どうせ生きるなら、悩んだり苦しんだりしても、自分の頭で考えながら生きて行きたい by ブッター 「ぶたもおだてりゃソクラテス」


2007年2月27日(火)  晴れ



「鈍感力?」

渡辺淳一さんが「鈍感力」という本を出版された。新聞の下段に掲載される書籍の広告で、この書名を目にした時、「今この時代に鈍感とは・・・」と大いなる疑問と困惑を感じてしまった。

実際にその本を手にとって見たわけでもなく、もちろん、読んでいないのだから、その本に関する感想は述べることはできない。

ただ、あえてこの時代に「鈍感力」を肯定するような本が有名作家によって出版されたことで、「鈍感」という言葉が良好イメージで広まることには納得できない。

「鈍感力」を養うことを必要とするのは人間関係や社会現象に敏感に反応する人であろう。そういう人たちは、想像力や感受性が豊かであり、それ故に、混迷の社会に適応できずに鬱屈を多く抱え込んでしまう人たちと推察できる。そんな人は、もはや少なくなっているのではないか、というのが私の近年の思いである。

街を歩けば無神経な人に苛立つことが多くなった。はた迷惑も素知らぬ行為の“鈍感”な人も多い。

渡辺淳一さんはこの本の中で、だからこそもっと図太く生きなさいと言っているのだろうか?

本はタイトルのつけ方次第で売れ行きが左右されるとも聞く。

個人的な意見を述べさせてもらえば、この「鈍感力」というタイトルは「ちょっと!ちょっと、ちょっと〜!」(双子のお笑い芸人タッチ風に)と言いたくなる。

私としては、「感受性の磨き方」とか「想像力の鍛え方」などというタイトルの本が売れ行きを伸ばすような社会的空気が高まることを期待したい。


昨日の朝は寒かった。霜柱が、朝陽にキラキラ光っていた。



2007年2月25日(  晴れ  気温が低かった



「銀座へ」

観たい映画があったので銀座まで出かけました。

高額当選がたくさん出ると人気の宝くじ売り場(西銀座チャンスセンター1番窓口)には、一日中行列ができていました。三越デパートと松屋デパートが並ぶ通りは歩行者天国。有楽町駅のホームの素敵なタイル。自宅までの道の途中にある白梅と月。下の画像は、私が今日一日何となくカメラにおさめた光景4点です。



ところで、昨夜の次期役員の集まりで、管理組合理事長を引き受けることになりました。

私は、こうした役割分担の話し合いにおける沈黙が苦手です。それぞれのできる範囲で役割を引き受けなければ事態が収まらないと分かっているのだから、協力的に発言をして、話し合いは手短に前進させたいと、いつも思います。今回も、初めは皆黙りこくっていました。それで、仕方なく私が口火を切ったわけです。

事前の思惑(おもわく)としては広報チラシ作りが主な仕事の監査理事を引き受けたかったのですが、9人のメンバーそれぞれの抱えている事情を伺ってみると、理事の経験もあり、日常的に動き易い状況にあるのは私であることが分かりました。

そうと分かっては、私としては他のどなたにも無理強いはできませんでした。結局、「私がやります」と言わざるを得なかったわけです。

我がマンションも、現代社会の傾向を反映して高齢化が進んでいるようです。ちょうど理事長にふさわしいと思った男性二人は単身赴任で日常的に他地域で生活している。ある人は、ご主人の介護中。ある人は、ご夫婦の親御さんを遠距離介護していらっしゃる。一人は、幼児を抱えて、しかも、入居間もない若い方。

はぁ〜っ・・・
しょうがないじゃあ あ〜りませんか(深いため息)

みんな、順番が廻ってきたから、仕方なくその場に集った9人なのです。

と言うわけで、どうなることでしょう、来年の5月まで。しかも、理事長は次の年の顧問を自動的に引き受けることになっているんです。ということは、実質これから二年間の拘束になります。

