかわいいのなんの・・・
今年9月、100万円前後で売り出されるらしい。

あんな愛らしい車が公道をチョロチョロと・・・
何だか楽しい。

2002/01/22  (火)  晴れ  のち  一時曇り





女性の性に関する本で有名な「ハイト・リポート」というのがある。
その著者、シェア・ハイトさんが日本の大学院で講義の為来日しているという記事を見つけた。

彼女の近著は「女はなぜ出世できないか」(東洋経済新報社)。
その中の一部が抜粋され、ハイトさんのコメントが添えられていた。

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「女性を積極的に登用しようとしない根底には、女性への恐れがあるように思う。男性の多くは男らしくあれと言われて成長する。
女の子と遊んでいればからかわれ、友情をはぐくむ経験を持てない。
男性同士の仲間意識から女性を排除しようとし、女性を昇進させるには男性よりも厳しい条件をつけないと性的関係をせんさくされたりする。」

ビジネス界に進出する女性が増えるにつれ、性的な関係ではない、これまでにはなかった男女関係が生まれてきている。

「確実に変化はあるが、自然に問題が解決することはない。だれかが行動を起こさなくてはならない。この本は男性に読んでもらいたいのです。」

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あの「ハイト・リポート」のハイトさんが、今もってこのようなコメントをしなくてはならないという現実に、
女性が、人間として尊敬されながら自由に生きる為の困難な道のりは、まだまだ続いていることを改めて自覚した。

2002/01/21  (月)  雨  のち  暴風雷雨





午前中はそれほどでもなかった雨が、夕方近くになって暴風を伴って強く降り出し、おまけに雷までなる騒ぎ。

退勤して、マンションの駐車場に着いた途端、天と地を結ぶかと思われるような青白く太い稲妻。

その後、救急車と消防車の出動のサイレンが・・・落雷か?

「冬の嵐」だった。

2002/01/20  (日)  晴れ





暖かい一日だった。エアロビクスでいい汗を流してきた。

昨日の新聞で目にとまった記事。
36歳の女性会社員が出張先のオーストラリアで盲腸の手術を受けて、その対応に感じて投稿した文章。

感心した点とは・・・

◆ 衛生的である。
◆問診内容がアレルギーの有無から病歴など広範囲であった
◆腕に名前が印刷されたビニール製のブレスレットを着けられた。(患者取り違えの防止になる)
◆鎮痛剤の注射の際、看護婦が二人で来て、一人がもう一人に薬を見せて確認してから注射をしていた。
◆手術室に向かう間にもスタッフが患者の名前・アレルギーの有無を再度確認している。
◆入院中の寝間着は「後ろ開き」で前がはだけず、用足しにも便利だった。

こういった一連の病院の対応に、海外での予期せぬ手術という事態にもかかわらず、
この女性は緊張感よりも、ミス防止を心掛ける医療に安心感を持ち、感謝の気持ちを抱いた、と記している。

それでなくても病を得て気の細くなっている患者が、
にもかかわらず気兼ねや遠慮を感じながら受けなければならない医療では
よくなるものもよくならないのではなかろうか。

私には、自分が入院する事態になったときにも一人前の人間として扱ってもらえるだろうか、という不安は消えていない。

2002/01/19  (土)  晴れ





穏やかな一日。何も無いことに感謝。

の〜〜んびり♪

2002/01/18  (金)  晴れ





最近ニュースを賑わしているダイエー。
ダイエーのマークはまん丸の左下が欠けている。
その理由を何かの記事で読んだことがある。

「何事も完全無欠はよくないし、そんなことはあり得ない。少し欠けている位がほどほどで、その欠けた部分を補うように努力する」
といった意味合いで満月の左下を切り取って創始者中内功さんが決められたとか。

