2001/11/30  (金)  晴れ  雲多し





PM7:00〜9:00、TBSテレビでスーパーフライデー「超ド迫力!海の大攻防戦24時スペシャル」海上保安庁692日密着、を見る。

日本は地続きで他国と国境を持たない。
その為に、普段の生活で他国の脅威を意識する機会が少ない。

しかし、密漁、密入国、海難事故、離島の救急など海上の守りが大変重要であることが、この番組を見ることで再認識できた。

密着取材番組は、警察、消防、病院関係といろいろ見てきたが、海上保安庁は珍しい。
どの部署も、国や個人の命や財産を守ることに自らの命をも賭して勤めを果たしていることに感動を覚える。

日本の国土内で、平平凡凡と毎日を繰り返していられるのは、こうした海上の守りがあってこそと、時には意識することも大切ではないだろうか。

日本の国境は海の中にある。

2001/11/29  (木)  晴れ





PM7:30、NHKテレビ「クローズアップ現代  追跡・テロ容疑者アタの素顔」を見た。

ドイツのハンブルクで都市計画を学んでいた優秀な学生アタ容疑者。
現地調査で訪れた故郷エジプトの都市計画を見て、次第に一部の富裕層への反感をつのらせていったという。
また、建築事務所への就職活動で、本人の能力よりもコネが優先するエジプトの実情にも失望していったらしい。

貧富の差が次第に開いていくそうした社会のあり方は、イスラムの教えに反するではないか、という思いが強くなっていったらしい。

彼と共に学んでいたドイツ人が、アタ容疑者が「努力しても報われない社会」と言っていたと証言する。

世界情勢は混迷の度合いを深めている。

2001/11/28  (水)  晴れ





人口密集の土地に住んでみると、人とぶつかることに、いちいち気を使っていられないと思い始めていた。

今日、仕事帰りに買い物に立ち寄った店で、陳列棚の間の狭い通路で、若い娘とすれ違った。
彼女の持っているかごが私に触れた。
そんなに強くぶつかった訳でもないので、私は知らん顔して通り過ぎようとした。

すると、通り過ぎざま「すみません」と柔らかな声が聞こえた。
思わず「えっ?」と不意をつかれた。

謝って貰えるなんて端から期待していないだけに、その声でこちらも正気に返る。

「いいのよ」と、こちらも柄にもない優しい声で応えたりして・・・

人間は順応する動物ではあるが、狎れてはいけないと反省した。

2001/11/27  (火)  晴れ





社会不安と経済の悪化が著しい。

久しぶりに目を通した、新聞の読者投稿のページ。
増えない収入、出費を減らそうにも限度がある。

出さねばならぬ費用は、決して値下がりはしていない。
例えば学費、例えば医療費、例えば水道・光熱費・・・
多くの平凡な家庭から、悲鳴が聞こえてきそうな投稿が目立つ。

働いている人はまだいい、職に就けない人が増えているという。

読者投稿は、くっきりと世相を反映する。

2001/11/26  (月)  晴れ





毎週日曜日に利用している公共施設の花壇は、ボランティアが管理している。
その為、統一した花が一面に植わっているわけではないが、それはそれなりに楽しめる花壇になっている。

