2014年3月アーカイブ

毛糸でサクランボ

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毛糸で編んだサクランボ。

これからお花見シーズンだという時に、ちょっと気が早いのですが。。。

この赤い玉がとても可愛い。

 

 

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今咲いている花

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レンギョウ

 

 

 

 

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                                                                                             コブシ

 

 

 

 

体感的には、まだまだヒンヤリする日もあるけれど、次々に花が咲いている。

肩に力を入れないで、人に優しく、心豊かに暮らしたい。

花を見上げながら、そう願う。

 

 

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毛糸で編んだスイレン

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毛糸でスイレン(睡蓮)の葉と花を編んだ。

輪を付けたので、玄関飾りにもできる。

 

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低俗とされた番組

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国会でNHKのバラエティー番組を批判した中田議員が挙げた番組に「ケータイ大喜利」が含まれていた。

 

あ、あのお。。。、私もその番組視ているんですけど。。。

ってことは、それを視ている私のレベルも低俗ということになりますかね?

まあ、自分が高尚な人間だとは思ってはいませんが、

ハッキリ"低俗"と切って捨てられると「ちょっと、ちょっと」と反感抱きますよ。

 

具体的な番組名を挙げる必要性がありましたかね?

 

たしかに、最近、NHKのバラエティー番組は民法の真似したのか?と思わせるような番組が多いとは感じていますが。

そこはそれ、ある程度の節度が保たれ、CMが無いのが良いという理由で視ている視聴者もいる。

「あの番組は低俗です」と発言することで傷つく視聴者もいることは念頭になかったのかしら?

 

国会議員に限らず、言葉の選び方や表現の仕方に奥行を感じさせる話し方をする人が少なくなった。

 

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異動の季節は不安の季節

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4月、人事異動の季節。

退職後も同じ仕事で働いている私には、もはや自身の異動は無い。

ただ、現在の職場から去って行く人、やって来る人の入れ替えはある。

それに伴う職場の人間関係は、蓋を開けてみるまでの不安の種である。

 

今年3月まで、私は職場トップの人柄に多くの場面で救われた。

雰囲気の冷淡な職場での二年間の勤務後半、私は陥れの謀略標的になってしまったのだが、

職場トップの理解ある対応で、自信を失わずに勤務することができた。

 

今回の異動でそのトップが交代する。

 

次のトップは、6年前二年間同じ職場だった人。

その時も、私は若いお嬢ちゃん同僚の自己中心的妄想の標的にされていた。

周囲の人々は、どちらに理があるか分かっていながら、職としては立場の強いお嬢ちゃん側に付く人が多かった。

今度赴任するトップは、その時(お嬢ちゃん側に付いた)一人。

偉くなった彼と、私は再び同じ場所で仕事をすることになった。

ただ、彼は当時、私に理があることを分かっていたらしい。

送別会の席で、私の耳にそっと「〇〇さん、力になれなくてごめんね」と告げた人。

 

と言うわけで、4月に現在の職場にトップとしてやって来る彼が「あの時は・・・」と持ち出したなら、

「昔のことは全部忘れちゃいました。。。これから新しく、よろしくお願いしますね」と言えたらカッコ良いだろうなあ。

カッコの問題ではなく、私はそういう受け答えしかしないだろう。

問題は、向こうが私のことを(あの時申し訳ない仕打ちをした相手だ)と認識してくれているかどうか。

 

開けてビックリ玉手箱!!

さあ、新年度の職場で、私は障害無く仕事に専念できるでしょうか?

玉手箱は4月1日に開きます。

 

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一足先に満開

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このところの気温上昇で、桜がほころび始めた。

 

というわけで、

一足先に、私の編み編み桜が満開に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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里海・瀬戸内海

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今夜のNHKスペシャルは「里海・瀬戸内海」。

瀬戸内海の浄化再生を扱っていた。

 

山口県の内陸育ちで海の思い出は少ないものの、波穏やかな瀬戸内海は私の心の中にいつもある。

 

 そんな瀬戸内海が環境汚染で生物が絶えかけていたとは。

 

多くの人々の努力でよみがえりつつある瀬戸内海の風景に、しばし故郷へ想いを馳せた。

 

里山と里海、どちらも人の手が入らなければ健全な生命の循環が保てない。

今、里山に人が手を入れなくなって、野生の動物や鳥類が里の畑を荒らす事態になっている。

 

もう、今後いつお目にかかれるか分からない故郷の海。

いつまでも豊かで穏やかな姿であってほしいものだ。

 