やるからには、良い勉強の機会と受け止めたいと思っているのですが、成り行きには大いに不安を感じています。


2007年2月24日(  晴れ



「黒虫(くろむし)」

私は、若い頃から、めったに化粧をしません。それでも、たまーに、思い出したように化粧をすることがあります。

子どもがまだ小学生だったある日、外出予定の私は鏡に向かって念入りに化粧をしました。
「さあ、できたぞ!」と、仕上がった顔を、傍で寝転んでいた小学校低学年の次男に向けて訊きました。

「お母さんの顔、どお〜ぉ?」

むろん、(綺麗だね)の言葉を期待しての問いかけでしたのに・・・返って来た返事は、

「黒虫みたい・・・」

「黒虫(くろむし)?えっ?“くろむし”って・・・?」

「お母さんの眉毛」

私、絶句。
ガ〜〜ン!!

言ったのが我が子だけに、ショックはなおさらでした。ハハハ。

確かに、眉墨のカラーは黒を使っておりました(ホホホ)。だって、日本人の眉ですもの、色は黒でしょう。でもでも、塗り過ぎだったのよね・・・。思うようなラインが引けないからと、描き足し描き足ししているうちに、眉だけくっきり目立つメイクになっちゃってたみたいです。

はぁ〜(ため息) たまに慣れない化粧をすると、こういうことになるんです。

それ以来、研究しましたよー!→ナチュラル・メイク。

婦人雑誌のメイク法のページ、テレビのメイク技法の番組、もちろん、お店で化粧品を買う時にもしっかりとコツを教わりました。今ではもう、20年前の「黒虫」顔になることはありませんよ(うふふ)

次男のあのひと言以来、鏡を見る度に、(黒虫になっていないかな)とチェックするようになりました。

【教訓】
子どもの言葉をあなどってはいけない。損得勘定の無い言葉には真実が宿っている。

な〜んて、ね。

【今日の散歩道】
ジンチョウゲ(沈丁花) & 姉さん座りの桜の木の根っこ


2007年2月23日(金)  雨  ときどき  曇り



「雨」

雨が降ると、あたりはとても静かになります。今日もそうでした。


↑水溜りに降る雨が作る水輪です。


↑これは、私が育てたサクラソウです。今、満開です。
水滴が付くと花びらがまだらに白っぽくなるので、開花時の水遣りは根元に注(さ)すのが原則です。


2007年2月22日(木)  晴れ  のち  曇り



「健康注意報」

例年なら、この時期はインフルエンザが猛威を奮っている。この時期のマスク姿は、たいていの場合風邪ひきさんであることが多い。

だが、今年は少し様子が違う。

今マスクをしている人たちの中には、既に飛び始めた花粉によるアレルギー症状の人が含まれている。何とも厄介なこの花粉症、どうにも有効な対策の手立てはないようだ。

とは言いながら、やはり出てきました、インフルエンザの罹患者が。

皆さまどうぞお気をつけ下さい。


今朝、通勤途中の赤信号で停まった時に写した「鳥の朝ご飯」風景です(わかるかなぁ〜?)

画像をクリックすると拡大します。
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2007年2月20日(火)  曇り  ときどき  雨



「私は私」

「あの人は変わっているから・・・」

たぶん、私は子どもの頃から、周囲からそう言われていた。そして、それは、あながち的を外してはいない。私の興味や関心は、同年代の同性のそれとはいつも違っていたように思う。「変わっている」「変人だ」と言われれば言われるほど、私は、他人と違うことを意識し、果ては、違わなければならないくらいの脅迫観念すら抱くようになっていた。

しかし、だからと言って、その頃、私が無理をしていたのかと言うと、それは少し違う。私は自分の心の声にいつも忠実だったと思っている。自分が面白いと思うことを楽しみ、知りたいと思うことを探求する行動に充実感を覚えていた。

それが、私と同年代の同性の多くの方向性とかけ離れているという理由で「変人だから」と言われるなら、それはそれで仕方がない。ただ、「普通ではないから・・・」と言われるなら、少々、異議を申し立てたい。

