2015年12月アーカイブ

2015年に「さようなら」

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いよいよ残り時間が少なくなった2015年。

一年を振り返るテレビ特番を視ながら、夕刻まで、しばしのくつろぎ時間。


今夜は年越しそば、明日は新年初の食卓と、食べることに休日は無い。

献立のことを考えていると、日中はあっという間に過ぎて行く。

まず、何を作るかに始まって、材料の確認から不足分の買い出しまで、

食に関する行動時間は、思ったより一日の活動時間に大きな割合を占める。



ま、年末年始の旅行も帰省もしない身としては、食事くらいは楽しい時間にしたい。





ああでもないこうでもない、かと言ってこれならO.K.とも言えないままに、

あっという間に 【平成27年・2015年・未年】 が終わって行く。


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「あれはダメ」「これもダメ」「あれは赦せない」「これも赦せない」、

最近はそんなことばかりのような気がする。

「ダメ」だとか「赦せない」と言われていることの中には、

「そんなことどうでもいいじゃない」「個人の嗜好の問題でしょう」

と言いたくなる事柄も多々ある。



反対や否定を強硬に主張する人たちは完璧かというと、それは疑わしい。

個体を別にすれば、思考も違うし、行動も異なる。

百人いれば百通りの価値観がある。



そのことを理性で認識できるのが人間であり、

違って当たり前だという基本認識を踏まえた上で、

許容や赦しに発展できるのが人間の人間たる特性だと思う。


要は、寛容であろうとする心構え。


耐え難きを極限まで耐え抜いた揚句に暴発するのではなく、

耐え難い事柄はチビチビと小出しにし、

小出しに噴出された負の感情は、

周辺の人々の寛容なやり過ごしによって、その都度、雲散霧消させるのが良い。



千葉県で、17歳の男子高校生が祖父母を殺したというニュースが報じられた。

またまた「殺すのは誰でもよかった」という事件である。

祖父母殺害の真相は明らかではないが、日常のイライラが高じていた可能性はある。

その男子高校生にとっては、何らかの極限の耐え難さがあったのかもしれない。



我が身を省みず、周囲を批判したり非難したりの繰り返しでは、

いずれ自らも住み心地悪くなることは必至。


人間誰しも完ぺきではないことを自覚すれば、

易々と他人を害することはできないし、する必要もないことが解るはず。



人間は、社会を形成して以来ずっと、同じような過ちを繰り返しながら現代に至っている。

知識や道具は進化発展しても、生身の人間の道徳観は、ちっとも高度にはなっていない。


このまま人類滅亡まで、同じことの繰り返しが続いて行くような気がする。

ま、それも、しょうがないのかも・・・・・・・・・


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今年一年間、ヒヤヒヤした話

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ずっと前、私が40代のころ、職場の仲間と談笑していたときのこと。

ある女性が、戯れの占いをしてくれた。

その時、彼女が私に告げた占いの結果は、

「あなたは63歳で生死のかかる大病をするでしょう」ということだった。



それ以来、63歳という年齢が来るのが怖くなり、少々の不安を抱えることになった。



そして今年が63歳の一年間だった。



11月に64歳を超え、いま約一ヶ月が過ぎて、何事も無かった一年に感謝している。



戯れの占いでも、内容によっては人の一生に余計な不安を与えてしまうこともある。

40代当時の私は、夫亡きあとに子ども二人を何とか成人まで育てなければと、

ガチガチに神経を張り詰めていた時期だった。

私が63歳になる頃には、私に何があろうと子どもは生きて行けるだろうと、

万が一その占いが当たる時のことを想像して、毎日を懸命に生きてきた。


そういう意味では、悪い占いの結果を、懸命に生きる理由づけにできたとも言える。

ま、無事に63歳を通過した今は、残りの人生はハラハラドキドキすることなく、

楽しんで暮らしたいと思っている。




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今年の年末は、順調に片付けが進んでいる。

明日の月曜日が今年最後の不燃ごみ回収日。

長い間、使うことも無く、しまい込んでいたあれもこれも捨てよう。



思い出の品を捨てるコツは、自分がこの世からいなくなったと想定して取り掛かること。

遺品整理は大変な作業だから、なるべく家族に負担をかけたくない。

「いつか使うかもしれない」と思う「いつか」は、もう来ないと思わなければ、

物は捨てられない。



さあ、今日は何を片付けようか・・・



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今日はクリスマス、か・・・

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クリスマスって言ったって、特別なことは何も無い。

行事ごとやパーティーなどは苦手。



とは言いつつも、

何もしなければ平凡な日々に刺激は無い。



外国のイベントには、気持ちが乗りきれないが、

お正月は別。



今年は、どうしたわけか心身ともに前向きで、ぼちぼち片付けに取り掛かっている。

終活を意識しつつの断舎利も兼ねている。


身軽に身軽に、そして、心も軽くなれるように。


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HPのカウント数字が

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ホームページの訪問者カウント数字が【151515】だった。


