2001/12/31 (月) 晴れ 大晦日
従来の生活のまま過ごしていると経験しないような出来事を経験した一年だった。
ネット参加を始めて一年が過ぎる。
画面の文字だけが頼りの交流とはいえ、やはり地に足をつけた実生活が基本。
インターネットを利用することで、日々の生活がより明るく・楽しく・力強くなっていけばいいな、と思う。
文明の後戻りは出来ない以上、インターネットを避けたままでは暮らせない世の中になるのは目にみえている。
そうであるならば、礼節と勇気をもって果敢に挑戦していきたい。
2001/12/30 (日) 晴れ 風吹く
近所の大規模園芸店にお正月の花を買いに行く。
店内はシンビジュームが溢れていた。
ちょうど、この花のセールのようだった。
シンビジュームの花の蜜は、ポトポトと落ちるので室内に置くと鉢の周囲がベトベトする。
鑑賞するには見事な花だけれど、置く場所を選びそうだ。
好きな人は好きなんだろうなぁ。
スイトピーのピンクと白を買った。良い香り。
2001/12/29 (土) 晴れ のち 曇り
今日はじめて行った美容院で、テレビ番組の話になった。
「やらせ」はある、それは了解の上で見ないと、真に受けると判断を誤りかねない、という話。
テレビ番組は娯楽性が高い。
アウトラインを決めなければ(起承転結)で放送時間内に収めきれないと思う。
だから、あまりその内容に入れ込み過ぎるのは考えもの。
フムフム、フ〜ン、何々、そうか、で終わりにしておけばほどほどだと思う。
それにしても見応えのある番組が少なくなった。
2001/12/28 (金) 晴れ 御用納め
住所録の整理にやっと手をつける。
毎年、年賀状の季節は辛い。
一人一人の顔を思い浮かべながら、ああだったこうだったと思い返すのは苦手。
半世紀を生きた区切りに、ここいらで走行メータをゼロに戻してみようか。
それには「いつかまた連絡するかも」と残してある古いアドレス帳を思い切って捨てることから始めよう。
来年からは引き算の人生の第一歩。
「何事も simple に」を目標としよう。
2001/12/27 (木) 晴れ のち 曇り
仕事が一段落つくころに、何となく声を掛け合って集まる仲間と夕方から飲み会。
9月には、その仲間だった一人が早過ぎる旅立ちをしてしまった。
別れはいつか来るもの。自分の今だって保証された命ではない。
そう考えると、全ての命はいとおしい。
神も仏も受け入れ、道端の小草にも蟻一匹にも命を認める日本人の物の見方・考え方が、最近見直されているらしい。
そうした精神風土を伝えていかなくては、と思う。
2001/12/26 (水) 晴れ 午後から強風
前の公園に敷かれた布団、通りすがりに見てみたら資源ごみとして出された衣類や毛布のようだった。
やはり、ホームレスの誰かが寝た跡かな。
マンションのごみ置き場は一年中捨てられるようにオープンになっている。
そこで、古着・古布回収業者やダンボール回収業者などが勝手に持っていくこともある。
不燃ごみの日になると、朝一番に清掃車が回収する前を見計らって、業者らしき人が目ぼしい物を物色している。
それでも最近はそんなにお金に換わりそうなごみはなさそうだ。
替わりに、と言っては何だけれど、近年急に増えてきたホームレスの人たちにとっては生活物資の調達場所になるのかも知れない。
いろいろ考えさせられる状況が目に付くようになった。
2001/12/25 (火) 曇り 小雨ぱらつく
セミナー受講のため千葉へ。
柏から2時間。午後1時より開始。
受講者同士の会話で充実した時間を持った。
「人生は出会いね」と、同じテーブルに座った4人でうなづき合った。
セミナーを終えて東京へ。
丸の内から有楽町へ、光の回廊の中を歩いた。
「東京ミレナリオ」と名付けられたイベント。
休日は混むと聞いているので、今日あたりは見物にちょうど良い日だったのかも。
帰り道、中央郵便局横を通りながら、ニューヨークの(たんそ菌)のことを考えていた。
2001/12/24 (月) 晴れ 振替休日
静かなクリスマス・イヴ。
キリスト教徒ではないので、さほどの意義や敬虔な気持ちは感じないけれど、
宗教にこだわらず、できる限り多くの人が幸せなクリスマスの夜を迎えていて欲しい、と思ったりして・・・
光のある方へ、もっと光を!(これってベートーベンの今際の言葉だっけ?)