「普通って、どんな人のことですか?」「普通の尺度はどのようなものさしで測るのですか?」「普通だという人間の標準的なモデルを具体的に教えてください」 変人と言われた私は、常に、そういう疑問を持ち続けている。

百人の人間がいれば百通りの生き方がある。大人になれば、このことは、殆どの人が理屈では分かっている。それなのに、ちょっとでも自分たち(仲良しグループ)と交わらない人間がいると、自分たちに害を及ぼさなくても疎外しようとしてしまう。仲良くすることと共に社会を作ることとは別のことなのに・・・

学校や職場や地域集合体などは仲良しグループではない。そこに居合わせる人は、それぞれが違う意識を持って集まっている。そこに仲良しグループ的な発想を持ち込むことで“いじめ”が発生する。その根本には陰湿で功利的な力関係が作用している。

単なる「仲良し集団」というのは、参加しようと離脱しようと個人の自由であるが、学校や職場や地域集合体というのはそう簡単には出入りが自由ではない。そこは「公(おおやけ)」という社会だからである。社会とは、特定の個人の意向によって特定の人物を疎外することは許されない万人共生の場である。

このことこそ、大人が子どもに、幼いうちから教えるべきことがらではないだろうか?

変人の自覚を持って長年生きて来た私は、他人と違った視点を持つことは何ら不都合なことではないと思えるようになった。面倒だと思うのは、それ故に排除されそうな目に遭遇する時である。その境遇を乗り越える為には“普通”という言葉の呪縛から自らを解放しなくてはならない。

存在するもの全てに“標準”などはありません。同じ製造過程で作られた人造物だって、一つ一つにどこかしら違いがあります。それで良いのではありませんか?違うからこそ面白いのではありませんか?

「私は私」。それで良いのです。それだから良いのですよ。

そして、自分が自分の“私”を大切に思うように、周囲の人の“私”も尊重すれば、いじめなど無くなるような気がするのですが・・・


2007年2月17日(  曇り  のち 夜半に 雨



「もっと足を使おう」

(足は第二の心臓)とも言われ、(衰えは足から来る)とも言われる。

私は基本的に、移動には自分の足を使うことが好き。移動の為の人工的な機械に依存していてはできない経験ができるし、何より運動不足の解消には一番のお手軽手段だから。体の各部位は、使わなければ能力が減退するので、使えば使うほど丈夫にもなると信じている。

時間に縛られる通勤には車を利用しているが、これも、余裕さえ持てれば徒歩にしたいところだ。

たまに外出の折に駅や街なかで経験することだが、階段とエスカレーターが並んでいると、殆どの人が当然のごとくエスカレーターに乗っている。その横で広いスペースを占めている階段は、ガラガラに空いている光景に出くわすことが多い。もちろん私は、その空いている階段をタッタッタと気持ちよく上らせてもらう。どうしてもエスカレーターを利用しなくてはならない時にも、混み具合にもよるが、できるだけ歩いて上る。

このごろ、周囲を見渡してみると、皆、何やらボーっとした表情の老若男女が増えたように思えて仕方がない。生気が感じられない人々が目立ってきたように思う。

確かに、今、社会状況は皆に等しく厳しい時代であることはわかる。見通せない未来への不安に四六時中心身が縛られていてもおかしくない。しかし、私たち戦後直後に生まれ育った世代も、物の無い収入も少ない厳しい時代を経て来た。それでも当時の人々は、現代の街なかを往来する人々よりは、しっかり前を見据えて姿勢を正して歩いていたように思う。

経済発展という思わぬ大繁栄を経験した直後のこの低迷の時代に、人々はいま、どの方向を見据えれば良いのか、何をもってして胸を張れば良いのか、見失ってしまったかに見える。