珍しい花、かわいい花、それらを植えて手入れをする人の思いが伝わってくる。

最近、ミニシクラメンをプランターに入れて置いたところ、何株かを持ち去られてしまったようだ。
持ち去らないで欲しい旨の立て札が、控えめな口調で立てられていた。

(花盗人)とは、今に始まった行為ではない。
だが、あの花壇を見て、平気で花を抜き取り、持ち帰る人の心は浅ましい。

この一件に限らず、人の気持ちに鈍感な人が増えてきたと感じる。

2001/11/25  (日)  晴れ





少ない言葉を交わしただけでこちらの思いを分かってくれる、そんな友人を持つ人がどれだけいるだろう。
私は、そういう友にめぐり会えた。

その友人が、今年一年間に相次いで両親を失った。
「呆然」という言葉が一番ふさわしい状況だろう。

失って気づくことがある。
「ああしておけば良かった、こうしておけば良かった」

そのことを反省し、後悔する気持ちが、残りの人生で出会う人たちへの優しさに反映するように思う。

永遠の別離を経験すると、さまざまな事を考えさせられる。

2001/11/24  (土)  晴れ





子どもが中学生のときに、柔道部顧問の体格の良い先生が
「精力善用」という言葉を口癖になさっていることを子どもから聞いていた。

う〜ん、有り余ったエネルギーを(やんちゃ)なことに費やしている中学生には、なかなか含蓄のある言葉だ、と思って聞いていた。
ところがこれは、あの柔道の嘉納治五郎さんのおっしゃっていた言葉だと、最近知った。

この言葉はセットになっていて、もうひとつは「自他共栄」というそうだ。
今の時代に生かしたい言葉だと思う。

「精力善用」「自他共栄」
肝に銘じたい。

2001/11/23  (金)  晴れ   勤労感謝の日





12月末で期限の切れるチケットがあったので映画を見に行った。
題名と監督に引かれて「かあちゃん」

始まって早々に寝てしまい、最後まで寝ていた。
おかげで、話の内容はサッパリ頭に残らなかった。
それだけの作品だったのか・・・

その後、何となく物足りなくて、公開前から見るつもりでいた「スイート ノベンバー」をはしご。

なんと、金曜日のレディース・デーで女性は1000円の日という幸運。
一応女性の私は、800円得した気分。

こちらは十分に見た甲斐があった。

2001/11/22  (木)  晴れ





戴きもののチケットで、東京五反田の(ゆうぽうと簡易保険ホール)まで出かけ、コンサートを聴く。


子どものころ、親が農作業に使う縄や筵やこもを編む傍らで、遊び半分に縄を編んだり、わら草履を作った。

「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉がある。

紅白の布切れを縄に編んでいくと、同じ長さの布で一本の縄ができる。
人の一生は、同じ分量の「禍」と「福」で仕上がっている。
この二つを「不幸」か「幸」かと、二者択一でとらえるのではなく、
その出来事には等分の「不幸」と「幸」が含まれていることを思う。


人生の偶然を思うとき、ふっとそんな言葉が浮かぶときもある。

2001/11/21  (水)  晴れ





今年は落葉が遅いような気がする。
もう11月の後半というのに、紅葉や黄葉が木にくっついている。

早い年には、満足に色づかないまま、落葉を急ぐこともある。

色づく秋を堪能できる年だ。

2001/11/20  (火)  晴れ





今朝、目にとまった新聞記事、見出しは「地球上から急速に姿消す遺伝資源」。

動物の絶滅種に対する危惧は、往々にして耳にする。
それに引き替え、植物に関しての人々の関心は薄いように感じる。

動ける生命体とそうでないものとの印象の強弱だろうか?
ところが、植物が人間の生活に貢献するところも無視できないものがある。

食用にしろ観賞用にしろ、人間は植物に手を加え、より自分たちの好みに合うように作り変えてきた。
その基になったものが野生種や近縁種、それが近年急速に地球上から姿を消しつつあるという。

今、宇宙ステーションが実用に向けて計画進行中とか。
ある宇宙事業の関係者の講演で
「宇宙ステーションの完成が先か、地球環境の破壊が先か」
という話が出た、と聞く。

そういう思いで、路傍の植物を見ると、其処に在るのが当然の如くに見過ごせないような気がする。

2001/11/19  (月)  晴れ





未明(午前2−3時)に、しし座流星群が見事に見えたらしい。
(らしい)としか言えないのは、自分が見なかったからだ。

宇宙には今、何が起きているのだろう?

自分は、宇宙の中のどんな存在なのだろう?
どんな存在になりたいのだろう?
存在とは、どういうことだろう?

