2016年5月アーカイブ

今回のオバマ大統領の広島訪問に際しては、当時捕虜として広島に拘留されていた米兵の被爆が話題になっています。

彼ら捕虜たちがどうして広島にいたのかについては こちら の記事をご参照ください。

実は、米軍爆撃機ロンサム・レディーが墜落した場所は、私の郷里の近辺です。

そのため、私が幼い頃、その話は親から聞かされて知っていました。 

近所の住民が機体の破片を拾ってフライパンや鍋として使ったという話は印象深く記憶に残っています。

( ↑ のリンク先記事によると、2015年に小学生の手で機体の破片が遺族に手渡されたということは、

当時破片を拾って保管していた人がいたことは確かなようです)



原爆当日、学生動員により岩国の工場で働いていた義兄(当時15歳位)は、

広島方面からの異様な飛来物(畳など)や黒雲を目撃したことを覚えているそうです。



その時に飛散した放射性物質がどこまでどのように拡散したのか、

たぶん、その詳細かつ正確な調査結果は無いと思います。


と言うのも、私の夫は34歳で急性骨髄性白血病を発症し39歳で亡くなったのですが、

夫が義母の胎内に宿った直後に広島に原爆が投下されたのです。

夫の郷里と広島との位置関係は、今回オバマ大統領がマリーン・ワンで移動した経路とほぼ同じです。

現在と違って、飛散した放射性物質が人体に及ぼす害についての知識が無かったあの時代、

風に乗って山口県の上空に飛来した放射性物質がどのような影響をもたらしたのかは誰にもわからないでしょう。

最近になって義兄が呟いた「弟の病は原爆も関係しているのかも知れないと思ったりする」という言葉に、

先の大戦や広島への原子爆弾投下が決して過去の出来事で終わっていないことを痛感させられました。



今回オバマ大統領を迎えた被爆者の方々や広島の人々の「迎える姿勢」に感銘を受けています。

過去のことを忘れることはできないけれど、今は、互いに前を向いて核兵器廃絶と平和への道を歩みましょうという心は、

オバマ大統領を始め、居合わせた各国報道陣によって世界中の心ある人々に伝わったことと信じたい想いです。

静かに、そして厳粛に、かつての敵国同士が並んで、多くの被爆者を追悼できたことで、

広島に近い場所を故郷とする私の心にも、一つの歴史的な区切りが付けられたように思いました。


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ある旅行会社が、

「東大美女図鑑」に載っている東大女子学生が同行してくれるという海外旅行企画を発表して話題になっています。


この話を最初に耳にした時から、漠然とした不快感を抱いています。


(セクハラ)だから?

いえいえ、それとは少し違う・・・

東大とか美女とか銘打つことに差別を感じるから?

いぃえ、それもちょっと違う・・・



そんなことをあれこれ考えていたら、

先週のフジテレビ「ワイドナニュース」でタレントの指原莉乃さんがこの件に関して発言されました。

「東大美女が同行することがどうのこうのよりも、そんな企画にのっかる女子学生が気持ち悪い」といった内容です。


それを聞いて、そうだ私の不快感もそこにあるのだと共感しました。


今日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」でも、ビートたけしさんが似たような発言をされていました。

「そんな企画に申し込む男の顔が見てみたいよ」などと、彼独特の笑いを誘うような言い回しでしたが、

どうやらたけしさんも賛成ではないようです。


私の素朴な疑問は、

1) そもそも、客の隣席に座って何時間もの間、目的地の説明をしたり、学生が自分の専門分野の話をしたりするということは、

本当に求められているのだろうか?、

ということと、

2) 外国の目的地に到着した後、彼女たちは空港を出ずにとんぼ返りするのだろうか?

ということ。



1)に関しては、

目的地の情報収集を自分でするところから旅は始まっているのだから、そんなことは旅行者各々でやれば如何ということ。


2)に関しては、

女子学生が客と空港で別れて、その後現地観光して帰るのだったら往復の運賃は誰が持つの?

