差別的扱いには慣れている

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マンション管理員になって1年が過ぎた。

昨年の今頃はアタフタしていて、この仕事が続けられるだろうかという不安の日々だった。



仕事を始めて間もないころ、

「管理人なんかに挨拶しなくて良い」と幼児の手を引っ張った若い母親がいたように覚えている。

もともと人の顔や名前を覚えることに関心が無い性格の私だし、

不慣れな仕事をこなすのに懸命だったこともあり、それがどの居住者だったのか定かではなかった。

最初から差別的扱いへの覚悟はできていたので、「まあそんなものよね・・・」と受け流した。


1年が過ぎ、居住者の顔が見分けられるようになって、

あの時「管理人なんか・・・」と言ったのはこの母親だったのではないかと思う人物がいる。

子供たちは、当時2歳と5歳くらいの丸刈りの兄弟で、とても人懐っこい二人。

新しい管理人に興味津々のようで、出会う度に話しかけてきていた。

その都度、若い母親から「やめて○○くん、行くよ!」と声が飛ぶ。

母親は決して私に挨拶はしない。



今年、お兄ちゃんが小学校に入学した。

お兄ちゃんは、母親の「管理人に話しかけないで」という言いつけが理解できたのか、私に話しかけることはしなくなったが、

3・4歳くらいの弟くんの方は、まだ理解できないようで、無邪気に話しかけてくる。

その都度、母親は、あからさまに子どもの手を強く引っ張って私の前から連れ去る。


父親の方も、家庭内で奥さんに言われているのか、私に対する差別的態度を隠さない。



私は、決して恵まれた人生とは言えないめぐり合わせの中で、必死にもがき足掻いて生きてきたので、差別的扱いには慣れっこ。

むしろ、そうした境遇にあったお蔭で、人の態度や言葉の真贋を見分ける直感が身についたと思う。



絶対価値観で物事を考えれば、安易に対象に優劣はつけられないが、

相対的価値観で考えるから優劣が生じて劣なものを遠ざけようとしたくなる。

その相対的価値観は、いつまでも満たされることの無い渇望を生み出して自らを苦しめることになる。



その母親の態度を見ていると、子供たちの今の無邪気さがどう変化して行くのだろうと考えてしまう。



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このページは、tsuyuが2018年5月29日 05:40に書いたブログ記事です。

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