昔は、キリ番とか言って、キリの良い数字に訪問者があると、

そのホームページの主宰者から、何らかのプレゼントがあったりした。

私の場合は、アクセス数は多くないし、そんなイベントもしていないが、

トップページの数字が揃うのは一度きりなので、

この度は記念に画像に収めてみた。


それにしても、

誰も訪ねてこない陳腐なホームページを、よくぞ14年も続けているものだと、

我ながら自分の物好きに呆れている。


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今年のクリスマス・ケーキは

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20151224cake (350x287).jpg




いつも行くスーパーのプレゼントに当選して戴いたケーキ。

6号サイズ、直径20cm近い大当たりのケーキ。



今年のクリスマスは、自分でお金を払って買うことは考えられない特大サイズのケーキが、

一枚の応募はがきを出すことで手に入った。

ラッキー!!


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失った物に固執する

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マンションにはごみの集積所があって、資源ごみはいつでも捨てられるようになっている。


夕方、ビン・缶・ペットボトルを室内で集めている袋が一杯になったので、

その三種類を捨てる為に階下のごみ集積所に持ち運んだ。



全てを所定の集荷袋に捨て終わって帰ってみると、

三種類の資源ごみを入れて運んだはずの袋が一枚足りない。

確かに、三種類別々に三つの袋に分けて入れていたはず。


その袋は、どうしてもなくてはならない物ではない。

というより、使い終わったものだから捨てられるはずの物に過ぎない。

けれど、わずか数分の間に見失ってしまったビニール袋一枚が気になって、

私は、何度も、自分の足取りをたどって、ごみ集積所と自宅を往復してみた。

その回数は7・8往復にもなった。


そんなに往復してみても、ビニール袋は見当たらない。


たかがビニール袋一枚のことなのだけれど、

そのビニール袋を見つけられないことが、

まるで、自分を見失ったかのような焦りになってしまった。



最近は、ときどき記憶があいまいになることが増えた。

年齢のせいだと誰もが言うけれど、記憶が途切れることを自覚してしまうのは怖い。

できれば、我が身の行動を振り返れば思い出せる自分でありたいと思う。



とまあ、資源ごみ(ビン・缶・ペットボトル)の袋一枚を見失ったことで、

少なからずショックを受けている私である。

それは、失ったビニール袋が惜しいわけではなく、

記憶に自信が持てなくなった最近の自分の行動への不信であり、

何度往復して探しても袋が見つからないことへの不思議さが解決できない不満である。



ま、本当は、ここ2・3日続いた合理性を欠く日常の出来事で、

感情をザラつかせていたことも大いに影響していると思うが・・・



今はまだ、わずか数分の間に姿を消したビニール袋一枚が、気持ちに引っかかっている。

ほんとうに摩訶不思議なできごと・・・・・・・・


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今日の夕焼け富士山





昨夜、TBSテレビ「中居正広のキンスマ」という番組で、さかなクンのことをとりあげていた。


その中で、中学校の道徳の教科書にも載せられたさかなクンの詩が紹介されていた。

いじめられている子やいじめている子へのメッセージとも言える詩。



水槽に何匹もの魚を入れると、群れが一匹の魚を攻撃し始めるそうだ。

可哀そうに・・・と、その一匹を別の水槽に隔離すると、

今度は別の一匹が標的になるのだそうだ。



狭い場所に魚を密集させると発生する現象らしい。

広い海や川の中なら、いじめられる一匹にも逃げ場所があろうものを。



この詩を知って、私は自分のことに重ねてしまう。


私は、幼い頃からいじめられたり爪はじきに遭うことが多かった。

64歳の今も、ある一人の女性の標的になっている。


こちらから距離を置いて遠ざかろうとしても、

彼女の視線がいつも私の行動を追いかけているのがわかる。

こちらのしくじりを待っているのだ。



彼女は、職場という狭い空間の中でしか自分の存在を確認できないらしい。

お金に固執する彼女は、職場以外の世界にお金を費やすことはしない主義だ。

厭な仕事は言わずもがな、本来やるべき仕事も殆どしない。

