2015年9月アーカイブ

ひまつぶし手芸

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20150927tissucover (350x250).jpg ティッシュ・カバー

何かにしようと思って買ってあった端切れでティッシュ・カバーを作りました。

ものの30ー40分あればできるので、次々に作っています。


20150927pullover (350x265).jpg フリーサイズのプルオーバー

こちらも、昨年のセールで安く買い置きしてあった糸で作りました。

プレゼント先、決まっています。


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結局、何が幸せなのか?

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女優:川島なお美さんの訃報が伝えられた。

先日、テレビでお見かけした姿は痛々しいくらいの痩せようだった。

それでも、美しいドレスに身を包んだ出で立ちと振る舞いは女優そのものだった。


54歳・・・早いと思うか、彼女の充実した人生に想いを馳せるか、

受け止め方は人それぞれ。


「幸せ」とは何だろう?

誰かの訃報に接する度に考える。

そして落ち着くところはいつも(いま、ここ)。


とりあえず、何事も無く過ぎた自分の一日に満足しながら床に就くことにしよう。

この瞬間こそが「幸せ」なのだと信じて。

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いわゆる「3K」と呼ばれるようになって、

できれば避けたいというニュアンスで語られる仕事がある。

おかしな話だと思う。

 

と言うのも、

生きる糧を得るために、原始より人は自らの体を動かして作物を育て狩りをしてきたはずだから。

それが労働の基本の筈だから。

 

日本が高度経済成長時代、地方で農業を営む親や零細自営業で四苦八苦する親は、

できれば息子には大企業の小奇麗なオフィスで給与の安定したサラリーマンになって欲しいと願い、

娘には、そうした社会的地位を得た男性の妻におさまって安楽に暮らして欲しいと願った。

 

そして、多くの若者が都市に集中し、親の生業を受け継ぐ者はいなくなった。

 

都市で仕事を得た若者も、やがて家庭をつくり子を育て年老いてきた。

彼らの子どもたちは、泥にまみれたり工場の油にまみれたりする肉体労働とは無縁に育てられた。

それどころか、親が働く姿を目にする事さえなくなった。

 

それでも辛うじて、戦中戦後の時代に成長した者たちはサラリーマンになっても、

汗にまみれて働く親の姿を見て育った記憶はあり、そうした労働への理解も残っていたが、

その子どもたちにはその記憶は受け継がれなかった。

 

そのような、最初から肉体労働などとは無関係に育った子供たちが成長し職に就くころからだろうか、

いわゆる「3K」の仕事が一段下に見られるようになったのは。

 

体を動かして働くということを見下げる感覚は如何なものかと思う。

体を動かす為には脳もフル活用しなければならないことを、そういう人たちは想像もできないらしい。

机上の仕事が貴くて、肉体労働を見下げるような風潮は、社会の荒みの根源にもなり兼ねない。

 

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一時期、ある種の仕事を指して「3K」などと表現されていたと思う。

 

「3K」の説明は こちら

 

本格的な肉体労働からオフィスなどでの細々した雑用など、誰かがやれば皆が助かる仕事。

皆が少しずつ心がければ、全体の動きがスムーズに気持ちよく運ぶ作業。

それらは大概、肉体的な労力を要する場合が多い。

簡単に言ってしまえば、椅子に座ってパソコン画面を眺めているだけでは片付かない仕事である。

 

例えば、コピー用紙のストックが少なくなったら用品倉庫から運んで来るとか、

事務書類や仕事関連の書籍などを棚に整理するとか、

ちょっとしたオフィス環境の整理整頓とか、

やるつもりもないし、できない人が多くなったような気がする。

 

朝、出勤するとすぐにパソコンを立ち上げたら、

一日中画面をにらんで座っていれば恰好がつくという時代になって久しい。

見つめているパソコン画面に何が表示されていようと、傍から指摘糾弾されることはない。

 

周辺環境整備など、「3K」人間にやらせておけばいいという意識の変化は、

結局、一人一人の自立した人間としての能力の退行にしかならない。

 

