2001/07/31 (火) 晴れ
もうそろそろ、日記の天候のところに「一日中 雨」と、書いてみたいもの。
せみ時雨 どこまで続く 晴天か (露草)
ラジオを聞きながら朝食の支度をする。
今朝、こんな話が・・・
最近の若い娘のファッションは、なかなかきわどい。その名も「キャミソール」とくれば、もう、下着そのもの。
そんなきわどい服装は、当然、老若問わず男性の目を引く。
若い娘たちは、公共の場所を、自分たちをアピールする場所と思っているので
そのファッションも「見てもらう」ことを意識して着ているのだという。
しかし、その対象は、あくまで若い男性が主であり、おじさんは対象から外れているらしい。
というわけで、おじさんが彼女たちをジロジロ見ると怒られるのだそうだ。
話の結論は、度が過ぎる露出の恥ずかしさを、彼女たちに気付かせてあげるためにも
おじさんは、しっかり、彼女たちのことをジロジロと見てあげましょう、と結ばれる。
(週刊文春)の記事を取り上げた(Bay FM)の放送から・・・
私も、このところ電車に乗ったり、街中を歩く機会が多く、若い娘の服装が目に付いていた。
あまりにも露出が多く、しかも、体の線はハッキリと出るファッション。
身近で見ると(雑踏の中では否応なく目前で見ることになる)、同性でも、顔を背けたくなることがある。
暑さのせいもあるが、暑ければ暑いほど、素肌を剥き出しにするのは逆効果なんだが・・・
2001/07/30 (月) 晴れ
近所の林の中で、白骨死体が見つかったという新聞記事を読んだ。
見つけたのは、虫取りに来ていた宇都宮の親子。
この記事を読んで、二つの驚き。
ひとつは、死体が見つかった林の横の道を、最近、二度ばかり通っていたこと。
ふたつめは、宇都宮の親子が、柏市の外れまで、どんな虫を求めて来ていたのか。
このあたりも、結構、事件が多くなっているような気がする。
住む人が多ければ、それだけ事件事故が多いのは、必然か。
因みに、柏市の人口32万人強。少しづつではあるが、増えつづけている。
2001/07/29 (日) 曇り のち 晴れ
参議院通常選挙投票日。
億劫な足を運んで、一票を投じてきた。
今晩にも当確が判明するだろうが、当選した人は、そこでゴールと思うんだろうなぁ・・・
後は、十分な議員報酬を受け取りながら、適当にお茶を濁して。
人は「権力・人気」を自覚すると、周囲の状況が見えなくなる場合が多いように思う。
権力も人気も、結局は、周囲に大勢いる人々あってのもの、自分のよって立つ足場は、大切にしなくてはならない。
決して、自分一人の人柄や能力だけで、その立場に押し上げられたのではない、
ということを、繰り返し自分に言い聞かせられる人こそ、真に賢い人と言えるだろう。
小学校か中学校の時に読んだ「真実一路」という本の巻頭にあった
「真実一路の道なれど 真実 鈴振り思い出す」
という言葉を忘れられない。
2001/07/28 (土) 曇り 涼しい
昨夜から、本当に涼しい。ひと息ついている。
それにしても今年の猛暑、さぞ、ビール業界は潤っていることだろう。
仕事を終えて、帰宅してからのビールは、実においしい。
今日も一日、家の中で過ごしてしまった。
やはり、外の空気を吸わなければ、感動の源は涸れてしまうように思う。
常に新しいものを発見し、驚き、感動していたいものだ。
それは、年齢とは関係ないことなのだから。
2001/07/27 (金) 晴れ ときどき 曇り
PM 9:30、帰宅した子供が「今日は、寒いくらいだね」と、玄関に差し込まれていた回覧板を、テーブルに置きながら言う。
その回覧を、回そうと外に出て、ひんやりとした空気を確認した。
今年は炎熱地獄が続いた。
それも、次第に収まりつつあるのだとしたら、嬉しい。
このところ、胸の内にさざなみの立つことが続く。
投げ込まれた小石が、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・
波紋は広がり、複雑に重なり合い・・・
波はいつかは収まるもの。
気長に待ちましょう。
2001/07/26 (木) 曇り
以前からの予定通り、今日は有給休暇をとって休んだ。
湿気のせいか、一日中だるくて、寝たり起きたり・・・
今日がマンションの高架水槽の取替え工事の日だということを、すっかり忘れていた。
朝から断水。夕方の6時過ぎまで、不自由した。
何も、休んだ日が断水の日にぶつからなくても、とボヤく。
掲示板のお知らせをチェックしなかった自分の不注意は棚に上げて・・・
12歳の少女が、手錠をはめられて、高速道路に投げ出されて死亡する、というニュース。
