人の本性は善か、悪か?

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おそらくこの問題は昔むかーしから論じられてきたことでしょう。およそ30?40年前、私が学校で「性善説・性悪説」という言葉を学んだ記憶があるのですから、"説"としてまとめられて教科書に載るまでのことを考えれば、誰かがどこかで、この問題を取り上げて検証してきたのだと思われます。

 

人間は、放っておけばどんなことを考え行動するのでしょうか?そもそも生まれたまま放置されて成長できる人間がいるのかということが真っ先に浮かぶ疑問です。自然の中の動植物であれば、親の手助けなしに成長する種もありそうですが、人間はそうはいきません。何らかの衣食住を保障されなければ命をつなげないでしょう。だから、放っておけばという前提は成立しません。

 

やはり、野生の動物も人間も、基本的な生きる術は、ある年齢までに親(またはそれに代わる存在)から学ぶのでしょう。それにプラスして社会から学ぶ。その積み重ねで「今」がある。

 

この問題は大き過ぎて、単細胞の私の頭で考えるには持て余してしまいます。

 

しかし、なぜこのようなことを書き始めたかというと、インターネット世界には付き物の悪質行為への疑問からです。ホームページとブログを継続していて、この不快な行為には悩まされます。削除の手間は惜しみませんが、削除する前には否応なくその行為が目に入ります。その都度、このようなことをしている人の生育過程で育まれた価値観や与えられた(または与えられなかった)行動規範について考えてしまいます。

 

インターネット上のことは、おそらく、無作為に面白半分でやっていることなのでしょう。そこには受け取る側の感情への慮りは欠如していると想像します。あるとすれば、どこかで誰かを困らせることができる自分への満足感でしょうか。幼稚としか言いようがありません。こうした子供じみた(本当の子供に失礼かな?)人が、他に対して大きな影響力のある道具を操ることには危険が伴います。かといって、人を選別して使用制限できるわけでもなし・・・

 

"善"も"悪"も、他者との関わりで成り立つ社会という場があってこその考え方のような気がします。ということは、何が"善"で何は"悪"かも複雑ですよねえ?

 

ま、簡単に言えば「私が嫌がっているんだから、やめてぇ?!」という訴えなのですが、こうした声を上げることが悪質行為者の快楽であり満足でしょうから、この問題の救いはなさそうですね。

 

大きく出て小さく終わった。本日の話題展開は、まさに「竜頭蛇尾」でした。

コメント(2)

いろいろ,興味深い話題を出してくださっていて,何かコメントしたいなあと思いつつ,本気で考えると時間がかかりそうだし…と,ためらっておりました。

たとえば犯罪についても,(1)世の中には,もともと犯罪者となるような,又は犯罪常習者になってしまった性悪者がいる,と考えるか,(2)犯罪を起こす人も普段はおおむね普通の生活をしているが,何かのきっかけで犯罪を起こしてしまう,と考えるかで,どのような対応を考えるかが少し違ってくると思われます。多分,どちらかが絶対的に正しいということはなくて,犯罪の態様や犯罪者の状態によって,どちらで考える方がより適当かということになるのだろうと思います。

ネット上の悪質ないたずらや人の迷惑を考えない宣伝行為については,まあ性悪説でいくしか仕方がない。それをやっている主体が根っからの悪人か,普通の人がたまたま面白がってやっているだけなのか,そんなこと考えてもどうにもならない。「もう,どうにも止まらない」のだから,どうにかして「自分に降りかかってきた火の粉を振り払う」しか仕方がない。そもそも,何か自動でメールを発信しているとしたら,「元々の主体」はあるのだろうけれど,現に行われていつ行為の「主体」はないようなものだ(何か,簡単なことを無理やり難しく言っているようですね)。

外交の話も書かれていましたが,外交の場面で性善説でやっていたら,多分「間抜けなお人よし」になってしまうのでしょうね。だけれども,腹の探り合いや,カードの切り合いの外交でも,相手を全く信用しなかったら,何もできなくなるのだろうと思われます。仮にA国がB国を信用していなくても,A国のある外交官が,あるB国の人は信用している,ということは当然あるのでしょうから…。

と,今朝はこのくらいにします。

なもさん、いつもありがとうございます。

本来、命あるもの(人間も含めて)、「善」も「悪」もないのだと思います。
ただ、人間世界には、他者を害さないための規律法律が作られたために、
「善」か「悪」かの判断が迫られるのだと、私は考えます。

やりたいようにやらせておけば、きっと、弱肉強食が自然の成り行きでしょう。
何が強いのか・・・何が弱いのか・・・
そこに、人間社会の作ってきた価値観が働きます。
その価値観を左右する感情は“損得勘定”、つまり“人の欲”ではないかと。

しかし、人間には“欲”以外の感情も備わっています。
つまり、哲学の範疇になる考え方です。
これこそ人間が獣と一線を画する証ではないでしょうか?

獣にも意識的か無意識にか、人間から見て哲学的と思われる行動もあるでしょうが、
あくまで人間中心にものを考える場合、それは観察の対象とはなっても、
具体的な影響を人間には及ぼしません。

大宇宙に想いを致すと、こんなちっぽけな星の上で、かまびすしいこととあきれ果ててしまいます。
そういえば、最近、地球に似て奇跡的な条件を備えた星がありそうだとのニュースがありました。
もしも、あちらにも我々と似たような生命活動が為されているのなら、どんなのでしょうね。
知りたい。

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このページは、tsuyuが2010年10月16日 09:50に書いたブログ記事です。

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