2015年8月アーカイブ

読書「へんな人間図鑑」

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20150830henaningen (275x350).jpg 「へんな人間図鑑」 沢野ひとし:著  KKベストセラーズ:発行

 

暇つぶしに読んでみた。

 

ひとつひとつのエピソードは、それなりに面白おかしく読み進めたのだけれど、

誤字誤植が多いのが気になった。

昔のように、キッチリした校正や編集はされなくなったのかなあ?

最近はパソコンで執筆してパソコンで編集して・・・・・ということなのか?

などと内容とは関係の無い想像が膨らんだ一冊。

 

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つれづれなるまま編み物

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20150830sakuhin (344x350).jpg 

 

今年の夏の猛暑で、毎日グダグダ過ごしていたけれど、

これじゃあダメよね、何かしなくっちゃ、と言うことで手に取ったのは、

やはり編み物。

 

昨年のセールでまとめ買いしてあったサマーヤーン(\50/玉)を引っ張り出した。

 

これから先、何度着用する機会があるのだろうと、作るたびに考えるようになった。

ま、着ることが目的ではなくて、作る過程が楽しいのだからしょうがない・・・か。

 

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日本中、否、世界中が低迷していそうなこの頃。

これは、一日中テレビを観ているせいで、メディアに洗脳されているせいか?

そう言いたくなるほどに、日々嫌な事件が続いている。

 

大阪、寝屋川の中学1年生の男女二人が殺され遺棄された事件。

容疑者は逮捕されたものの完全黙秘で事件の解明に至っていないというし・・・

 

東京近辺の電車に電気を供給するケーブルや設備からは不審な発火が多発しているし・・・

 

北京で行われている世界陸上を連続して観戦していたのだけれど、

日本選手の成績はパッとしないし・・・

 

 

駅前にでも出かけてウインドウショッピングでもすれば気が晴れる?

いやいや、最近はそんなことに関心は薄れていて、気分の転換にはならないことが多い。

買い物したり外食したりしても、楽しいと思わなくなってしまった。

 

えっ!これって危険信号じゃないの?

認知機能の衰え始めか?

 

私はいつも、落ち込み始めるとトコトン底をつくまで憂鬱になって行く。

 

今日は一日中、薄暗くてひんやりとした雨天だった。

あの猛暑から、こんなにも急に気温が下がるなんて、まったく、心身がついていけない。

 

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マンション自治会の納涼祭

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昨日は、マンション自治会の納涼祭でした。

 

昨年、二度のビンゴゲームで二度とも賞品を得、その上に部屋番号抽選にも当たり、

参加者の一部から非難めいたざわつきをされたので、ちょっと気が引けたのですが、

今年も参加してきました。

 

三年前までは、マンション前の芝生広場で盆踊りなどをしていたのですが、

天候に左右されたり、費用もかさむことから集会室でのこじんまりとした催しになっています。

住民の同好会によるオカリナ演奏が最初にあり、その後ゲームをするという約二時間の催しです。

 

昨日も私は、一回目のビンゴゲームで二等賞(近所のスーパーの商品券\2,000-分)を獲得しました。

今年は、二回目のビンゴゲームに運は無く、全然数字が揃わなかったのでホッとしました。

 

昨年、私がブーイングを受けた時に思ったのですが、

複数賞品を手に入れた幸運者が日ごろのお付き合い密な人間だったら、

あの人たちは(主に女性)平気で非難の声を発しただろうか?ということです。

 

その後、私は自治会役員さんに、その件についての改善を提案しておきました。

 

さてさて、今年も複数賞品獲得者が出ました。

しかし、非難やブーイングは起きませんでした。

今年の役員さんは、三等賞を40数本も用意していたのです(ビックリ!)。

参加戸数は50軒くらいでしたから、誰もが何らかの賞品を手にしたわけです。

 

人間って不思議なもので、最初から手が届かないと思っていることに対する妬みは抱かなくても、

自分にもチャンスがある筈の小さな眼前のラッキーには執着するのでしょうね。

 

