手紙を書かない理由が衝撃だった

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もうずい分前のことになるが、手紙を書かない理由に衝撃を受けたことがある。

20年くらい前になるか・・・

その人物曰く、「手紙は後々まで形で残り、誰に読まれるかわからないから嫌だ」という。

私と同年齢の人物の言葉だっただけに衝撃だった。


私の年齢の人間には『信書の秘密』という了解があると思っていた。

自分あてに届けられた手紙に綴られた内容を他者に暴露するなどもっての外だ。

暴露しないという信頼関係があるからこその手紙であり、

形になって残ると後の恥さらしにされるかも知れないという杞憂は、

手紙を受け取る相手の人格を信用していないことになる。


えてして、そういう人物の書く手紙は面白くもなんともないことが多い。

そんな手紙、誰の目に触れても支障が生ずるわけがない。

それなのに、どこかの偉いさんの手紙でもあるまいし、

受け取った側が世間にさらすかもしれないから嫌だという言い草はチャンチャラおかしい。



以来、私はその人に手紙を書くことを止めた。


私は、自分あてに届いた信書を人に見せるようなことはしない。

しかし、直接私がそう言われたということは、その人物が私を信用していないのだと受け止めざるを得ない。

ヤレヤレ・・・である。




しかし、一方で、最近怖いなあと思うのはラインやメールのやり取りである。

いくらでも転送可能なので、心を込めて打った内容がそのまま見ず知らずの人物に転送されて話のネタになっているかもしれない。

その怖さを17‐8年前に経験している私は、画像やメールを安易にやり取りすることのほうが怖いと思っている。



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このページは、tsuyuが2018年1月30日 17:41に書いたブログ記事です。

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