しかも、隣席に座って説明役をする行為には報酬が払われている筈だから、

この企画は女子大生にとって報酬が稼げて海外旅行の旅費を浮かせることができる美味しい企画なの?


などなど、企画に申し込む人間に対してより、

その企画に協力する女子大生の品性への疑念が不快を誘っているのだと思います。



ツアーの乗り物の中で、見ず知らずの男性と隣席に座らされて嫌な思いを経験したことがあります。

もう20年くらい前のことになりますが、

私はある大手の旅行会社の富士登山ツアーに独りで参加しました。

当日指定されたバスの座席は、50代くらいの男性の隣でした。


(厭だな・・・)とは思ったのですが、出発当初は何となく当たり障りのない会話に応じていました。


ところが、しばらくして、何やら右の太ももの下に違和感を感じ始めたのです。

それは、隣の男性が、私の太ももの下に手を差し込んできたからでした。


私は何度も、近くに座っていた添乗員の男性に目で訴えたり、トイレ休憩の際に訴えたりしました。

しかし、添乗員の男性も、その痴漢行為男性の連れの男性も、

私の「席を替えてほしい」訴えにニヤニヤするばかりで対応無しだったのです。

こういう場合、男はグルなんだなあ・・・と、

私は富士山五合目に到着するまで、吐き気をもよおしそうになる気分で席に座り続けなければなりませんでした。


その後の登山中も、痴漢男性とその友人が私の傍から離れず困りました。



今回の「東大美女図鑑」の東大女子学生が隣席で旅のお供をという企画を耳にした時、

私の脳裏に真っ先に浮かんできた過去の厭な出来事でした。



だいたい、女子学生たちが自らの本分を弁えるなら、

そんな危うい企画でアルバイトしようなんて思わずに、その時間を勉学に励まなきゃダメでしょ、

という話ですよね。


東大とか美女とかいう言葉でお金を稼ごうという発想を、卑しくてはしたないなんて考えないのでしょうかね。

「女性が活躍できる社会の実現を!」などと言われている時代に、

リーダーとして女性たちを引っ張ってくれることを最も期待されている立場の東大女子学生が、

何を考えているのか?と意識を疑われてしまうようなことをしていてはダメでしょ、

そういう話だと思います。


まあ、今更驚きはしませんが、ガックリと肩が落ちるようなニュースの一つではあります。


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自転車の正面衝突

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20160528rose (350x326).jpg ← 自宅ベランダで咲いたバラ。



