2018年9月アーカイブ

昨日は、乗り換えの駅に到着する前から車内アナウンスで異常発生が知らされました。

乗り換え駅のホームに降り立つと、ちょうど救出活動の真っ最中。


「立ち入り」というからには「飛び込み」ではなさそうです。


この頃は鉄道の人身事故での列車の遅れにも慣れっこになってしまいました。

良いんでしょうか、こんな事態に慣れっこなんて・・・


救出には相当手こずっていましたが、30-40分の遅れで電車が動き始めました。



↑ の記事は、9月30日に書きかけて保留していたものです。

↓ ここから下は、10月12日に書いています。



その後、新宿で女性のスカートの中を盗撮しようとして気付かれ、

線路内を逃走した男性のことがニュースになりました。


社会的成熟のできない日本人が増えているような気がしています。
残念なことが多いこのごろです。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



切り絵(コスモス)

|

kiriecosmos.JPG


キットで買った切り絵を全て仕上げてしまったので、次に切る素材がなくなりました。

それで、写真をもとに自分で絵をかいて切ってみました。

コスモスです。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




ある朝、いつものように路傍のツユクサに目をとめながら歩いていると、ふと違和感が・・・

通常2枚のはずの青い花びらが4枚ある株が・・・

花が上下2段に咲く個体は知っていたが、花びらが4枚にお目にかかるのは初めてだ。


スマホで採取。

4hanatsuyukusa1.JPG   4hanatsuyukusa2.JPG 



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




「いじめ」は横行している

|

昨今スポーツ界のハラスメントが次々に表面化して報道されている。

普通の日本人なら、その報道を聞いて、現場でどんなことが起きていたのか想像できる人が多いだろう。


スポーツ界に限らず、今の社会には「いじめ」が蔓延しているように思う。



日本ではほとんどの人が小中学校生活を経験しており、

そこでは子供の得意・不得意への配慮も考慮もさておいて、

皆が同じことを同じレベルまで到達するように仕向けられた経験を持つはずだ。

それは千差万別の、生まれながらにして備えている個性を持つ人間にとっては、

時に耐え難い仕打ちでもある。


「皆同じ」を公平・平等ということだと認識するように教育されて日本人になった人は、

場を共有する複数の人間の中に、学校教育で浸透させられた

「さあ、皆さんご一緒に」に混じらない人間を異端視し攻撃する習性があるように思う。

そうやって日本社会は「出る杭」をモグラ叩きして、同一レベルで揃えようとしてきた。


文化的な能力の比較は難しいところがあるが、

運動的な能力の違いは【勝ち】か【負け】かがハッキリ結果として出てくる。

そこから、上位の結果を出した者が優位に立ち優遇され、そうでない者との扱いの差が広がっていく。


上位の者は優遇され、その所属するグループの名誉の為には多少のことは大目に見られることが多い。

そこから人間の勘違いが始まる。

持ち上げられて当たり前、言うことをきかない奴に有形無形の力で圧力と脅しをかける。



子供のころからバランス感覚が悪くて運動が苦手で要領も悪い私は、

力で弱い者をねじ伏せるやり方が大っ嫌いだから、強い者や権力者にすり寄ることは避けてきた。

その結果「名もなく貧しく孤独に」生きるしか道はなかったし、

これからも「名もなく貧しく慎ましく」生き遂げようと思う。



でも年取ったいま、負け惜しみではなく心から、

「名もなく貧しく慎ましい」生き方も案外良いものだと思って納得している。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村




今の時代に馴染めずにメンタルの不調を訴えている人のほうが、

人間として「まとも」ではないか、と思っています。



定年後、再雇用期間を含め40年近くを現住所近くが生活ベースでした。



いま居住地域を少々離れた場所で働いているのですが、

通勤に時間がかかる分、色々な人とすれ違い、社会の空気を肌身で感じています。



以前から、薄々感じていたことではありますが、

今こうして時代の先端に生きる人の中で動いていると、

人間本来の感情行動から見て、今の時代に馴染めない人の方がまともではないかと思うようになりました。


今、メンタルに支障をきたして苦しむ人たちのほうが、人として付き合うに値する人たちではないか、ということです。


それほどに、今の時代は常軌を逸しているというのが、私の偽らざる見解です。


本来の生き物としての反応に忠実に生きようとする人間にとっては、

精神を病むしかない時代、それが今の時代だと思います。


人はいつ気づくのでしょうか?