そのことを隠ぺいする為に、誰彼かまわず陰口の対象にしている。

情報を右に左に、適当にばら撒くことで自分の存在を保っている。

いわゆる「情報や」。

それも、事実を歪曲して自分の都合の良いようにばら撒く「悪質情報や」。


私が最も忌み嫌う人種。


さかなクンの「さかなのなみだ」という詩を読ませてやりたいが、

おそらく、それを読んでも彼女には "猫に小判・豚に真珠" だろう。


彼女の為すべき仕事の内容から考えると、もっての外と言えるのだけれど。


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シニアもいろいろだから

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65歳定年時代の「老害シニア対策」とは?


上記のような記事があった。

一般に「老害」と言われる問題点を挙げている。


確かに、高齢者にありがちな問題点を指摘していると思うけれど、

これは、シニアの男女共通に一般論として当てはめる事でもないような気がする。

また、職種により違うとも言える。



オフィス労働の職場で、自動的に役職が高くなって60歳定年を迎えた

男性シニアの一部に見られがちな特徴かもしれないと思う。


少なくとも、昇進とは無縁の労働をしてきた(現在もしている)女性の私は、

上記のような意見でシニア労働者を一括りにされることには抵抗を覚える。


しかし、この記事に共感を覚えるとしたら、

定年後に私と同職で週2日働いているシニアの男性相棒に、その特徴を見ることができる。



「老害」という現象もあることは承知しているが、

「現役」世代の若い者だって、この記事にあるような傾向の人間は多い。

私の職場に限ってしか言う資格はないが、

40代、50代の人たちにも当てはまりそうな特徴である。

給料や手当だけは年齢と共に高い数字のものを受け取りながら、

全く仕事をしない若い者(中堅?)も、案外多いのだ。



高齢者全てが、社会のお荷物であるような括り方は止めてほしい。

肩身狭く職場に残って、長い人生の経験をお役に立てようと懸命に働く高齢者もいることを、

このブログ記事の著者は知っているのだろうか?



要は、高齢者だから・・・ということではなく、

今の時代、全ての社会人の勤労姿勢や労働者としての倫理観を問題にすべきだと思う。


人間の社会活動や行動に関する問題の実態は、

オフィスや研究所の机上でアレコレ考えて見えてくるものではなく、

問題は現場で発生しているのであることを、

研究者や評論家は踏まえた上で、社会問題の分析や解説をしてほしいものだ、と思う。


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私の職種は、雇用側負担の研修などないし、いくら自己研鑽を積んでも評価されることはない。

にもかかわらず、自腹を切って数多の自己研修(勝手に名付けている)をしてきた。

誰に強制されたわけでもなく、単に自分の学びたい欲求と向上心を満たす行動だったけれど。

それらの学びは、大なり小なり職場で活かせたという自負はある。

ま、勤務評価や給与アップに反映されることはない立場だったけれど。



学ぶことは好きだ。

独学は気楽で良いけれど、やはり指導者から専門的かつ客観的なアドバイスを受けることは大切だと思う。



過去何度もカルチャースクールの講座に参加したけれど、どれも中途で止めてしまっている。

あの "仲間同士のお付き合い" に馴染めなかった。

先生を囲んで食事会をしましょうとか、今度どこそこへ行きましょうとか、

教室外での付き合いを呼びかけるリーダー(?)が必ずいて、

その仲間に入らないと教室での居心地が悪くなるという事態に進展することが多かった。



その点、通信教育は良い。

が、たまのスクーリングで一堂に会した時に、しっかり仲良しグループができているのはわかる。

濃密な個人交流が苦手な私は、そうした場所では浮いた存在になることが多い。

でも、通信教育は基本、自宅で独りで学ぶものだし、郵便で添削を受けるという形式も私に向いていて、

習い事で比較的長期続いたものは通信教育で行ったものである。



もう "自己研修" はしなくても・・・と思っていたけれど、

このところ何となく頭の中がムズムズして、何か系統だった知的な刺激が再び欲しくなっている。


また始めてみるかなぁ・・・昔やっていた通信教育の続きを。


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ホームページビルダーで制作した個人ホームページと、そこに設置した掲示板。