買い物に行く途中で、二台の自転車が正面衝突した現場の横を通りました。

そこは、変形十字路で、角に建つ家が視界を遮る方角があります。

普通の自転車で買い物帰りらしきシニア男性が差し掛かったカーブは、

右方向の見通しは良いのですが、

左方向は緩やかな坂で、個人宅の塀が視界を遮り行く手が見えづらくなっています。

衝突現場のカーブにさしかかる直前のシニア男性を私が見た時、彼は脇見をしていました。

緩やかな坂を下ってきたスポーツ自転車の方は、私からは見えなかったのですが、

ぶつかった後で「すみません、すみません、スピードを出し過ぎていました」と謝っていましたから、

こちらも不注意の自覚があったようです。



ドンガーンと音がして、私がその現場を目撃した時には二台の自転車の前輪が重なり合うように倒れていました。

若い男性は既に半身を起して、しきりに「大丈夫ですか」とシニア男性に呼びかけていました。

シニア男性の方は、しばらく横たわったまま動けませんでしたが、2・3分後にゆっくりと立ち上がりました。



ちょうどそこへ自動車が差し掛かり、坂道を登る方向に進行したかったようで、

倒れたままの自転車が通行の邪魔になっていることに気付いた二人は道路の端に車体を除けることになりました。


私は、若い人の自転車から落ちたスマホが路上にあることに気付いていて、

拾うように言ってあげようかどうしようかと一瞬迷っていました。

案の定、若い男性が自転車を移動させようとした際にスマホの真上に足がかかりました。

「あっ、ああああ!」と私が声を上げたので、スマホの画面に足を乗せたところで彼も気付いたようでしたが、

拾い上げた液晶画面はその際に割れてしまいました。



私も一度は「大丈夫ですか?」と二人に声をかけましたが、

当事者同士が何とかできそうなのを見て、あまり立ち入ってもと思いその場を離れました。


ほんとうに最近の自転車は怖いです。

老若男女問わず、自転車のマナーは最悪です。

その乗り方は傍若無人としか言いようがありません。



歩くより自転車の方が楽ちんだと思う気持ちは分からないではありませんが、

ぶつかれば危険だという認識は持ってほしいと常々思っています。

(ちなみに、私は自転車に乗ることはできますが、二輪車とは相性が悪く、もっぱら徒歩で移動しています)


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失う前に気付け!という話

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昨日、職場の行事があり、この春に異動して他の職場に移った職員も顔を見せました。


私は定年した後の再雇用人員として働いているのですが、

現役社会に関われるのもあと少しという想いがあり、納得のいかない事柄には意識的に率直に発言しています。

その対象は、地位の上下を分かちません。


若い人たちには特に、個人的に面と向かって「それはおかしい」と伝えるようにしています。

その際に気をつけていることは、皮肉や婉曲の言い方をしないということです。

おかしいと思うことを率直に指摘します。

そして、(ここが大事だと思うのですが)どうすれば上手くいくのか、筋道を通せるのかを付け加えます。

その上で、一回目は仕事の成就に手を貸して、当事者たる人物の面目が保たれるように心がけています。



「喉元過ぎれば熱さを忘れる」人は多いので、目先の課題が解決されれば一件落着として、

さも自分に力があるから成し遂げられたように記憶に定着させてしまうようです。



でも、異動で別の職場に移ってみて初めて、率直な言葉をかけてくれる人間の何たるかを知ったのでしょう。

昨日も、「あなたのような人に傍にいてほしい。教えてほしいことが色々ある」と、懐かしそうに言っていました。



私は、ハッキリ言って自分を馬鹿だと思います。

綺麗ごとや心にもない優しげな態度でいれば憎まれないものを、

このままでは事は上手く運ばないし本人の為にもならないと思えば、声を厳しくして相手に向かい合います。


そんなところが、悪意の人間の格好の標的になり、さまざまな悪評判を噂として流されたのでしょう。


かつての国鉄総裁だった石田禮助さんの「粗にして野だが卑ではない」という言葉が好きです。

私は、粗野な人間ですが卑しくはないつもりです。



最近、若い者を注意したり子供を叱ったりする大人がいなくなりました。

「嫌われたくない」「自分には関係ない」「面倒くさい」など、理由はいろいろあるでしょう。

でも、現在の日本の混乱と先行きの不透明さの責任は、我々のような高齢者にもあるのではないか、

いやむしろ、現在の社会を作ったのは、かつて社会から利益を受けてきた現在の高齢者と言えるのだから、

「もう現役引退で、お金もそこそこあるし、後は楽しんで過ごしたい」とフェードアウトしている場合ではないような気がします。


嫌われても、面倒でも、これからを生きる人たちの為に、高齢者も心を砕かねばと思うのです。


また、若い者も、心ある高齢者の知恵や経験をないがしろにせず、耳を傾け行動に活かしてほしいと願わずには居られません。


高齢者に残された時間は少ないのです。

若い者も高齢者自身も、伝え教わる時間を失う前に気付いてほしい。

そう思います。

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失礼な電話

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携帯電話の着信があったので通話ボタンを押しました。

しばらく沈黙、そして、「もしもしぃ」という投げ遣り風な女性の声。

声音からすると、それなりの年齢か。

50代、60代?