一時は薄利多売の経営でダイエーを率いた中内さんも、最期はそのワンマンを批判されたりして退陣した。

このところテレビ映像に頻繁に出てくるダイエーのマークを見るたびに、このマークの意味を思い出している。

2002/01/17  (木)  曇り  ときどき  雨





阪神淡路大震災から7年が過ぎた。
被災者にとってみれば思い出したくもないできごと。
あれが夢であってくれれば、と思う人がいるかもしれない。
未だに無力感・虚無感にさいなまれる人がいるかもしれない。
7年という歳月は、精神的な打撃を癒すには十分とはいえない時間だと思う。

私は、夫の死から平常心を取り戻すのに10年の歳月を要した。
5年間の看病の末、覚悟を決めた筈の別離でさえ、この時間が必要だった。

まして、突然の打撃による心の痛みであってみれば、納得しがたい思いは消えることはないかも知れない。

自然災害にせよ人災にせよ、突然訪れる別れに理屈や同情は無力である。

2002/01/16  (水)  曇り  ときどき  小雨





今日は曇っていた。
だから、私の気分も曇り。
と言っても別段落ち込んでいるわけではない。

平凡な一日、まあこんなものか、と・・・

2002/01/15  (火)  晴れ  





暖かい日が続いている。
新年明けたと思ったら、もう月半ば。
時間は立ち止まって待っていてはくれない。

いつか読もうと思っている本がたくさんある。
「佐藤栄作日記・6巻」もそのひとつ。
そろそろ読み始めなくては・・・

2002/01/14  (月)  晴れ   成人の日





購読している新聞に「花おりおり」という小さな連載記事がある。
今日は(ダイダイ)の話。

私の故郷、山口県はミカンの産地。子供の頃は、小さいミカンを(ミカン)大きいミカンは(ダイダイ)と言っていた。
すっぱくて、今でも(ダイダイ)と聞いただけで唾液腺が痛くなりそう。

どうして(ダイダイ)というのか、今日の記事が説明してくれている。

「ダイダイの果実は、さらに別の色に変わる。木に残る果実は夏に再び青くなり、回青橙(かいせいとう)とも呼ばれる。
冬また橙色に色づき、一樹に新旧の実がなるのが『代々(だいだい)』の名の由縁。」

色名の(ダイダイ)を漢字で書くと(橙)色となる。

一樹に新旧といえば(ユズリハ)が思い浮かぶ。
(ユズリハ)の古い葉は新しい葉の芽を保護して木についたまま冬を越す。そして、春になり新しい芽が芽吹き育ち始めると落ちていく。
この様子は、子どもの成長を保護し見守る親の姿に喩(たと)えられることが多かった。

小学生の頃読んだ本に

「子ども達よ  これは(ユズリハ)の木です。
この(ユズリハ)は  新しい葉ができると
入れかわって  古い葉が落ちてしまうのです
新しい葉に  命をゆずって ・・・・・・」

(この後を忘れてしまったけれど、今はまだ何も分からない若芽の子ども達よ、私たち大人があなた方の成長する日まで見守り保護しているから
安心して大きくなって行きなさい、という内容だったと思う)

今日は「成人の日」。

今、人は、(命)も(こころ)も(文化)も新旧で手渡ししているだろうか?

折りしも昨日のニュースでは、千葉県松戸市のデパートの前にあるスピード写真の機械の裏に
へその緒のついた赤ちゃんが放置されていたという。
妊婦はその場で出産し、生まれたばかりの赤ちゃんを紙袋に入れて置きざりにしていた。

一人で出産できたのだから、きっとその後も一人で子どもを育てられるのに・・・
どんなことがあっても生き抜く力と勇気を、先に生きてきた者たちは伝えて来ているだろうか?
このごろしきりにそんなことを考える。

2002/01/13  (日)  晴れ





買い物に行く途中、晴れ着の女性とその両親らしい連れが、写真屋さんの前にいるのを数組見かけた。
明日は「成人の日」。早い所では、今日が成人式だったのだろうか。

昨年の成人式では、日本各地で顰蹙(ひんしゅく)をかうような行動が目立った。
ここ柏市でも、並んで駐車してある公用車のガラスが何台も割られた。

今日は、道路のあちらこちらにパトカーや白バイなどで取締りをしている警察官の姿が目立った。
二台前の車が警察官に指示されて横道に呼び込まれたので、何を取り締まるのだろう、と思ったけれど、
成人式のあとで、羽目をはずして飲酒運転しかねない若者に対する警戒かな?