今では、こんな個人ネット発信は化石化してしまったけれど、

私にとっては、この形式が一番向いていると思える。

その緩やかな進行速度が、私のようなグズな人間にはピッタリ。



もはやネットは、日常生活に必要不可欠なものとなっているけれど、

私に限って言えば、それによる人的交流の拡張やスピード感には馴染めない。



年齢的なこともあるだろうし、個人の性格にもよるものだと思う。



私の携帯電話は昔ながらの折り畳み式のガラケーだし、ネット上の個人サイトも古臭いものになった。

次第にガラパゴス化する自分の周辺だけれど、十分に楽しめている。

むしろ、深海の底で生き続けてきた化石魚シーラカンスのように、

ネットの中のシーラカンスになれたら面白いとさえ思うようになっている。


さあ、いつまで続けて行けるだろうか。

これは、自分への挑戦になるだろう。


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ネットに逃げている私

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年末って、なんでこんなにやらなければならないと急かされることが多いのだろう。

お歳暮に年賀はがき、大掃除 etc.etc.

行事ごとは大切にしなければならないと分ってはいても、なかなかやる気にならない。



いつかはキチンとできるようになりたいなあ・・・と思いながら、

年齢が高くなった今では、もうどうでもいいや・・・になっている。



結果、どんどん過ぎ去る時間に気持ちばかりが焦りながら、ネットに逃げている私。



あと三週間かぁ・・・

どれだけのことが片付けられるだろう。


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NHK紅白歌合戦観覧希望の応募ハガキに落選の返信が届いた。

今年も駄目だったかぁ・・・ガッカリ

もう4、5年応募ハガキを出し続けているが、なかなか当たらない。

まるで宝くじのよう。


若い頃は、観覧者募集に応募しようなど思いもしなかったけれど(地方に住んでいたから)、

関東地方に住み始めた頃から挑戦していれば、一度くらいは観に行けたのかなあ。

30数回分のチャンスがあったわけだ・・・

ま、これはこれでダメ元で今後も応募し続けてみよう。




他にも応募してあったイベント観覧希望の落選通知も届き、

なかなかラッキーには縁遠いなあと思っていたら、

近くのスーパーのクリスマスケーキ・プレゼントに応募してあったハガキが当選したとの通知。

「やったー! これで今年のクリスマスケーキは だいじょうV だぁ!」

と喜ぶ単純なわたし。



"下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる" ということで、これからもいろいろ挑戦し続けようっと。


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今日も相変わらずの日

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今年も、新聞販売所からミニシクラメンを貰った。

花の咲いている左が今年の株、右は昨年の株。





図書館で借りた本が貸出期限を一日過ぎていたので図書館へ。

読み終えることができていなかったので、再借り出し。

いま読んでいるのは、

「ナチスと精神分析官」 ジャック・エル=ハイ:著  高里ひろ/桑名真弓:訳  KADOKAWA:発行


内容は非常に興味あるのだけれど、翻訳に難ありで、非常に読みづらい。

どうも、内容に関しての翻訳者の知識や理解度が浅いように感じる。

ナチスや戦時の精神分析など歴史的な事柄への見識も不足しているのかな?という感じ。

翻訳されている日本文から原文ではこうではないかと想像しなければならない個所もあり、

内容の理解に時間がかかる。


翻訳は難しい。

横の文章を縦にするだけでは済まない。

まずは、翻訳者が原作者の表現した作品の意図や背景文化・歴史を理解していないと、

読者に伝わる読み物にはならない。

外国語で仕事をするうえでの難しさだと思う。


言葉は、理解と誤解の分かれ道になり兼ねない道具。

言葉を操るのは難しい、けれど楽しくもある。





図書館の帰りに、小さな食品スーパーへ立ち寄る。

今日と明日の食材を調達。

レジで、私の前に立った女性(私と同年輩?)の手に白杖が握られている。

どうも視力に問題を抱えた人らしい。

視力が弱いのか、バッグの端から大きな虫眼鏡がはみ出して見えた。


他人(ひと)事ではない、私の視力も最近急速に下降線をたどっている。

あゝ、人の手を煩わせることなく、自分の思うがままに行動できる事が少しずつ減って行く。

したいことがあれば今のうちに、とも思う。

そうは思いながら、今日も相変わらずの日。

なかなかねぇ・・・思うようにはいきませんことよ。

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久しぶりに成田へ

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今年は成田山への初詣の機を逸して、今日は久しぶりの成田行き。