 

こうして夏の行事が一つずつ片付き、静かに秋がしのび寄っている気配のこのごろです。

 

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考えるのも嫌になる

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世間の大事から身辺の小事に至るまで、何ともやり切れない出来事ばかりが相次ぐ。

 

個人的に平穏を保とうと思えば、思考停止が一番の防御策かもしれない。

 

が、否が応でも、周囲のあれこれが目に入り耳に聞こえてくれば、脳は勝手に反応してしまう。

「あれは間違っている」「これはダメだ」「あんなことはしてはいけない」などと、

個人で考えてもしょうがないことに苛立ってしまうことが多くなった。

 

こんな時だろうか、

芥川龍之介や三島由紀夫や太宰治が自らの命を絶ちたくなったのは。

 

欲深き人間、あさましき人間への絶望。

 

夏目漱石は、そんな絶望感や失望感から芸術が生まれると書いている。

 

芸術へ昇華できるほどの能力を持たない者は、

日々悶々と悩み苦しみ、たまに知人に愚痴をこぼし、

その愚痴が歪曲されて回りまわって、再び自分を苦しめることになり、

さらなる絶望と失望の奈落へと突き落とされる。

 

個人の欲望や怠け心優先で他人を利用し、ずる賢く立ち回れる人間の頭の中はどうなっているのだろう?

他人から指摘され改善を促されても、反省や行動改善や、まして謝罪などもってのほか、

むしろ指摘した相手側を非難中傷できる思考構造とは?どうなっているの?

 

人間の劣化は人類の消滅への長い過程の兆候なのか?

今が、仏教でいうところの【末法】なのかとも思う。

 

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いまパクリ疑惑で話題になっている東京オリンピックのエンブレムですが、

発表された時点で「何これ?」という印象を受けました。

商業的なデザイン感覚が前面に出過ぎていて、気持ちが冷めたのです。

 

いつの間にか決まっていたエンブレム。

いつどうやって募集し決定されたのか、さっぱりわかりません。

 

少なくとも、このエンブレムを旗印に、

東京オリンピックの成功を祈ろうというほどのインパクトは感じていません。

 

エンブレムを公募するなら、

子供から成人まで、プロもアマも垣根なく募集をかければ良かったのではないか、

そう思います。

 

新国立競技場の件も揉めているようですし、

大金が動くイベントの決定前後に、その周辺で、いったい、どのような思惑がうごめいているのか、

そんなダークなことへの疑惑ばかりが募ってしまって、

何だか、東京オリンピックなんて、やらなくても良いような気持ちになってきました。

 

極端に「清廉潔白であれ」とまでは言いませんが、

素人にも理解納得ができるような進行をしてほしいものだと思っています。

 

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「女の老人とおばあさん」

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図書館で、興味を惹かれたタイトルの本を借りてきて読んでいる。

いま読んでいるのは、

20150810sanoyoko (265x350).jpg ← これ、「あれも嫌い これも好き」 佐野洋子:著  朝日新聞社:発行

 

このエッセイ集 P.149-P.154 「女の老人とおばあさん」という一文に強い共感を覚えた。

 

著者は、若い頃(1960年代頃か?)にアメリカやヨーロッパの海岸で目にした、

砂浜に寝そべって日光浴をする(鯨の様なトドの様な)あちらの老人を描写する。

彼女らは、一様に派手な(明るいと言おうか)水着を身に付け、

金やプラスチックのアクセサリーをチャラチャラと素肌に飾って堂々と寝そべっていた。

 

その当時すでに、西洋の「おじいさん、おばあさん」は物語の中の存在であり、

目の前にいるのは「男の老人、女の老人」でしかない、と著者は感じた。

 

そして、当時の日本の老人のことを、

「日本のばあさんの様に目立たぬ様、出しゃばらぬ様、地味に装うということは時代遅れなのだ・・・」

と思い、いずれはこのアメリカの女の老人のように装うようになれば良いと考えた。

実は、その時既に、心の奥底では「趣味悪い、気味悪い」と思いつつも、

それがあたかも進んだ文化で、日本も行く行くは追いつくべき姿かも、と思ったようだ。

 