何だか異常なニュースが多すぎて、日常化してしまっているおそろしさ。
2001/07/25 (水) 晴れ
友人に誘われて、夕方から柏へ。
なりゆきから、彼女の支持する政党の街頭演説のサクラになった。
その後、久しぶりに「アビーロード」という、若い女性客が多く利用するお店に行く。
このお店は、雰囲気がとてもいい。
お料理もおいしいし、飲み物の種類が多いのが特徴。
カクテルの種類が多いことは、女性に人気があることの大きな理由だろう。
お店の人も、テキパキと気持ちの良い動きをする。
この友人と、アルコールの席を共にするのは、15年の付き合いで初めてのこと。
二人で楽しく語り、飲んできた。
その後、カラオケに行く。二人だと、一時間の間に何曲も歌える。曲名を選ぶのが間に合わない。
2001/07/24 (火) 晴れ
(千葉みなと)まで、セミナー受講で出かける。
職場関係の「生活設計セミナー」、今年で三回目の参加になる。
おまけの講演が目的。
今回は青島幸男氏の予定が、彼の参院選出馬で、急遽、柳生博さんに変更。
大橋巨泉氏にしても青島氏にしても、どういうつもりで参院選出馬をしたのだろう。
名前が売れているから当選しやすいだろう、などという安易な選択は止めてほしい。
人材枯渇なんだろうなぁ・・・
2001/07/23 (月) 晴れ 大暑
今日は、一年で一番暑いころとされる「大暑」
今年は、こんなに暑いのに、まだまだ暑くなりそうだという。
大汗をかく、ということは、あまりない。
どんなに暑くても、流れるほどの汗をかかない。
そのことは便利だと思う。
ただ、そういう体質で、不用意に水分を摂りすぎると、むくみが生じる。
新陳代謝が悪い、ということなのかもしれない。
あまり食べないように、飲まないようにすることが体調管理に一番良い。
苦境・逆境に向いた、経済的な体質か・・・
2001/07/20〜22 (金・土・日) 晴れ
伊豆方面へ旅行。
2001/07/19 (木) 晴れ のち 曇り
今日は、姉の嫁ぎ先のお義母さんのお葬式。
88歳だったそうだ。
私の父は、亡くなったとき77歳だった。
傍に寝ていた母が、気がつかなかったくらい安らかに、眠るがごとく息を引き取っていた。
姉のところのお義母さんも、安らかな最期だったようだ。
これまで、いろいろな人の「死」の様子を見聞きしてきた。
そして思うのは、人の体は使い切って終わると、さながら、風船の口をそっと開いたように穏やかに命が抜けていくらしい、ということ。
そういう最期こそ本当に、(ことぶきのいのち)=(寿命)というのだろう。
できれば、私も、(寿命)と言える穏やかな終焉を迎えたい。
2001/07/18 (水) 晴れ のち 曇り 雷
昨日、今日と、夕方から雷。
いろいろな事は重なるものだ、と思う。
何もないときには、退屈なほど何もないけれど、事が起きるときには、これでもかというほどに続く。
あたふたと問題を片付けながら暮らしてきた。
問題の解決に奔走することに一生懸命で、終わってみれば、そのことの記憶は、あまり残っていない。
体当たりの私の人生、振り返って懐かしむひまもなく、このまま過ぎていきそうな気がする。
2001/07/17 (火) 晴れ のち 曇り 夕方から雷
朝起きて、パソコンに文字を打ち込もうとすると、三文字目で止まってしまう。
慌てて子供を呼ぶ。
どうやら、この暑さの中、自身の熱もケースにこもって、支障をきたしたらしいということがわかった。
考えられるトラブルを、あらゆる方面から検討して作られたメーカー品と違い、自作のパソコンは試行錯誤。
冬に組み立てたパソコンは、夏、トラブルことが多いと子供が言う。
そういえば、このパソコンも冬生まれ。
どうやら、自作のパソコンが落ち着くには、春夏秋冬をひととおり過ぎてみなければならないようだ。
2001/07/16 (月) 晴れ
中沢新一という宗教人類学者・思想家がいる。
今の時代、思想家や哲学者という存在は、ほとんど忘れ去られている。
また、彼らの思想活動も、見えてこない。
そんな中で、この中沢新一氏は、活動する思想家として気になっていた。
1950年生まれということも、共感の根拠かもしれない。
その中沢氏が、今日の新聞で語っていた。
中井美穂との対談の形で。
大きなエネルギーをためて、一気に物事を変えていく「革命」は、日本人にはできない。
「辛抱強く、きまじめで、多くを語らないけれど職人のようないい仕事をする」日本人の資質。
40代・50代の中高年の細胞の中にしまわれた、自然体験の記憶と、生活の中の文化を
今こそ、次の世代に引き継いでいかなくてはならない。
日本人は自己変容が必要なとき。
