ガラパゴスでもいいじゃないか

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時代について行けず(行かず=意思)、進化しないままに存続している物をガラパゴス(略してガラ〇〇)と呼ぶらしい。

名前の由来はもちろん、あの島からだろう。

えっ? だれがいつからそう呼び始めたん? どうやってその言い方広めたん? 

聞いてないよー! (ダチョウ倶楽部か!)

 

折り畳み式携帯電話のことを ガラケー と呼んで、一部では軽蔑の対象にされる場合もあると聞く。

ガラケーと比較対象にあるのがスマホらしくて、若い者でスマホ持たざる者には仲間情報届かずという事態もあるようだ。

LINEなるソーシャルネットワークがあるそうで、部活連絡や遊び仲間連絡や情報などが即時に配信共有され、

そこにアクセスする手段の無い者は、たとえ現実の場面で同じ集団で活動していても無情報になるという。

若い人たちの間では、新たなイジメも生まれているらしい。

 

ツイッターがどうした! フェイスブックがなんだ!

深く考えもせずに発信するからグチャグチャになるし、追いかけて即時に発信するからドツボにはまるんでしょ!

発言や発信は一呼吸おいて、よく熟慮して行うほうがいいんじゃないの?

 

何でも知ることができるし、知らなきゃいけないなんてことはない。

ホラ、「知らぬが仏」ってあるでしょ? あれって、なるほどなあって思いますよ。

 

新聞の下段に掲載される書籍や雑誌の広告をみていたら、「新潮45」という雑誌で(反ウェブ論)という特集を組んでいるようだ。

・・・こんな非寛容で均一的で愚かしい「ウェブ社会」を誰が望んだのか。「いいね」じゃない!・・・

という小見出しがついている。

 

私は、最近流行ったお笑いコンビの「当たり前体操」というのがお気に入り。

あのユル~イ感じと、基本的な "当たり前" の数々がクスリと笑える。

だが、機器や手段の変化に人が付いて来ること前提の "当たり前" には笑えない。

 

 

自分がそうなってみて思うのだが、

これほど目まぐるしいコンピューター機器やネット環境や通信方法の変化には、

もはや、ついて行けないしついて行くつもりもなくなった。

そういう人間でも、必要な基本的情報は平等に入手可能な社会であらねばならないと思う。

 

スマホではなく折り畳み式携帯電話をこれからも愛用していこうと思うような人間もいて良いではないか。

今、「あいつガラパゴスだぜ」と冷笑している人たちが、後々、ガラパゴスを懐かしみ回帰してくるかもしれない。

本当のガラパゴス諸島が現在は世界の貴重な遺産として保護されているように。

 

やはり、人間の体内時計に即した時間経過でものごとを進めて行かないと、無理が積み重なるような気がする。

最近の端末機器やその使い方などの変化の激しさと社会的に引き起こされる諸問題に接していて、

自然ではないと感じることが多い。

 

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このページは、tsuyuが2013年5月18日 14:48に書いたブログ記事です。

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