こちらが「もしもし」と応じると、「あれぇ、どなた?」と不機嫌そうに言うではありませんか。

「いえ、こちらがうかがいたいのですが、どちらさまですか?」と言うと、「〇〇ですけど」と答えます。

〇〇という苗字の知り合いはいますけれど、こんなぞんざいな話し方をする人ではありません。


「間違いだと思いますよ」と言うと、「あぁそうですか、すみませんねぇ」と言って、電話は切られました。

その「すみませんね」も、本当にすまないと思っているとは言い難い響き。


着信履歴を見ると固定電話からの発信でした。



昔は、間違い電話だということを指摘すると、申し訳なさが伝わってくる謝罪が返ってきたものです。

今日の間違い電話の相手からは悪びれる雰囲気は全く伝わって来ませんでした。

たかが電話、顔は見えないし何者かをつきとめられるわけでもなしと思うかもしれませんが、

その人の品性というものはしっかり伝わってきます。


最近、高齢者の非常識やマナーの悪さに辟易することが度重なるものですから、

この間違い電話をかけてきた女性に子供がいるのなら、

まあ、お行儀はそれなりでしょうね・・・と、そこまで勘ぐってしまいました。


怖いですね、気をつけたいですね。

(一事が万事)ですから。


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蜷川幸雄さん

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演出家の蜷川幸雄さんがお亡くなりになりました。


もうかれこれ14・5年前のことになりましょうか、

蜷川さん演出で市原悦子さん主演の「ゴドーを待ちながら」というお芝居を見に行った時、

中休み時間にロビーで友人とコーヒーを飲んでいると、

螺旋階段をトントントーンと軽やかな足取りで降りてみえた蜷川さんが、

私たちのすぐ隣の丸テーブルのお知り合いらしき人のもとへ来られました。


私は友人と二人だったのですが、思い切って声をかけました。

「あのぉ、写真を一緒に撮らせていただいてもよろしいですか?」と。


新聞か雑誌かで怖い方だと読んだことがあったので、おそるおそるです。


「ああ、いいですよ。どこがいいかな。あ、ここにしましょう」と快く承諾してくださった上に、

ニコニコしながら、近くで撮影に適当な場所まで移動してくださいました。


蜷川演劇をもっと観たかったなあ・・・と、今とても残念です。


ご冥福をお祈りいたします。


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アインシュタイン より ディアナ・アグロン」  歌手:なこみく & めるみお (HKT48)