 

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にほんブログ村に登録した

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インターネット・コミュニティーから遠ざかって久しいのだが、今回「にほんブログ村」に登録した。

 

さしたる深い考えがあるわけではなく、またまた私のほんの気まぐれ。

 

先日、聖路加国際病院の名誉院長:日野原重明先生が、

「いくつになっても新しいことを始めようとする限り、人は若い」

という言葉(どなたか外国の人の言葉)を、テレビ番組で引用されていた。

 

このところマンネリ化している日常に、「にほんブログ村」への登録が新しい挑戦になればと思う。

 

さあ、どんな世界が展開するのだろう。

 

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最近のブログを見て思うこと

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最近は、あまりネットサーフィンをすることもないのだが、

たまに時間が空いて気持ちに余裕があるとネット散歩してみることもある。

 

検索ワードを入力して、その日の気分に合うようなブログのタイトルを開いてみる。

たいていは若い人のブログで、内容に関心無いものが多いので、ざっと目を通して閉じる。

 

そんな中でも、開いた途端に閉じてしまうのは、ベタベタとたくさんの広告バナーが貼り付けられたもの。

どこに本体のブログ内容があるのか分からないようなものもある。

間違って広告バナーにカーソルが当たってクリックしてしまったら、後で何か起こるのではないかと心配でしょうがない。

あんな広告バナーから商品サイトに飛んで行くネット利用者がいるのだろうか?

クリック数や販売に結びついたケースに対しての報酬が目当て(アフィリエイト?)なのかな?

近頃ますます派手に広告バナーを貼り付けたブログが多くなっているように思う。

結果、検索して、安心かつ清潔そうな新しい情報に出会う楽しみは半減した。

 

インターネットの普及で、繋がることのできる範囲は格段に広がったという人がいるかも知れない。

しかし、その奥深い闇のような広がりに怖れを感じてしまう私のような臆病な人間は、

かえって、直接触れることのできる範囲の現実生活にこだわる度合いが強くなった。

あまりにも軽率な

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インターネットで見つけたベビーシッターに、我が子二人を預けて殺されてしまった母親のニュース。

ベビーシッターの素性も保育施設となる建物も自分の目で確認することなく、大事な子どもを預けるその軽率さ!

 

仲介がインターネットという、いかにも現代的ないかがわしさは言うに及ばず、

かけがえ無い我が子を見ず知らずの他人に預けることに、親として、本能的な危険は察知できなかったのか?

 

近年とみに、人々に危険察知の本能が衰えていると感じる。

わが身に近付く車や自転車に対して避けようとする行動をとらない人は増えたし、

面白そうとか得になりそうと感じると、いとも簡単に飛びついて騙されるし、

電話だけの勧誘や詐欺にも、相変わらず多くの人間が引っかかる。

 

原因は何だろう?

 

やはり、思考(それも熟考)の習慣がなくなっていることも原因のひとつにあげられよう。

 

情報のほとんどをインターネットに頼る生活が常態化した人は、モニターに並ぶ文字を飛ばし読みしているのではなかろうか?

紙媒体の情報だと、情報を掲載した出版社や新聞社という所在の明らかな発信元への社会評価が参考になる。

隣近所の口コミは、それを話している隣人の人柄が判断材料になったりする。

現実生活の手ごたえを、自らの知恵と直感と思考でふるいにかけながら、

守るべきものを守れるようでなくてはならないのに・・・

 

亡くなった子供たちが哀れでならない。

定年退職してから再雇用の私は(知り過ぎた年寄り)として戻ってきた職場に遠慮して、

現役の若い職員の邪魔にならないように、余計な口出しをしないように、控えめに目立たないように仕事をしている。

夜の親睦飲み会も、年齢を理由に参加をお断りしている。

お酒が入った席での話の誇張や飛躍に関わりたくないというのが正直なところ。

 

ところが、一人ほど、まことに困った女性職員がいる。

二年間彼女と同じ職場で働いたわけだが、結果、私は現在彼女の格好のイジメ対象にされている。

イジメの方法は専ら陰口。

それも、「〇〇はこんなことしているんだよ。私はいけないことだと思うんだよねえ」とか、

「ねえねえ聞いた(知ってる)?〇〇がこう言ったんだよ(ああ言ったんだよ)。信じられなあい」

「〇〇があなたのことをこう言っていたよ」‥など

陰口を話して聞かせる相手は、基本的に誰彼構わずだが、

私に一番影響が大きいと思われる人物に対しては、私に害を及ぼす行動を焚き付けるように話す。

その結果、私は、同じ仕事を週3日と2日で分担している男性から今後の仕事に支障をきたすような仕打ちをされている。

彼は、この3月で辞めていく人で、いわば「イタチの最後っ屁」。

困ったチャンの女性職員に煽られて私への恨みをつのらせ、最後にやり返して去ってやろうという魂胆。

 