2001/11/18  (日)  晴れ





落語の人情話はいい。
何がいいと言って、貧乏な人ほど他人に情けを施すという話がいい。

困窮の辛さ、寄る辺のない寂しさを身をもって知っているからこそ
他人の災いに純粋に手を貸せるのか、と、ふと考えた。

(熊さん)(はっつぁん)の世界のなんと遠くなったことか・・・

2001/11/17  (土)  晴れ





一年前まで活動に参加していたあるグループの人たちと(御嶽山)に行った。

青梅線・御嶽駅に降りると、駅前で地元の名産を売る露店があった。
なめこ・しいたけ・しめじ・まいたけ。
くるみ・草・ごまなどの大福もち。
おむすび、辛み大根。
思わず買いたくなるけれど、帰りの荷物になることと家族の少食を考えて思いとどまる。

往復3時間程度の歩き。
これまでの山行と違って頂上での昼食時間がゆったりとしていた。

メンバーの男性が担ぎ上げてくださった水やコンロで、温かいお味噌汁やコーヒーをいただく。
紙コップにインスタントの味噌汁をつくり柚子を削って入れただけで、感激の味になった。

やっぱり野山で食事すると、一味もふた味も違う。

2001/11/16  (金)  晴れ





夏目漱石の「草枕」は

山道を登りながら、こう考えた。
知にはたらけば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。
住み難さが高じると、どこか安いところに引っ越したくなる。
何処に引っ越しても同じ事だとわかったとき、そこに、絵が生まれ詩が生まれる。

といったような書き出しで始まる。(正確な文章の記憶ではないが・・・)

心の中のあれこれを解き放ちに、明日、山に行って来ようと思う。

2001/11/15  (木)  晴れ





NISSANが「チェリー」という車を作った時、車名を公募した。

ちょうど季節は春。
うらうらと射す暖かな日差しに、軒下で日向ぼっこをしながら考えた。

車の名前と言えばカタカナばかり、ここらで和名も良いのでは、と。
「武蔵」「さくら」「富士」
何だか戦艦の名前か南極観測船のようだと、自分の乏しい発想力が情けなかった。
結局、応募しなかったように思う。

懸賞応募は楽しい。

2001/11/14  (水)  晴れ





少々風邪気味かな?
ということで、早寝する。

2001/11/13  (火)  晴れ  午後 低温





毎朝通る道路の脇の(ケヤキ)が美しい。
ポツポツと色づき始めたばかりの頃は、秋が来るという思いのみで感動したけれど、
今は、胸の奥深くまで染まる思いで、その色合いに見とれてしまう。

「美しさ」は、単にこれから伸び行く勢いと共にあるものだけではない。
ひと通りの生命のサイクルを終え、ひっそりと静まる頃の美しさも、また格別の味わいだと思う。

2001/11/12  (月)  雨  のち  晴れ





金子みすヾさんは、昼間の星を詩に詠って
「見えないものでも あるんだよ」
と表現している。

サン・テグジュぺリは「星の王子さま」の中で
「大切なことは目に見えないんだよ」
と書いている。

目に見えないけれど、ほんとうに大切にしたいことがある。
心の目を見開いて、「ほんとうのたいせつ」をみつめていきたい。

2001/11/11  (日)  晴れ





友人と誘い合って「相田みつを美術館」へ。
以前から一度行きたいと思っていた場所。

相田みつをさんの(書)と(言葉)に出逢ってきた。

相田さんの書に「よい出逢いを」と書かれてあった。

このところ「よい出逢い」を重ねていることに、深く感謝している。

2001/11/10  (土)  雨





(記述なし)

2001/11/09  (金)  曇り  のち  雨





運転免許を取得して、かれこれ17−8年になる。
ペーパードライバーからリアルドライバーになってから15−6年は経つ。

わずかな運転経験の年月ではあっても、すれ違うドライバーの変化が気になる。

一言でいえば「余裕がない」ような気がする。
乱暴になったし、自分勝手になったような・・・

坂道で、登りの車を優先しない。
交差点で、左折車を待たずに強引に右折する車。
危険な追い越しをして、結局、赤信号で前後に並ぶ車。
譲られて挨拶しないドライバー。

これらが日常化している。
何だか寂しい。

2001/11/08  (木)  晴れ





最近頻繁に、車に轢かれた猫を見かける。
猫や犬は、視線が低いので交通事故に遭いやすいと聞いたことがある。

ところで、昨日見たのは猫ではなかったような気がする。

あの大きさ、丸み、耳の形、毛色、あれは狸だ!