興味のある人は、リンク先で内容をご確認ください。

この歌のことは このブログ記事 で知りました。



つい2・3日前、テレビのニュースバラエティ番組で、「東大女子学生が同伴する旅行」企画のことも知りました。



何もかも、誰もかれも、楽な方に低い方に流れているように感じます。

皆が皆そうではないでしょうが、

最近、職場や生活範囲の中で私が常々感じている空気そのままを感じた次第です。

まあ、これから日本社会はどうなって行くのでしょうかね。

どなたか若いオピニオンリーダーが出現して、

(空っぽ)では明るい未来は開けないことを知らしめてくれると良いのですが。


年寄りのお婆(ばば)の、文字通り「老婆心」です。


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舛添東京都知事が不正支出に関しての会見をしている。

聞き苦しい言い訳に過ぎないことは、日々自前のお金で遣り繰りしている庶民には明らか。



権力にはお金が集まる。

集まったお金には様々な欲望が絡まりついている。

正当な収入と適正な支出は、権力者ならずとも心すべき事柄。



そもそも権力とは、その下に多数の名も無き人々がいてこその地位であり、

そうした多数の声なき庶民の代弁者として託された権力であることを、

権力者に選ばれた途端忘れ去ってしまう俗人が多い。



先日来日してテレビ等で取材を受けていた「世界で一番貧しい大統領」の姿が、

一層まぶしく見え心温められたのは私だけではないだろう。



国会議員から県会議員・市町村議会議員に至るまで、

議員の資格を得た途端に態度はデカくなり暮らしぶりが裕福そうになって行くのが目に明らか。

そんな人物に票は投じたくないと思えども、

毎回の立候補者の顔ぶれは限られており投票する側に選択肢は無い。

お金のある者しか選挙に立てない。

代表者として選びたい人物には選挙資金が無い。

この人物を代表者として選びたいと思った人物も、議席を得ると変貌してしまう。


そんな繰り返しが延々と続いて、すっかり腐りきったらしい政治の世界。

こんな時は、阿藤快さんの決めゼリフ「なんだかなあ・・・」を呟いて諦めるしかない貧乏人の私。


貧乏が即不幸せとは限らない、真っ当に生きてこそ天に胸張って暮らせる。

何度もブログに書いていることだけれど、

地位や権力を求めることなく、身の丈に合った暮らしぶりの多数の人々にこそ幸いあれである。




*********以下、5/14 追記

それにしても・・・

今回の舛添さんの一件、彼が都知事という重要な地位に就いたから暴かれたわけで、

彼がもし都知事にならなければ、

こうして表沙汰にはされず、公金を私的流用した者勝ちで終わったのだろう。


せこいよなあ・・・

家族の暮らしや自分の趣味に使うお金くらい自腹でまかないなさいよ。


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「なぜ日本人は学ばなくなったのか」 齋藤孝:著  講談社現代新書


今、読書中の本。



時代を追うごとに、漠然と感じ始めていた日本人の変容について、

私だけが感じていたのではなかったということを裏付けてくれるような内容。



知識や教養に敬意を持たなくなった風潮が、社会全体の劣化を招きバカ社会化している。

社会を構成している人間たちが「学ぶ」ことへの意欲と敬意を蔑(ないがしろ)にすればどうなるか。

まさに、現代日本の変容に大きな影響をもたらしたであろうアメリカ文化について本書は言及している。

以下、これまでに読んだ内容から一部分を抜粋引用してみたい。

*************(引用開始)

p.77~p.79

教養に対して「ノー」を表明する国・アメリカ

 アメリカの若者文化はカウンターカルチャー(対抗文化)でした。ボクシングのカウンターパンチと同様、自分が無から建設するというより、現在あるものに対立する、ないしは否定する形で成り立っていた文化運動だったわけです。

 対抗の対象は、一言でいえば「伝統的な知」、つまりヨーロッパの古典主義です。たとえばギリシャ・ローマの伝統であるギリシャ哲学や、シエイクスピアやゲーテといった全世界的な人類の知的遺産と考えられている権威あるものを指します。それらに対して、アメリカの若者文化は「ノー」を表明したのです。


(中略)


フランスの政治学者トクヴィルは、アメリカ人は書物を有する国民ではなかったと指摘しています。それに、互いの権利を承認するための訓練は不要、哲学も不要、国民性に見出されるあらゆる違いも捨象でき、アメリカ人には一日でなることができる、と述べています。


 ではフランス人に一日でなれるかというと、それは無理です。デカルト、パスカル、モンテスキュー、ラブレー、ラシーヌ、ルソーといったものに対する教養がなければ、フランス人とはいえない。そういう敷居の高さが、一員になろうとするときのヨーロッパにはあるわけです。


 しかし、アメリカ人には一日でなることができる。簡単にいえば、アメリカ人になるのに教養は必要ないということです。つまり、教養に対するリスペクトがない。その国民の基本的なあり方が若者たちに正当性をもって主張されてしまったのが、1960年代アメリカの特徴だったわけです。