他業種を退職した67歳のその男性にも問題が多く、同じ仕事をする上で私は大いに困らされた二年間だった。

最初は、私の発案で連絡ノートを作り、丁寧に仕事をサポートしていたのだが、こちらの言わんとするところが通じない、

この業種経験では先輩にあたる私の説明を無視して自分勝手な判断でやってしまう、

指摘すると反論して退かないし、間違いであったことが判明しても謝罪反省は無し、などなど。

さすがの私も、相方の面倒をみる任は負っていないし、耳を貸さない年寄り相手に時間をとって悩む暇はないので、

最終的には「匙を投げた」わけ。

 

そこに飛びついたのが、くだんの困ったチャンの女性。

そもそも、彼女は全く仕事をせず、事務方の女の子や他の職員を掴まえて一日中おしゃべりばかり。

その内容と言えば、管理職の批判や気に入らない職員(私のような)の批判。

そして、自分は全ての正しいあり方を知っているけれど、批判対象のあいつもこいつもダメだと持って行く。

早とちりで短気な人間は、彼女の話を真に受けて踊ってしまうという図式。

オッチョコチョイの誰かが表だって批判・非難行動に出た場合、当然のこととして人間関係トラブルが発生する。

その時困ったチャンの彼女はどうするか・・・

「私は関係ない」という顔で、トラブり始めた人間たちの批判を始める。

放火犯人はアンタでしょ!!

 

その困ったチャンの女性は、どうも人格障害に匹敵するほどの性格の歪みがあると思わざるを得ない。

 

それに気付いてからというもの距離を置き始めた私が標的に定められたのだろう。

いくらお人好しでおバカな私だって、自分の仕事を置いて彼女に親切にし続けるわけないじゃん!!

手を貸してやればやるほど自分の仕事を(それも面倒な)押し付けてくるんだもの。

 

私の仕事の相方男性と困ったチャンの女性に共通しているのは、

事態を正しく理解・認識できないのに自分勝手な理屈を押し通そうとする。

それが通らないとなると、相手が悪いとして反撃に出る。

自分が悪かったかも・・・という自省反省はしない。

常に「負けるもんか!」の姿勢で立ち向かってくる。

 

この二年間、私の言動のほころびを待つかのような彼女の視線に追いかけられ、

何かにつけて裏と表の使い分けの会話につき合わされ、不愉快極まりない。

 

近視眼的欲望と間違ったプライドに囚われた人間の周囲には隙間風が吹きっぱなしになる。

不安と不信の蔓延

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最近発生する事件や事故をテレビニュースで視ていると、

そのどのケースも、いつわが身が巻き込まれても不思議ではないような案件が増えた。

 

睡眠時無呼吸症候群のドライバーが運転する公共の移動手段を利用することもあるだろうし、

何気なく出かけた街中で、いきなり犯罪者の餌食になることだって想定の範囲内になってきた。

近年では、大地震発生の際にどこにいてどのように行動するかを思考シミュレーションしておくことは必須である。

 

「人を見たら泥棒と思え」なんて諺は、できれば覚える必要のないものであってほしかったが、

近頃はそうも言っておられず、この諺が教えるところを念頭に行動することのほうが現実的である。

 

皆そういう考えなのか、ちかごろは、やたら人間関係がギクシャクとして冷たい隙間風が吹きぬけるような気がする。

私だけの思い過ごしなら良いのだが・・・

なんだか、説明のつかない不安と不信が日に日に募っている。

心に響く言葉

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土曜日の午後1時から、NHK Eテレで「心の時代」という番組を放送しています。

私は時々この番組を視聴しています。

為になるお話や言葉で心洗われるようです。

今日は再放送で、作家・帚木蓬生さんの(ギャンブル依存と平安の祈り)がテーマのお話。

 

番組の中で取り上げられていた当事者ミーティングの最後に全員で唱える言葉が心に残りました。

 

正確にここに再現できるかどうか分からないのですが、残しておきたいと思います。

 

神様

変えられないものには それを受け入れる落ち着きを

変えられるものには それを変える勇気を

そして それらを見極める賢さを

わたくしに与えてください

 

という言葉です。

 

これはアメリカの神学者 ラインホルド・ニーバーという人の散文の一節で【ニーバーの祈り】と言われるもののようです。

ウィキペディアで調べると詳しく解説されています。

 

昔も今も、生きていれば、受け入れ難い出来事に遭遇するのは常です。

そんな時、慌てうろたえて自分を見失ってしまうのが大方の人間ではないでしょうか?

