失った物に固執する

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マンションにはごみの集積所があって、資源ごみはいつでも捨てられるようになっている。


夕方、ビン・缶・ペットボトルを室内で集めている袋が一杯になったので、

その三種類を捨てる為に階下のごみ集積所に持ち運んだ。



全てを所定の集荷袋に捨て終わって帰ってみると、

三種類の資源ごみを入れて運んだはずの袋が一枚足りない。

確かに、三種類別々に三つの袋に分けて入れていたはず。


その袋は、どうしてもなくてはならない物ではない。

というより、使い終わったものだから捨てられるはずの物に過ぎない。

けれど、わずか数分の間に見失ってしまったビニール袋一枚が気になって、

私は、何度も、自分の足取りをたどって、ごみ集積所と自宅を往復してみた。

その回数は7・8往復にもなった。


そんなに往復してみても、ビニール袋は見当たらない。


たかがビニール袋一枚のことなのだけれど、

そのビニール袋を見つけられないことが、

まるで、自分を見失ったかのような焦りになってしまった。



最近は、ときどき記憶があいまいになることが増えた。

年齢のせいだと誰もが言うけれど、記憶が途切れることを自覚してしまうのは怖い。

できれば、我が身の行動を振り返れば思い出せる自分でありたいと思う。



とまあ、資源ごみ(ビン・缶・ペットボトル)の袋一枚を見失ったことで、

少なからずショックを受けている私である。

それは、失ったビニール袋が惜しいわけではなく、

記憶に自信が持てなくなった最近の自分の行動への不信であり、

何度往復して探しても袋が見つからないことへの不思議さが解決できない不満である。



ま、本当は、ここ2・3日続いた合理性を欠く日常の出来事で、

感情をザラつかせていたことも大いに影響していると思うが・・・



今はまだ、わずか数分の間に姿を消したビニール袋一枚が、気持ちに引っかかっている。

ほんとうに摩訶不思議なできごと・・・・・・・・


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このページは、tsuyuが2015年12月24日 19:56に書いたブログ記事です。

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