今、切実に望んでいる。
「もっと光を!!」
2001/12/23 (日) 晴れ 天皇誕生日
普段は国境を意識しないまま暮らせる日本にあって、国境は海の中と空であることを自覚してから、関連のニュースが気になるようになった。
昨日は東シナ海における海上保安庁の不審船追跡のニュース。
相手から発砲の抵抗を受けて保安庁職員2名が負傷。
国の保安に自らの命をかけて携わる職業がある。
代表的には警察官、自衛官そして海上保安官。
これらの人たちの武器使用に関して世論は厳しいが、武器を持つ相手に素手で立ち向かえというのは酷な気がする。
もちろん安易な武器使用は許されないが、命あってこその職務まっとうではないだろうか。
彼らの仕事がスムーズに遂行できるためには、巧みな政治力と外交の後ろ盾が必須である。
国の治安維持と政治力の回復、両輪のバランスの上に、国民の安全で豊かな生活が保障される事を忘れてはならない。
2001/12/22 (土) 晴れ 冬至
昨夜の忘年会、結局、帰ってきたのは午前零時を過ぎていた。
深夜の柏駅周辺には、最近、ほとんど縁が無い。
久しぶりに、帰宅の交通手段がなくなる時刻の駅周辺の様子を見た。
タクシー乗り場につながる駅の階段は、3階から人が並んでいる。
あちこちに、急性アルコール中毒の結果の汚物が撒き散らされている。
駅のコンコースの柱にもたれて、立ったまま吐いている男性。
街は、以前ほど活気が無いように感じる。
駅の通路にはダンボールや新聞紙にくるまって寝ている人の数が増えた。
それぞれの年末。
2001/12/20 (木) 晴れ
いよいよ21世紀初めの一年の終わり。
まあ、いろいろあったさ。
でも、私は生きているんだな、これが・・・
どんな人の書いたものを読んでみても、年をとることを否定的には書いていないことに気づいた。
そして今、自分自身、半世紀を生きてみて同じような感想を持っている。
一様に書いているのは
「子供のころは40・50の人がいやに年寄りに見えたけれど、いざ自分がその年になってみると感じ方が違う」
ということだ。
まこと持ってその通り、私も同じく。
「人は年月を重ねただけでは老いない」
サムエル・ウルマンの詩を思い浮かべる。
2001/12/19 (水) 晴れ
日一日と寒さが増してくる。
今年は間違っても「暖冬」にはならなさそう。
関東地方の平野部でも、2−3日中には雪が降るかも、と予報では告げている。
中国地方からの雪の便りも聞かれて、これからの厳しい寒さが思いやられる。
午後からゾクゾクした悪寒。
すわ、風邪引きか・・・
今晩は暖かくして早く寝たほうが良さそうだ。
2001/12/18 (火) 晴れ
「てゃんでぃ、べらぼうめ!」
そもそもは江戸っ子の啖呵であるこの言い回しが好きだ。
どうしようもなく腹の立つとき、納得がいかないとき、一人でぼそっとつぶやく。
「てゃんでぃ、べらぼうめ!」
どうしようもないことはどうしようもないのであって、そうつぶやいてでも自分を収めるしかない。
便利な言葉である。
「てゃんでぃ、べらぼうめ。」「てゃんでぃ、べらぼうめ。」
ああ〜っ、すっとした!
2001/12/17 (月) 晴れ
髪を染めて一ヶ月もすると根元のほうに白いものが目立つようになる。
そうそう美容院にも行けないので放っておくと、白髪はますます目立ってくる。
我慢して二ヶ月。二ヶ月くらい経つと、ある日突然、美容院に行きたくなる。
染めようが染めまいが、傍に迷惑をかけるわけではない。
高いお金を払って、自己満足を得るのがせいぜい。
一度白髪を染めると止めるタイミングが難しいと、これは昔からの女性の悩みらしい。
もちろん、はなから染めない人には縁のない悩み。
一旦染め始めてしまった髪、
そろそろ止めようかな、と考え始めている。
作家の藤本義一や司馬遼太郎のように真っ白だと、それはそれで綺麗だと思うのだが
中途半端なごま白頭では一気に老けるだけだろうか?