それにしても、何も悪いことはしていないのに、お巡りさんが警棒を振っていると、一瞬緊張する。
(誤認、ということもあるし・・・)←小心者の私

2002/01/12  (土)  晴れ





すっかりだまされてしまった。一昨夜のこと・・・

(ピンポ〜ン)夜7時ごろ、夕食を終えてくつろいでいるとインターホンが鳴る。
「はい、どなたですか?」「お届けものです」から始まった。
印鑑を持って玄関のドアを開ける。

男>「奥さん、Y新聞ですが、この度この近くに新聞販売店を新しく開設するのに1500軒のお客様が必要なんですよ」
男は愛想笑い満面で低姿勢に畳み掛けてくる。
私>「うちは先祖代代購読新聞は決まってます」
男>「いや〜三ヶ月でいいんです。奥さんのお宅に配達しているA新聞のS取次店さんとは話がついています」
私>「えっ、S取次店さん了解なんですか?」
男>「ええ、お宅様は親切な方だから是非お願いしてみたら、と言われまして」
男>「このあたりのA新聞はイトウ君が配達してるんですが、彼とも話がついています。このあたりのY新聞は僕が配っていますから」

何となくスッキリしないまま、でもこのご時世、新聞購読者確保も大変だろうし三ヶ月なら、
それに、長年付き合いのA新聞のS取次店了解ならと7月から9月までの契約をした。

翌日になって、事実を知りたくてA新聞のS取次店に電話をして詳細を話した。
全ては(真っ赤な嘘)だったことが判明。

クーリングオフもできますよとのアドバイスを受けたが、それも面倒なので、結局三ヶ月終了後の10月からは元通りA新聞を入れてもらうことにする。

それにしても、そのY新聞の勧誘の人、ご丁寧に「僕の携帯電話の番号です。何かありましたら、ここに電話してもらってもいいですから」
と電話番号を書いて行った。今では、この番号も怪しいと思っている。

まあ、新聞が読みづらいことを三ヶ月間我慢すれば済むくらいの被害で済みそうなのでいいか!
とは思い直してはみるものの(だまされた)後味は、非常に悪い。

2002/01/11  (金)  晴れ





≪〜自分でも著書の中で言ってたじゃないか。
四十歳からはどれだけ持っているかではなく、どれだけ物を減らしていくかが課題だと。
洋服も物も人間関係も。
だから仕事が少なくなるのを恐れていてはいけない。
それも減らしていくもののひとつなのだからと。≫   
『女・40代・美しくなった理由(わけ)』  松原 惇子:著


先日読んだ本の中の一節を書き留めてある。
自分に言い聞かせるように、ときどき読み返している。

失うことを恐れては臆病になるし、何もできなくなる。

およそ、ひと一人が失うもので究極のものは(命)。
全てのことはこの(命)失うまでのことと思えば、何とかして生きていられそうな気がしてくる。

余分な物を捨てて捨てて、軽やかに、軽やかに。

2002/01/10  (木)  晴れ





帰りのカーラジオで、もうじき阪神淡路の震災のあった日がやって来る、と言っていた。
そして、震災と関係のなかった人々は、まるで何もなかったかのように、あの日のことを忘れてしまうけれど、
被災者の中には、その日が近づくと胸が締め付けられたり、気持ちが不安定になったりする人が未だにいる、と言っていた。

