2016年7月アーカイブ

家事をしながら不足な品物があるとメモして食卓に置き、外出の際に持参するようにしています。

過不足なく買い物をする為の昔からの私の習慣です。



そのメモに、ときどき手を加えられていることがあります。

犯人は長男です。

彼は子供の頃からひょうきんな一面があり、思わぬ場面でクスッと笑わせてくれます。



今、台所へ立ったついでに昨日書いたメモに目をやると、一瞬の違和感が・・・

「エンジン?」

「えっ、私なんのエンジン買うつもりだったっけ?」

って、日常の買い物でエンジンなんか買うわけないじゃありませんか!

一瞬でもエンジンを買うと思った私もバカですねぇ(ウフフ)。


20160730memo (324x350).jpg ← 実物(私の汚い字がバレますが)



ハイ、お気付きの通り、買わなければならないのはニンジンでございます。

縦の線を一本加えたのは長男の仕業に違いありません。



何てことはない些細なイタズラですが、

私の気持ちが落ち込んでいる時には無二の妙薬となってくれます。



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絶不調が長引いています

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このところボンヤリと体調がすぐれません。

昨日あたりから頭も痛くなって、やっと、熱中症の症状ではないかと疑うようになりました。

一日中疲労感が抜けきらず、通常通りの生活行動なのに筋肉痛のような症状もあります。



自分がずい分怠け者になったようで、気持ちが沈み込んで暗くなります。

こんな時は、する事なすこと後ろ向きに考えてしまいます。

人間関係においても、些細な相手の仕草や言葉に余計な詮索をして落ち込んだりします。



「弱り目に祟り目」

具合のわるいところへ、さらに災いがふりかかること。

不運に不運が重なることをいう。

[類語]

泣き面に蜂

[英語]

Misfortunes never come singly.

One misfortune calls another.