でも、大切なのはその後の過ごし方考え方のような気がします。

 

何が起きても、たとえそれが初めての経験でも、動揺しない胆力と平静心でいられる人は稀でしょう。

むしろそういう人には人間らしい感情の有りや無しやに疑念を抱きます。

人は驚き慌て嘆いて後に、それに対処するには自分はどうすれば良いのかを考え始めるのが成り行きの常です。

 

上記の言葉は、そうした混迷の精神に差し込む光のような気がしました。

 

またひとつ、私が生き迷った時に、光となり杖となってくれそうな言葉に出会いました。

先日、NHK総合「クローズアップ現代」で(医療機関を経ない個人による精子提供)の問題を取り上げていた。

この話題に接したのは初めてだった。時代はそんなところまで来ているのか、と。

 

インタビューに応えていた女性は、

「結婚の機会に恵まれないまま出産可能年齢の限界を迎えた今、子どもだけは欲しかった」という。

 

番組では、医療機関を通さないことによって生じると予測されるさまざまなリスクを検討していた。

 

ど素人で、極々一般的な感性しか持たない私でも、その行為の不自然さや危険性の一端は容易に思いつく。

 

そもそも「子供が欲しい」という女性は、どんな目的や覚悟があって実行に踏み切ったのか?

自分の所有欲を満たす?そこらの赤ちゃん人形より現実に血が通い成長する存在が欲しかった?

独身で高齢になった自分の将来を考えて、子供がいれば孤独を避けられるかもと思った?

 

独身女性が見ず知らずの男性から街頭で精子の入った容器を受け取り、自ら体内に入れる行為を繰り返す。

しかも、その精子は女性が待っている間に公衆トイレで採取されたものだと・・・

 

これら全て、信じがたい思いでニュースを聞き終わったけれど、不快感でいっぱいだった。

 

何が不快かと言って、そこには『生まれてくる子供』の視点はどこにも存在していないということ。

いやしくも母親になりたいと思うなら、

これから生まれるであろう子どもの人格と将来の幸せを思い描けなくては母親になる資格なし。

出産して"身二つ"になった時点から、子供は人格を持ち、一人の人間としてこの社会を生き抜いていかなくてはならない。

そのわが子に、彼女はどんな生育環境を用意しているのだろう?

 

最近触れたニュースの中で一番、信じ難くも後味の悪い内容である。

 

方言「ほんこ、ほんこ」

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山口県で生まれ育ち、関東地方で暮らして40年弱。

今では、ほぼこちらの言葉で用が足せております。

なかなか抜けきらないのがイントネーション。

過去に「なし(梨)↑」が「なし(梨)↓」になって、周囲から「はあ?」と指摘され修正しました。

 

それでも、未だに郷里の親しい人と会話する時にはバリバリの山口弁がスラスラと出てきます。

バイリンガルです(笑)

本当の気持ちを語るには、やはり山口弁がベストです。

 

つい先日、姉と話していて姉の夫が良いことをしたという話になりました。

「そりゃあ、ほんこほんこしてあげんにゃあ」と応じました。

すると姉が「まあ、懐かしい言葉(ほんこ、ほんこ)なんて」と言いました。

 

(ほんこ、ほんこ)は、幼い子供が良い子にしていた時に頭を撫でながら褒めてやるとか、

子どもの愛しさに思わず頭を撫でたりする際に使う言葉です。

私の記憶では、ほとんどの場合"頭を撫でる"という行為とセットだったように思います。

 

・・・子どもが褒められる、可愛がられる・・・という意味合いから、私はこの方言が大好きです。

標準語で「いい子ね」「いい子、いい子」と言ったのでは伝わらない温もりがあるような気がするのです。

 

というわけで、

山口県の方言 http://www6.shizuokanet.ne.jp/kirameki/hougen/yamaguchi.htm

こんなサイトがありました。

私の知らない方言もありますが、

山口県は周防(瀬戸内側)と長門(日本海側)では微妙に違う言葉がありますので、そのせいかも。

 

その土地の風土に根付いた言葉は、どの地方の言葉も素敵です。

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