*************(引用終わり)


先の大戦後に生まれた団塊世代は、アメリカの若者文化の影響をもろに受けてきた自覚がある。

一方、我々の親世代には、まだまだ明治時代や大正時代の日本の精神構造が生きていた時代でもある。

その親の価値観を「古臭い」ものとみなして、積極的に自らをアメリカナイズしてきた戦後生まれの若者たち(つまり我々世代)。


我々(団塊周辺世代)には、対抗して否定しようとする対象として古い伝統的な国民性が存在したので、

アメリカ文化を取り入れるのは、ある意味「学び」だったとも言える。

しかし、すっかりアメリカ的社会が定着した頃、この日本に生まれてきた現代の若者には、

否定または肯定の対象として対抗する伝統的日本の精神文化が壊滅状態であると言えなくもない。



ある時期から私は、日本はアメリカの社会構造を5年・10年遅れで追いかけているのではないかと思うようになった。

この本の著者もそのような内容を記述している。

そしてまた、アメリカの社会で困った問題を引き起こしている事象に関しても後追いしている日本人について、

結果が見えているのに何故同じ道を歩んでしまうのかとも思ってきた。



アメリカの社会構造や文化が正しいとも間違っているとも私に言えることではないが、

いつの頃からか、歴史的にみて日本人はアメリカ文化には馴染めない精神構造なのではないかと思うようになっている。



現代日本の凋落は、太平洋戦争終結以来アメリカ文化至上主義でやってきたことによるところが大きいと感じている。

が、時すでに遅しなのかもしれない。

日本独自の文化伝統の継承は断裂している。

その責任は団塊世代周辺の我々にあるようで気が重い。

ただ、我々に選択肢があっただろうかと自問してみると、それは難しかったと思う。

なぜなら、戦後アメリカが日本に駐留して、この国の在り方の方向性を決めた時、

敗戦国としては抗いようのないことだったのだろうから。



思考や議論や学びの習慣が失せたとしか思えない現代日本社会に、

知識や教養に対する敬意と憧憬を抱く文化は取り戻せるのだろうか?

もはや社会に何らの影響力も行使できない年齢になって見えてきたこれらのことを、

耳にイヤホン、視線は絶えずスマホ画面上という、自分の世界に閉じこもる傾向の若い世代に、

このままでは危ういと、どうやって伝えれば良いのだろう?