***「故事・ことわざ辞典」  新星出版社 より***




故事・ことわざとか古典の一節などには、現代に十分通じる内容のものがあります。

昔も今も、洋の東西を問わず、人間とはそういうものだと教えられます。




今年は梅雨明けが遅く、やっと暑さが本格的になったばかりなので、まだ心身が気候に慣れていないのでしょう。

こんな停滞の時にはボチボチ過ごすしかありませんね。



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有識者にも見通せない時代

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今週末は都知事選挙。

11月になればアメリカで新しい大統領が決まる。



どちらも選挙運動の真っ最中。



ヨーロッパではテロが相次ぎ、

イギリスは大方の予想が外れてEUの離脱という結果の収拾に追われる羽目になり、

中東の混乱も収まる目途はつかず、

アジアにおいては中国が国際関係のルールを無視して覇権を行使し続けるし、

日本国内も悲惨で理不尽な事件や災害が連続して、

今や有識者にも先が見通せない時代。



もうじきリオデジャネイロでオリンピックが始まるというのに、

聞こえて来るのはかの国の治安や衛生状態の悪さばかり。

しかも、組織的なドーピング問題でロシアの選手たちの出場が危ぶまれ、

その出場を判断する組織は決定をたらい回しにして、誰も責任を負おうとしない。




こんな時代に生き合せるなど、想像だにしなかった。


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たまに寝つきの悪い夜があります。

昨夜もそうでした。

寝ようという気持ちで横になっているのに、頭の中は冴えて眠れません。


ま、それでも何とか眠れたようで、最後に時計を確認したのは午前2時でした。



こんな時に頭に浮かんでくるのは、だいたいロクな思い出ではありません。

そして、そのロクでもない内容はいつも決まっています。

過去、自分がされて厭だったことを反芻してしまいます。

最近は、若い頃ほど激しい感情で悔しがることはありませんが、やはり、未だに心の傷は癒えないようです。




「えっ、何でそんなことを言われなくちゃならないの?」とか、

「えっ、どうしてそんな失礼なことをされるの?」と思っても、

咄嗟の反応ができない私は、後でじっくり口惜しさがこみ上げてきます。

そんな、私としては受け入れることのできない人からは自ら遠ざかるようにして生きてきました。



でも、受けた屈辱は、忘れようとしても忘れきれないものです。

そんなあれこれが、眠れぬ夜に何度もよみがえる日があるのです。



こんな時に私が自分の心を鎮める薬にしている言葉の一つが相田みつをさんの

***あんなにしてやったのに 「のに」がつくとぐちがでる***

です。



まあ、この期に及んで過去のあれこれに感情を揺さぶられていてもしょうがないので、

全ては無かったことにして、日々を新たな気持ちで過ごそうとしているのです。



私としては、

*自分の利益誘導のために身近な人を裏切ったり利用したりしない、

*できる限り相手の気持ちに寄り添って物事を考える、

この二つを肝に銘じていたいと思っているのです。



しかし、誰もがそう考えているわけではないので、

私の厭な思い出のほとんどはこの二点に引っかかっている事柄なのです。

ま、多くの人の厭な思い出とはいずれも似たり寄ったり、

こうした気持ちの相違から受けた(自分としては)理不尽と思える出来事から来るものなのでしょう。



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職場の休憩所に共用の冷蔵庫があります。

夏になると氷の消費が激しくなります。

当然、供給用の水タンクに誰かが水を補給しなくては次の氷はできないわけですが、

これがなかなか気づいてもらえなくて、私が気付いた時に補給しています。

使う人は皆、自分が水を補給しなくても冷蔵庫には氷が常にできているものと思っているでしょう。



また、しょっちゅう氷ストッカーと氷を掬うスプーンに黒い飛沫が付着しています。

これは、アイスコーヒーに氷を入れる際、先にコーヒーを入れたカップをストッカーの上にかざして氷を入れるからです。

飛沫を飛ばさないようにするには、まず、空のコップに氷を入れて後テーブルの上でアイスコーヒーを注げば良いのです。

個人の冷蔵庫であれば、どんなに汚らしくお使いになろうが私の知ったこっちゃありませんが、

共用の冷蔵庫となると話は別。見た目も汚らしいし、衛生面も気になります。



こんな細かいことが気になって仕方がない私は、

ついつい相手の為になればと思う老婆心で注意したり教えようとしたりしてしまうのですよねぇ・・・

結果、煙たがられる「うざい人」になってしまうのです。



「おばあちゃんの知恵袋」とかなんとか、年長者の知恵を持ち上げるような本が出版されたり、

テレビや雑誌などでちょっとした生活の知恵が紹介されたりしていた頃もありましたが、

そうしたメディアの情報には関心を寄せたり感心したりする人でも、

日常接する人間から直接に教わることは、煩(うるさ)いと思いはしても良いことを教わったとは受け取らないようです。



高尚な学問は、お金と時間と場所を得て究めるもので、

究めた人にしか語ることができない内容が殆どだと思いますが、

日常生活の知恵や技(業)は、数多くの失敗を経て、

より良いやり方を会得して来た年長者の言に従うと意外に理に適った結果が得られるものです。


ま、経験者とか年長者の言うことが全て正しいわけではありませんが、

端っから煩いとかウザいとか悪意に捉えて馬鹿にしないほうが良いように思います。

話しかけられたことに耳を傾けることからコミュニケーションは始まるわけですから、

それを自分が取り入れるか拒否するかは、まずは相手の言い分を聞いてからのことでしょう。


たかが気兼ねのない仲間で使う共用冷蔵庫の氷の使い方といえども、

その使い方からあなたの生活態度が垣間見られていることを忘れてはいけません。

なぜならば、

他者への配慮や物を大切に扱う気遣いの有る無しで人柄の奥行が計られることもあるからなのです。






等々上記の内容を、

職場のあの人この人(特定の人物の顔を思い浮かべています)に言ってやりたいこの頃ですが、言いません。

あの人この人だけ注意してもしょうがない時代であることと、言っても憎まれて終わりという結果が見えているから。





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昨日は、当地、午後3時過ぎに雷鳴と共に本格的な雨が降りました。

その後は、比較的穏やかに降ったり止んだりの繰り返し。

長らく雨らしい雨が降らなかったので、幾分ホッとした感は否めません。



ところが、一夜明けての今朝は、とんでもないザーザー降り。

風が無いので天から真っ直ぐに太い雨脚が地を叩きつけています。



先日来、連日のように多雨に見舞われている九州や山口の人たちは、

行動が制限される閉塞感と昼なお暗い雨天で鬱になりそうなのではありませんか?

まさに「鬱陶しい」状態ですよね。


とは言え、今年の関東地方のように、水瓶たるダムの貯水量が危機的減水してしまうのも困りもので、

梅雨には梅雨らしい降雨が欲しいのです。

ただ、降るとなれば "激" しい降雨、降らなければ "激" しい乾き。

それに伴う災害や被害も深刻な様相を呈しています。



今年のニュースは、それぞれに "激" を被せたくなるような出来事が続きますね。


世界的に見ても、

激しい言葉を操る人物に拍手喝采が送られたり、

激しい殺人テロが相次いだり、

日本国内では、

熊本で激しい地震が発生したり、

報道される事故や事件も、想像を超える悲惨なことが相次いでいます。



年頭に一年の予測を訊かれた有識者が、

「丙申の年は大荒れ模様になることが多いのです」と発言したコメントが、

このところのニュースを視るたびに思い起こされます。

何かそうなるような法則性のようなものがあるのでしょうか、ね。



まだ一年も半分過ぎたばかりです。

残る半年は混乱の収束に向かう動きとなりますように。

そんなことを願いつつ・・・


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自転車が怖い、何とかして!