“足”があるではないか、自分の“足”が。

昔の人は「足で稼ぐ」という言葉も残してくれている。

手っ取り早く小奇麗に成果を得ようとするから無力感に襲われるのかも知れないよ。せっせと足を運んで汗を流して、心身についた贅肉を整理すれば、スッキリした脳裡に、何か違った思考が浮かぶかも知れないよ。

今こそ皆で、怠惰な暮らし振りから足を洗ったほうが良いと思うんだけど・・・

どこぞの元国会議員さん(西川きよしさん)ではないけれど、小さな事からコツコツと、私はまず、もっともっと歩くことから始めてみようと思う。


2007年2月13日(火)  晴れ  午後 曇り



「知性とは」

知性とは、どこの学校でどんな学問を積んだかで量れるものとは違うような気がする。どんなに有名な学校で高等教育を受けていようと、下劣で姑息な悪事を働く人間はごまんといる。むしろ、そのような人たちは、知識が豊富なだけにやることも巧妙であるかに見える。

具体的な「物」や「ことがら」に固執せず、そこから発展して単純明快で普遍的な基本事項を抽象的に頭に描ける能力を磨きたいものだと思う。

近頃、低下していると言われる倫理観念や道徳心などは、今目の前にあるものに固執しないで、見えない部分を想像することから始まる。そうしたことに気付ける力が知性ではないだろうか。


2007年2月12日(  晴れ      振替休日



「他を害しないこと」

踏み切りに走りこんだ女性を助け出そうとして電車にはねられ、ここ数日間重態と伝えられていたお巡りさんが、今日お亡くなりになったそうです。

当の女性のその後はわかりません。

何が厭になろうが、悲しかろうが、やけっぱちになろうが、やってはいけないことはあるんですよ。

それは、「他を害すること」です。

その中には、自分で自分の命を絶つことも含まれます。なぜなら、そのような手段での死を実行することで、遺された家族や親戚や友人たちに与える傷は大きいからです。

まして今回のように、見ず知らずの人を巻き添えにするような行動をとるのはもっての外です。

殉職なさったお巡りさんのご冥福をお祈りします(合掌)



2007年2月11日(  晴れ  風あり    建国記念の日



「保証人制度」

ちょっと思い立って、ある大学の通信教育を受講しようと資料を求め、今日は、実際にその大学まで入学説明会に出向きました。

過去何度か、通信教育での挫折を経験しているので、今回も、そうた易いことではないとは思っていました。それに、年齢のことを考えれば、今更、まとまった時間と経費を費やすに値するだけの決心と目標を持ち合わせているのかどうかにも大いなる迷いはありました。

結果としては、正規雇用の仕事をしながら、1600字〜2400字のレポートを月に二枚〜三枚提出という学習は、いまの私には困難であろうことが明らかになりました。説明会に出席して良かったです。

ただ、今回この通信教育を断念せざるを得ないについては、ある大きな要因も関係しました。それは、保証人が必要だったことです。

さまざまないきさつから、現在私は、私の背負う危険要因に対して全面的に保証を依頼できる人物を調達できない状況にあります。また、これまでの人生を、できる限り自分の及ぶ限りの力で乗り越えることを信条にやって来た私は、自分の“まさかの事態”の後処理を誰かに押し付けることには躊躇(ためら)いを感じます。

以前から痛感しているのですが、この保証人制度というのは、人的環境に恵まれない人間にとっては生活向上の為の挑戦を妨げる制度ですね。

保証人を立てることを要求する側にしてみれば、金銭的な被害を被(こうむ)らないで済むようにとの安全弁的手段なのでしょうが、金銭が絡むだけに、保証人を要求された側にしてみれば非常に依頼し難いことがらになってしまいます。また、断りきれずに保証人となった人が、後々、悲惨な経緯をたどる例も耳にします。

保証人として候補にあがるのは、まず、“父母”そして“兄弟姉妹”、次に“親戚”でしょう。“親しい知人”となると、これは相当の信頼関係が無いことには頼めそうにありません。

少子化・高齢化・人的つながりの希薄化を考えれば、今後、保証人を易々(やすやす)と調達できる人は少なくなって行くのではないでしょうか?