あの震災は、月日が過ぎたことで解決しているわけではない。
それでも、当時耳目を集めたこの自然災害も、今では人の口に上ることはない。

そして次の災害が起き、その悲惨な映像がテレビや新聞に載る間は人々の関心を呼び、そして忘れられていく。

人の痛みを我が事として痛むには、想像力が必要だ。
学歴も知識も名誉も、ましてや財力なんて関係ない。
「辛いだろうなぁ・・・」ということを思いやることには、「個」としての人間を生きていれば難しいことではない。

2002/01/09  (水)  晴れ





穏やかな一日。
(オオイヌノフグリ)が一輪、そして、菜の花が咲いているのに気づいた。
やはり千葉県は暖かいのか。


今日の新聞を読んで目にとまった記事。
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◆個人にとって経験は大切だが、もはや年齢など意味がない。
若くても新しい知識や知恵を持った人を登用する。
単に年功序列や終身雇用的勤務では改革が起きない。
何となく、の結果平等ではだめだ。

やったら、やっただけの評価をしないと本当の意味で強さは生まれない。

個人は、はっきり自分の強みを言えることが大切だ。

≪毎日新聞  「今年のこころ」B  新春・書き初めインタビューより≫
日立製作所社長  庄山悦彦さん(65歳)

******************************************

今、政治の世界に限らず「改革」が切望されている。
しかし、大多数の人は、できれば現在の平穏な生活を維持したまま、どこかの誰かが「改革」を成し遂げてくれることを願ってはいないだろうか?

いつも思うのだけれど、
「社会・社会と言うけれど、社会という実体はない。主体性を持った個人の集合体こそが、意思ある社会となり得る」
のではないだろうか?

個人が問われている。

2002/01/08  (火)  晴れ





平平凡凡と一日を終える。

何事も起きない一日をありがたく思いながら、夕焼けの富士山を拝む。

急ぐことは何もない。
ただこのひと時、ひと日を大切に。

2002/01/07  (月)  晴れ  のち  曇り   七草





朝の天気予報で「もう“寒”に入っていますね」と告げていた。
どおりで冷え込みが厳しいはずだ。

昔、父母は寒になると“寒餅”をついていた。
この時期に餅をつくと、カビが生えにくいのだと言っていた。
それでも少し暖かめの年には赤や緑のカビが生える。

そこで甕に水を満たして餅を浸けこむ“水餅”という保存をしていた。
食が豊富でなかった頃には、お餅を争うようにして食べたが、
成長につれて食を加減するようになり、目新しい食品が出回るとお餅を食べる量も回数も減ってきた。

お餅はおいしい。
けれども、昔ほど重労働をしなくなってみれば、食欲にまかせて幾つも食べるわけにはいかない。
そんな食の変化で、農家のもち米の生産量にも影響が出る。

その土地、その国特有の食文化を崩さなければ、一次産業のあり方も今とは違ったかもしれない。
社会構造とは複雑で難しい。

2002/01/06  (日)  晴れ





「お正月、お正月」と待ちわびた年末年始の長期休みも、今日で終わり。
明日からはまた、昨年と変わらぬ慌しい日々が始まる。

この「昨年と変わらぬ」ということ、見方と考えようによってずいぶんと意味が違う。

できれば(マンネリ)を意味する受け止め方ではなく、(健康な生活の継続を喜ぶ)意味で受け止めたい。

もうじき梅が咲いて、桜の季節がやって来る。
四季の移り変わりというのは何とありがたいものか・・・
行く手行く手に「希望と期待」という花を用意して、私の心を導き励ましてくれる。

2002/01/05  (土)  晴れ  一時  曇り





NHKスペシャル「空海の風景・後編・弘法大師への道」を見た。

(空海はいないのである。空海はすなわち、零である。)
ここに零の思想が出てくるとは思っていなかった。

そもそも、零の概念はインドが発生の地と聞く。
零は無限、無限は零である、と。
番組では(零は極大であり極小である)と表現されていた。
仏教もインド発生ということが零の思想と結びつく。