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最近、仕事帰りはバスを利用しています。


昨日のこと、バス停で降車して歩道に一歩踏み出した私の面前を、

一台の自転車が猛スピードで通り過ぎました。

男子高校生の自転車でした。

その後ろから、次々に通り過ぎて行く自転車。

誰も歩行者に注意を払いません。

歩道を我が物顔に走行して行きます。



もしもあの時、私が男子高校生の自転車にぶつかって転倒し負傷していても、

彼は見向きもせずに立ち去って行ったであろう勢いでした。

そうなれば、車と違って手がかりとなるナンバープレートも無い自転車では、

その男子高校生を特定することは困難になるでしょう。



このごろの自転車は本当に怖いです。

その走行態度は、まるで歩行者の感覚でいるとしか思えません。

でも、歩行者ではありませんよね。

スピードは出るし、金属製の道具にまたがって走っているわけですから、

純然たる生身の歩行者にぶつかれば、どちらがダメージを受けるかは明らかです。



何とかしてほしい。

自転車に乗る人は、ルールを守り、対人への安全に配慮し走行してほしい。

お手軽に楽ちんできる乗り物だからと安易に考えて自転車に乗らないでいただきたい。



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長年、ときどき痛む足指に悩まされてきました。

外反母趾による足の変形が原因だと、ほぼ諦めていました。

だから、靴を選ぶときにはなるべく幅の広い物を選択し、靴の中で足がユッタリする方が良いと思ってきました。



ところが、先日購入した靴やさんでご主人から

「柔らかくてユッタリした靴より足にピッタリする物を履き、紐はキッチリ締める方が足の為ですよ」

「皆さん靴を買う時には長さを気にしますが、足先は1‐2cm空いていても幅はキッチリ合うのを選んだ方が良いです」

というアドバイスをいただきました。

その靴やさん、商売っ気はあまり無いのですが真剣に足にフィットする靴のアドバイスをくださるのです。

昔、この店で買ったスニーカーをリピート買いしていたのですが、

そのスニーカーが製造中止になってからは他の店で四苦八苦しながら靴を買っていました。



ここ数ヶ月、歩行に困難をきたすほど足指が痛むので整形外科を受診、中敷きを作ることになりました。

昨日は、細かく刻んだテープを足裏に何度も張り替えながら歩行チェックをして中敷きの為のデータをとりました。

出来上がる中敷きは新しい靴で使い始める方が良いとのことで、上記の靴やさんで新規購入した靴を預けてきました。



そして、偶然にも今日夕方のNHKニュースで(足に合う靴選びは大切)という話をやっていました。

視聴していると、先日の靴やさんから聞いたことと同じような内容の話でした。

専門家の立場から整形外科医の話やパンプス何とか(・・・この部分忘れました)研究所の話も。

ちょうど自分が足の問題で悩んでいる最中だったので、タイムリーなニュースでした。



体の為にも、靴選びとはおろそかにできないことなのだと痛感しています。


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今夜9時からのNHKスペシャルで介護殺人を扱っていた。


近所でも、10年くらい前に二件の介護殺人があった。


一件は、老母を手にかけた独身の息子。

もう一件は、老妻を手にかけた高齢の夫。



今は、両家とも解体されて新しい分譲の戸建てが建っている。


事件発生当時、私はまだ自分の老いを真剣に実感することは無かったが、

最近その近辺を通るたびに事件のことを思い出してしまう。




人生が日没近くに差し掛かった者のほとんどが願うことだと思われるが、

私もまた、できれば誰の手も煩わせることなく、ローソクが燃え尽きるように消えていきたい。


こう考えるのは決して悲観からではなく、

だからこそ、脳も体も使えるうちに使いきるように生きて行かねばと思っている。



穏やかな終焉を神仏に祈るようになって、私もいよいよ老境に差し掛かってきた。


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季節の便箋

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20160702binsen (350x233).jpg


文房具の店を覗くのが好きです。

中でも便箋や封筒やカード類などを見ると買いたい衝動が高まります。



昨日、久しぶりに便箋を二冊買いました。

季節の図柄に誘われたのです。




さあ、ここからが問題なのです。


誰に手紙を書こうか・・・


最近は下手に手紙を送ると先方は「何があったの?どういう意図?」と思う人が多くて、

律儀というか気を遣う人は電話をかけて来たりするのです。


こちらは単に手紙を書きたかっただけだし、

そのついでに近況報告することで私のことを思い出してもらえれば・・・くらいの軽いことなのですが、

私信のやり取りという習慣が廃れてしまっている現在は、手紙が相手を困惑させることにもなりかねないようです。



というわけで、

私が手紙を書く相手は決まっています。


メールは嫌いと明言している読書好きな姪二人。

そして、返事は電話で来るけれど、私からの手紙を必ず喜んでくれる姉二人。



「手紙なんて書かない」という人も、郵便受けに季節の柄をあしらった私信が入っていると少しは嬉しいのではないでしょうか?

私は、とーーーーーっても嬉しいです。

子どもの頃から郵便屋さんの赤いバイクを見ると、期待感でワクワクします。



ま、でも、最近は手紙を出す相手は姪二人と姉二人の四人で十分だと思っています。


この二冊の便箋、季節を外さないうちに使いきることができるように、せっせと手紙を書くことにします。


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