空き家解体を見て思うこと

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 日常的に利用しているスーパーの傍にあった空き家が、先日、解体された。横を通るたびに気になっていた家だ。そのほかにも気になる家はある。年々歳々そうした「主を失った戸建て住宅」らしき家が目につくようになった。



 (・・・らしき)というのは、実際に実情をだれかに聞いて確認したわけではなく、普段の通りすがりに外観から受ける印象をもとに想像しているだけの話だから。



 郵便受けにチラシが溜まって雨ざらしになっている。いつ見ても雨戸が開いていることがない。玄関の扉につる草が絡みついては枯れて、また翌年に絡みつきを繰り返している。人が暮らしていない住宅というのは朽ちるのが早いそうだ。それが外観からでも廃墟と化したことを見て取れる根拠でもある。


 先週の土曜日と日曜日に近所の公園で盆踊り大会があった。


 この地に住んで37年になるが、我が家がここに住む前からそこで賑やかに行われてきた地域の盆踊り大会である。子供が幼いころは連れて行ったものだ。その頃はまだ狭い公園の敷地ながら屋台も4-5店舗がテントを並べて、子供たちがワクワクしながら品定めやゲームをしていた。夜の闇の中、薄暗い灯りの下で見る夜店の品は子供にとってはとてつもなく魅力的で夢を誘うものだった。


 その盆踊り大会も一時期、人が集まらなくなって寂しい時もあったが、先週はそれなりに夕方から公園に向かって歩く浴衣姿の子どもと父母や祖父母らしき姿を見かけたのでまあまあの人出だったのではないかと推測する。おそらく、30年前に子供だった人たちが結婚して子供ができて実家に遊びに来ていたのだろう。


 盆踊りと空き家、何の関係もないように見えるが人口減少という観点から考えると興味深い。


 これまでの30年間のこの地の変遷を見て、これからの30年を考えさせられた。


 これから空き家の解体はどんどん進んでいくだろう。その跡地はどうなるのか?そこに家を新築して売り出しても、そもそも地域に暮らす人間が減っているのだから住居の需要も減少するだろう。それなのに、私の移動範囲で見かける限り、いまだに人の住まいが新たに建設されている。これらの新築物件が全て埋まり、これから30年間人が住み続けるという保証がどこにあるのだろう。


 そろそろ人口減少と独り身世帯の増加を念頭に置いた街づくりや福祉のあり方を模索し実行に移すことを急ぐ時期ではないのかと。


 いまのところ私が30年後の地域に関して想像できるのは、行き交う人々の姿もまばらな閑散とした光景なのだ・・・     そのころは、あるテレビ番組の決め台詞のように「いました、いました今日の第一村人ハッケーーーン!」などということが日本中のどこでも日常になっているかもしれない。


 まあ、それもこれも事の成り行き。あるがまま、なるべくしてなるようになるとしか言いようがない。歴史を振り返れば、人で溢れかえっていた時代ばかりではないのだから、はるか昔の社会のあり方に学ぶことがあるかもしれない。



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このページは、tsuyuが2017年8月15日 14:23に書いたブログ記事です。

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