などと、取るに足らないことを真剣に悩んでいる暇人である。
2001/12/16 (日) 晴れ
車の運転席から空を見上げたら、青空に飛行機雲が・・・平行に二機、飛んでいた。
飛行機雲は
「飛行高度の空気が低温で、湿度の高い時に出来ます。
すぐに消えることもありますが、飛行機雲が厚くなり、ほかの雲も増えてくるようなら天気は下り坂です。」
だそうだ。
青い空にくっきりと白い直線。
潔いこの風景が好きだ。
2001/12/15 (土) 晴れ
年末にベランダから富士山を望むのは例年の楽しみ。
今日も朝から、雪をかぶった富士山の姿が望めた。
新聞を開くと「米の女優ウィノナ・ライダーが万引き容疑で逮捕される」の記事。
ビバリーヒルズの高級ブティックで、5千ドル(約63万円)相当の衣料品を万引きした疑いだそうだ。
先日の田代まさしの事、今回のウィノナ・ライダーの事、
一般の功名心ある人にとっては、名前を世間に覚えられ、人気を獲得したこれらの人は成功者に思えるかもしれない。
それが・・・何故?
人の幸せとは何だろう、と、ときどき考え込まずにはいられない。
夕方、青空と夕焼けの朱のはざ間にシルエットとなって浮かび上がる富士山を、いつまでもじっと見ていた。
2001/12/13 (木) 雨 のち 曇り のち 雨
昨日は晴れていたのに、今日は予報どおり雨。
最近の天気予報は、気象予報に資格制度ができてから報道各局で多少の違いがあるのだろうか?
今日の天気の予報について、同僚と、それぞれが朝見てきたテレビの予報を話題にしていて思ったこと。
新聞の折り込み散らしで入ってくるダイエットの広告の話。
あそこに掲載されている体験者の写真にはいつも(眉に唾をつけて)見ている。
使用前の写真は、妙に表情が暗かったりポーズがダサかったりする。
使用後の写真は、髪型、化粧、ポーズが垢抜けている。
あれは絶対に多少ならず、手を加えた写真に違いない、と。
何の足しにもならないけれど、たかがチラシされどチラシ、いろいろなことを考えさせてくれる。
2001/12/12 (水) 晴れ
穏やかに晴れた一日。
こんな日は気持ちも穏やかになる。
私が「お天気や」と言われた所以。
しかし、天候が人間に与える影響は大きいと思う。
原始、悪天候の時には洞窟で空きっ腹抱えてじっとしていなくてはならなかった先祖の遺伝子のせいだろうか?
まあ、こういったことは、私が単なる「野生人間」であることの証明にしかならないが・・・
2001/12/11 (火) 晴れ 風強し
今週は週明けから冷たい北風が吹いている。
風のせいで雲は吹き払われて、青空が広がる。
毎年、暮れになると夕焼けに浮かぶ富士山のシルエットが美しい。
今日も、ちょうどタイミングよく朱に染まる西の空にくっきりと浮かび上がっていた。
北風がピューピュー吹いて寒い、寒い。
そんな中、梅のつぼみが付いているのに気づいた。
年が明けたら、どんどんまぁるく膨らんでいくだろう。
厳しい寒さの中で、暖かい春を待ちわびているのは梅のつぼみだけではない。
2001/12/09 (日) 晴れ
ガラス越しの日差しはポカポカと、ひなたぼっこでもしながら読書をすると寝てしまいそうな一日だった。
このところのニュースで、海外における日本の評価が下がっているらしいと聞く。
経済に関しては、あのイタリアより下にランク付けした見方もあるし、
子供の学力や意欲に関しても、他国との比較で、良い数字が出ない。
いつからこうなってしまったのだろう?
