2001/09/24 (月) 晴れ 秋分の日 振替休日
久しぶりの晴天。まさに、雲ひとつないと言いたくなるような秋晴れ。
お彼岸ということで、お墓参りに行く。
先週の金曜日から風邪気味。症状は、鼻水と喉の痛み。
季節の変わり目には風邪を引く。恒例の出来事。今回は症状が軽い。
色々なことが起きては考えさせられるけれど、まあ、こんなことを繰り返しながら暮らしていくのが人生か。
2001/09/20〜23 (木〜日)
(記入なし)
2001/09/19 (水) 晴れ
昨日、今日と蒸し暑い。雨が降っては、残暑の日と繰り返すからだろうか。
アメリカのテロ事件に関して、実は予言していたのではないか、という記述や本があちこちで紹介されている。
「すご〜い、そんなことを事件の前に考えていた人がいたんだ〜!」と思う反面、
どっちにしたって人間の考えることだもの、実行するかしないかの違いだったのかもしれない、とも思う。
今、世界は水面下の外交が慌ただしいことだろう。
2001/09/17・18 (月・火)
(記入なし)
2001/09/16 (日) 晴れ 時々 曇り
もともと運動は嫌いだった。体操服を着るのも嫌だった。
なぜ嫌いだったのかなと考えてみると、殆どのスポーツは団体競技であることが多い。そして、競い合うものが多い。
集団に馴染めない、人と比較することされることが嫌い、こんな性格がスポーツから遠ざかる原因だったように思う。
ところが何十年も生きて来て、生きることのマイペースをつかんだ現在、私は運動が嫌いではなかったことがわかった。
きっかけは健康の為に始めたウォーキング。そして、「一度は登っておこう」と登った富士登山から始まる“山登り”。
一人で参加できて、しかも他人と優劣を比較する必要のない運動にハマっている。
私がフィットネスに行くようになるなんて、我ながら信じられない。ましてエアロビクスなんて・・・
子供の頃からズボンが大っきらいだったのに、山に行くようになって、ズボンにも慣れた。
今では日常生活の殆どをアウトドアスタイルで過ごしている。
エアロビクスではジャージの半ズボンにTシャツで飛び跳ねている。
人は幾つになっても変われるもんだなぁ、なんて思っている。
2001/09/15 (土) 曇り 時々 晴れ 敬老の日
初夏は緑が美しい。秋には黄色や赤、そして、茶色の彩りが目を楽しませる。
そこに吹く風はまた、季節ごとに違う。
今はまだ、周囲の木々の梢は青々としている。
けれども、初夏の緑と初秋の緑はどことなく違う。
微妙なことを感じなければ「詩」は書けない。
たとえ小手先で言葉を操り、美辞麗句を並べて「詩歌」を紡いだとしても、虚しい。
たとえ形があるものでも、見ようとしなければ見えない。
反対に形はなくても、見つめ続ければ見えてくるものがある。
「心眼」を開いて事にあたりたい。
2001/09/14 (金) 曇り
嵐の一週間だった。
月曜日には友人の死、火曜日は台風15号の通過、水曜日はアメリカの同時多発テロ。
後には戻れない人類の歩みとは言え、厳しい状況に直面している世界。
一年ぶりに歯医者に行った。
市役所から歯周病の検診に行くようにはがきを貰ったことがきっかけ。
結果的には、何も無かったのでひとまず安心。
50歳を迎えて、健診のお勧めが相次いで来る。
衰えは口と脚から来る、かな?
