普通って?

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 昨夜の「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」は《普通》についての話。

 

きたやまおさむさんの考え方は常に、右か左か上か下かと決めないで右も左も上も下もありでいきましょうという感じだなあと、私は受け止めている。肩の力を緩めてもらえるようなその話ぶりが好きで、毎週月曜日の夜はこの放送に耳を傾ける。

 

自信喪失した時や仲間外れにされた時など、自分は《普通》のことができないのではないかと心穏やかでいられないことがある。しかしそう思いながらも「普通っていったい何を基準にしているのだろう?普通と劣等と優良をはかるものさしとは?」という疑問が生じる。また、そのものさしは誰がどういう価値観で標準化しているのだろうという疑問を常に抱く。

 

PC作業をしながらの視聴だったので、細かい部分は聞き逃しがあるが、まあ、人には「失敗だったー」と思うこともあり「我ながら上出来」と悦に入るときもあり、そのどちらでもない気持ちや状態の時が《普通》なのではないでしょうかということのよう・・・そのどちらでもない状態ばかりでは《普通》に気付けないのだから、「しまった」も「やったー(得意)」もあって当然なのだ。

 

したがって、《普通》とは他人の尺度でははかれないものということになろう。自分が心穏やかでいられる状態、それが自分の《普通》であり、他者に害を及ぼさない限りにおいて「それでいいのダ!!」ということ。つくづく赤塚不二夫センセイは偉いと思う。

 

他人の《普通》、それも特定の誰か(それは自分が一番気になる人物である)の《普通》を見ながら焦ってもしょうがないのである。ところが、人間はわれとわが身をわが眼で見ることができないから、顔の真ん中よりやや上に存在する前方しか見えない目から入る情報に左右され易い。その情報は言い換えれば「世間」ということばに表されるかもしれない。

 

「世間」とは無責任で実体のない集団や言いぐさと心得、われとわが感性を信じるのが最良の心の平安になるだろう。

 

ああ、こんなことも、既にいつの時代かに誰かが考え書き残していて、私もそれらの名言に触れながら実生活に生かせずジタバタして、ある日突然(そうだ、そうなんだ)と思い、そして忘れ去り、またジタバタして思い出しの繰り返し。人間とは、暮らしの技術や道具は表面的に変化しても、感情に関しては発展の受け継がれは無く、一人ひとりが一からスタートして、ようやく(そんなものか)と思い始めるころに生を終えるものらしい。

 

 

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おはようございます。

この番組,私の専門に少し近い分野なので,いつも興味深く聞いています。ただ,この回は,音楽が私の中学生時代のヒット曲だったので,そっちに聞き入っていました。きたやま先生も少し触れていたかと思いますが,このカリフォルニア・サウンド,「能天気」な音とは裏腹に,結構ドラッグだのヒッピー運動だののことを歌っているものもあるようです。まあ,ドアーズなんかは音そのものも,ちょっと意味深ですが…

それはさておき,先日の「育てる環境」といい,今回の「普通」といい,まあ古くからのテーマである「図と地」の分類で行けば,「図」ではなく「地」のお話かなあと思って聞いていました。きたやま先生のお話とは少し離れてしまいますが,何か問題があるとき,大抵は表に出ている「テーマ」に目が向き,それを一所懸命無くす(解消する,改善する,治療する)ことに力を注ぎますが,実はそれは見かけのことで,背景にある「地」に問題があることも多いということかなあと…

ますます,きたやま先生から離れるかもしれませんが,「一点豪華主義」とか「短期決戦」とか,「普通」でないところで「頑張る」ことは,一時期つらいものの成果が見えやすいので,結構「戦いやすい」けれど,なかなか成果が見えない「日常」を「普通」に維持することは,なかなか「戦いにくい」のかなあと・・・

どんどん,きたやま先生から離れますが,昔,「何で芸能人とか芸術家とか,別に必須でないことをしている人が,高い収入を得て,日常生活に必須のことをしている人々は,大した収入が得られないのかなあ?」と思ったことがあります。そのとき若い私が気づいたことは,芸術の価値は「他の誰も代わりができない」ほど高いが,日常必須の仕事は「他の誰かで代わりができる」ことが必要条件なのだということでした。

で,「俺は他の誰も代わりができないことをしているのだ」ということが見えやすいと,自分の「存在価値」が分かりやすいけれど,「誰でも代わりができることをしている」中で自分の「存在価値」を「感じる」ことは,結構大変かなあと…

昔,少し気が滅入っていたとき,人から言われたことがあります。「なもさん,あなたの仕事は他の人でもできるけれど,子供さんのお父さんは なもさん 一人なんだ。まず,子供さんをかわいがってみたら?」と。もちろん「子供をかわいがる」ということげ逆に「図」(=問題,主訴)になることもあって,世の中はややこしいのですが…

なもさん、こんばんは。

いつも私のつぶやきを読んでくださって、コメントをいただけること、心から「ありがとうございます」です。

ああでもないこうでもないと考えることも、最近ではめっきり少なくなってきた私です。時代のなりゆきは、私の思考の範囲を超えてしまっているようです。

「老兵は死なず、ただ立ち去るのみ」とか「名もなく貧しく美しく」とか「上を向いたらキリがない 下を向いたら後がない」などの、過去に覚えた言葉が、時折ふっと頭に浮かびます。

今の私には、社会への大きい貢献はできませんが、できる範囲のことをこなしながら、ボチボチとゆっくり生きていたいなあと思っているところです。

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このページは、tsuyuが2012年1月24日 18:52に書いたブログ記事です。

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