聞くところによると、どうやら狸も交通事故に遭いやすいらしい。

狸を見かけた話はよく聞くが、狐はどこにいるのだろうか?

2001/11/07  (水)  晴れ  寒い  (立冬)





縁とは不思議なものだ。
続きそうで切れる縁もあれば、切れたと思っていてもつながっている縁もある。
すべては人知の及ばぬところ。

「有り難い事の有る」ことで生かされている。
ほんとうに、ありがたいことです。

2001/11/06  (火)  曇り  一時  小雨





何時だったか誰だったか忘れてしまったけれど
「別れ際に<さようなら>とは言いたくない」という意味の文章を読んだことがある。
その時から、別れ際の挨拶には言葉を選ぶようになった。

<さようなら>とは「別れのあいさつに使う語 ▽さようならば、これでお別れしましょう、の意。(岩波国語辞典)

中国語では<再見>、英語では<see you later/see you tomorrow/see you again>と知ってから
何だかこっちのほうがいいな、と思っている。

「じゃあ、またね」「またお会いしましょう」
こう言えば、たとえ二度と会えない別れでも、希望が残るような気がする。

2001/11/05  (月)  晴れ  のち  曇り





ほどよく温まった車のボンネットで猫が日向ぼっこをしていた。
近づいていくと、のっそりと立ち上がりスット−ンと飛び降りて向こうへ行った。

すぐ先で立ち止まって、ジッとこちらを見ている。
私もジッと見つめ返した。

両者しばらくはそのまま・・・

今日は猫とにらめっこをした。

猫は何を考えているのだろう?

2001/11/04  (日)  晴れ





「信仰を持つ人は信仰について語らない。信仰を語る人は信仰を持たない人である」
といったような事を最近読んだ。

宗教学者が必ずしもいずれかの宗教の信者である必要はない、ということにも当てはまる。

宗教の歴史や教義、その周辺状況から信仰について解説することはできても
信者の想いを代弁することは、どんなに学問を積んだ宗教学者にも難しいことではないだろうか?

宗教とは、信仰とは、語り極めることのできない深いものだと思う。
おろそかにはできない。

2001/11/03  (土)  曇り  のち  雨   (文化の日)





スポーツ観戦とは縁のない人生だったが、サッカーの地元チームができてからは何度も足を運んでいる。

今日は友人の誘いで(対 名古屋グランパス)戦を見に行った。
あいにくの雨。急遽、ポンチョを買って観戦。
結構な降り。おまけに風も少々。

ゴールをはずしたと言ってはどよめき、ボールを取られたと言っては叫ぶ。
本当に良いストレス解消!

結果は、3:2でホームチームの勝利。

終わりよければ全て良し。
気持ち良く帰ってきた。

2001/11/02  (金)  晴れ





今年の不思議な出来事。今日で二度目。

玄関のドアノブに切花の包みがぶら下がっている。
どなたが下さったものか、見当がつかない。

前回の時に、心当たりに尋ねると「違う」と言う。
その方の場合は、包みに特徴があるので、大体は分かることが多い。

今日のお花は、小菊の枝数本。
おそらく、ご自宅の庭か、貸し農園に咲いたものか・・・

あえて贈り主を詮索するより、ありがたく頂戴して仏壇に飾らせて頂いている。

2001/11/01  (木)  晴れ





暖かい一日だった。
日に日に色づく木々の葉を見ながら、こころ静かな毎日を過ごしている。

どうにもならないことは、ある。
それをどうにかしようと焦ると、事態は悪化する一方のこともある。

最近、世間の出来事は、そんなことが多い気がする。
何事も見極めが肝心。