2014年1月アーカイブ

物語を読み、物語りする力

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今朝のニュース・バラエティ番組で、あの林修先生が先日行われたセンター試験を解説していた。その話の中で印象に残ったことを、記憶が新しいうちに書き留めておきたい。

 

200点満点の国語科目において全体平均点が97点余だったそうだ。

 

その点数に驚きながら、林先生なりの解説を短時間でまとめ解説されたもの。その中で、最後に語られた内容が印象に残った。

 

近年および今回のセンター試験などから感じることは、書かれた内容の物語を理解する能力が低下していることだそうだ。人の書いた物語を理解できなければ自分で物語を紡ぐこともできないという結果になると。

その懸念を説明するために引用された本に「言葉は人であり人は言葉である。この言葉の力が衰えていくことは、すなわちその言葉でつながれた世界も衰えていくということ」といった内容に、私は衝撃を受けたし賛同をおぼえもした。

私の狭い社会行動の経験においても、近頃は簡単な会話も成立しなくなっていることを痛感している。ちょっと前までは(まだ私にその元気があったから)、相手にこちらの話が伝わっていないことを察した場合、理解されたと感じるまで言葉を替えて説明をしてきた。それが年々、言葉を尽くしても、易しく言い換えても、伝わらないことが多くなった。その上、困ったことには、相手に(理解したい・知りたい)という意欲が乏しいとしか思えないことだ。

 

言葉で考えなければ、言葉で伝えなければ、他にどんな手段で自分を形成し他者の理解を得るのか?

それとも、他人がどう思おうと自分が一番だし、黙っていても誰かが片付けてくれるんだから良いじゃないということなのか?

 

やはり、我がことを物語り、相手の物語りに耳を傾け、多くのフィクションやノンフィクションに接しながら「物語ることのできる自分の世界や人生」を築ける個人が集まってこそ厚みのある社会が構成されていくと言える。だから、言葉が亡びることは国が亡びることになりかねない。

 

私はかねてから英語の早期教育に熱をあげることには反対している。また、猫も杓子も英語英語と優越感や劣等感に振り回されることもおかしな話だと思っている。

 

まず、自国の言葉を正しく使えることが人格形成の基礎だと痛感している。

世界と渡り合う力として、まず《言語スキル》が取り上げられる風潮を苦々しく思っている。

まずは、《表現できる(すべき)内容を持った内面の充実》からでしょう。

最近、何をする気も失せています。寒さのせいでしょう。もう何十年も同じようなことを繰り返しています。小寒から大寒へ、一年で一番寒さが堪えるのが1月末から2月にかけてです。暦の上では春なのに現実は・・・春は暖かくあってほしいという願望が強ければ強いほど、寒さに対する忍耐力が削がれるのでしょう。ほら、ちょっとした人間関係の解決本なんかにもあるではありませんか「期待するから失望する。端から期待などしなければ裏切られることもない」と。あれと似たようなことなんでしょうね。

 

寒冷だと脳内の何らかの物質が減少して精神的な元気が低下するのかも知れません。そういえば何年か前(日本国内で一番自殺者の多い県はどこ?)という不名誉なランキングの上位県が寒冷な雪国でした。日光と気温は人間のやる気や元気に大いに影響があるのでしょう。それは人間だけではないですね。人間以外の動物だって植物だって、太陽の恵みで生命力を発動したり休止したり、それはそれは素直に自然環境に従って生きています。つくづく天然自然の奥深さに感じ入ります。

 

 

私の元気が停滞しているのは、寒さのせいばかりではないことはもちろんです。

 

止めることのできない時間が経過して、心身は確実に老化の一途。さまざまな体の不調や、昔できたことが容易にはできなくなったりした時の不安と苛立ち、そして諦め。先に老いて行く先輩がたが、その経験から得た知恵などで元気づけようとしてくださっても、所詮は個人一人ひとりが自分の老いと一人で向き合い、折り合いをつけて行くしかありません。

 