これからの10年間が、そのためにとても大切な時期であろう。
そこで果たす、中高年の役割は、時代の境目を生きた世代として、大きな意味を持つ。
「日本人が持ち続けてきた資質とこれからの時代をどうつないで方向転換できるか。ラストモヒカンの働きどころです(笑い)」
中沢氏は、現代の中高年を「ラストモヒカン」と表現する。
彼の著書「悪党的思考」は、まだ読みきっていないが、そのうちに読み終わりたいと、改めて思った。
2001/07/15 (日) 晴れ
夕方6時ごろ、買い物に出る。
暑さを避けたつもりだったが、進行方向に、まさにギラギラと輝くでっかい太陽。
眩しいどころの話ではなく、そちらを見ると、目が燃え上がってしまいそう。
いつも通る団地の緑地帯に、紅白の夾竹桃が咲き誇っている。
暑さに強いこの花は、広島に原爆が落とされた時にも咲いていたという。
その話を聞いてから、夾竹桃を見るたびに広島のことを思う。
2001/07/14 (土) 晴れ
げんきんなもので、休日だと思うと、元気になる。
というより、この2日間、HPも何もかもほったらかしで、ひたすら休んだせいだと思う。
ズーッと一ヶ月近く、通勤の途上で聞く FM放送が、映画「A.I」の宣伝をしていたので、何だか観なくてはならないような気がして、今日、映画館へ。
以前、どこかで、映画終了後のスタッフ・ロールを見るか見ないかについて語っていた。
それまでは、スタッフ・ロールになると立ち上がって帰ってしまっていた私は、
その時以来、全てが終わって、館内が明るくなってから、席を立つようになった。
エンディング・テーマが流れて、製作に関わった人や企業の名前が延々と表示される。
もちろん、全部読み取れるわけではない。
ただ、今観た映画に、どれほどの人が関わったかを知ることには、また違った楽しみもあることを知った。
前述の「スタッフ・ロールについて語っていた」という内容は、その映画を製作した人たちへの敬意という観点からの記述であった。
ほどほどの入りだった今日、館内が明るくなるまで席に残ったのは、5−6人の男の子たちと私だけだった。
2001/07/13 (金) 晴れ 今日も風強し
こんな言葉は、努めて避けたいけれど、“殺人的”な暑さ。
ニュースでは、東京消防庁の救急車が、暑さにあたった人を搬送する回数が増えていることを告げる。
しんどい日は、無理をせずに早く寝るに限る。
体が思うように動かないと、ろくなことを考えない。
明日がある。
2001/07/12 (木) 晴れ 南西の風 強し
相変わらずの強い風。おまけに蒸し暑い。
今年は早くから、もう夏バテしている。
これまでこんなことは無かった。厳しい。
心が、水底にスーッと引き込まれるように沈んでいく。
こんな日は、もがくのはよそう。
水面が、太陽の光でキラキラと輝くのを見上げながら、底に足が届くまで、沈んでいこう。
2001/07/11 (水) 晴れ 強めの風
ちょっときつめの風が吹く。
塵や砂が舞い上がり、部屋の中はザラザラ。
風は苦手。
とうとう「梅雨明け」、降水量は例年の70%だそうで、今のところ水の心配は無い、とか。
2001/07/10 (火) 晴れ
「ずんだ餅」を食べた。それも、手作り。
手作りだから、餡も、つぶし切れないつぶつぶが残る。色は、鮮やかな黄緑色。
それを見た同僚の反応が面白い。
男性は「何だ、この色は・・・」、女性は「ああ、ずんだ餅ね・・・」
食べ物に対する嗜好は人それぞれ。そして、その基準は、必ずしも(味の良し悪し)のみではない。
見た目のイメージが、その食べ物に手を出すか出さないかを決めることもある。
狭い経験の範囲からいうと、男性と子供は見た目に影響され、
女性は好奇心・興味・関心で一応は手を出してみることが多い。
日々の食事を、素材から吟味し調理する人間と、「私、食べるだけ」の人間との違いかもしれない・・・
2001/07/09 (月) 晴れ
子供たちの思春期にはてこづった。
特に二男は、ゆっくりと親の思いを聞いてはくれず、外に出て行くことが多かった。
父親のこと、親戚のこと、そして私の思い、伝えたいことが伝わらないもどかしさがあった。
昨夜、壊れたPCを見てもらいながら、偶然、話の流れが我が家の歴史へと及んだ。
あれほど聞くことを拒みつづけていたのに、うなづきながら聞いてくれる二男を前に
「ああ、大人になったなぁ」と、感慨ひとしお。
とうとう、夜が明けてしまった。
パソコンを使うことを拒みつづけた私が、ふとしたきっかけから使い始めて、子供との関係が少しづつ変わりつつある。
これまで、全てを一人でやってきた私が、本当に子供に頼りっきりになるのがコンピューター関連事項。