まあ、悪いことばかり考えてもしかたがないから、まずは、一日一日を大切に生きておこうと思うこの頃。
2000/12/08 (土) 晴れ
下の公園の桜の木が、何時の間にかすっかり葉を落とし、その落ち葉の掃き清められたあとに積もる枯葉もなくなっている。
強気の発言や行動が繰り返し報道されてきた某有名野球監督の奥さんが、脱税容疑で逮捕されてしまった。
世間に決定的な悪印象を与える材料を提供したのが実の息子だったとは、なんと形容すればよいのか言葉が見つからない。
人の顔は、ある程度の年齢を過ぎれば、それまでどう生きてきたかを表す、言葉のない履歴書のようなものらしいが、
彼女の場合、どういう履歴が刻まれたのか、一目瞭然のような気がすると言ったら言い過ぎだろうか。
振り返って、そろそろ自分の顔にも生き様の皺が刻まれる年齢になってきたけれど、浅はかで愚かな皺が32本?
2001/12/07 (金) 晴れ
皇太子妃、雅子さまのお子さんの命名の儀。
敬宮(としのみや)愛子(あいこ)さま。
出典は「孟子」だそうだ。
全国の愛子さんは嬉しいだろうな。
2001/12/06 (木) 雨 のち 曇り
朝から雨。気温も次第に低くなっている。
マクドナルドが喫茶メニューを出すという。
サラダ、シナモンロール、コーヒーもバラエティ。
スターバックスが人気の昨今、ハンバーガーばかりをメインでは、やはり集客にかげりを感じるのだろうか。
それに、狂牛病の一件もあることだし。
ずっと前に、午前の時間帯限定で朝食メニューを出していたことがあったけれど、あれは良かった。
ホットケーキにスクランブルエッグ、ベーコン、マフィン etc.
どんなメニューになるのやら・・・
2001/12/03 (月) 曇り のち 晴れ
馴染みの猫に声をかけられた。
職場には4−5匹の猫が住み着いている。
先日、気まぐれに「ニャ〜ゴ、ニャ〜、ニャ、ニャ〜ゴ」と声をかけたら、のそ〜〜っと歩いて来て、私の足に体を摺り寄せてきた。
あれから一週間くらいになる。
今日、車のそばにしゃがんでいたら、「ニャ」という声がする。
その鳴き声の方を見ると、先日話し掛けた白猫がこちらを見ている。
無視しても悪いから、こっちも「ニャ、ニャ〜」と応えておいた。
通訳するとこうなる
白猫 「こんちは!」
私 「こんちは、元気?」
同じ「ニャ」でも、イントネーションで使い分ける。
英語はものになりそうもないが、猫語は大丈夫か・・・(そんなわけはない)
あの猫、これからも私を見かけると気安く声をかけてくるんだろうなぁ。
2001/12/02 (日) 晴れ
「そんな暗い話や陰気な話はやめましょう」と、ひとの話をろくすっぽ聞かないで遮る人がいる。
何をもって「暗くて陰気」とするかは人それぞれだろう。
生きていれば、どんなことが起きるかは予測できるものではない。
喜ばしいことも悲しいことも、どちらもあって人生だと思う。
そのひとつひとつは、起こるべくして起きたことであり、
あえて、「暗い」とか「陰気」だと決め付けることはないと思う。
その経験を話す本人が、その事実をどう受け止め、昇華しているのかも、落ち着いて耳を傾けてみなくては判断できない。
それを聞くことこそ、コミュニケーションを図るということであり、お互いの理解を深めることになるのではないか?
「そんな話は聞きたくない」とはっきり言われるということは、「あなたと付き合う気持ちはありません」という意思表示にも受け止められる。
コミュニケーションとは、相手の話を聞いてこそのものであり、
最初から相手の話に評価を下し、まして、話題を封じるようなことをする人に「コミュニケーション」とは何か、分かっているのだろうか?
と、台所仕事をしながら考えた。
2001/12/01 (土) 晴れ
天皇家のおめでた。
皇太子妃雅子さまに内親王誕生。
暗いニュースが多かった今年の締めくくりに、喜びのニュース。
皇室のあり方も、若い感覚で次第に変化している様子。
伝統を受け継ぎながら、人間としての情愛を大切にしようとされる姿勢が伝わってきて好感。
次世代を担う若い人たちのよいお手本となられることを・・・