そして、この本が刊行された2000年当時の日本の老人に関して著者の筆が及ぶ。

 

 

ここより引用**********************************

 

そしてあっという間に、日本のばあさんは、しっかりアイシャドーをしわの間に埋め込み、口紅を唇の面積より一ミリ

位はみ出させ、さわればバラバラと粉が落ちそうな厚化粧となり、首にも腕にも金(ひか)り物をじゃらつかせ、堂々

と立派な日本の女の老人となって、私などの中婆から見ても十歳や二十歳いや三十歳位若く見える女達が出現し

たのは目出たいと云わねばならぬ。そして気が付いたら日本中「分相応」「わきまえ」などという垣根は全部とっ

らわれていたのである。

 

 

本当に目出たいことである。おばあさんでない日本の女老人達は、肉体を装う革命をなしとげたばかりでなく、服

装、化粧など表面的なものばかりではなく、中味、つまり精神に於いても、「分相応」「わきまえ」などというものも外

見とおなじになったのである。

 

 

つまり老いは悪である、生命は戦いとるという積極性、死は忌み嫌うものである、たとえ死病に見舞われても勇気

をもって価値ある時を生きねばならぬ、命は地球より重いと合唱するのである。私は偉いと感心するし、ハッハーと

頭が下がる。頭が下がりながら、引き裂かれる。

 

 

もっと自然の摂理に人は従うべきではないか、ババくさくなるというのは人間、又自然の創造物である限り、木

が枯れてコブだらけになって倒れる様にあの世に行ってもよいのではないか。

 

**********************************引用終わり

(太字表記は、本ブログ著者:露草による)

 

この内容に共感したということは、

私も、周囲の現代老人たちに対して、佐野洋子さんと同じようなことを感じているということに他ならない。

 

年寄りが年寄りであることを引き受けず、いつまでも若さを追い求めてどうする?

と訊ねたい気持ちになることが多くなった昨今。

 

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なるべくエアコンの使用は抑えようと、日中は室内を開け放して、扇風機のみで我慢している。

壁の時計に付属の温度計は32.3度(もっとも、一番日のあたる壁にかけてあるのだが)。

外は何度くらいに上昇しているのだろう。

 

次第に気温が上昇する梅雨後半あたりが、体調としては最悪。

まだ発汗機能が上手く働かなくて、毎年のようにむくみが出るから。

 

それに比べると、7月後半からは、暑ければ順調に汗をかくので、体調は悪くない。

 

今朝は、市の乳がん検診を受けてきた。

会場まで徒歩20?30分、歩数にして約3,500歩。復路は少し遠回りして4,500歩。

 

マンモグラフィで検査するのだが、こうしたレントゲン健診の時にいつも言われるのが、

「ハイ、力を抜いて、ダラーッとして」。

私は力を抜いているつもりなのに、何度も言われるので、もうどうしていいかわからなくなる。

今日は、担当の技師(女性)さんに「私と闘っているみたいね(笑)」とまで言われてしまった。

 

体を緊張させて力を入れることは簡単だけれど、人前でダラーッと力を抜くのは意外に難しい。

 

そう言えば、

美容院でシャンプーしてもらう時、どうしても首に力を入れて自分で頭を持ち上げてしまうのだが、

これが美容師さんにとってはやり難いのだそうだ(テレビで美容師さんが言っていたこと)。

 

 

『すべて安心して身を任せなさい』なーんて、言ってもらった覚えが無い人間には、

人前で緊張を解いて意識的にダラーッとするなんて、けっこう難しい。

 

でも、これから介護を受ける可能性が高くなる身としては、

これができないと介護者に迷惑をかけそうな気もする。

 

ダラダラーッ、ユルユルー、と体の力を抜く練習を、今から始めておくか(笑)

なーーんて、ね。

 

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