「ま、しょうがないじゃないか・・・」と、現在の私は思うわけです。

人間以外の野生動物や植物たちのように、天然自然の導くままに大人しく呼吸を続けていようと思うわけです。

 

それにしても大分県高崎山のボス猿・ベンツ、どこに消えたのでしょう?「終焉近いことを悟ってわが身の始末を自らつけようとしたのか、ヒッソリと姿を消した。奴は偉い!」と、社会的な動物としてベンツの真似などできようもない人間の私としては、なぜかしら心動かされています。

 

それにしても・・・

急に行われることになった日本一の自治体知事選挙のこと。政治から身を引きますと言って引退した人物が表舞台に舞い戻ろうとしているのは、なんともいただけない。引き際ってありますよ。もう身を引いたのだから、出てくるのはみっともないでしょう。次世代の後進育成をお考えにはならないのでしょうかね。私には身勝手な人たち(二人)としか思えません。

求められているのは「勇気」

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BSフジの番組で「プライムニュース」20:00-22:00というのがある。

性に合うので、たまに視聴している。

 

1月10日(金)のゲストは曽野綾子さんと金美齢さん。

このお二人は、その率直な発言に賛否が極端に分かれる論客。

一般社会で彼女たちと同じような発言をすれば、周囲から引かれること必至。

 

曽野さんは昨年「出産したら(仕事を)お辞めなさい」という主張で論議を呼んだ。

基本的には、私の考え方は曽野さんの主張に賛同するところが多い。

(右寄り)とか(保守的)とか表現されるのだろうが、人の意見を簡単に類型化してはならない。

その主張するところがどのような根拠に基づくものかを考える糸口として捉えるほうが良い。

簡単に類型化することで、端(はな)から主張を排除することは避けなくてはならない。

 

今回の「プライムニュース」では、今日の日本人のあり方に対するさまざまな提言を聴くことができた。

社会で公(おおやけ)に発言を求められる対象は男性が多い。

たまに出てくる女性識者も、多分に男性的視点から発言しているように感じることがある。

その点、今回のお二人の意見は、地に足付けて生活をしてきた女性として人間として共感できるものだった。

 

番組の最後に、今の日本人への提言を紙に書かれたのだが、曽野さんの提言は「勇気」だった。

 

実はその数日前、私は新聞の書籍広告に読んでみたい本を見つけていた。

タイトルは「嫌われる勇気」 岸見一郎・古賀史健:著 ダイヤモンド社:刊

簡単な内容抜粋に

・自由とは、他者から嫌われることである

・すべての悩みは「対人関係の悩み」である

・トラウマも過去も、存在しない

・人生とは連続する刹那である

とある。

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この本の「勇気」という言葉と曽野さんの提言「勇気」が重なった。

 

自説や信念を発言することにためらってはならない。

発言することで嫌われることを恐れてはならない。

発言してみて修正する点があればすれば良い。

全ては、「勇気」をもって、自分を確立しながら地道に一歩一歩歩むことからだと思う。

 

1月10日、TKPシアターで「東ベルリンから来た女」を鑑賞。

 

東ベルリン・・・ベルリンに壁があったことなど、もうずい分昔の記憶、歴史の1ページになってしまった。

世界が東西に分かれていた時代、東の世界で暮らすことがどんな不自由や緊張を強いられていたか、

西の世界に暮らしていた者には想像もつかない。

思想や行動に制限を加えられ監視される日々の息苦しさを垣間見ることができる映画。

 

 

 

予告の作品で気になったのは「ハンナ・アーレント」。

昔、岩波ホールで鑑賞し感銘を受けた「ローザ・ルクセンブルク」の監督&主演で再びこの作品。

「ハンナ・アーレント」は、ナチスのアイヒマンが裁かれた裁判への見解で世界中の非難を浴びることになった。

 

過去の歴史において女性の思想家は珍しいというのは「ローザ・ルクセンブルク」鑑賞時に知ったこと。

そんな数少ないであろう(思想や哲学に信念を貫く女性)ハンナ・アーレント。

上映日を逃さないように鑑賞しようと思う。

 

 

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