午後3時過ぎに到着したのだけれど、

平日ということと今朝の悪天候の影響もあってか閑散としていた。



成田まで出かけるのは理由があって、

羊羹で有名な「米屋(よねや)」でしか買えない"しょうがの旨煮"という品が目当て。

ところが、ほぼ一年間ご無沙汰の間に"しょうがの旨煮"という製品が無くなっていた。

店の人に問うと、製造元で作らなくなったのだと言う。

詳しい事情はわからないが、このご時世、

こうして消えていく商品はこれからも増えるような気がして、少しだけ寂しかった。

美味しかったのに・・・(涙)


消えていくのは"しょうがの旨煮"だけじゃないよ、と思う。

ボンヤリうかうかしていると、手間をかけた日本古来の良品はどんどん姿を消していく。

お前は伝統を大切にしてきたかと問われれば自信はないが、

自分を含んだ、現代の高齢者世代が繋げなかった『大切な何か』のことを、

最近になって、しばしば考えるようになった。


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いつも(かさこ)さんのブログを読ませていただいているのだが、

最新のこの記事 には、心の底から共感を覚えた。

まるで常日頃から感じている私の気持ちを代弁していただいたようなスッキリ感。



こうした、同意見の考え方に触れるチャンスもあるから、

ネット上でブログを読むのが楽しいんだよね。

だって、日常生活において、こんな本音の話をしてくれる人に出会う機会なんて、ほとんど無いもの。

特に、空気とやらを読まなければ後ろ指指されてしまいそうな空気が充満している現代社会においては、

自分の意見を率直に発言しようものなら、敬遠対象とされること必至。



最近の人々は、いわゆる世間話ができないと、どこかでそんな記事を見かけたことがある。

身の回りの人々との世間話から学ぶことは多いと思うんだけどなあ・・・


賛成できる話も、そうではない話も、とにかく受け止めて耳を傾け、

たとえ意見を異にしても、相手の人格までは否定しないという距離感は、

生身の会話で培っていくしかないと思うんだけど・・・


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20151206soratoamineko (350x263).jpg 今日は晴天。編み猫の日向ぼっこ。



ちょっと風は吹いているが、スッキリした青空が広がっている。


最近、日曜日は、

午前10時からフジテレビで放送される「ワイド ナ ショー」が面白い。


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NHK紅白歌合戦観覧に応募した

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昔に比べると、最近の紅白歌合戦は面白くない。

面白くないと思いながらも、年越しの習慣のようになっていて、つい視てしまう。

昨年も、紅組の司会がイマイチだなあ・・・と不平不満を漏らしながら最後まで視聴。



長年、会場で観覧してみたいなんて思いもつかなかったけれど、

つい4-5年前から観覧希望の応募はがきを出すようになった。

子どもの頃からずっと、毎年末の恒例としてテレビ視聴してきた名物番組を、

一生に一度だけでも生で観るのも良い思い出になるだろうとの心変わり。


ところが、これがなかなかの狭き門。

当選しないこと「縫い針の穴にロープを通すが如き」 ←(露草作の格言) なのである。

ま、ダメ元で年に一度の往復はがきを書いている。



今年の結果は・・・・・まだ返信が来ていない。


以前は、夕方からのコンサートでも苦にすることなく出かけていたけれど、

最近は、夜の外出は、とても負担になっている。

紅白歌合戦に応募して当選させてもらっても、

出かける気力が振り絞れるのもあと数年のような気がする。


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歳とったら時間の過ぎ去るのが早いとは聞いていたけれど、

実際に自分がその立場に立ってみて、「なるほどなぁ・・・」と納得。



"将来" とか "希望" とかいう言葉は縁遠いものとなり、

ただただ毎日の平穏を祈りつつ過ごしている。



師走の声を聞くと、なぜかしら自然に気ぜわしくなっている。

せわしいのは気持ちばかりで、実際に体を動かして用を片付けるかどうかは別の話。

何もかも面倒になってきているのが本音。



もうすぐ2015年も終わるんだなあ・・・と、

もの寂しい感慨にふけるこのごろ。


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富士山と飛行船

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富士山と並ぶ飛行船



洗濯物を干そうとベランダに出た時、富士山の横に白い浮遊物体が!

常日頃から、人生一度はUFOに遭遇してみたいと願っているもので、

空に浮かぶ見慣れぬ物体には激しく反応してしまう。


それが、富士山と並んでいるとなると、なお一層、関心を惹かれる。

カメラを取りに走っている間に、物体は富士山の右側からこの位置へ移動。

最初に発見した時の画像イメージとは違ってしまったけれど、ま、いいか・・・



結局、この浮遊物体の正体は飛行船。


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