2013年10月アーカイブ

「負けたくない」と思う心

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人が「負けたくない」と思う時には、必ず自分より優位であると認める対象がある。

その対象が、自分の信念や理想に近い、もしくは同じである場合は張り合うことに意味を感じるのかもしれない。

 

しかし、自分はその対象の在り方を認めていないにもかかわらず、

自分の今が対象より恵まれていないと思う口惜しさから「負けたくない」と意気込むのなら、

もう一度自分の心の奥を覗きこんで考えてみたほうが良い。

 

(同じ土俵に立つな)とも言われる。

 

人としてあるまじき所業と誰もが認めるのに、勢力を誇る輩は存在する。

そして、幾ばくかのおこぼれに与かれるのではとの姑息な思惑からすり寄る人間も多い。

価値観を同じくする者同士なら、それはどうぞご勝手に。

ただ、弱いものを食い物にするような下賤な所業は、いずれ人の軽蔑するところとなること必至。

よしんば、運よく表だった軽蔑の対象にならなくても、薄汚い精神は立ち居振る舞いや人相に如実に反映される。

 

 

先ごろ亡くなった詩人であり漫画家であった やなせたかしさんはこう言われたそうだ。

「相手をやっつける正義というものは無い。食べる物にも困っている人に食べ物を分け与えるという正義は有る」と。

 

誰かをやっつけて自分がその上に立ったとしても、

勝った負けたの価値観で起こした行動の結果は空しいだけではないだろうか?

その勝ちは、必ずや次の「負けたくない」人間によって取って代わられるに違いない。

 

共に喜びあえる、共に涙することができる、この共感力こそ養うに値するものだと、私は思っている。

 

もし「負けたくない」という言葉を使うのなら、

自分の心の中の邪な部分にこそ「負けたくない」と思うべきだろう。

競うべき相手は自分の周囲ではなく、自分の内部に潜んでいるのだと心したい。

意馬心猿(いばしんえん)

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漢字クロスワードを解いていると、初見の熟語がしょっちゅう出てくる。

その都度、辞書で確かめている。

 

昨夜から徹夜して解いたホワイトパズル(黒マスが無いもの)は難しかった。

所要時間 6-7時間で、やっと全マスを埋めて解答を引き出した。

 

 

今回、そのパズルの中で印象に残る熟語に出会ったので、ここに残しておこうと思う。

 

その熟語は 「意馬心猿(いばしんえん)」。

『解説』

煩悩や欲情がおさえがたい様子のこと。

馬や猿がさわぎ立てるのを容易に静めることができないように、

おさえがたい有様をいう。

 

なぜこの熟語に引っかかったかというと、過去にも、そして現在も、

この熟語で表現するのがピタリと当てはまるような人間に悩まされているから。

 

金への執着、異性への執着、他人の持てる好ましき物や人間関係を奪い取りたい欲求‥など。

 

しかも、それがいい歳とった年齢だからお粗末としか言いようがない。

人間年取ると鈍感になるのか(それとも、もともとそういう人間だったのか)、

周囲の困惑などお構いなしの厚かましい振る舞い。

 

そうか、そういう人間のことを「意馬心猿」というのか・・・

 

「そんなことに喩えたら馬や猿に悪いでしょ!」というのは漫才のオチ。

 

でも、心の言葉が通じないなんてのは動物よりたちが悪いでしょ!と思わなくもない。

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