現在、社会では格差の是正や再チャレンジなどの論議が盛り上がっています。これまでの社会状況の変遷の中で、足踏みをしてしまった世代のために、これから改めて前に歩みを進めて貰おうと、心有る人なら誰しもが願っていることでしょう。

その時、上に述べたような人的環境の不足が彼らにあった場合、この保証人制度が彼らの行く手の障害にはならないでしょうか?

「あなたが確かに信用できる人間であることを証明する人を用意しなさい」または「あなたが何か不都合なことをしでかした場合に代わりに責任をとってくれる人を用意しなさい」と、事を始める前に要求されるということは、とても理不尽なことだと私には思えてなりません。

これでは、資産もコネも実績も何も持たない人間が自らの努力で上昇しようとしても、その目標達成の可能性は本人の責任以外の理由で非常に困難なことになり兼ねないと言わざるを得ません。

いつの時代にできた制度かわからないけれど、“要求する側(たいていの場合強者)”に都合の良い制度が社会状況の変化にも拘わらず生き続けて行くと、いずれこの国は、意欲や希望を失った民が浮遊放浪する事態になるであろうことが予測されます。

「能力主義」ですか?「自立、独立」ですか?それを言う前に改善すべき点は多々あるような気がしてなりません。

当該者と普段付き合いの薄い人物にでも保証させることを要求するより、自分で自分に責任を持てる人間を面接で測り採用し育てて行く制度はできないものでしょうか。


2007年2月10日(  曇り



「千の風になって」

昨年暮れのNHK紅白歌合戦で、秋川雅史さんがこの「千の風になって」を歌われてから、再び静かな反響が広がっているそうです。

ほんとうに、心に染み入る歌だと思います。特に、死別を経験した者にとっては・・・

私の人生は、慶びごととは縁が薄いにもかかわらず、どういう廻り合わせか、幼い頃から悲しみ多いできごととは近しく過ぎ越して来ました。

そんな境遇にあったものですから、死は常に身近にあり、私の全ての考え方から切り離せない基本的な事項となっています。

父は、私が21歳の時に亡くなり、私の花嫁姿を見ることはできませんでした。誠実で優しかった夫は、結婚して5年目に発病し、その後5年間の闘病の末に他界しました。すっかり自己嫌悪に落ち込み、それでも二人の子どもを育てなくてはと、なりふり構わず生きていた私を深く理解し認めてくれた友人は、40余歳で早世しました。

愛する人々との別れは、何度繰り返しても、とても平気ではいられません。

「私だけ生き残ってしまった」「あの人のことを考えると、私は、楽しかったり幸せだったりしてはいけない」という罪悪感は、遺された者に訪れる共通した悲嘆の想いではないでしょうか。

そんな悲嘆は、通常、『時』が和らげてくれます。

しかし、決して全て忘れ去れるものではなく、何かの折にポッカリと心に空洞が口を広げることがあるのです。

そんな暗闇に優しく響き渡る歌。
「千の風になって」は、そんな歌のように感じました。
これから長く歌い継がれる曲になるでしょうね。
この歌が世に出てきてくれて、ほんとうに「ありがとう」という気持ちです。


2007年2月9日(金)  晴れ  夜半 雨



「『書きたい』と『読みたい』の需給関係」

「趣味は読書です」、これはあらゆる場面に使える無難な表現だろう。では、そう言った(書いた)人のどれほどが、本当に日常的に読書をしているかは定かではない。本の購入冊数や図書館利用の頻度はどうだろうか?