2001/09/13 (木) 曇り 時々 雨
9月になって曇り空と雨模様の日が続く。
高齢社会になったことを実感させるように、身辺で不幸が相次ぐ。
私は半世紀生きて来て、冠婚葬祭にまつわるできごとでは不思議に「葬」ばかりに縁がある。
生老病死でいうと、「病」と「死」に近いところで生きてきたような気がする。
こんなことを言うと、多くの人は顔をしかめるかもしれない。
自分自身も一時期「なぜ自分は、喜び事より悲しみ事に多く接するのだろう」と恨みがましく思ったことがある。
それはいつも自ら選んだ境遇ではなく、偶然のめぐり合わせでそうなってきた。
「病」と「死」は否応無く、人に「生きるとは」というテーマを考えさせる。
ご多分に漏れず、私もそのことを考え通してきた。そして今も考えつづける日々。
が、今では自分の背負った運命を恨むより、むしろ、
誰かが悩み苦しむ心の傍に寄り添っていることが、私に与えられた「生の使命」かもしれないと思うようになった。
そんな体験を重ねてきて思うのは、自分が誰かに力を貸していると思っても、
そのことで救われているのは案外自分であることの方が多い、ということである。
力強く生きて行きたい。
2001/09/12 (水) 晴れ
暑い一日だった。
深夜3時に子供に起こされた。
「すごい事が起こっている。世界貿易センターに飛行機が突っ込んで、建物が崩れたよ」
という言葉に飛び起きた。
「嘘だ!」「いや、最近の世界の膠着状態にそんな形でハンマーが振り下ろされたのか?」
何か起こりそうな不穏な空気は感じていた。
解決のメドが立たない世界各国の宗教対立、安定しない経済状況、これまで沈黙していた国の指導者の活発な政治活動・・・
何かおかしかった。素直に納得のできないことが多かった。
友人の告別式に参列。
覚悟はしていたものの、がっくりと体中の力が抜けた感じがしている。
10年分くらいの心の動揺を、今日一日で経験したような疲れがある。
2001/09/11 (火) 雨 のち 暴風雨 のち 曇り
台風15号は午前11:30〜午後1:30にかけて東京23区から、松戸市を通り柏市上空からつくば市方面に抜けていった。
約二時間、強い雨と方向の定まらぬ強風が吹き荒れた。
夕方、友が眠る斎場に行く頃には雨も上がり西の空は夕焼けていた。
これまで見たこともないような美しく神々しい夕映え。
筋を成して上昇する雲が黄金色に輝く様は、友人が今まさに天に昇っていく道が開かれているかのように思えた。
お花を供え、彼女と対面した。
受信トレイには、病の宣告を受けた時から彼女とやり取りしたメールが遺る。
幾度かの電話を通して会話した声も、耳の奥に響いてくる。
明日、もう一度彼女と待ち合わせ、そして、旅立ちを見送る。
2001/09/10 (月) 雨 時々 曇り
信じたくもないし信じてもいない、大好きな友人がもうこの世界にいないなんて。
今朝早く、三時にあなたは逝ってしまったんだね・・・
辛く苦しい日々を過ごしたね。
あなたの姿は立派だったと思う。
わずか二年間の同僚、でも生涯忘れることはない「大好きな人」です。
あなたは私の心の中で、決して過去形になることはありません。
共に年月を数えられなくなった哀しみは、これから、じわじわと私の心を締めつける日があるでしょう。
そんな時でさえきっと、あなたが私の記憶に遺してくれたあの笑顔が、私の生きる支えになるのでしょう。
今は、あなたに「安らかに眠ってください」とは言えません。
あなたは二人の子どもの行く末を案じながら、帰ることのない旅立ちをしたのだから、「安らかに」なんかなれる筈もないでしょうから。
どうか、遺された子供たちを見守ってあげてください。
そして、彼らに安堵の胸をなでおろした時には、「どうぞ、安らかに眠ってください」
いずれ私もそちらに行きます。
また会える日まで、待っていてください。
別れの言葉は言わないからね。
その代わり、いつものように「じゃあ、またね」
2001/09/09 (日) 曇り 時々 雨
台風の影響で一日曇り空。雨が降ったり止んだり。
日曜日の朝7時は「所さんの目がテン!」が楽しみ。
今日は剣道の話。
剣道の達人は、竹刀の動きで相手の次の攻撃目標が読めるという。
10時からは「サンデープロジェクト」
低迷する日本経済の話。相当に真剣な議論。
剣道にしても経済にしても、先を読むことは、はなはだ難しい。
豊富な経験と知識、そして、鋭い勘の働きが要求される。
先日の高速道路に女子中学生を置き去りにして死なせた犯人がつかまった。
犯人は中学校の教師。
テレクラで知り合って出会ったのだという。
この頃多いな、そんな話。
2001/09/08 (土) 曇り
台風15号、16号接近中。午後から蒸し暑くなってきた。
久しぶりに「婦人公論」の新聞広告を見て、読んでみたい記事があり、本屋に行ってみた。
「婦人公論」は、以前はB5サイズの分厚いものだったのが、最近ではA4サイズの週刊誌の体裁になっている。
個人的には昔の方が良かった。
今日も、一度は手にとって見たが、こういったものは新聞広告の見出しで事足りることが多いと思って、買うのをやめた。
読みたかった記事の見出しは
「キレる時代、でも、人づきあいを怖がらないで」
というもの。
2001/09/07 (金) 曇り 時々 晴れ
今日はめいっぱい働きました。アァ〜疲れた!