このままでは人類破滅するしかないのだと。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



kiriekimono.JPG

最近、あらゆることに不活発になっていて、自宅ではテレビを視聴している時間が多い。

そうなると、誰かを相手に会話をする機会も少なくなる。

これは、近年の高齢者(昔からかも・・・)の問題として取り上げられることも多い。



老化による脳の衰えもあるとは思うが、喋らないことを続けていると、

いざ喋らなくてはならなくなった場面で言葉が出てこないことが増えた。

また、昔からかしこまった喋り方が苦手だった傾向がますます強まって、

どこでもざっくばらんな調子で話してしまう。

これは年取った人たちに共通のことのように見受ける。

たぶん、経験して来た場数の多さが、

どんな人とどんな場所で対面しようと緊張しないでいられるゆとりを与えてくれたのだと、

肯定的に理解しよう。




旅行をしたりショッピングしたりにはサッパリ関心がないが、

テレビを見ているときに手を休めているのだけは何となく物寂しいと感じるので、

最近(切り絵のキット)を購入してボチボチ切っている。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村






私が感じる日々の生き辛さ

|

自分のブログでは、できるだけ自分の言葉と文章で思いを公表したいと思っていますが、

時には、自分では、適切かつ分かりやすい表現ができないけれど、

私の思いを代弁してくれていると思われる文章に出会うことがあります。


他人の文章を引用することは、できる限り避けるべきではありますが、

自分の備忘の為にも、ここに引用して残させていただくこともあります。


今回は、そうした考えに基づいての内容になります。




最近、自覚するかしないかにかかわらず、生き辛さを背負っている人が多くなっています。


何故なのか・・・それを文章で表現したかったのですが、私の力ではなかなか難しいことでした。

そんな時に読んだ一文です。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
切り抜き日時:2018/4/29

掲 載 誌 :「週刊文春」

掲載ページ :p.124 文春図書館  (文庫本を狙え!)坪内祐三:著

取り上げられた書名:『夕暮れの時間に』 山田太一:著  河出文庫  780円+税

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



以上の出典情報を明示しておきます。

また、引用文は文字色に色付けをします。



(ここから引用)

 山田太一のエッセイを読んでいると、ある一点を除いて、自分と同世代人でないかと錯覚してしまうことがある。

 例えば山田氏は(そして私も)今だに手書きである。

 〈手書きの私信が激減するのは、あっという間だった。それは目の前の景色が見る見る概念に変わったような当惑だった。情報量ががたりと減った。手書きの文字なら書き手の性別も年齢も教養も性格も体調だって感じられる。それが一気に無表情になった〉



-------  中 略 -------



 一番共感を覚えたのは「適応不全の大人から」のこういう一節だ。

 〈私にはこのごろのテクノロジーの変化が病的に早く思えてならない。静かにその時々の変化や成果を味わう暇もなく、どしどし神経症のように新発明新ツールが次々現れては現在を否定する。その結果の新製品、新ツールも病的に細かい変化で、なくてもやっていけるものばかりどころか、ない方がよかったのではないかと、少し長い目で見ると人間をこわしてしまうような細部の発明を目先だけのことで流通させてしまう〉


(引用おわり)



少しばかり不便でも、もっとシンプルで、人の気持ちが発するテレパシーを感じることができるような静かな社会に暮らしたいと切に願うようになったということは、私も【夕暮れ】だからでしょうか。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



このアーカイブについて

このページには、2018年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2018年7月です。

次のアーカイブは2018年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2018年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

月別 アーカイブ