近頃、街の本屋に立ち寄ると、見慣れない作家による新刊本の多さに圧倒される。これを、文章表現できる人間が増えたと見るのか、それとも、また違った見方があるのか。しばし佇みながら考え込んでしまう。こう数が多過ぎると、かえって、ページをめくってみる意欲をそがれてしまって、結局は何も手にとらずに本屋を後にする。

近年は、インターネット上に個人ブログが急速に数を増やしている。このホームページも、その中の一つである。ただ、膨大なインターネット世界では、たとえ検索文字を指定しても相性の良いブログに出会えるまでには相当の時間と手間がかかる。しかも、それは多分に“偶然”に頼るしかない作業である。

ブログとは違って、本として出版された物に関しては、現実に手にとって検討できる利点はある。しかし、本は日々の更新はないし、コメントをつけてのやり取りやトラックバックによる新たなつながりへの発展は期待が薄い。

新たな出版作家にしても、ブロガーにしても、それぞれが“書きたい”という意志と欲求をもっての行動であることには違いない。そしてたぶん、多くの共感読者を得たいと思っていることも予想できる。

一方、読者人口の広がりも気になるところである。

パソコンが普及した現在、ブログは、書いてインターネット上に放置しておけば、いつかは誰かが読んでくれるかもしれない。書き手は読者の有無をさほど意識することなく表現欲求は満たされる。何よりも好いと私が思うのは、ブログは狭い室内をより狭くしてしまう保管場所の心配がないことだ。

最近盛んに広告宣伝されている自費出版になると、多少まとまった元手とまとまった原稿が必要になり、こちらはある程度経済的なゆとりがあるか作品によほどの自信が持てる人に可能な表現手段と言える。しかし、そのどちらも満たして出版にこぎつける人がこうも多くなって、本屋に並ぶ本の数が多過ぎると、私のようにどれも手にとらないままに本屋を後にする客も多くなるような気がする。それに何より、読みたいと思うままに本を購入していると、我が家のような狭い家では大変なことになる。

“思いを文字にして伝えたい”“思いを文字で受け取って嬉しい”の関係を確実に、しかも、幸せに満たす手段として、私はこのごろ、私信を書くことにこだわっている。返信は期待しない。その代わり、受け取った人が喜べるような配慮に努める。封筒・便箋・切手を選び、そして何より、楽しめる話題を簡潔に書こうと心がけている。

書きたい人間が一人、読んで貰いたい読者も一人。
文章を綴ることから遠ざかれないで生きてきた私の、いま一番の楽しい文筆行動である。


2007年2月4日(  晴れ  午後から風強し     立春



「伝統行事」

昨日は節分。
全国各地の寺社仏閣では豆まき行事が行われたことだろう。

我が子が小さい頃は、私のようなもの知らずな母親でも、一応それらしい季節の雰囲気を家の中にかもし出そうとささやかな努力はしていた。とは言っても、夕食の献立にイワシの丸干しを使うとかコンニャクを取り入れるくらい。豆まきも、後の始末を考慮して投げるのはすこーしだけで、「鬼は外、福は内」の声も周囲に配慮して小声でといういたって遠慮深い豆まきだった。

日本の文化伝統の継承が危うい。私もそのことに危機感を抱いている。
では、齢(よわい)50を過ぎた私がそれらの文化伝統を暮らしの中で実践しているかというと、はなはだ心もとない。

先の大戦以後、日々の暮らしを立てることで精一杯だった親たちには、優雅な日本の風習を教え伝え楽しむだけの余裕のない時代が続いた時期があった。ちょうどその時代に生まれて育てられた世代が、今の60歳前後である。世に言う『団塊の世代』である。彼らは長じて(金の卵)と呼ばれ、高度経済成長の労働力として大都会に集団就職し、その地で夫婦と子どもだけのいわゆる(核家族)を形成していった。伝統を教え伝えてくれたであろう年寄りのいない家族形態であった。

私見に過ぎないが、最近になって思うことは、日本の風習や伝統文化が廃れ始めたのは、その戦後世代の歩みと深い関連があるのではないかということである。

ことの良し悪しは別にして、それが先の大戦以後の日本の歴史であることは事実であろう。

いま、政府が(愛国心)という言葉を掲げて国民をどこかに誘導しようと躍起になっている。「美しい日本を愛しなさい」と演説する中身が、ほとんどの日本人には意味不明であろうカタカナ言葉で語られているというのは如何なものか。