9月ももう一週間が過ぎた。月日の経つのは早い、早い。
2001/09/06 (木) 晴れ 時々 曇り
PM7:30から、NHK「クローズアップ現代」で(外務省の不祥事)について報道していた。
ようやく膿が絞り出されてきた感がする。
おそらく、ここまでの着手は男性の大臣ではできなかったと思う。
今、田中真紀子さんへの評価は賛否両論。多分、男性の評価は「否」の比率が増えているかもしれない。
それでもなお、私は、田中さんが今、大臣であることへの応援を惜しまない。
それはなぜか、今の日本にとって一番重要だと思われることは、基本に立ち返ることだと思うからだ。
人としての基本、社会人としての基本、大人としての基本、等々
何にも増してもう一度考え直して欲しいのは「モラルの基本」である。
「モラルの基本」とは、この地球上に、ともに生活している人間同士の「思いやり」だと確信している。
2001/09/05 (水) 晴れ
冠婚葬祭のお付き合いも、地方ごとに習慣が異なるし時代の流れで違ってきている面もある。
職場のお付き合いで、義父にあたる方の葬儀に少額だけれどお香典を包んだ。
すると、香典返しにお金とお茶が返ってきた。結果的に、こちらが出した金額の全返しか、ちょっと多目かも知れない。
香典返しに現金を添えるのは、房総の習慣らしい。以前にも一度そんなことがあった。
ちょっと考えてしまった。
形式的に冠婚葬祭のお付き合いをしているが、果たして、現代人の生活様式の中ではどのようにするのがいいのだろうか、と。
2001/09/04 (火) 曇り 時々 雨
ここ一ヶ月くらい、椅子から立ち上がろうとすると腰が痛む。
今日は、思い切って、整形外科の医者にかかった。
そうではないかと思っていたが、やはり、運動不足がたたっているらしい。
針をしてもらった。生まれて初めての経験。
針といっても、どうも、電気針らしい。痛いところに刺された針の部分は、電気刺激に応じて、感覚があった。
うう〜〜ん、努めて運動をしなくては、たちまちのうちに「腰の曲がったおばあさん」になってしまいそう・・・
2001/09/03 (月) 曇り
インターネットのモラルということを、もう一度、考えてみたい。
PCに向き合う作業というのは、大抵は、自宅のくつろいだ空間で行なう作業だと思う。
それ故に、くつろぎ過ぎた結果、そこには、自分ひとりだけの世界を築きがちである。
ところが、モニターに何かを書いて、送信ボタンをクリックした時点で、一人だけの世界は、現実の全世界に向けて発信されるものなのである。
このことは、非常に重要なことで、インターネットを利用するものは、常に忘れてはならないことだと思う。
ということは、PC上における人間関係を、架空のもので終わらせてしまうか、現実の生活の糧とできるかは、
ひとえに、それを利用する一人一人の自覚にかかってくる。
架空のものだと侮る人は、自宅の部屋で見せるくつろぎを、受け手の迷惑も顧みずに曝け出してしまうだろう。
その一方で、受け手の人格を想像できる人は、実生活と同じ心配りができるだろう。
究極のところ、PCにおけるインターネットのお付き合いはお手軽ではあるが、そこに必要なのは、現実社会と何ら変わらない「モラル」なのである。
利用者に問われるのは、どれほど周囲への「思いやり」を持てるかということと、
たとえ、他人の目の無い自室であろうと、自分を律することのできる「道徳心」の有無であると思う。
私が今、自分のHPを平和に有意義に維持管理していられるのは、
他人の心の痛みに対して敏感な「想像力」をお持ちの、心豊かな訪問者に恵まれたからだと感謝している。
2001/09/02 (日) 晴れ
暑いと言っても、やはり、秋!
今日は、久しぶりのフィットネス。
9月は、抽選に入ったので、日曜日のエアロビクスに参加できる。
インストラクターによってステップが違うのだけれど、今のフジマキ先生のステップには、だんだん慣れてきたようだ。
半年くらいのブランクがあったけれど、何とかみんなの動きについていけた。
2001/09/01 (土) 晴れ のち 曇り 雨ぱらつく
朝、テレビをつけて見れば、新宿歌舞伎町で爆発事故のニュースが。
死者44人という大参事となっている。
ずっと前に、ホテル・ニュージャパンの火災で30数人の死者だそうで、今回はそれを上回る。
どうもガス漏れではないか、ということらしいのだが、目に見えない引火物は恐い。
先日の、セルフ給油中の、静電気による引火事故のこともあるし、どうも、こうなってくると自分では注意の仕様がない。