最近、子供に頼ってみるのもいいものだ、と思う。
2001/07/08 (日) 晴れ
昨日受け取った小包を送ってくれた友人のお母さんが、亡くなった。
ちょうど、七夕の一日が終わろうとする夜のこと。
人は「母」という言葉に、さまざまな感情を抱く。
もっとも素朴な思いは、自分の存在を産み出した原点、との思いであろう。
それ故に、母を失うということは、自分が、もう絶対に後戻りはできない、ということをはっきりと自覚させられる出来事である。
5年程前に、施設に入所している、当時88歳の母に出会ったとき、母は私のことがよくわからなかった。
実家を離れて25年間に、お互いに顔を合わせる機会は少なく、
加齢によるもの忘れ、刺激の少ない施設での生活を考えれば、寂しいけれど無理のないことと自分に言い聞かせた。
母が、我が子である私を認識できない。
私はその時、ハッキリと、故郷を失ったことを自覚した。
私は、母の死に目には会えないことを、覚悟している。
死別にせよ、痴呆にせよ、自分を我が子として慈しみの眼で迎えてくれるはずの母親を失うということは、切ない。
2001/07/07 (土) 晴れ
友人から小包が届く。彼女はまめな人。いつも励まされている。
午後になって、彼女からメールを受け取る。
実家のお母さんの容態が悪化したとのこと。
母親にはいつも元気でいてほしい、というのは、誰しもの願い。
しかし、所詮人間も、限りある命を持つ生物であるからには、遅かれ早かれやってくる別れの日。
「あなた先逝く人、私、後逝く人」 全ての人に用意されているその日。
今日、今この時間の大切さを、改めて思う。
七夕の星は見えなかった。
こころの内にかかる天の川で、会いたい人と会ってこよう。
2001/07/06 (金) 晴れ のち 曇り 夕方 雷雨
PM7:00ごろ雷雨。 ちょっと、まとまった雨。
何日ぶりの雨だろう、ホッとする。
街中のビルのエレベーターは、より高く、より早く運転されるようになることが改善といえるけれど
心のエレベーターは、年月かさねるにつれ、高低差は低く、よりゆっくりと動くようになるものらしい。
それは、別な言い方をすれば、感動が少なくなってくるということなのかもしれない。
もうひとつ別な見方をすれば、年とっての感情的な衝撃は、大きな負担になるので
人間の心は、経験という技術で、(高低差の低い・緩慢な)エレベーターを運転させるようになるのだろう。
宇宙の偶然の産物かもしれない人間という生物、よくできている。
2001/07/05 (木) 晴れ 月食
連日の暑さで消耗、早々と床につく。
結局、月食を見ることは諦めた。
2001/07/04 (水) 晴れ
柏市では、正午ころから16時ころまで(光化学スモッグ注意報)発令。
昼前から、身体がだるくて重くて、頭はボーっとして仕事にならない。
夏本番になれば、湿気が少なくなって、もう少ししのぎ易くなるのだろうか?
このままでは、ダウンしそう・・・
2001/07/03 (火) 晴れ
悲しいことやつらいことがあった日は、寝てしまったほうがいい。
そんなふうに思う。でも、本当は、辛さが勝る日は、眠れない・・・
喪うことの寂しさ、通い合わないことの虚しさは、世の常と知りながら、
昨日も失い、今日も失い、明日また喪いそうな日々。
失ったものを取り返そうと、引き返すことが無駄なことだとは、それなりの経験が教えてくれた。
失ったものを数えるより、明日、手中にするものに期待を寄せるほうがいいに決まっている。
年齢とともに、諦めの面積が広くなる。
2001/07/02 (月) 晴れ
最近、柏市で、光化学スモッグの被害が出たと言う話を聞いた。
柏市では、市内中の人々に注意を呼びかけるためのスピーカーが各所に設置されている。
行方不明者の呼びかけや、子どもに帰宅を促す放送、各種の警戒の呼びかけ等に使われる。
光化学スモッグの注意報も、このスピーカーで呼びかけられる。
外で行動している人にも聞こえるこの放送で、これから「光化学スモッグ警報」の呼びかけが増えることだろう。
今日聞いた話で、光化学スモッグを侮ってはいけない、と思った。
2001/07/01 (日) 晴れ 暑い
梅雨明けには、まだ間がありそうなのに、真夏の暑さ!
人はいったい、外気温何度までなら耐えられるのだろう。
地球温暖化と言われているが、昔の夏はどんなだったか、思い出せない。
今朝は、久しぶりに AM9:30 から、フジテレビ「おそく起きた朝は」を見る。
三人の女性の楽しいおしゃべり。
きりこさんが「男性は、絶対に、もやしが好きなのよ!」という、彼女の見解を話していた。
た〜だしゃべっているこの番組が、こんなに面白いのは、何故だろう?