上記にリンクしたコトバンクの説明にあるように(貴族化・清潔化という消費文化)が定着した結果、

勘違いな人間たちは日常的な身の回りの始末さえできなくなって、

テレビなどで紹介されるようなゴミ屋敷だの汚部屋だのという有様が増えるというつながりか。

消費文化は、品物の消費のみならず、他人の労力の消費も含んでいる。

 

私は夫亡きあと、子育てと家計を支える収入との両立を探って、

5-6種の仕事を転々とした挙句、いわゆる「3K」に属する仕事に就いた。

あれから30数年、職場の変遷を振り返ってみて、

一番の転換ポイントはパソコン作業の導入だったような気がする。

(私の仕事はパソコンを使わない業務)

 

事務仕事の殆どがパソコンに切り替わる前は、

事務仕事の人間であっても、自分たちの仕事に関連する体を動かす作業を最低限はやっていた。

ところが、パソコン作業が行き渡ってからと言うもの、仕事といえばパソコンとにらめっこになっている。

事務仕事の人間たちは、一日中パソコンの前から動かない。

 

広い世界の片隅の一職場を観察しての感想を一般論にしてはいけないのかもしれないが、

どうも、私の職場観察が特殊ではないような社会現象の昨今。

 

パソコンは人間の生活を助ける道具の一つではあっても、

基本は、自分の頭を使い体を動かして日常生活を送らねば、

人間は日々退行してゆくのみのような気がしてならない。

 

人は皆が皆、召使にかしずかれる(貴族)になれるわけではないし、

(清潔)な暮らしだって、誰かが提供してくれるのを当てにしているだけでは実現しない。

 

地球の片隅で、一匹の無力な蟻がこんなことを叫んでも、無駄かもしれないのだが。

 

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昨日は、鬼怒川の堤防が決壊して茨城県常総市に甚大な被害が出ている。

テレビ画面に映し出された、濁流が付近の家や車を呑み込んで暴れる姿を視ながら、

自然の脅威を感じ、東日本大震災の津波を思い出した人も多かっただろう。

 

実は、茨城県常総市は、私の住んでいる場所からそう離れていない場所に位置する。

関東地方には大きい河川が何本か流れているが、我が家の近くにも利根川がある。

昨日は、利根川も増水して、警戒態勢がとられた模様。

 

今朝も早くから、洪水現場の救助に向かうヘリコプターが飛び交っている。

 

利根川も、普段は滔々と流れはしても比較的穏やかな表情を見せているので、

決壊して濁流が周辺を呑み込む様は想像しがたいのだが、

第一堤防と第二堤防が設置されていることの意味を、今回の鬼怒川堤防決壊を機に知ることになった。

 

利根川は「坂東太郎」の異名があり、古来、暴れ川として認識されていたことがうかがえる。

関東地方では、北部山間地に水源を発する大河は、それぞれ似たような様相を呈しており、

昔から洪水被害がしばしば発生してきたそうだ。

 

治山治水は国土を守る基本中の基本であることを、改めて認識している。

 

鬼怒川の氾濫という非常事態の収集が、二次被害や事故などなく速やかに運びますようにと、

ただただ祈るしかない。

 

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朝から「悟り」を教えられて

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目が覚めてしまったので、朝5時から起きてゴソゴソしている。

 

以前は欠かさずに視ていたNHK俳句を、久しぶりに視聴。

講師やゲストおよび司会者が好きな正岡子規の句や言葉を披露する場面で、

「悟りとは、心惑わず平気で死ねることだと思っていたが、それは間違いで、

悟りとは、心惑わず平気で生きていられることだと知った」

という意味の正岡子規の一文が紹介された。

 

そうか、そうだったのか、

全てへの執着を捨て、死をも厭わぬ境地を「悟り」と思い込みがちだけれど、

生への意欲を失わず、与えられた環境を受け入れ、かつ、楽しみつつ日々暮らせることが「悟り」なのか、と。

 

今朝も、二度とめぐり来ない時間を、生きている。

 

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