時は刻々と過ぎ去って行く。いまさら遠い昔のままの伝統行事や風習を取り戻そうとしても、もはや取り戻せないものが多いことと思われる。

だからこそ今、その記憶に微かに“昔”をとどめている世代が、元気なうちに伝え残しておかなければならないことがあると感じている。

しきたりの儀礼や細かい伝統文化を正しく思い出せなくとも、それらを執り行っていたころの『日本人のこころ』は伝えておきたいものだ。

今日は立春。

雪なしの暖冬のまま春立ちぬ   ブッター


2007年2月2日( 晴れ



「高きことすなわち尊きにあらず」

私、ハンバーガーショップに立ち寄ったのよ。注文レジの前でメニューを見上げていたら、右脇に圧力的な空気を感じるじゃあありませんか。見ると、背の高い若い女性が「どいてよおばさん!」と言いたげにイラついて私を見下ろしておりました。

(はぁ〜ん、あんたここを通り抜けたいってわけね)と察しはしたものの釈然としない。

彼女の連れらしいもう一人の女性は、私の後ろを通って、すでに出口に近づいている。そうなんです、私の後ろには広く場所が空いているのです。でも、背の高いその女性は、そちらに移動する気はないとみえる。あくまで「どきな!おばさん」といった風情で前のめりになってござる。

(ヤレヤレ・・・ため息)とは思ったものの、こんなことでこんな小娘と角付き合わせるのも時間の無駄と半歩後ろに下がってお譲りしましたことよ。すると、その女性、レジカウンターと私の間を、堂々と通り抜けてお行きになりましたわ。わたくし、そっぽを向いて小声で「クソッタレ!」とつぶやかせて頂きましたの(あら、はしたない私としたことが・・・)

現在、私の女上司も、え〜らい背の高い40代女性なんでございます(背が高い女性つながりで、ここで思い出してしまいました)。はぁ、これがまた自己チューこの上なくって・・・(ため息)。どこの御嬢様と勘違いなさっているのか・・・毎日お高そうなお洋服をとっかえひっかえ、大した仕事もせずにフラフラなさって、どえらいお給料を貰ってらっしゃいますわ。身上がりすることしか眼中に無く、私のような下々の部下などには、たとえ仕事の話であってもまともに返事もして頂けませんことよ。(この人、どうやって今の地位を手に入れたのかなぁ・・・と、皆、不思議がっています)この上司が来てから、職場のメンタル環境は悪化し、完成度の高い統一した仕事ができなくなっています。

そんな職場状況を抱えているせいか、現在、背の高い女性を見ると反射的に気持ちが引いてしまうのです。おまけにその女性上司は年齢相応の社会常識に欠け、礼儀作法も決して・・・良いとは・・・言い難い・・・(ああ、悪口になってしまった=自己嫌悪)

皮肉っぽく書かせていただきましたが、今日のポイントは「高い」についてでございます。

ひところ『三高』を結婚相手の条件とされていた時代がございましたねぇ〜。高学歴・高収入・高身長ですか?持てる者からしてみれば、持たざる者を見下(くだ)すのはさぞ気持ちが良いのでございましょう。高い身長の人が、低い身長の人間を見下ろせば、何かの勘違いをなさるのでしょう。

が!!しかし、「高きことすなわち尊し」とは申せませんよ。

あらあら、本日はすっかり僻(ひが)み口調になってしまいましたね。

ちなみに今日のハンバーガーショップで出会った女性二人に関して、私の後ろを通過して行った中背の女性は当たり前の配慮で行動したに過ぎませんが、比較対照する存在があったが為に、数倍も美しく素敵に見えましたことよ。

「ぶたもおだてりゃソクラテス」管理人ブッターの「悩める日々・迷える日々・考える日々」そして明日へと・・・