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今日は、映画「64(ロクヨン)」を観てきました。


たった7日間しかなかった昭和64年。

その7日間に発生した未解決事件という設定の物語。



なかなか手ごたえのある映画に出会えなくなった最近ですが、

この映画は十分に映画の面白さを堪能させてくれます。


今日は前編ということで、後篇は6月のお楽しみ。

もう一度6月に映画館に行くこと決定です。


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映画を観てきました

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久しぶりに映画鑑賞してきました。

一本目は「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」 

二本目は「孤独のススメ」 



「マリーゴールド・ホテル・・・・・・・・」は、前回作を観ていたので、第二章もということで。

「孤独のススメ」は、GW前に上映作品チェックをして、観ようと決めていた作品でした。



どちらも、熟年過ぎた人の生き方を扱っていますが、

「マリーゴールド・ホテル・・・・・・・・」は、あくまで明るく前向きであり、

「孤独のススメ」は、ヨーロッパの映画らしく、落ち着いた画面展開の映画でした。

この作品は、「孤独のススメ」のタイトルから孤独を容認する内容かというと、

実はそうではないような気がします。

"孤独" というより "(精神的)自立・自尊" の重要性を物語っていると感じます。

依りかかり合うことはしないけれど、相手のあるがままの存在を認め合えば、心は安定して幸福になる。


最近話題になっているアドラー心理学を扱った「嫌われる勇気」を思い出しました。



しばらく映画館から遠ざかっていたのですが、いったん足を運ぶと連続して通いたくなります。

上映スケジュールを見ると、これから観たい作品が目白押し。

キネマ旬報の映画館には質の良い作品や懐かしい作品が多数上映されています。

今日も、シニアのお客さんがそれなりの人数訪れていました。

昔のように満席とはいきませんが、同好の士が多いことは映画館が存続できることでもあり、嬉しいことです。



★★★


この季節は(五月病)という言葉もあるように、何となく心の不調が生じやすいのでしょうか。

実は私、先日来、何となく気持ちが冴えない日が続いています。

(五月病)は、4月に新しい環境でスタートをきった新入生や新入社員に使われることが多い言葉ですが、

新しい環境でスタートをきらなくても、春から初夏へと移り変わる季節の影響は誰にも作用するのかも知れません。

何となくもの悲しいというか、寂しいというか、心にポッカリ空洞ができたような感じです。


「しっかりしなくちゃ⇒自分」と思うのですが、気分は低迷しています。


これは私だけのことではないかも知れないと思ったりする昨今です。




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私の幸せの基準

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最近しみじみ考える。



欲しくも無い子供だったけれど男子かもしれないという期待でこの世に生まれ、

女であったがために親の期待に副えず、貧しいがゆえに教育も疎かにされ、

自力の手さぐりで半端な青春時代を送り、

世間の常識とやらに沿わねばという思いで結婚した夫には若くして先立たれ、

幼児二人を抱えて母子家庭となっても実家が当てにできるわけでもなく、

きょうだいもそれぞれの暮らしの事情優先で私のことなど構ってくれるわけでなく、

定住を決めた土地は夫の仕事でたまたま住んでいたというだけで周囲に近しい人間関係は無かった。



無い無い尽くしの人生を歩んできた。


それでも不思議に自分のことを不幸だと嘆く気持ちにはならなかった。

「この困難をどうして切り抜けようか」という思いの方が先だった。

子どもの頃から独りで考え独りで行動してきた私は、人に頼ろうという考えは浮かばなかった。



その後現在に至るまで「あの人のこれが羨ましい」とか「この人のようだったら良かったのに」とは思わない。

端から無い無い尽くしの私の人生、何かを手に入れようと望めば自分で何とかするしかないことが当たり前だった。



そんな自分にとって、何が幸せなのかということに関しては常に考え続けてきたつもり。


財産も地位も名声も、あればあるに越したことはないだろうが、

それらは手に入れれば入れたで失う恐怖と奪われる疑心に操られる不自由さと背中合わせ。



未だに七転八倒の毎日だけれど、人生のゴールが近づいていることを自覚せずにはいられない。

世の中やれ「終活」だの「断舎利」だのと喧しいけれど、この世に遺して未練のあるものは私には無い。

唯一気になるのは子供二人の行く末だが、

それも、私がそうであったように自身の人生は自分が始末をつけて行くしかないのだから、

私がどうこうできるものではないと思っている。



還暦過ぎて我が人生を振り返る時、

安易に人を頼らなくて良かった、他人の幸せの基準を自分に当て嵌めなくて良かったと思える。



私の幸せの基準は私が決める。

私はいま、自分の手足で切り開いた自分の人生を肯定することができる。



そんな人生を歩んできた私がいま改めて言えるとしたら、

金銭や物は人を永遠に救うわけではないけれど、

温かく見守る誰かの言葉や眼差しこそ悩める人の永遠の救いになる可能性があるということ。

ま、それも期待するべきものではないけれど・・・


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ウワッ、ワワワ!

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朝からベランダにでかいカメムシがいることは気付いていたんですよねぇ・・・

でもね、駆除するまでもなく逃げてくれるだろうとソッと放置しておいたのです。



その後、何度もベランダに出入りしましたが、カメムシはベランダの床にはりついたままでした。



そして先ほど、最後の洗濯物を干し終えてPCの前に座ると、何やら首の辺りに違和感が・・・

モゾモゾ、モゾモゾ。

これは髪の毛や衣服が触れている感覚とは違うトゲトゲ感だと思って手をやると、突然あの臭気が!


そうです、朝から何度もベランダの床で見かけたあのカメムシが、私の首筋にとまっていたのです。


私は、虫に触るのが怖いとか嫌だとかいう可愛らしい感覚は持ち合わせが無いので、

取り除くべき虫には果敢に立ち向かう方ですが、ことカメムシに関しては気持ちが退いてしまいます。

触られると途端に発するあの臭気!



いつもは慎重に指先で弾き飛ばすのですが、

今日は首筋の見えない場所を確認もせずに押さえ込んでしまったもので、大変でした。

ワッ、ワワワーーーーーーーッ! あゝ、クッサーイ!


駆除せずに見逃してやっていた恩人に対してなんという仕打ちを!このカメムシめ(怒)。

グレーの体色で大きめの個体でした。

アーアッ、なかなかとれないだろうなあ、この臭い。



関係ない話ですが、

好き嫌いが分かれる香草パクチー(コリアンダー)の匂い成分ってカメムシの匂いと同じなんですってね。


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