何を祈れば良いのだろう?

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昨夜、テレ朝の「ビートたけしの いかがなもの会」という番組で、

たけしさんと綾小路きみまろさんが「65歳を過ぎるといっきに衰えを感じます」と発言していました。


同感です。


私は、今年65歳になります。

元気なほうだと思います。

それでも、折に触れ、気力や体力などの衰えを自覚するようになりました。


歳をとって来ると、社会変化や自分の感情の起伏にさえスムーズに対応できなくなり、

懸命に対処しようとすればするほど疲れるばかりです。

結果、今流の価値観とは程遠いかもしれないけれど、

これまで自分が生きてきた価値観に頼って生きるしかないというのが高齢者なのでしょう。

それは、一つ間違えれば「頑固」だと受け取られるのかも知れません。


自分が若い頃には、「だから年寄りは・・・」と鬱陶しがっていた高齢者のことも、

自分がその「年寄り」になって初めて「あゝ、こういうことだったのか」と分かります。



★★★



5年前の東日本大震災の時も、今回の熊本大地震の報に接しても、

「一日も早い収束と平安が戻りますことを祈ります」という言葉しか思い浮かびません。

自分ではない誰かの災難や不幸に対して何もできないもどかしさを

「祈り」という言葉と行為に置き換えて自分の心を静めます。


ただ、いくら祈ったって、祈りそのものが事態の解決をもたらすことを無邪気に信じているわけではありません。

そうするしか術がないから「祈って」いるのです。

誰かの為に祈っても、その祈りが具体的な形となって相手に作用することはないでしょう。

たとえば、現在の熊本の被災者の為に私が祈っていますと言ったって、

被災者にしてみれば、「それはどうもありがとう。でも、だからどうした」ということでしょう。


それでも尚、被災者の方たちを思って祈ることしかできない私です。



熊本地震に関しては、まだ現在進行中のこともあり被災者多くの方々の気持ちは張り詰めていることでしょう。

けれど、事態が徐々に落ち着いてくる時期は必ず訪れます(訪れなくては困ります)。

今後のことを予測すれば、精神的にも生活面でも、一番気をつけなくてはならない時期になると思われます。


人が予想外の大災難や運命に襲われた時に、

それを受け入れるまでには精神的に何段階かを踏むということを、

私は以前受けたメンタル関係の講座で知りました。

実際、夫の余命が宣告された時からの自分自身を考えてみて、そのことを実感しています。



東日本大震災の被災者の方々も歩まれているであろう心理的な復興の道のりを、

熊本地震の被災者の方々も、これから辿られることになります。


私としては、まずは被災した姉の心に寄り添っていくことにします。


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このページは、tsuyuが2016年4月25日 00:15に書いたブログ記事です。

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