(生身を失っても、人々に慕われ続ける空海)

若くして困難の末に渡った唐で、人種や文化の混在する空気を肌身で感じながら

(およそ人と人の間には、貧富・名誉・知識・人種・民族などによる区別はなく、あるのはただ普遍性のみである)

という信念を持ち得た空海。あの時代には稀有な人物であったろう。
あの時代のみならず、以来1000年以上の年月の間にも出現したかどうかも危ぶまれる。

人類の歴史が何千年繰り返されようと「人にあるのは普遍性のみ」の心があれば、争いや嫉みは生じないであろうに・・・

2002/01/04  (金)  晴れ  御用始





官庁・金融関係ほか、今日から仕事始め。

さっそく、休み中に片付けておきたい用事のために出かける。
銀行に行くと、人・人・人・・・受付番号札を取ると60−70人待ち。
銀行内はごった返していた。
待ち時間にあちこちで他の用事を足し、食事までして帰ってきても、あと30人待たなくてはならない。
結局あきらめて映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を観に行くことに。

ちょうど12:55上映が始まろうとしているところだったが、立ち見までいっぱいということで次の上映にする。
ちょっとの間、ウィンドウ・ショッピングしていたけれど、心配なので早めに映画館に行き
13:30〜15:30までロビーに並んで待つ。
甲斐あって座って観ることができた。映画は面白かった。

予告編で関心があったのは「指輪物語」。
これは、「ニーベルングの指環」と何か関係があるのだろうか?

2002/01/03  (木)  晴れ  冷たい風





毎年、初詣は三箇所と決めている。
住まいの近くの弁天様、神社、門徒寺。

若い娘の姿が目に付いた。
おみくじを頂いて、末吉だ大吉だと歓声を上げて喜んでいる。

普段は宗教なんて遠い話のような日本人が、お正月はこぞって信心深くなる。
他人のことは言えない、自分だってしきたりや習慣には疎くなっている。

今年はなぜか、お参りする人々を見ながら「ああ、こんな風景がいいなぁ」と、心底感じた。

2002/01/02  (水)  晴れ  のち  曇り  一時雨・あられ・みぞれ





年末に書かなかった年賀状、せめて頂いた賀状には返事をと、テレビで箱根駅伝を見ながら書く。
午後、年賀状を投函がてら近所の弁天様に初詣。
帰宅する頃、みるみる黒雲がひろがり、家にたどり着いたとたんにみぞれ混じりの雨が降り始めた。

この冬の初雪。

2002/01/01  (火)  晴れ   元旦





晴れて穏やかな新年の訪れ。
どうぞこのまま、一年がつつがなく過ぎてくれますように。

物事の最初からドタバタ騒ぎまわったり無駄遣いをして歩くと、その後もずっとそういう調子で事が運んでいくような気がする。
だから、せめて元旦くらいは何もせずに家にいて、本当の意味で(のんびり)したいと終日家の中で過ごす。
私のささやかなゲンかつぎ。

夜になって、最近あまり見ないテレビをじっくりと観る。
最初観るつもりの無かった「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」の衛星生中継にチャンネルを合わせて釘付けになる。
素晴らしいコンサートホール、観客、そしてもちろん演奏も。

あの(世界のオザワ)小澤征爾が日本人で初めて、ウィーンフィル管弦楽団の指揮を振る。

会場のウィーン楽友協会の大ホールの雰囲気がまた、素晴らしい。
飾られた花は、濃いオレンジがメインカラーで、アンスリウム・オレンジの実・バラでアレンジされている。
コーディネイトされた色はグリーン。観葉植物とグリーンのシンビジューム。
観客席のバルコニーの手すりにまで花が・・・心憎いまでの演出。

演奏と一体になって聴き入る観客。
幾たびかのアンコール。

「ワルツはウィーンで聴け」だな、と思った。
ウィーンの空の下で聴けたら最高だろうな。